むかしの「文教研ニュース」記事抜粋 
 1990
               *例会ごとに発行されるニュースから、部分を適宜、摘記したものです。

1990/01/13 420〜422 S.F.&(第四部以下)Y.H.

冬合宿(12/26〜28) 『文体づくりの国語教育』を読む @ 
 冬季合宿は、機関誌合評会から始まった。150号という記念すべき号について、各時期の編集長の、それぞれの時期における苦労やその時々の問題意識の中で研究を跡づけてきたことなど、発言があった。現在、季刊として発行しているわけだが、150号の巻頭言には、それにふさわしい、簡潔な総括がなされているという発言があった。続いて、[同号掲載の第38回文教研全国集会記録のうち]「シンポジウム:鑑賞体験の変革を促す読みのありかたを」を中心に発言があった。それは、「文体刺激と、その反映としての文体反応」「健全な主観を持つことによって、まっとうな反映が成立するということ」「また、そのような主観を育てるのが文学教育であること」「この反映は反映論の立場に立ち、また、それは第二信号系の理論の問題であること」などの発言があった。それは今合宿のテーマにつながるものであった。
 今回の合宿のテーマは、『文体づくりの国語教育』を一冊全部読みあげるということである。
 「はしがき」と序章は熊谷先生が担当。はじめに、次のような板書があった。
A. 信号 果たして見通しは当たっていたか
B. 今、たてつつある見通しは
 黙ってすわれば、ピタリと当たる。
 それ[「はしがき」と序章]は、「人間としておもしろみのある人間」を育むために、教師その人の問題としての人間回復と、子どもたちの人間回復が、日本の教育と母国語教育との関連で提起されている。そのことに関連して、二十年前の状態と同じか、ないしはより悪化している現在の教育状況を思うとき、この序章のとらえ方の新鮮さに感動した、という発言や、二十年前より複雑化しているにもかかわらず、見やすい状況も生まれ、自分の位置もわかる、という発言などに同感した。
 この二十年の間に、労働戦線においては、新連合の発足、日教組の新連合への参加、全国教研講師の排除という右傾化、分裂主義などが生じた。権力からの教育への攻撃(臨教審路線)に対する内側からの分裂という事態である。こうした事態の中でわれわれがこの本から学ぶ意味は大きい。

 以下、第一部よりよれぞれ数名ずつがチームを組んで分担し、内容を要約することで読みすすめた。

〈第一部 言語と文学・芸術の理論〉 S.チーム/司会:N.
 [略]はじめに「虚構・想像・典型」の概念規定をしている。次いで、熊谷先生によれば、学説史を述べたものだといわれるけれども、そこには、先人の学説の継承すべきものは継承し、発展させているものがあって、第一部の最後まで読んだとき、この「虚構・想像・典型」の概念が一層明確になるという関係にある。たとえば、戸坂理論の「印象の追跡」(「所謂批評の『科学性』についての考察」)を発展させ、想像的意識作用としてとらえることにより、想像力理論批判の上で、その概念は明確になる、などである。更に第二信号系の理論をくぐった時、反映論はもはや仮説(p.57)ではなくなっている。再読することの感動はこういうところにあるとわかった。

〈第二部 解釈学的国語教育ひはんのために〉 I.チーム/司会:F.&A.
 日本の戦前・戦後を通しての国語教育の一番の問題点は「己れを虚しうして」という主体性喪失の読みである。ここでは、その読みの哲学的基盤にメスを入れている。それは、生の哲学批判であり、国語教育の面では解釈学主義批判である。そして、文教研の成立にもかかわる「学習指導要領」批判である。生哲学は現在もムードとして続いており、全共闘のゲバ棒につながり、今もてはやされている若い自称“哲学者”の観念論につながる問題である。国語教育の場でいえば、解釈学主義がいかに根強く残っていることか。まさに「目的は変わっても、方法は変わらない」のである。そうした私たちが内部にかかえている問題を直視すること、私自身の中に巣くっている解釈学主義を克服することが、ここに課題として指摘されているのである。

