有吉佐和子『非色』を読む(続)
文教研のNです。
先日の例会は前回から引き続いて有吉佐和子『非色』の6章以降(第二・三パート)を読み合いました。
今回は討論の中から次の二点を中心にお伝えしたいと思います。
一つ目は、麗子はなぜ自殺したか、という問題です。
「戦争花嫁」という形で海を渡った笑子を含む四人の中で、こういう行動を選んだのは彼女だけです。
麗子が恋したマイミ氏はプエルトリコ人であり、彼らはアメリカ社会において最も差別された人々でした。
彼のそうした立場を知らなかったお嬢さん育ちの麗子にとって、その事実はたいへんなショックであったでしょう。
しかし、「ナイトオ」で稼いだ金を全てつぎ込んで、偽りの自分を演じ続けたのはなぜなのか。
最後まで誰にもそのことを話せなかった、話さなかったのはなぜなのか。
彼女は日本では下町の老舗和菓子屋の娘、今は駄菓子屋に落ちぶれているとはいいながらそのことを唯一の誇りとする家に生まれています。
そこでの世間体と虚偽。
そうした中ではぐくまれた精神構造は、アメリカ社会で最下層のプエルトリコ人になってしまったとき、結局「夢」にしか生きる支えを求められなくなってしまったのではないか。
笑子は言います。
「人間が生きていることを最低のところで支えているものは何なのだろうかと、私は考えて見ないわけにはいかなかった。」(320頁)
「それにしても、と私は今更のように思う。やはり問題は肌の色ではないのではないか、と。」(321頁)
「ニグロはプエルトリコ人を最下層の人種とすることによって彼らの尊厳を維持できると考えた……。そしてプエルトリコ人は……。麗子は夢を描いて日本人より優越したではなかったか。」(322頁)
「人間は誰でも自分よりなんらかの形で以下のものを設定し、それによって自分をより優れていると思いたいのではないか。それでなければ落ち着かない、それでなければ生きて行けないのではないか。」(322〜323頁)
麗子が自殺に追い込まれたのはアメリカの差別社会のためというより、むしろ日本での生活、彼女の中の対話の相手がそうしたものだったからでしょう。
60年代の日本の読者へ向かって、自分たちの中にある、実は自分自身の首を絞めていく内なる自分とは何なのかを問いかけてきているようです。
さて、二つ目はこの問題ともつながりますが、最後に笑子がたどり着く「私も、ニグロだ!」という言葉はどういうことをいっているのか、という点です。
その点について I さんはレイトン夫人との対比の中で、次のような点を指摘しました。
「私も、ニグロだ!」という言葉に託された意味は、肌の色の問題ではない。
あえて言えば、レイトン夫人は「私はホワイトだ」という生き方だ。
しかし、それは笑子の「私も、ニグロだ!」というのとは全く相反する生き方だとい
える。
白人だからだめなのではない。
自分を一番上のホワイトとしてみる見方では、笑子の気づいたことには気づけないのだ。
ワシントンでの桜祭りのことを自分のことのように喜んでくれるルシル、その喜びを共にする連帯感の中で彼女は気づく。
「私は、ニグロだ! ハアレムの中で、どうして私だけが日本人であり得るだろう。私もニグロの一人になって、トムを力づけ、メアリイを育て、そしてサムたちの成長を見守るのでなければ、優越意識と劣等感が犇いている人間の世間を切拓いて生きることなど出来るわけがない。ああ、私は確かにニグロなのだ! そう気づいたとき、私は私の躰の中かから不思議な力が湧き出して来るのを感じた。」(409〜410頁)云々。
だいぶ長くなってきたので、話題になった次の作品名だけお知らせして終わりにします。
ここのところで『非色』(1963〜1964)『ぷえるとりこ日記』(1964)と読んできましたが、これらと三部作といえるのは『海暗』(うみくら/1967〜1968)だろうという
I さんの指摘がありました。例会の中のどこで取り上げられるかはまだわかりませんが、是非、眼を通したい作品です。
【〈文教研メール〉2009.2.23 より】
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