「文学と教育」掲載記事 対象別一覧 |
井伏鱒二・井伏文学と どう取り組んできたか。 |
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1960年代 |
■《報告》『屋根の上のサワン』――孤独の質こそ問題………福田隆義(「文学と教育」第33号 1965.5) |
■《報告》『屋根の上のサワン』の“私”の内面〈中学〉………川越怜子「文学と教育」第34号 1965.8) |
■〈民族の自画像 4 絶望〉井伏鱒二『山椒魚』(1923年)の人間像………熊谷 孝(「文学と教育」第61号 1969.12) |
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1970年代 |
■『山椒魚』から『丹下氏邸』へ――なぜこの作品をとりあげるのか………夏目武子(「文学と教育」第69号 1971.5) |
■井伏文学をどう評価するか………高澤健三(同上) |
■近代主義の行きつく絶望の世界………佐藤嗣男(同上) |
■絶望をこえて――『丹下氏邸』の世界………山下 明(同上) |
■現代文学としての井伏文学――『日本人の自画像』を中心に………荒川有史(同上) |
■熊谷孝 授業体験を語る――『コシャマイン記』から『丹下氏邸』へ………(同上) |
■近代主義と文学・文学教育――井伏文学を中心に………荒川有史(「文学と教育」第71号 1971.11) |
■井伏文学にどうアプローチするか(第一回)――『幽閉』『山椒魚』から『丹下氏邸』『さざなみ軍記』へ………熊谷孝(「文学と教育」第89号 1974.12) |
■《対談》井伏鱒二の文体――その成立過程………熊谷孝、夏目武子(「文学と教育」(「文学と教育」第94号 1975.11) |
■1975年度 第一期の研究計画………研究企画部(同上) |
■《対談》井伏鱒二の文体――その成立過程(第二回):『幽閉』が『山椒魚』の原型であるということの意味………熊谷孝、夏目武子(「文学と教育」第95号
1976.2) |
■『さざなみ軍記』と『孫子』のことなど――資料操作と印象の追跡………荒川有史(「文学と教育」第96号 1976.5) |
■『さざなみ軍記』の原像を索めて………山下明(同上) |
■『さざなみ軍記』の人間像………黒川実(同上) |
■『丹下氏邸』前後――井伏鱒二の文学的イデオロギーについて………熊谷孝(「文学と教育」第97号 1976.8) |
■“幻”の処女作『幽閉』………杉浦寿江(同上) |
■『夜ふけと梅の花』について………黒川実(同上) |
■『さざなみ軍記』と古典………鈴木益弘(同上) |
■『さざなみ軍記』論ノート………荒川有史(同上) |
■《第25回全国集会案内》井伏文体の成立――『幽閉』『山椒魚』から『さざなみ軍記』へ………研究企画部(同上) |
■《特別研究集会案内》井伏文学の教材化『ドリトル先生アフリカ行き』を中心に………福田隆義(同) |
■『ドリトル先生アフリカ行き』案内――特別研究集会にむけて………佐伯昭定(同上) |
■井伏文学略年譜(折込み)………編・文教研年表作成グループ(同上) |
■大正期の歌曲に見る〈倦怠〉の心情――北原白秋の『城ヶ島の雨』と『さすらいの唄』………佐藤嗣男(同上) |
■井伏文体の成立――『幽閉』『山椒魚』から『さざなみ軍記』へ………荒川有史(「文学と教育」第98号 1976.11) |
■《井伏文学の教材化》『山椒魚』・『さざなみ軍記』他――高校の場合………山下明(同上) |
■《井伏文学の教材化》『細カナリヤ』・『半生記』他――小学校の場合………福田隆義(同上) |
■《1976年度研究計画》井伏鱒二と太宰治――戦中から戦後へ………研究企画部(同上) |
■《研究例会レポート》『丹下氏邸』前後――『朽助のゐる谷間』を中心に………井筒満(「文学と教育」第99号 1977.1) |
■《例会メモ》『多甚古村』『遙拝隊長』をめぐる例会………(井)(「文学と教育」第100号 1977.6) |
■《新刊紹介》『文学史の中の 井伏鱒二と太宰治』(編集・発行 文学教育研究者集団)>………(同上) |
■「文芸都市」5月号保有の彦根城内船橋聖一文庫をたずねて………(S)(同上) |
■初期の井伏作品――『炭鉱地帯病院』までを中心に………高澤健三(「文学と教育」第101号 1977.8) |
■『追剥の話』の人間群像――庶民の中の戦中・戦後………尾上文子(同上) |
