初期機関誌から

「文学と教育」第7号
1959年5月11日発行
 文学と科学 (U)  
 科学と文学の共通な側面にアクセントをおいた報告をしたい。
 〈科学の表現と文学の表現との質的な相違から、その対象と方法をあらいだしていこう。〉と、そこまで進んでいるのに、科学と文学の共通な面にアクセントをおいた報告をするのは、研究の積み上げや発展という視点から見れば逆もどりである。が、おそい歩みの僕は、僕なりに科学と文学の関係をみていきたい。
 僕たちは、“この頃オレはサボっている”とか、“どうも発表の仕方がヘタだ”とか、自分の仕事のしぶりや、発表ぶりを反省する――ということは頭の中に、あるいくつかの意見や人物をおき、その意見や人物をとおして自分をながめ、いままでの自分を否定していく過程である。否定をくぐって、いままでの自分がかわっていく場合もあろうし、逆にいままでの自分の意志、感情、認識、行動の仕方が、強固になっていくこともあろう。とにかく、いずれの場合にしろ否定をくぐることにかわりはない。もっとも、日常生活においていままでの行動体系の全面的な否定とか全面的な肯定とかいう両極端はないであろうが、否定をくぐることをやっているわけである。
 僕たちが、もろもろの本を読むのも本質的にはこのためのものである。
 文学や科学は、この“否定”のもっともすぐれたものであろうし、“否定”の自覚化をめざしたものであろう。
 文学が、“仲間の体験をくぐって”の現実の反映である、といわれるのも、文学における“否定”の仕方をいい表わしたものであろう。
 が、科学においても“仲間の体験をくぐる”のではなかろうか。科学において問題設定の場合、科学者は研究対象に関係あることがらについての知識や観察が前提としてなければならない。その知識そのものが、ある人の経験や体験をくぐり抜けたものであり、観察もまたそうした知識が前提となって観察する軸や観察の視点が明確になるものである。この限りにおいてさえ、すでに“仲間の体験”や経験をくぐっているのである。そのうえ更に、仲間の記録による業績や社会的要請という“否定”をくぐってはじめて研究の見とおしや、研究の結果の予想がでてくるわけである。
 この研究結果の予想や、研究の見とおしにそうて研究の手段(実験・観察・調査・文書の収集など)がきまってくるわけである。そして、研究の進行につれて自己の資料の不完全さ、矛盾、疑問、さらに他の資料の“反証”という否定をとおして「科学的世界像」がえられる。科学の対象が世界(一つ)であるために、反証があげられやすいし、実験という検証手段は、その得られた「世界像」が「世界」と一致するかどうかを明らかにし、合致しない場合は、そのまま“反証”として否定してくれる。
 文学はこの点、対象が現実(多)であるために、“否定”や反証の姿が、科学とは異なってくるのが当然であろう。文学における現実の反映の仕方の際の“否定”のあり方をもう一度考えてみたい、と思う。

 僕たちが科学論文を読む場合、やはり「体験の共軛性」が必要なのではなかろうか。
 形式論理の言葉のみの世界で、つじつまがあうかどうかというのなら、ある程度の「体験の共軛性」がなくとも通じることが可能かもしれないが、それですら形式論理のつじつまがわかるということが必要なのである。
 科学論文を読むとき、表現の抽象を抽象として自覚し、その抽象的表現が、僕たちの身のまわりの特殊的なものとつながりがあるかどうか、特殊的、具体的なものにひきおろして考えるのが常である。もっとも、特殊的なものにひきおろしてひきくらべる操作を、意識的に読む度にやってはいない。がしかし、科学の表現は抽象的表現という自覚があり、抽象を抽象として受けとれる体験があって科学論文のコミュニケーションが成立するのである。
 そして、科学論文に書かれている対象についての意識や経験、観察などが豊富であればあるほど科学論文を読んでの「感動」がおこるのである。ただ、そこに取り扱われて対象や内容が明確化していればいるほど読者の感情もまた分化した形で現れてくると思う。
 (文学では、いわばこの裏がえしの形で同じである。)

 しかもなお、事実として文学と科学があるというばかりでなく、一方をもって他方に変わることはできない。僕は、再びここから考えていきたい。
(木村敬太郎)
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