『文学と教育 ニュース版』 bS (1978.3.25)
  
   対話の回復 “現代の詩精神と散文精神”――熊谷孝氏、国立音大芸術祭で講演――  (聴き書き) 井筒 満  
     
   熊谷孝氏の講演は、〈1〉戦前と戦後/〈2〉詩文学へのいざない〈3〉/長編小説へのいざない という順序でおこなわれた。
 文学=文学精神は真の対話精神であるという観点のもとに多角的に問題がさぐられたのが、この講演であった。そして、まず〈1〉では、対話精神が現在の私たちになぜ必要なのかという問題――対話精神を問題にすることの現代的意義が話題にされた。熊谷氏はそこで「木枯紋次郎」や自己の戦前・戦中の体験に例をとりながら次のような意味の指摘をした。
 戦前の日本でおこなわれた3S(スクリーン・セックス・スポーツ)政策は一人一人の国民に目つぶしをくわせるという役割をはたした。3S政策にのっけられ主観的には戦争体制の中へおいこまれていったのである。テレビでみる木枯紋次郎は、どんな事件にも自分から積極的にかかわろうとしない。「あっしにはかかわりのないことで……」というのが彼の一貫した姿勢である。が、つねに、彼の主観とは関係なく、彼との間にその事件との、また他者との関係が生じてしまうのである。「自己と他者とのかかわりは未知の分野で生まれる」のだ。そうした視点から現在を考えた場合どうなるのか? 過去がそうだったように現在もまた戦争へむかっている新たな戦前ではないのか? が、そうであるならば傍観者的姿勢はゆるされない。
 現在を戦前たらしめないために何が必要かが問われなければならない。そして、そのために対話精神は絶対に欠かすことのできないものなのである。対話をつうじて未知なる他者とのかかわりをさぐり、自己のありかたを明確につかみなおしていくことが必要なのである。熊谷氏はここで、単なるおしゃべりと対話とを区別する。べらべらしゃべるのが対話なのではない。真に対話する姿勢とは、なによりもまず自分の内部での他者との対話を徹底的におこなう姿勢なのである。単なるおもいつきではない、本当に責任のもてる言葉で他者と対話するためにもそのような内部コミュニケ―ションが徹底しておこなわれなければならないのである。そして、文学の課題と役割は、そうした真の対話を私たちの間に回復するところにある。未知である自己と他者とのかかわりを追求し、そこに自己と他者とをつなぐ普遍的問題を発見していく。したがって文学の表現は、身辺雑記的な自己の体験の表白であってはならない。また、それは、対象の一般的な記述でもない。自己の現実を自己の世代のかかえる問題との関連でさぐること――つまり、文学の表現は、「世代的普遍性による個の自覚」にもとづいておこなわれるのである。
 熊谷氏は、以上のような指摘をつづけて、〈2〉と〈3〉では、文学のそれぞれのジャンルにおける対話のありかたの特性を問題にした。氏はまず〈2〉で花森安治氏の詩『戦場』をとりあげて話題をすすめた。この詩が、世代共通の深刻な体験である東京大空襲に取材したものであり、そこからの痛切な叫びの表現であることが、氏自身による全文の朗読をつうじて明確化された。また、そこで同時に、氏はこの詩が現代詩の多くがそうであったようなさすらい人の文学などではなく小野十三郎のいうような定住者の文学としての性格をもつことを指摘した。氏によれば、現代の詩は現実にふみとどまりどろだらけになって問題をさぐっていく散文精神を自己の中に積極的に摂取してこそ、現代詩としての意味を真にもつことができるのである。
 氏はさらに『戦場』の分析をつうじながら、詩精神・詩的発想の特性を究明する。人間の実人生を線にたとえるならば、詩はそのなかのある一点をとりあげて集中的に表現するという性格をもつ。作者は自己にとって価値ありと判断しえたものを一点えらびだして読者との対話を組織しようとするのである。もちろん、そこでの点の選択が、普遍をふまえておこなわれるのはいうまでもないことである。
 氏は続けて小説について論じ、詩が以上のようなよびかけ的性格をもつのに対しまず短編小説については、その表現が人生上のいくつかの点の提示であるため多分によびかけ的な性格が強いことを指摘する。が、長編小説は、作者が自己にとって価値がありと判断できたものだけではなく自己に未だ判断できないものもあわせて読者に提示するという線としての性格をもつのである。そのような線としての表現は、事柄をただ漫然と並べていたのでは実現しない。氏は井伏鱒二の『かるさん屋敷』を例とし真の長編はその各部分が必然的関連のなかにおかれており、実人生におけると同様無原則な例外はないことを指摘した。以上不十分なまとめになってしまったが熊谷氏の指摘は、実践的視点からする、文学論・ジャンル論のするどい究明であったと思う。 
 
   (熊谷講演=一九七七年一〇月二九日)
 
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