■『山峡風物誌』にみる戦争の告発………奥津志津子(同上) |
■『遙拝隊長』の総合読みのために………黒川実(同上) |
■『ドリトル先生アフリカ行き』について………佐伯昭定(同上) |
■井伏文学の教材化――小・中学校の場合………福田隆義(同上) |
■『多甚古村』の世界………夏目武子(「文学と教育」第103号 1978.2) |
■『遙拝隊長』の印象の追跡――ゼミナールの総括………山下明、黒川実、夏目武子(同上) |
■井伏鱒二の随想………高田正夫(同上) |
■詩文学と散文文学――『かきつばた』(井伏鱒二)『戦場』(花森安治)をめぐって………井筒満(同上) |
■《春季合宿研究集会総括》『かるさん屋敷』『安土セミナリオ』の総合読み…………荒川有史(「文学と教育」第104号 1978.5) |
■《対談》小説とは何か………熊谷孝、佐藤嗣男(同上) |
■『遙拝隊長』教室にもち込んで…………佐藤嗣男(同上) |
■『かるさん屋敷』改稿・その他………荒川有史(「文学と教育」第105号 1978.8) |
■《講演「井伏文学の成立と展開」・資料》『開墾村の与作』(冒頭)………熊谷孝(同上) |
■まんぴつ・井伏さんに叱られそうな話――井伏鱒二氏の生家訪問記………熊谷孝(同上) |
■文教研年間テーマ一覧――1977.9〜1978.7………研究企画部(同上) |
■長篇小説にどうアプローチするか――『かるさん屋敷』(井伏鱒二作)を事例に………荒川有史(「文学と教育」第106号 1978.11) |
■作品世界(『かるさん屋敷』)のダイジェスト――そのプロットと構成………佐藤嗣男(同上) |
■《パネルディスカッション》『かるさん屋敷』………熊谷、高田、井筒、芝崎、橋本、他(同上) |
■《ゼミナールの総括にかえて》『かるさん屋敷』の信長と次郎作………山下明(同上) |
■《講演記録》“人間として面白みのある人間”ということ――文学教育の問題として………熊谷孝(同上) |
■熊谷孝『井伏鱒二』を読んで………諸氏(同上) |
■1978年(9月〜12月)第一期研究計画………研究企画部(同上) |
■『鶏肋集』と『半生記』について――井伏鱒二のメンタリティー………高田正夫(「文学と教育」第107号 1979.2) |
■《例会報告》『開墾村の与作』の総合読み――井伏文学の二つの可能性………佐藤嗣男、田中順子(同上) |
■井伏鱒二『増富の渓谷』――初出稿の表現がサジェストするもの………熊谷孝(「文学と教育」第108号 1979.5) |
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1980年代 |
■《巻頭言》近代文学史の書きかえを――七〇年代の回顧と展望………福田隆義(「文学と教育」第114号 1980.11) |
■《ひととき》井伏文学研究二題………(無名)(同上) |
■井伏文学、初期の相貌――資料「散文芸術と誤れる近代性」を中心に〈付、井伏鱒二・初期著作一覧〉………佐藤嗣男(同上) |
■1981年度・第一期研究計画――系譜論を軸とした文芸認識論の立体化………研究企画部(「文学と教育」第118号 1981.11) |
■作家論の基本的視点――井伏文学の場合………夏目武子(「文学と教育」第119号 1982.2) |
■平和教育としての文学教育――夏の全国集会へ向けて………熊谷孝(「文学と教育」第120号 1982.5) |
■文学史一九二九年――中野重治の文学を射程において(その二)………荒川有史(同上) |
■歴史小説の方法――太宰・井伏・安岡の検討をとおして………佐藤嗣男(同上) |
■1981年度 第二期・三期 研究プログラム=文学教師の条件――異端の文学系譜を探る中で………研究企画部(同上) |
■《目》井伏鱒二雑感――『谷間』の連載中止………佐藤嗣男(同上) |
■《文教研ニュースから》例会拾遺………諸氏(同上) |
■《シンポジウム=提案》文学教育は可能か………夏目武子(「文学と教育」第121号 1982.8) |
■歴史小説への必然性――太宰治と井伏鱒二に即して………井筒満(同上) |
■メンタリティーの文学としての歴史小説――『右大臣実朝』と『かるさん屋敷』………内貴和子(同上) |
■文学史の画期、1929年――井伏文学成立の意義………山下明(同上) |
■《シンポジウム記録》文学教育とは何か………夏目武子(「文学と教育」第122号 1982.11) |
■《ブック・レビュー=歴史小説への誘い》井伏鱒二『かるさん屋敷/安土セミナリオ』………内貴和子(同上) |
