『文学と教育 ニュース版』 bR (1977.4.30)
  
    〈報告レジュメ〉 総合読みの何≠ニいかに       熊谷 孝  
     

 
   1.総合と分析  
(1)

(2)



(3)
総合 ( Synthese ) の一般的規定
―― 否定の媒介を経て、総括( Zusammenfassen ) された、統一的判断。
分析 (Analyse) の一般的規定
―― テーゼとして提示されている判断を成り立たせているところの諸条件、諸要素を、それぞれ順次的に検討し、その当否を検証する操作。
コメント
@ 読みの実際の作業過程に右の[下の]図式を適用して考えるとすれば、テーゼは、作品なり論文なりの言表をさすのではなくて、その言表に対する読み手の判断を示すもの、ということになろう。
  TheseAntithese → Synthese ]
 
A したがって、この、テーゼというのは、すでにある程度に、読み手の印象の追跡(読み手自身の感動の質その他に対する自己分析・自己評価)を経過した、対象(作品・論文……)への分析・評価に基づくところの第一次的な総合的判断(ジンテーゼ)をさし示すものとして押えたい。
    (* 「印象は常に追跡された印象である。」――戸坂潤) 
B 右の図式のアンティテーゼは、右記[上記](2)の記述が示すような内容の、意識的・体系的な印象の追跡の過程・契機を示すものとして考えたい。 
C ところで、課題全般への統一的関心、総合への関心に欠けるところのある分析の操作は、分析ならぬただの分解作業に逸脱してしまうのが一般である。そこに求められるのが側面分析の意識である。 
   (*部分と全体/部分=全体像の側面的反映)
D 分析と総合とを概念として明確に区別して考えることの必要と、Zusammenfassen する作業上の実際の操作面における、その相互既定の関係を確認することの必要と。 
   
 
   2.読みの機能としての意識化としての印象の追跡  
――分析と総合との、また対象(作品・論文……)の分析と自己分析との相互既定の関係の自覚化による、より高次のまっとうな<枠組みによるまるごとの認知>の実現をめざす合目的々な読みの操作。 
 
     
   3.方法としての印象の追跡
(1) 前提〜対象(作品・論文……)の言表、言表された判断は、読み手の主体の位置づけなり条件によって、それが常に実像(T1)として反映(=認知)されるとは限らない。 
(2) 印象追跡の作業は、そこで(側面分析的な意味においてであるが)、まず、T2・T3……という形の虚像 を、読み手の主体の位置づけ方、その遠近法(視点)を調節し規正することにより、実像 T1 の形のものとしてそこに導くための、言表の場面規定を究明する作業とならざるを得ない。 
(3) そこに導かれた、T1 の文体的特質の究明、読み手自身の発想・判断をつき合わせての、T1 との対話。 
 
   4.立ちどまり  
 
  ――印象の追跡の方法上の一手段  そのメリットとデメリット
(1) 薄紙重ねを自覚的に把握するための立ちどまり。 
(cf.記録集「井伏と太宰」 p.9上段)
 
(2) 表現の重層性(ある薄紙重ねの仕方によるどんでん返しなど)を、それとしてつかみ取るための立ちどまり。
(cf.記録集 p.8 下段〜p.9 上段) 
 
(3) 読みのテンポについて。(まとめ読み)
(cf.『ドリトル先生』の場合) 
(4) 読み返しの場合の立ちどまり。
(cf.奈良小方式) 
 
 
   
 
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