2005年文教研秋季集会が11月13日(日)午後、東京・三軒茶屋の三茶しゃれなあど で開かれました。「ケストナー作『雪の中の三人男』を読む――みんなで、大きな雪だるまを作ろうじゃないか!」という統一テーマのもと、『雪の中の三人男』(創元推理文庫)の検討を行いました。終了後、アンケートに応えて、多くの感想が参加した方々から寄せられました。以下はその一部です。 (2005.11.28) |
僕はまだ高校生で、知識に乏しいのですが、楽しめました。一人では読んでいても気がつかないような所にも、今回の集会に参加することで、気付けたりして、多人数で読むことの楽しさを知りました。 |
ゼミ形式で行なわれていましたが、もっと意見交換を行なうのであれば、四方から向きあう形も良いと思いました。広くオープンにやっていくようにしていくのであれば、なにか閉鎖的な感じがしました。 |
今回も大変すばらしい会でした。一人で読んでいてもよく分からないところが、とても分かりました。学習発表会を今週末に控えて、雑用で忙しい中、すてきな会に参加し、又、心が(頭が)明るくなりました。 ありがとうございました。(N.S.さん、小学校教員 女性) |
この作品はすぐには分からなかったが、この会に参加し、すごい刺激をうけました。 人間のもつ残酷さ、現実がイメージ豊かに表現されていると思いました。また、再読したく思います。(O.K.さん、中学校教員 男性) |
本篇を一回読んだだけで参加しましたので、ついていくだけで精一杯でした。5時間足らずの時間の中で、270ページを読むのは、私の能力では無理でした。でも、話題提供者のプリント、それに対する意見を聞いて、なる程と思えることがたくさんあり、大切に持ち帰りたいと思います。 本日は、ありがとうございました。(F.S.さん、中学校教員 男性) |
一人ではなかなか読み切れない本でしたが、ここの集会に来て読み切ることができるような気がしました。次回からはもう少しテキストを読み込んできたいと思います。(M.N.さん、養護学校教員 男性) |
一つの同じ文章を読んでいるはずなのに、「ここが面白い」と思うポイントが人それぞれにあるというのが面白かった。特に第8章のキューネの嫌味の所は、わりと読み飛ばしていたけれど、言われてからもう一度読みなおしたら、とても興味深かった。 また、最初の部分から時代が読みとれる、というのは考えていなかったので、すごくおどろいた。他のケストナーの本のはじめも読みなおしてみたいと思う。( I.D.さん、高校生 男性) |
話題提供のSさんが指摘した点、p.195(創元推理文庫)のフリッツの宣伝に関する演説がとても気になる。この部分にこだわるとフリッツの人柄、人間性に対するイメージ、作品全体のイメージも何か変わってしまうような気がする。 「宣伝は戦争です。百万人の頭を征服することです。この頭を占領地帯にすることです。」――変な表現だと思う。宣伝が「たたかい」だと言うなら分かるが、なぜ「戦争」なのだろう。なぜ宣伝が大量殺戮なのだろう。なぜ宣伝と大量殺戮が結びつくのだろう。一人の善良な青年がなぜこんな仰々しい野心的な戦略を抱いたのだろう。 p.222の「おい、おいぼれの少年? ハッハ、楽しいなあ、人生は!」というフリッツの言葉も気になる。どうすればこんな言い方ができるのだろう。親しき仲にも礼儀、ということがある。ユーモアにしても乱暴すぎると思う。 こだわると作品全体のイメージが狂ってしまう箇所がこの小説にはたくさんある。(K.N.さん、男性) |
トーブラーとハーゲドルンという、2人の主人公は、それぞれ“いわゆる百万長者”と“庶民”の代表である。そして、それぞれの世界に、人間を見かけどおりで解釈してしまう者と、そうでない者がいる。 人間を見かけどおりに解釈しないことの方が難しく、またそういう人はまれなのだが、トーブラーとハーゲドルンという人物は、“見かけどおりに解釈しない”ことのできる、まれな人物であった。 以上のことが、今回、私が考えたことである。この小説の背景にはいろいろなイメージが重なりあっているということを知り、とても興味深かった。(S.Y. さん、女性) |
『雪の中の三人男』を材料に、楽しい時間を過ごしました。 作品が書かれた時のドイツの状況と作者の立場を考えると、文章の中の一つひとつに重要な作者からのメッセージが刷り込まれているのがわかりました。チューターや、発言者からも、そのメッセージをくみ取ろうとする話が提供され、考える上で参考になりました。 私にとって重要なことは、読み込むことを学ぶということです。今回ばかりのことではないですが、文章を読み感じるだけではなく、考えること、そして考えたことを人の前で話し、討論する機会をつくっていただいたことを感謝します。 「マルバツ社会」や「PC万能社会」といわれる今の時代だからこそ、考えることのたいせつさとおもしろさをもっとみつけていきたいと思っています。(M.K.さん、会社員 女性) |
二年ぶりに参加させていただきました。 大量の情報を、右から左へ流して、漫然と生活してしまいがちな日常で、文教研のこの集会はとても貴重です。ケストナーの「笑い」の精神を忘れたくないと思います。また、ともすれば(ドイツ人的、日本的、ナチス的に)生真面目な市民として流されて自分は生きてるのではないかと、反省する機会にもなりました。 どうもありがとうございました。(S.K. さん、女性) |
毎年、参加させて頂くのを楽しみにしております。 今年の秋季集会『雪の中の三人男』、年齢問わず、男性・女性から様々なご意見・感想がとびかい、“一冊の本を皆で読みこみ、その感動をわかち合う、楽しさ”を体験することができました。約5時間かけてたっぷりと文教研ワールドを満喫することができて、うれしかったです。 来年が今から待ち遠しいです。(H.H. さん、会社員 女性) |
初めて参加させて頂きました。1冊の本を皆さんで読んでいくことに驚きました。こうした場面があることは、日頃の読書でも、一語一語を大事に読むことにつながっていくのでしょう。勉強になりました。 最近は、いわゆる名作に目を通すことがなく、新書版等で安直に知識を吸収することに流れていました。折角ケストナーという作家を知ったので、今日の読み方を参考にし、読んでみたいと思いました。(無名さん) |
いつものことですが、時間内に的確に話題提供することの難しさを感じました。 例会で必ずしも充分に掘り下げられなかった(と思われる)ことを、自分の責任で整理して発表するということは、自分の勉強にはなりますが、少々余裕がなさすぎる気もします。集団として歩みが速すぎるのか、私の脚力が衰えたのか――。 ともかく、最低の分担課題だけはやり終えた、と思うことにして、暫く、他の仕事に時間を割くことにします。 ありがとうございました。 (H.M. さん、高等学校教員 男性、話題提供者の立場から) |
アンケートにご協力いただき、ありがとうございました。 |
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