「高校国語教材」の検討
現実発見の武器として―芥川龍之介「羅生門」・安部公房「「赤い繭」―
文教研のNです。
猛暑の中、今年も八王子で全国集会が行なわれました。
集会二日目の8月6日は65回目の広島原爆記念日でした。
朝8時15分、広島から若手の新会員・山河さんが松下館の屋上で「真理の鐘」を突き、近年になく文教研会員以外の大学生が10名近く参加しました。
黙祷し、広島市長の平和宣言を聞きました。
文教研のとりわけ広島グループ、そして、セミナーハウスの心あるフロントの方の受け継ぎの中で、この大切な時間が守られてきたことをあらためて思いました。(実は数年前、セミナーの体制が変わり、一時セミナーの行事としては廃止されてしまったのです。しかし、当時のフロントのWさんが自ら館内放送し、お一人の力で続けてくださいました。おかげで、現在のBさんにそれが引き継がれ、この日は新しい専務さんも挨拶に見えました。)
さて、今年の集会は“「高校国語教材」の検討”と銘打って、芥川龍之介「羅生門」・安部公房「赤い繭」を読み合いました。
最初の基調報告「文学教育の必要性」は、先日NHKで放送されたノーベル賞物理学者の益川敏英さんと師である坂田昌一さんとのつながり、名古屋大学E研についての番組(「心の遺伝子」)の録画を見ることからはじまりました。E研では「討論は自由に、研究室では平等だ」という坂田教授の掛け声の下、教授自ら「さん」付けで「先生」とは呼ばせなかったそうです。このE研の教室のイメージが集会全体を通して、私たちが目指す教室のイメージとなりました。
報告者の I さんは、本当の対話関係とは“同じ目標に向かって肩を並べる関係/三者関係”(中川作一)であること、益川さんがそうであるように平和と物理学の問題が「歴史を作り上げていく人間」として自然に一つのものとして発想されていることなどを指摘しました。
その上で、話の中心は「感動体験」とは何か、ということへ移っていきました。
現実認識を深めていく文学教育の必要性、そして、その文学教育にとって「感動(体験)」が不可欠であること。
I さんは熊谷氏の指摘(『言語観・文学観と国語教育』明治図書1967年刊)をあらためて整理し、素地、先行体験、新しい体験という流れについて説明しました。
読者自身が抱えている現実・課題と、その作品とが、主体的な場面規定を媒介にしてつながったとき、感動が起きる。
そして、それは先行体験として内側に再組織され、読者の素地自体の発展となり、作品についての新しい発見ともなる。
だから、「感動をもらった」とよく言うけれど、それは与えてもらうものではなくて、主体的に再組織される自分の感動である。
そこであらためて重要視されるのが「場面規定」という媒介の必要です。
I さんはさらに湯浅誠「反貧困」論の「溜め」の問題、中川作一「三者関係」と「二者関係」という視点を含みこみながら、歴史的、普遍的な広がりの中に人間の問題を追及していく文学的課題の追求の仕方について、その場面規定のあり方、媒介のあり方について問題提起していきました。
ここではそれを整理することはできませんが、<文体づくり>は<連帯づくり>なのだ、という一貫した文学教育の課題を感じました。
二つ目の基調報告「芥川文学の教材化」では、報告者のSさんが芥川の主に「地獄変」を材料に「場面規定」の問題、「文体刺激」と「文体反応」について話してくれました。Sさんがレジュメの最初に掲げたのは、熊谷孝氏による「作品を読む場合の<場面規定>」の定義でした。
「@それが、誰が誰に向けての(また誰と誰との間での)、どういう時空的場面における言表(伝え合い)であるのか、ということの明確な把握と、A自分という受け手が、どういう生活の実感と実践に生きている自分であり、また、本来のその言表場面とどういう関係に立つ自分であるのか、という反省による視点の自己調節がそこに要求されることになる。」(熊谷孝編「基本用語解説」)
基調報告Tに続き、芥川文学において「<場面規定>をふまえて読む」とはどういうことか、Sさんは「地獄変」の語り手、語り口を通し、若き芥川が目指した作品世界のあり方について、「読者が育っていない」と嘆く芥川の言葉も含めて、具体的に説明してくれました。
さて、では必要な<場面規定>を押さえて読み進めていくと、芥川「羅生門」、安部公房「赤い繭」はどう読めてくるのか。
例えば、「羅生門」の場合、下人は、老婆はどういう条件の中に生きている人間であり、どういう条件の中で出会っているのか。また、その作品の言表はどういう読者へ向けてなされているか、さらに、今日の我々はどういう条件の中でそれを読み、主体的問題としてとらえ先行体験として組織するのか。
もうだいぶ長くなって来たので、ここではそれぞれのゼミについて、私の印象に残った発言一点についてのみご紹介します。
「羅生門」のゼミでは、ある程度議論が進んだ中での、「老婆」の言葉を契機に「下人」が変わるということがまだ胸に落ちない、という率直な質問でした。この発言については、次の日の中間総括で
Iw さんも話題にされていました。
やはりそこがこの作品の読みの大きな山場だと思いました。
そこを場面規定していくために必要なのは、
「この平安朝の下人」の中にある「サンチマンタリスム」(感傷という<感情>/「(<感情>とは)認識と行動に対する自分自身の構えや態度、自己の事物認識と行動に対する自分自身の関係の体験/人間の内界(=主観的世界)の第二信号系への反映」基本用語解説・基調報告Tレジュメ)、あるいは「あらゆる悪に対する反感」(中世社会における仏教的価値観/自分自身を支配する既成の道徳観)、また「老婆」の論理(干魚を売っていた女の生き方について自分もまた同じ現実を生きる人間として理解する生活実感/現実に「生きていく」ことへの新しい発見)について、今を生きる私たち自身が真剣に向き合いながら考えて行くことでしょう。
そしてさらに芥川文体を理解するためには、芥川自身がどのような読者へ向けて語っていったかという、大正期の現実を潜る必要性が出てきます。
第二部(「羅生門」教材化の過去とこれからについて語り合う)で、 I さんがある女子高でのエピソードを紹介されていました。授業後、生徒さんの一人がわざわざ I さんに言いにきたそうです。「この下人はこれからも悩むだろうけど、それは門の下での悩みとは違う次元で悩むことになるんですよね」。
I さんの紹介にも、力が入っていました!
「赤い繭」のゼミについては、最後のチューターの発言を。
「おれ」は自分の足で歩き続け、家がないことについて問い続ける。
しかし、限界があり、脚から繭になる。絶望的な結末ではある、しかし、発見できなかった「帰る家」、「おれのもの」であって「みんなのもの」でもあるようなそうした場所はないのか、という問いかけの残影が残っていくのではないか……。
やはり、メールのスペースで全国集会を紹介するというのは、かなり無謀なことでした。
ただ、全国集会はニュースにならないので、機関誌発行までのつなぎとして。
長々と失礼しました。
【〈文教研メール〉2010.9.10 より】
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