421
〈第三部 文体づくりの国語教育 (一)―その構想〉 H.チーム/司会:S.
 「文体喪失時代」というとらえ方。個別化され、連帯が断ち切られているという現実把握。だからこそ、民族の今日的課題としての文体づくり、連帯づくりの国語教育という提唱に感動する。それに基づいた教科構造論の新鮮さ、また、印象の追跡としての総合読み、場面規定、文体、文体づくり、発想、準体験等々と、すぐれた概念が豊富に使われている。その中で、「部分と全体」という指摘は、熊谷先生の強調点であったということだ。「何らかの全体像を保障していないような部分は、全体に対する部分とはいえないのだ」(p.225)という指摘に学ぶことが多い。それはまたこの本全体の構成になっている、という発言に同感した。

〈第四部 文体づくりの国語教育 (二)―その展開/第五部 運動の中で〉
 熊谷先生のこの著作、“読んだ”ということでいえば、再読、三読どころではない。が、今回、集団 で、このように追跡してみると、押える箇所が変ったり、読みとばしていたところに気付いたりで、新しい驚きと楽しさを味わうことができ、新鮮だった。
 ところで、こうした形で進められた検討の内容をまとめるのは難しい。読みの跡をたどってのまとめも、部分が全体を語るようなまとめも、私の能力を越えている。そこで、著者や討議の参加者には申し訳ないが、この第四、五部から、私の関心を引いた中の、一点だけを抜き出し、まとめにかえさせてもらった。
 ただその点にふれる前に一言、第四、五部を通して、共通にもった印象と改めて強く教えられたことを述べておきたい。
 第四部は「文体づくりの国語教育」の「展開」であり、第五部は「運動の中で」思索された決定的時点での、必要な提言であるのだが、――つまり、いずれもが、“今”がかかえる切実な問題への切り込みであるのだが、二十年前の今を批判・批評した論文の一つ一つが、’80年代末の“今”の問題にピタリと照準が合っているということの驚き、これが強く印象に残った。
 いうまでもなく、哲学と理論の原点の押えの大切さ、あたりまえといえば、あたりまえなのかもしれないが、生やさしい姿勢ではない、その大切な持続した姿勢を改めて教えられたわけである。文学の授業で〈何〉を教えるのか、と問い、そして文学とは何かを問う。さらに、ことばとは何か、と追求jの手をゆるめない。あるいは、本来の「教研」とはどういうものであるべきか等々、たえず原点を、持続的、徹底的に問いかえしていく姿勢の大切さを教えられたのである。
 こうした強靱な思索のあり方が、ところで先生の論文では、ふくよかなイメージに支えられ息づいている。そのイメージぐるみの喚起力の強い表現・構成、いたるところに感じるのだが、今、この第四部のまとめは、その点にしぼって述べてみたい。
 たとえば、この部のV章〈古典教育と文学教育〉(p.262)である。この章で引用されている歴史学者高橋慎一氏の回想の一部と太宰治のことばは、すてきなところだと感じてはいたが、“文体づくり”のための“感情の素地を培う”、“古典教育もまた文学教育である”というテーマ展開の一事例としてしか読んでいなかったので、全体の骨格を語る上で、最初省略してしまった。が、この二ヶ所の音読を求められ、改めて、読みおえてみると、自分でもなぜかぐっときたのである。考えてみると、「教師としてどうあるべきか」という問いに対して、実にイメージ豊かにその本質的なことが語られているところだったのだ。
 [高橋氏の回想にある]藤井先生の「深い読み」にしても、太宰の「文学は愛だ」ということばにしても、先生の論文の位置づけの中で、教師は後続の世代に豊かな感情の素地を培うために、よき媒介者に徹するという原点、つまりそれは、やはり「文学は押しつけがましくしない」という、あの文学の性質とつながる方法が、実は語られているところなのだ、ということがみえてきた。

