2017年文教研秋季集会が11月26日(日)午後、渋谷区勤労福祉会館で開かれました。 テーマは《王様は裸だ! でも「今さら、やめるわけにはいかない」―アンデルセン「皇帝の新しい着物」―》。 集会終了後参加者からアンケートにこたえて寄せられた感想を紹介します。 (2017.11.28) |
■井筒さんの特別報告と、「太陽は四角」、「皇帝の新しい着物」と続けて読み、考えることで、改めて自分の立ち位置を考えさせられました。今後、また作品をあたためていきたいと思います。(N.T.さん 女性) ■ジンバブエは現代だけど、アンデルセンの時代は、19世紀ですよね。ものが言えない時代というのは、現代でも、一人の権力者が出現すると(いつでも)何ら変わらない状況ですね。改めて考えさせられました。(N.S.さん 女性) ■ありがとうございました。 「太陽は四角」「皇帝の新しい着物」とも現代に直結される問題として考えさせられました。 〝自発的隷従〟は、キーワードですね。最近「道徳」の教科化(小学校)が行なわれることになりましたが、まさに「かいならす」ためのもの。「太陽は四角」こそ道徳教科書に入れたいものです。(たとえば「かぼちゃのつる」、ひどいです!!) (Y.N.さん 女性) ■何度読んでも新しい発見があります。 作品のすばらしさもあるでしょうが、参加者の皆さんの鍛えられた感性の発現があったからこそと思います。準備して下さった方々に感謝です。 ありがとうございました。(H.M. 男性) ■ ありがとうございました!!井筒さんの特別報告も、印象の追跡も、刺激的でした。 久しぶりにこの2作品を読みましたが、なんて面白くて怖い作品たちなんでしょう。今日の会を経て、その思いが一層強まりました。 笑いながらも背筋が凍るわ~、っていう感じ。これは井筒さんの言われたように、今現在の状況が深刻になってきているからこそ、なんですよね。現在を「深刻」だと思ってない人が読めば、怖くないのかも、ということにもなりますね。 子どもたちが読むとして、その年齢によってもずいぶん印象が変わるのかもしれないなあ、と思ったことです。 「太陽は四角」のほうは低学年の子どもたちが読めるようになっているけれど、そういう子どもたちに向けて書かれているようには思えないなあ、とも思いました。 あ、でも、グリム童話も日本の昔話も、けっこう残酷だったりしますね。そういう残酷さの要素のようにも見せかけながら、実は現在に鋭角的に切り込んだものを描いている、ということなんでしょうか。 小さな子どもたちには、なんか怖いなあ、という印象が残っていくし、いろんな??が生まれることでしょう。それを次につなげていくことが大切になってくるでしょうか。 「皇帝の新しい着物」。愚かしい、ということが単に「新しい着物に浪費している」おバカな王様、みたいなことではない。人を見る目も信頼もなく、自分を見つめる目も持たず、とうとう孤独な狂気になっていく愚かさであり、それが権力者であること、それがものすごく怖い。 それをひたすら持ち上げていることでしか自分を保てない人間たちの「心から満足してしました」という心境が本当に怖い。嘘が真にすり替わっていく怖さ。 そして庶民もまたその構造のなかに知らず知らず組み込まれて疑心暗鬼になっていく姿もまた、怖い怖い。「疑心暗鬼」というのは日々いろんな場面で深刻な問題として感じていることなのでいっそう怖さが迫りました。 最後のところでの民衆の叫びは、「ひとり残らず」とありました。縛られていたものからの解放の叫び。そこに希望を見るけれど、それだけではないようにも思えます。私たちは何を受け継いでいくのか。 それまでの自分自身を検証しなければ、「いまさらやめるわけにはいかない」という皇帝のいっそうの狂気に、また巻き込まれていくでしょう。 しっかりと目をひらき、自分の頭で考えようとして、仲間たちと語り合い、確かめ合う営みを大切にしていかなくてはならないのだな、と改めて感じました。(― 後日、メールで ― A.R.さん 女性) |
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