■《「井伏文学の世界」報告要旨 1》“私”に映し出された朽助像………高田正夫(同上) |
■《「井伏文学の世界」報告要旨 2》『朽助のゐる谷間』に即して………山上英男(同上) |
■《「井伏文学の世界」報告要旨 3》『夜ふけと梅の花』の位置………内貴和子(同上) |
■《「井伏文学の世界」報告要旨 4》『炭鉱地帯病院』………奥津志津子(同上) |
■《報告記録》井伏鱒二『川』の世界………熊谷孝(同上) |
■《座談会》井伏文学のロマンティシズム………熊谷、山下、奥津、山上、高田、内貴、鈴木、佐藤(同上) |
■《例会レポート》井伏鱒二『川』の検討………橋本伸弥(「文学と教育」第124後宇1983.5) |
■《私の教室》『朽助のゐる谷間』の授業………渡辺由美(「文学と教育」第125号 1983.8) |
■《資料》井伏文学の成立過程――『幽閉』から『山椒魚』『炭鉱地帯病院』まで………高澤健三(「文学と教育」第127号 1984.2) |
■初期の井伏鱒二の文学観――「物悲しさと人生への努力」と「記述的表現」を中心に………佐藤嗣男(「文学と教育」第128号 1984.5) |
■井伏文学研究の最近の動向――熊谷孝氏著『井伏鱒二』以後の研究書を中心に………井筒満(同上) |
■井伏文学を身近なものに――『炭鉱地帯病院』の授業をとおして………高田正夫(同上) |
■井伏文学の教材化――小学校の場合………福田隆義(同上) |
■《例会レポート》核状況下の倦怠――戦後井伏文学の検討………山上英男(同上) |
■《春夏秋冬》ひっそりしていた井伏邸………(S)(同上) |
■《休憩》井伏鱒二と石地蔵………(無名)(同上) |
■鴎外・龍之介から鱒二へ………熊谷孝(「文学と教育」第129号 1984.8) |
■戦後井伏文学の出発点――『侘助』と『トカトントン』(太宰治)と………山下明(同上) |
■井伏文学の周辺・文学史一九三八――『さざなみ軍記』と『鴉』(伊藤永之介)と………荒川有史(同上) |
■《シンポジウム》『黒い雨』の再評価………熊谷孝、高田正夫、佐藤嗣男、荒川有史(同上) |
■《『井伏文学手帖』に執筆して》文学の中の人間たち………芦部寿江(同上) |
■《『井伏文学手帖』に執筆して》隠し味のすばらしさ………鈴木哲夫(同上) |
■《例会レポート》文学教育と“人間”………香川智之(同上) |
■《春夏秋冬》広島講演、旅は道連れ………(S)(同上) |
■《巻頭言》異端の文学との対話を………福田隆義(「文学と教育」第130号 1984.11) |
■文学教育意識の喚起を――文教研・1984年度研究計画………常任委員会(同上) |
■《ゼミナール》『山峡風物誌』の印象の追跡………夏目武子、佐藤嗣男、金井公江、森山昌枝、樋口正規、山上英男(同上) |
■文学教師の方向感覚――その資質と条件を問い直す………荒川有史(同上) |
■《例会レポート》文学教育意識の見直し………井筒満(同上) |
■銃後意識から不沈空母意識へ――〈現代史としての文学史〉の視点から………熊谷孝(「文学と教育」第131号 1985.2) |
■井伏と児童文学――『ドリトル先生アフリカ行き』を中心に………福田隆義(同上) |
■《ゼミナール》『多甚古村』の印象の追跡………荒川有史、夏目武子、高田正夫、香川智之、鈴木哲夫(同上) |
■《例会報告》『井伏文学手帖』と私………佐藤嗣男(同上) |
■《国語教育講座・第六回》平和教育としての文学教育――『山椒魚』『鼻』を中心に………夏目武子(同上) |
■《私の教室》異端の文学系譜をたどる中で………森山昌枝(「文学と教育」第132号 1985.5) |
■《例会レポート》戦後の井伏と太宰………樋口正規(「文学と教育」第133号 1985.7) |
■テキストを選んで読む権利――『山椒魚』と『おおきなかぶ』と………佐藤嗣男(「文学と教育」第135号 1986.2) |
■〈日中戦争下の井伏と太宰〉展望………夏目武子(「文学と教育」第137号 1986.7) |
■《討論》授業とテキストの問題――国語教育・文学教育の原点を探る………熊谷孝、山下明、夏目武子、他(同上) |
■《巻頭言》閑話寸言………佐藤嗣男(「文学と教育」第138号 1986.11) |
■《シンポジウム》国語教育・文学教育の原点………山下明(同上) |
■近代主義の克服………井筒満(「文学と教育」第139号 1987.2) |
■長編の教材化――井伏鱒二訳『ドリトル先生アフリカ行き』を事例に………福田隆義(同上) |
