有吉佐和子『ぷえるとりこ日記』を読む
文教研のNです。
前回の例会は、有吉佐和子『ぷえるとりこ日記』(岩波文庫)でした。
文教研では初めて扱う作家でしたが、企画部が示唆してくれたようにその人間描写には確かな階級論が貫かれている印象を持ちました。
この作品は1964年発表の作品です。
ニューヨークの進歩的な女子大学に通う学生が、大学の社会科旅行という名目でプエルトリコへ三週間の旅に出る、その間のことが二人の女学生それぞれの日記形式でつづられていきます。
一人は日本からの留学生会田崎子、もう一人はこの旅の委員長、アイルランド系のジュリアです。
アメリカ社会におけるプエルトリコという差別される最下層の人々の国で、二人の意を通して人間のあり方が探られていきます。
たとえば男たちがどんな女性に興味を持ちカップルになろうと申し込むか、そんなところにも人種による格差が生じます。
しかし一見人種間の差別に見えるものが実は搾取するものとされるものの関係の中での人間疎外・階級疎外の構図なのだ、ということが見えてきます。
ジュリアの日記にこんなところがあります。
プエルトリコ人て、なんて馬鹿なんだろう。彼らはなんでも売ってしまう。
お魚でもパイナップルでもコーヒーでも、彼らは自分たちで獲たものを決して自分たちで食べようとはしないのだ。
その土地で出来たものを食べれば一番安上がりなのに、どうしてそういうことに気がつかないのだろう。
こうした発想について、 I さんが次のような指摘をしてくれたのが印象的でした。
湯浅誠氏の『反貧困』を読んだ目で見れば、これはまさに“自己責任論”だ。
前提が違っている。売れるものを売らなければ食べていけない彼らにとって、自分たちが取った魚を食べる自由はないのだ。
しかし、ジュリアの“自己責任論”の視点からそれは見えない。
同時にミルトン氏のような、それを見させないようにする存在が彼女を取り巻く。
彼の社交術は、日本人とプエルトリコ人の枝葉末節の話題にこれを転換していく。
結局ジュリアは自分自身の“溜め”についても見えないのだ。
話題提供者のKoさんが彼女のことを一貫して「ジュリアさま」と読んでいましたが、実にぴったりなネーミングでした。
こうしたジュリアの傲慢さが、崎子の視点との対比の中に鮮明になっていきます。
しかし、崎子の眼はそうしたジュリアの発想を批判すると同時に自分自身をも見つめるのです。
日記の前半に、プエルトリコの食事の貧しさが戦中・戦後の自分たちの惨めさを思い出させて侘しくてやりきれないが、
「ただ今の自分を支えているのはジュリアの露骨なプエルトリコ蔑視に対して私が許せない気持ちを抱いているということである」とあります。
そうした内と外に向けた批判精神、その中で彼女が実感したプエルトリコの現実とは何か。……
さて、この二人の対比を通して見えてきたことのもう一つに、ユーモアの問題がありました。
ジュリアも崎子もどちらも日記の中ではずいぶん激しい面を見せるけれど、
しかし、笑いのないジュリアに対し崎子の日記にはユーモアがある、という指摘がされました。
プエルトリコ人たちを前に崎子が余興で「鹿児島小原節」を歌って大いに盛り上がった場面など、
話題提供者のKoさんはいつまでも耳に残って思わず笑ってしまう、と話していました。
崎子の日記には「私たちは誰とでも踊った。……踊り明かすという言葉通りに、私たちは朝まで踊りぬいた。」とあります。
みんながひとつになって素晴らしい夜だったに違いない、それは確かに実感しながら、残念なことに「小原節」の旋律が体にしみていない私は、
この楽しさがまだまだわかりきれなくて、ちょっと寂しい思いをしたことです。
そして、1964年の日本の読者にとってジュリアという人間はどう響いたか、
それはまさに当時の多くの日本人があこがれた姿ではなかったでしょうか。
また、2009年を生きる私たちに問いかけられてくるものは何か。
『反貧困』に示された今日的課題、また、オバマ大統領を生み出したアメリカ社会の課題、それを見つめる私たち日本人の課題とは。
様々なことを問いかけてきてくれる、有吉作品との新たな出会いでした。
今日は『非色』を読み合います。
自分自身どれくらい読み込めるか、あらたなチャレンジです。
【〈文教研メール〉2009.1.24 より】
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