N さんの例会・集会リポート 2006.01.28 例会 |
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悲劇の根源を問う――太宰治『新釈諸国噺』「破産」「義理」 文教研のNです。
先日の例会では、太宰治『新釈諸国噺』の「破産」と「義理」を読みあいました。 春合宿に参加できなかった私としては、少しずつ作品相互の連関の中で『諸国噺』の世界が見え始めた、という感じです。 「破産」は倹約に倹約を重ねて大きくなった万屋初代の身代を、そのめがねに適ったはずの二代目が身上をつぶしてしまった話です。この親のけちけちぶりも、また、その二代目の嫁の選択、そして、その後の後悔など、太宰の筆は大いに笑わせてくれます。 そうした点を確認しつつ話は、次のようなS.F.さんの問いへと進みました。「しかし、わざわざ自分の息子を勘当してまで迎えた養子がこうなってしまうということは、初代に観察眼はあったのだろうか」。 討論を方向づける形でI.M.さんが次のような発言をしました。この初代は結局、家を守るだけのために二代目を選んでいる。それは疎外された姿だ。しかし、実際は人間なのだから初代が思ったようにはなっていかない。 初代がなくなりタガがはずれ始めると、二代目の生活は一変し、万屋の内部もまったくの無秩序状態。結局のところ、初代が作ってきた秩序とはそういうものだった。実際には人間がばらばらな状態でたもたれてきた組織のあり方が、初代にとっては秩序のあるものに見えていただけだったということだ。 太宰は、プロセスの中に個の問題をおいて、人間関係がどうできてくるのかという過程を描いている。それこそ昭和19年段階の問題だろう。 こうした発言を聞きながら、太宰の『諸国噺』がやはり小説なのだな、という思いを新たにしました。なぜこうなったか、という問いを投げかけながら描かれていく。西鶴にもそうしたものがあったからこそ「近世小説」という位置づけがされてきたわけですが、それがやはり「現代小説」としての問いになってきているのだ、ということをあらためて感じました。 さて「義理」もまた、なぜこうした悲劇が起きてしまったのか、という問いかけが生まれてくる小説です。 同役への義理のために、わが子を殺さなくてはならなくなってしまった神崎式部。しかし、そこにはそういう状況にいたる要因が描かれていきます。若殿村丸の乱暴と増長を許した村重。わが子丹三郎の劣悪ぶりにも親の欲目で目が曇り、この悲劇の中核である式部への「義理」を押し付けてしまう同役丹後。何度となくチャンスがありながら「義理」のために丹三郎の存在を切って捨てられず、最後は自ら息子を死なせてしまう式部。 以下、I.M.さんの指摘です。 ここには熊谷先生が「武学答問書」の解説の中で指摘されていた、ダメになってからダメといってもダメなのだ、ハドメがハドメとして機能しないのでは意味がない、という問題提起と一致するものがある。式部は義理堅い、いい人間ではあるけれど、その「まごころ主義」が招いた問題に対する厳しい問題提起がこの作品にはあるだろう。 作品を読み進めるにつれ、ケストナーを学びながら考え続けてきた問題、「雪がなだれになる前に」というテーマがさらに強く響いてきました。 次回は「女賊」「赤い太鼓」です。 【〈文教研メール〉2006.2.4 より】 |
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