■井伏鱒二と「若草」………佐藤嗣男(「文学と教育」第140号 1987.5) |
■暗い谷間の人間像………樋口正規(「文学と教育」第141号 1987.7) |
■戦後へ………高田正夫(同上) |
■井伏鱒二と遊び歌………佐藤嗣男(同上) |
■文学史〈一九二九〉の課題と継承――『炭鉱地帯病院』『コシャマイン記』『野火』………樋口正規(「文学と教育」第142号 1987.11) |
■井伏鱒二………高田正夫(「文学と教育」第143号 1988.2) |
■文科の科学の対象領域………熊谷孝(「文学と教育」第146号 1988.11) |
■《例会レポート》偶然と必然と………土肥秀高(「文学と教育」第148-149号 1989.7) |
■《シンポジウム・残された課題》鑑賞体験の変革を促す読みのありかたを………熊谷孝、荒川有史、佐藤嗣男、夏目武子、山下明、他(「文学と教育」第150号 1989.11) |
■初日を終えて――福田、佐藤、山下、熊谷四氏の報告・講演を聞く………山口りか(同上) |
■『多甚古村』から『増富の谿谷』へ………高田正夫(同上) |
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1990年代 |
■《例会レポート》“あそび”の系譜――鴎外・太宰………森山昌枝(「文学と教育」第151号 1990.3) |
■子どもに精神の自由を――死者との語らい………荒川由美子(同上) |
■《巻頭言》文体喪失の時代にあって………夏目武子(「文学と教育」第152号 1990.6) |
■《変形シンポジウム》『丹下氏邸』の虚構のあり方………夏目、熊谷、荒川、佐藤、高田、井筒、福田、山上、土肥、岩崎(「文学と教育」第153号 1990.7) |
虚構精神の衰弱と文体の喪失――現代の文学と現代文学と………佐藤嗣男(「文学と教育」第154号 1990.11) |
■《講演とシンポジウム》表現と表現理解と――日常性・科学性・芸術性………荒川有史(同上) |
■文体意識の欠如と文学史意識のブレとひずみ………高田正夫(同上) |
■井伏鱒二『丹下氏邸』の虚構と文体………香川智之(同上) |
■《私の教室》若い魂にみる文体反応の軌跡――ふたたび芥川龍之介『地獄変』をめぐって………荒川有史(「文学と教育」第155号 1991.5) |
■《例会レポート》階級論としての世代論――文教研ニュースを中心に………山口りか(「文学と教育」第156号 1991.7) |
■井伏鱒二『炭鉱地帯病院』――文学史〈一九二九年〉………金井公江(「文学と教育」第157号 1991.11) |
■熊谷孝にとって文学であるもの………伊豆利彦(「文学と教育」第160号 1992.12) |
■「この人、日本のチェホフじゃないのか……」………香川智之(「文学と教育」第160号 1992.12) |
■《編集後記》(井伏鱒二氏、永眠)………(S)(「文学と教育」第162号 1993.7) |
■追悼・井伏鱒二 “倦怠”を課題にした文学者………高田正夫(「文学と教育」第163号 1993.11) |
■《例会レポート》井伏文学をめぐって――〈相互主観性〉および〈媒介者〉という概念について………成川日女美(「文学と教育」第165号 1964.6) |
■《編集後記》(『厄除け詩集』所収「唐詩十七篇に関する土屋泰男、寺横武夫両氏の論文)………(S)(同上) |
■戦時下の現実を模索する『厄除け詩集』――『仲秋名月』での展開………山上英男(「文学と教育」第166号 1994.8) |
■《私の教室》『井伏鱒二『厄除け詩集』の「勧酒」について………芥川敏子(同上) |
■井伏文体の成立と展開………佐藤嗣男(「文学と教育」第167号 1994.11) |
■《ゼミナール》『ドリトル先生のアフリカ行き』の印象の追跡………文責 佐伯昭定(同上) |
■《報告と質疑》『厄除け詩集』………山上英男、芥川敏子(同上) |
■《ゼミナール》『へんろう宿』の印象の追跡………文責 樋口正規(同上) |
■再説『厄除け詩集』――『仲秋名月』段階の創作詩について………山上英男(同上) |
■《サークル紹介》対話を重ねて………高木春枝(同上) |
■戦後の井伏文学………佐藤嗣男(「文学と教育」第168号 1995.3) |
■井伏鱒二『かきつばた』の印象の追跡………文責 夏目武子(同上) |
■井伏鱒二 初期の詩二つ――『厄除け詩集』未収録作品「粗吟丘陵」「レギーネを愛す」を見る………山上英男(同上) |