422
 そしてまた、ここから例の「八カ条禁制」(林屋辰三郎『歌舞伎以前』)の、どす黒いやり口を見抜ける眼を育てるための「深い読み」――私たちの言葉でいえば、まさに文体づくり ・変革を求める実践的なことば操作を可能にする、そうした読みのことだろう――が、教師自身に求められていることが、切実にみえてきた。受け手がボンクラではどうにもならないが、まず一次的に受け手として出発する教師が、たえず自己変革をつづけ、対象へのそうした深い理解を求めつづけないことには、後続の世代を真に育むことはできないだろうということが、である。
 古典を単なる古文という文章にしてしまう発想は、だから後続の世代への“愛情”を断ち切るものだと、合わせて思った。
 深い読みとは、民衆の連帯――太宰のことばでいえば、愛・愛情――を保障し、民族の現在的課題がみえてくる読みだという熊谷先生の、この第四部の結びのことばに、二つの逸話がピタリと重なったのである。
 次の第五部のまとめは、この合宿の最初に熊谷先生から紹介された朝日新聞の記事(「教研集会の助言者はずし続出」12/23付)にみられる結果が、二十年前、すでにここで、さまざまな角度から警告されていつことに改めて気付かされた驚きについて書いてみたい。予測し予見する、そうした洞察を可能にしている条理の勘どころを肝に銘じておきたかった。
 教師相互がそれぞれ心の中にナカマづくりを忘れたとき、既成事実を現実と見誤ったとき、二十坪の[教室の]内側だけでは解決のつけようもない問題を“組合教研”が反映させえなくなったとき、教科教育で私たち自身の論理と方法を放棄したとき、――つまり「踏みはずしてはならない一線」を踏みはずしたとき(その一線が一線として自覚されていなければ話にならないが)、その時、私たちは「窮地に追い込まれる」と、それぞれの時点の決定的場面で、先生は発言されつづけてきた。
 「たえず原則に返って考えよう」とする。古いことばだが、これが要諦だ、と思う。国家権力が私たち国民の教育をここまで破壊してきている時に、日教組がこういう状況になる中では、ますます熊谷先生のここでの提言が重みを増してくる。踏みはずしてはならない一線、その原則を、見誤りか打算か物わかりのよさか、次々に踏みはずしてきた結果が、今日の日教組の姿なのだろうから……。
 「教研をただの授業コンクールに終わらしめるな」と言い、「教研を七夕集会から脱皮させよう」('58年8月)と発言された考究を、サークル「文学と教育の会」(文教研の前身)に結実させ、実践しつづけているここにこそ、第五部で展開され洞察されてきたものの具体的な姿があるといえよう。――とすれば、今、必要なのは、もう一度この著作の序章にもどり、第一部から問題をたどり直すこと、また、文教研の理論史をたどり直すことだ、ということに気付かされるのである。
 「かつて頭上スレスレのところにあった、この危険は、今や、わたしたちの頭上から、まっこうに、体当たりを始めたのであります。それは、もはや、身をかわすことも、姿勢を低くして避けることもできない決定的な危機であります。/それを避けるということは、身をかわすことではなくてハネのけること――この圧力をハネ返す以外に危機は避けることができない、ということが、一様にわたしたちの実感において意識されてきたのであります。/教育の危機は、また同時に民族の危機であります。この圧力をハネ返すことができなければ、わたしたち自身はむろんのこと、わたしたちの教え子である民族の次の世代も圧殺されてしまう。教育の破壊は、そして同時に民族滅亡への第一歩、決定的な第一歩であります。」(p.341)
 もう一度、重く受けとめたいことばである。



1990/01/27  423〜424 

1月第一例会 報告 Y.R.

太宰治『葉』の虚構性について
 今年もよろしくお願いします、の挨拶で今年も明けた。幕開けから、内容はぎっしりつまっていて非常に刺激的だった。まずは熊谷先生の板書から。
[板書の写しと、それへの注記は、残念ながら省略]
熊谷先生のことばを中心に箇条書きふうに……。

☆『葉』の読みはどう変わってきたのか
断章としてバラバラに読む作中人物「竜」の発想の連続性において読む
○フラグメントではない。また、文学史的にいうと、ドイチェ・ロマンティークの流れ(詩・韻文以外は芸術にあらず)に太宰が乗ったなどということではない。当時の、現在形における小説の新しいありかたなのだ。過去の小説のありかたでは現実に迫ることはできない。あまりに限界がありすぎるからだ。
○根底にあるのは、連続性。連続と非連続ということをきちっとおさえていくこと、それがこの時期の太宰に関しての虚構論のまとものありかたではないか。
○何をもって連続といい非連続というのか。『葉』において、行あきの箇所で仮に振ったナンバーをもう一度チェックしてみる必要があるのではないか。その上であらためて章分けしてみる。再編成してみる。すると、太宰の連続、非連続がはっきりしてくるのではないか。たとえば……[具体例省略]
○「死のうと思っていた。」で始まり、「どうにか、なる。」で終わるこの『葉』という作品だが、その道筋は決して単線(単純)コースではない。死のうと思い、また生きようと思う、それが、角度を変えつつ繰り返されている。たとえば……[具体例省略]
○連続、非連続の統一、というふうに世界がつかまれている点で、『葉』には多分に俳諧的なものが感じられる。これほど徹底して連続、非連続の問題をとりあげている作品も少ない。こうした俳諧の伝統は、『葉』の虚構、表現の中に、身についた俳諧精神、文化精神として息づいている。伝統との連続、非連続の問題。[俳諧における連続、非連続の具体例省略]


