『文学と教育 ニュース版』 bR (1977.4.30)
  
   総合読みの原点に戻って考える――『富嶽百景』を中心に   木内ときえ  
     
   読みの方法を、論理面・実践面から追求した会として印象深いものがあった。私のように、自分の経験や感情そのもので、作品の一方的分解・読解作業を行ないがちな者にとって、それを自覚させられる手厳しい会となった。場面規定の問題、分析・総合の問題など、総合読みを、基調概念を明確にして、主体化していかなければならないことを実感したわけだ。
 そうした理論学習の後に取り組んだ『富嶽百景』の総合読みは、太宰文学に取り組んでいた私たちが実は欠いていた、「太宰文学という特定の思考形式」「太宰作品理解の方法概念・基調概念の用意」などを自覚化する中で続けられていった。
 『富嶽百景』は、太宰文学年表にいう、「希望を持とうとする人の書いた作品の時期」のものである。私たちは、その、作家と本来の読者との対話の場=創作場面を、『富嶽百景』以前の作品群――『姨捨』、『I can speak』、『黄金風景』を検討する中で明らかにし、この作品の総合読みに入った。七つのブロックに分け、それぞれ、報告を受け、全体討論という形で進められた。
 私自身、一番印象に残っているのは、作中人物=「私」の苦悩の、つかみなおしの過程であった。「思いをあらたにする覚悟で東京をたった」私が、多くの人々をなかだち にしながら、必死に生きる方向を模索しつづける、やがては自己の文学の方法をつかみとっていくその過程が、私の内なる富士の変化の過程として、みごとに描写されている。
 年来の友人とさえもわかり合えない私の倦怠の思いは、率直で素朴な青年たちとの出会いの中で、「富士に化かされた」あの夜の体験で、老婆を媒介として発見した月見草で、遊女が置かれている階級的疎外を目のあたりに体験する中で、そして茶店の母娘とのつながりの中で、私の自己凝視をとおして、人間信頼へと変革されていったのだった。もはや、富士は「おあつらえむきの富士」「風呂屋のペンキ画」ではなく、私の対話の対象として変化したのである。
 この作品を検討する大前提として、私たちは、「待つ」という基調概念を用意した。「現実の厚い壁」「倦怠の思いにかられざるを得ない」現実にあっても、決して「あきらめず」、さりとて「傍観者的な待機主義」でもない、最も「行為的・実践的な態度・姿勢」、――それがこの「待つ」の概念内包である。その概念を導入したとき、『富嶽百景』の世界は、当時の日本的現実への抵抗として映じてくる。富士を組み変えていく作業は、実は、庶民の真の精神的風土としての富士の確立作業につながっていくわけだ。それは体制側の富士とは異質のものであるはずである。
 『富嶽百景』への取り組みは、私自身の読みがようやく始まったばかりである。合宿で話題にされた、作品構成の問題、連俳形式と単一表現の問題、太宰のシンボル概念についてなど、まだわからないことだらけである。しかし、それだけにこれからのこの作品の共同研究が楽しみだ。
 読み返しをどのように行なうか。「薄紙重ねを自覚的に行うための立ちどまり」「表現の重層性の把握」など、読みの方法を、自分のものとして獲得していかない限り、どうやらこの作品は理解できないようだ。 
 
   
 
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