■井伏鱒二 初期の詩二つ――『厄除け詩集』未収録作品「粗吟丘陵」「レギーネを愛す」を見る(承前)………山上英男(「文学と教育」第169号 1995.6) |
■読者論ノート――W.イーザー著『行為としての読書』の批判的検討(9)………井筒満(同上) |
■『日本の芸術論』を読む………樋口正規、芥川敏子、高澤健三、香川智之(「文学と教育」第170号 1995.8) |
■《閑話休題》井伏鱒二文学碑除幕式の後に………佐藤嗣男(「文学と教育」第172号 1996.3) |
■《私の教室》『多甚古村』日記(一)………香川智之(「文学と教育」第176号 1997.3) |
■井伏鱒二初期の短編『祖父』のことなど――新版全集に収録されなかった作品………高澤健三(同上) |
■《私の教室》『多甚古村』日記(二)………香川智之(「文学と教育」第177号 1997.6) |
■《私の教室》『多甚古村』日記(三)………香川智之(「文学と教育」第178号 1997.8) |
■井伏鱒二『祖父』と文芸同人雑誌「人類」(上)………高澤健三(同上) |
■《私の教室》『多甚古村』日記(四)………香川智之(「文学と教育」第179号 1997.11) |
■井伏鱒二『祖父』と文芸同人雑誌「人類」(下)………高澤健三(同上) |
■《私の教室》『多甚古村』日記(五)………香川智之(「文学と教育」第180号 1998.3) |
■『夜更と梅の花』の初出をめぐって――文芸誌「人類」時代の井伏鱒二………高澤健三(同上) |
■井伏鱒二と“プロレタリア文学”――転機としての一九二八年を中心に………高澤健三(「文学と教育」第181号 1998.6) |
■『朽助のゐる谷間』から見える近代………岩崎晴彦(同上) |
■戦中の井伏文学『多甚古村』前後を中心に………夏目武子(同上) |
■最近の『かるさん屋敷』論をめぐって………井筒満(同上) |
■井伏鱒二とトオマス・マン――〈芥川と『トビアス・ミンデルニッケル』〉にも言及して………佐藤嗣男(同上) |
■《例会レポート》『屋根の上のサワン』を読む………樋口正規(同上) |
■《私の教室》『多甚古村』日記(六)………香川智之(同上) |
■《私の教室》『多甚古村』日記(七)………香川智之(「文学と教育」第182号 1998.8) |
■文学史における井伏文学の位置――文学史〈一九二九〉の意味………高沢健三(「文学と教育」第183号 1998.12) |
■《ゼミナール》『屋根の上のサワン』の印象の追跡………文責 橋本伸弥(同上) |
■《私の教室》『多甚古村』日記(八)………香川智之(「文学と教育」第186号 1999.8) |
■現代にとって〈虚構〉とは何か………佐藤嗣男(「文学と教育」第187号 1999.11) |
■芭蕉俳論を読む〈その九〉――〈対象の声なき声〉の源流をさぐる(廣末保・熊谷孝・佐藤嗣男・藤田省三)………荒川有史(「文学と教育」第187号 1999.11) |
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2000年代 |
■抵抗文学としての『厄除け詩集』………佐藤嗣男(「文学と教育」第188-189号 2000.8) |
■《文学教育よもやま話(2)》まぶしかった新卒先生………福田隆義(「文学と教育」第192号2001.8) |
■一九三〇年代の笑い・喜劇及びユーモア――井伏鱒二・太宰治の「ユーモア小説」を考える………佐藤嗣男(「文学と教育」第200号 2004.8) |
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2010年代 |
■井伏鱒二と「ジャン・エプスタンの文学論」――一九二九年の文学状況の中で………高澤健三(「文学と教育」第212号 2010.8) |
■井伏鱒二「へんろう宿」――棄児(すてご)同士が家族をつくる………高澤健三(「文学と教育」第223号 2015.11) |
■広島の読書会 井伏鱒二「へんろう宿」の印象の追跡………中野斉子(「文学と教育」第224号 2016.7) |
■井伏鱒二「朽助のいる谷間」の印象の追跡………成川日女美(「文学と教育」第225号 2017.7) |
■井伏鱒二『さざなみ軍記』の印象の追跡………荒川由美子(「文学と教育」第226号 2018.7) |
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