1990/02/10 425
尾上文子さんが、1月28日、交通事故でお亡くなりになりました。
ご逝去をいたみ、心からご冥福をお祈りします。
[追悼文二篇省略]



1990/02/10 426〜427

文教研〔機関誌・著書〕での尾上文子さ
[リスト省略]

1月第二例会(1/27) 報告 K.T.

井伏文学(『丹下氏邸』)の虚構のあり方
 熊谷先生の大きな問題提起から始まった。すでに、新たな全国集会へ向けて、である。『葉』と『丹下氏邸』。その共軛性に眼を向けるために、そして、異質な性格を持つ一面を考えるために、今回は『丹下氏邸』を中心に検討することになった。

  (A) 『日本人の自画像』p.201〜208
       ――改稿の検討以前の問題として
  (B) 『井伏鱒二』
       ――改稿過程の示す虚構的な意味
 上記二著の記述に即して、熊谷先生から次のようなコメントがなされた。
・ 普通の読者は、改稿について細かいことなど気にせず、楽しんで読む。
・ (A)は、改稿を踏まえていない弱さはあるかもしれないが、(B)で方向が変わっているわけではない。胸に迫ってくる作品の生命が生かされている。それを抜きにして改稿を問題にするようなものは、読むにたえない。
・ 全国集会でとりあげる場合も、報告者がすべて知り尽くしていて説明する、という姿勢では、感動がない。少し反省が必要である。
[ (A)の井伏に関する章の]「飼育」という表題を大切に考えてほしい。
・ “虚構”ということばは出てこないが、どういう虚構なのかが問題にされているはずだ。(A)ですでに、方向感覚として、『丹下氏邸』の虚構論的な考察が行われている。

427
・ 「ナレーター」兼「狂言回し」である「私」の役割は大きい。自然主義文学やプロレタリア文学と違って、近代主義的な人間把握を越えたつかみ方を可能にしている。

《討論の中から》
・ 日本のチェーホフとしてつかむ意味を大事にしていきたい。『丹下氏邸』における人間関係が、一日も早くなくなるように祈りつつ、この作品は描かれている。
・ 人間の内的な連関に立ち入って思索しイマジネイト することなしに、現実のカベをつきやぶることはできない。存在感を持った人間関係として徹底的に描写される。そのために「私」が設定されているのだ。これによって、変革のイマジネーションも生まれてくると思う。
・ 『葉』の中の留置場の場面とつながるものを感じる。わかい巡査部長の笛におどらされる、巡査ひとりひとりの家について考えた。……太宰はそれを描いている。これも“飼育”の問題ではないのか。
・ 愛情をもつということと、怒りを忘れるということとはまるで違う。『丹下氏邸』において、愛情をもった人間把握があるといっても、地主制を肯定なぞしていない。むしろ、怒るべきものに怒る姿勢なしに生まれる愛情はウソがある。

 充分にまとめきれないが、このような検討を通して、次回以降さらに『葉』を中心にして例会をすすめることになった。

[「尾上文子さんを悼む」一篇省略]



1990/02/24 428

2月第一例会(2/10) 報告
 S.S.

『葉』、『丹下氏邸』
熊谷先生の提言・発言(☆)を軸にまとめました。

☆アクチュアリティー(時局性)におけるつかみ直し、というところからみると、どうなるだろうか。
   『葉』における太宰の視点
   『丹下氏邸』における井伏の視点
         ――何か光るものはないか。

☆崖っぷちに立たされている人には、助けのロープが必要なのだ。
『葉』は、『丹下氏邸』は、そういう文学になっているのか。――
・ 真の連帯とは、これをみつめる視点を与えている。
・ 行動に結びつくイメージ、それを作者が読者とともにさぐっている。それが実現している。
・ 読者自身の自己への見直しの中で、『葉』の文体が見えてくる。
・ 虚構イコール文体的発想じゃないですか。(熊谷)
・ 読者が虚構意識をもったとき、『葉』がフラグメントではなく、小説として見えてきた。自己凝視のジグザグ過程の中でダイナミックな現実の捉え直しがなされている。
・ 対話精神のすごさ、そのことが現代において大事なことなのだ。自分がどれだけ、それを持っているか。

