『文学と教育 ニュース版』 bP (1975.12.6)
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井伏研究の第一歩――11月合宿研、行なわれる―― |
11月22〜24日・青少年総合センター。『さざなみ軍記』の総合読みを中心にした熱気あふれるゼミ(熊谷チューター)の展開、私たちの井伏文学研究の第一歩は確かな形で踏出された。その理論的成果については「文学と教育」96号に譲って、ここでは、久しぶりに参加された金井さんに、稿を寄せていただいた。 |
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集団討議の中で 金井公江 |
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一日目の、対談「井伏鱒二の文体」の検討を通して、井伏の作品群を、文学史の流れの中で、井伏文学の主題発展の中で、とらえる視点が与えられた。さらに、主人公群の一人である、同時に狂言回しの役割を負う「私」、そういう切り口から井伏の作品を読むことが少し解ってきた。その人、その階級のことばでなければ語れない事柄を翻訳することにより、翻訳者と事柄のかかわりが見えてくること、新しいニッポングリッシュの創造、等々、久々の研究会参加の私にとって、一日目はとにかく、消化不良であった。
二日目にとりあげられた作品の半分は読めてなかったので、私はここでも消化不良を起こした。高橋英夫論文批判の中で、井伏の対象のつかみ方は、人間・自然・歴史を二元的にとらえていることを学んだ。このような武器を与えられて『さざなみ軍記』の総合読みにはいったのであるが、第一パートの@Aのあたりでは、まだ私の視点は定まっていなかった。BCのあたりから、作品に引き込まれていった。
そして最終日、日中戦争下の作者の思いをくぐって、ダイナミックなイメージで一人の少年の魂の成長過程が鮮やかに見えてきた。人間ってある状況下ではこんなにも変われるんだ――という感動。いまは、この感動をなんとかして、私の若い仲間である生徒達に伝えたいと思う。できれば、『さざなみ軍記』をなんとか伝えたい。これが今の課題である。
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