第55回文教研全国集会参加者の声

第55回の文教研全国集会が2006年8月5日から7日までの3日間、東京・八王子の大学セミナーハウスで行われました。1970年の第19回集会以来使用してきた同ハウスの講堂ではなく、はじめてこぢんまりとした大学院セミナー室に場所を移しての集会でしたが、ロの字形の座席で互いに顔を見合わせながらの議論には、これまでに増して熱がこもっていたように感じられました。
参加した方々から集会終了後に寄せられた感想のいくつかを、以下に掲載します。

■西鶴を荒川先生が講義なさるのを是非とも伺いたいと思って参加しました。
 西鶴は半世紀も前の学生時代ゼミで影印の文字と格闘したのをなつかしく思い出し、少し読み直すうちたちまち魅力にとりつかれました。
西鶴は浮世草子作者であり俳諧作者であるというお話がよくわかり、興味は俳諧作品にも広がってきました。〈歴史社会学派〉はずっと気になっていた存在で、そこにも出会えたとほっとするような心持ちです。
 太宰と西鶴の比較は今回都合で参加できません。自分なりに読みくらべてみたいと思っております。
 ありがとうございました。(M.N.さん 女性、4回参加)

  
         
■今は「すぐなる今の世」であり、内助は「横にわたる男」だ、とすんなり読み進めていく町人の読者は、義兄の町人がポンと大金を出す姿に気持ちよさ・優越感を持ち、武士たちのおちぶれているのに形式ばった姿を嘲笑しながら読んでいくのかもしれません。
 けれど、武士たちの人間関係や、“人間らしい”側面に感銘を受けた読者は、自ずと、「今の世」の自分のありようを見つめ直していくことになりそうです。お金にしても、そこにはいろいろな人の思いや生活や命すらが託されているものとして見えてくる。
 現代を生きる私。マネーゲームなんて無縁、と思っていても、逆に、自分の身を守ることに流されてはいないのか。愚直なものをどこかで笑ってしまっていないか。そのことでこの現実の動きに一役かっているのではないか……などなど、たくさん考えさせられました。
 あーうまく書けませんし、書ききれませ〜ん。(A.R.さん 女性、?回参加)


■西鶴を読むのは、多分、初めてではないかと思います。その昔、学校で読まされたのは、平安朝文学くらいで、江戸文学に接する機会はなかったので。初めて読んでの感想は、現代文ではないのに、一読して表面的には意味がわかるという驚きに尽きます。深い内容は二の次、三の次で。『貧の意地』を先に読んでいたので、太宰治の捻りのきいた人物造形にあらためて感心しつつ、午後のセミナーを楽しみました。『猿塚』の前に『人真似は猿の行水』をじっくり解説つきで読んでみたかったです。一人でさらりと読んだだけでは、原文の面白さもそれと対比しての太宰の面白さもほとんどわからずに終わってしまうに決まっていますから。ともあれ、まだ、二日は楽しめるのですよね。(M.F.さん 女性、3回参加)


■この集会に参加させていただき四回目となるのは、一つの作品を読み、いろいろな意見や感想、また自分では調べられない、いろいろなことを教えていただき、ありがたいと思っているからです。
 今回の最後の『猿塚』の喜劇精神はちょっと難しかったな、と正直思いました。
 私は大学を卒業してからずっと養護に勤務しているので、障害を持っている子ども、人などを意識しています。そんなことは絶対にないと思いますが、この猿がもし人間だったらと考えてしまいます。それもあって、最後のこの作品は喜劇として読めないのかもしれません。もっと喜劇精神について勉強しなければならないと思いました。(M.N.さん 男性、4回参加)


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