☆読者とは自分のことである、閉じ画されたときに、自己変革がなされる。
この二つの作品の世界……今とあまり変わりないじゃないですか。「青井」「小早川」そして「私」(好事家)、この人たちが困っている対象は今(自分)と同じものではないのか。
イデオロギーの面で翻訳すれば――、『葉』にしても『丹下氏邸』にしても何かユメとして持っているもの――ソシャリズム大きな側面がある。
トータルなものとして、これらの作品から、私ははげまし を感じる。井伏のど根性のすごさを感じる。

☆疎外とは、それは人間疎外のことである。搾取の廃絶――『葉』・『丹下氏邸』――
これはまさに、現代(人)の関心事ではないのか。(むろん、闘い方は違ってくるけど……)
・ 「搾取」、現代ではこの言葉が死語にさえなろうとしている。これを自分の言葉 として捉え直すためにも、読まれなければ。そう思っている。
・ アクチュアリティー。私にとって という視点がないと、いつまでも自分の問題にはなってこない。今まであいまいのまま放置、あるいは観念的にまとめていたもの、それをつきつけられたような感じ。「外はみぞれ。何を笑うやレニン像。」――自分たちの世代が持とうとしている理想とは何だったのか。

☆では、今日と直接結びつかない作品(古典など)は文学教育の対象にはならないのか。それは違う。個の自覚のある文体、ここが大事。個の自覚、これがないから、情報過多に流されてしまうのだ。

☆「芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である。//花きちがいの大工がいる。邪魔だ。」――
これは、次の「あの花の名を知っている?」「こんな樹の名を知っている?」からの逆照射で分かるような気がするのだが。誰か教えてください。花を愛でることはできるが、樹(全体)からみていかなくては、ほんとうに花を理解することはできない……、何か頭には浮かぶんだけど。

☆「散るまで青いふりをする。」――この苦しみわかる! 同じ役者は役者でも(『正義と微笑』)散るまで青いふりができる役者ということですよね。
・ これが太宰世代への呼びかけになっているのではないか。



 429、430 



1990/04/14 431〜435 I.H.&(434以下)M.M.

春合宿(3/27-29) 報告 
I.H.


T第39回全国集会プラン「政治と文学・文学教育―虚構精神の確立のために」の検討と確認
 運営委員会を代表して、Nさんから、2月例会での検討の内容を含み込みながら、全国集会プランが説明された。(その内容の中心点については、文教研ニュースの429、430参照)
 熊谷先生からの助言や常任委員の方からの補足、例会に参加できない地方会員の方の発言を中心とした話し合いを通じて、全体で確認し、全員賛成で、このプランを決定した。

〔課題意識・問題意識をはっきりさせてくれた発言・補足〕
・ [全国集会プランの]2の基調報告(1)「教組分裂の現状の中での教研活動のありかたを問う」について。
 好むと好まざるとに関わらず、選択が強いられる。自分の意志とは無関係に連合に加わっていかざるをえない状況も生まれている。そういう場合どうするのか。その所属する組合の方針に従うのか、どうか。姿勢をはっきりさせたい。その主張の場である。
・ 分裂させられていく中で、仲間づくりをしていく。日々、そのための行動選択をしなければならず、方向性が十分見いだせない今、迷うことも多い。主体が、個の自覚が問われていると思う。可能的現実をつかむために必要な虚構精神、「政治と文学・文学教育」は、まさに自分たちの現実的な問題だ。
・ 7の「井伏鱒二と太宰治―第3日へ向けて」のところで、1〜6までの視点でもある階級論(教養的中流下層階級者の視点)が、整理して示され、そこに立たないと見えてこないものを、8、9で作品の内側から明確にしていく。

 この後、全国集会プランの6のAの検討が、「日本人を語る」(梅原猛/中村元)と、「『中流ゲーム』の終幕」(今田高俊)の二つの文章を読み合いながら行われた。
 文章の内側から、彼らの論理をつかみ、そこにある飛躍やごまかしを的確に指摘しながら、その根幹にある「体制内知識人の発想と文体」を明らかにし、批判する。そうした批判を行う中で、私たち一人一人が、これまで学んできた文教研の理論を主体化できているかどうか確かめ合った。そのことは、教祖分裂などの厳しい状況下での、私たちの立脚点、原則を確かめることでもあったと思う。

U 「日本人を語る」(梅原猛/中村元)
〔二人の方法論的立場〕
○論理のすりかえ(部分的真実を全体的真実であるかのように)・非科学的論理構築
・ ソビエトの女性科学者が、ソ連全体を代表しているかのように扱う。
・ 宗教と道徳の関係。科学的、歴史的解明なし。「宗教がなくなると」という論理の飛躍。どういう道徳が必要か不問のまま、「宗教は大切」にもっていく。(文部省と同じやり方)
・ 資本主義と環境破壊の関係には触れず、「森の文明」だけを強調する。
・ 「よみがえり」仏教と神道の融合。
○解釈学の復活(和辻倫理学を未来の思想と位置づける)――『文体づくりの国語教育』p.163参照
・ 「もとのもの」に首を垂れていれば争いは起こらない。(天皇制に置き換えることができる論理構造を持つ?) 「和」の精神。適応の論理。階級対立から目をそらす。
○現実を肯定していながら、現実変革のポーズを示す
・ 中曽根のブレーンでありながら、自然保護について日本政府の自覚を促すかのような発言。

〔階級的視点の一貫した欠如――体制内知識人の階級論〕
・ 日本社会は階級的人間疎外の矛盾の真只中にあるはずなのに、そのことに一切ふれない。
・ 「生産と労働を根幹とする歴史社会的な生活場面で思索し行動する現実の人間」(『文体づくりの国語教育』p.159)をネグレクトしている。
・ 歴史的階級社会成立を無視(史的唯物論を否定)し、縄文人と弥生人の対立という図式で、日本文化の性質や展開をごまかす。(人種と民族を混同する非科学性)

432
・ 「多神教と一神教」で社会を解釈する。(そこには、争いを生む一神教=マルクス主義の全面否定、の論理もある。)
・ 「階級」という言葉を使わないことで、ある階級の論理に奉仕している。これが体制内知識人の階級論であり、彼らの基本である。

〔マスコミの実体――体制側イデオローグとしての役割〕
・ こういう対談を組織・企画し、教育や文化に悪影響を及ぼしている巨大マスコミ(NHK、朝日など)を批判する必要性。
・ 一方で中曽根を批判し、取材拒否を受けながら、中曽根のブレーンを、新春対談として、これだけの紙面を使って登場させる朝日。許せるか。

〔読むということ、「印象の追跡」とは、どういうことか〕
・ 相手の言うことを文脈上で正確にとらえて批判することが大切である。それでないと闘えない。

〔彼らの根幹にあるもの、それを批判しうる我々の立場、文教研の理論〕
・ 二人は、対立をなくすために「いかだを捨て」、「旧石器時代の、人類にとって普遍的な宗教」、そういう宗教精神に帰ることを主張している。旧石器時代(日本人というものがなかった時代)と限定することで、日本人の精神生活・日本の宗教の根底に残存している「宗」は、人類的なものであると言っているわけだ。そこを見ると、いわゆる日本主義ではなく、世界主義、ヒューマニズムである。この点は、まず論理の上で押さえておきたい。
・ そうした旧石器時代(生物学的には人類でも頭の中は人類以前)の宗教精神(汎神論)に帰る。そんなことができるか。ここが、論争になるはず。
・ 彼らの論理は、現在、我々が接している宗教には、禅や日蓮や浄土がつけ加わっているという〈足し算の論理〉と、「いかだの思想」、捨てるべき何か=共存にそぐわぬ一神教を認知し、排除していくという〈引き算の論理〉だ。そこには、「宗」が日本的なものになるにあたって、日蓮や浄土などが、どう加わったのか、なぜそうなったかについての説明はない。また、帰る「もとにあるもの」とは何なのか? はっきりしない。
・ 論理のすりかえも行われている。「捨てるべきいかだ」の論理をすすめると、一神教の否定・排除にいくはず。しかし、現実には一神教と多神教が共存している以上、安直に否定するのでなく、一神教も残そう、という論理に変わる。しっかり逃げ場も用意してある。
・ 〈足し算と引き算〉で人生・歴史は、割り切れない。歴史の発展はそう単純なものではない。彼らが、そういう発想や論理を持つのは、反映論の立場がないからだ。
・ 科学の領域へ芸術をぶちこんで、科学を科学でなくすることを、存在論の哲学はやった。科学と芸術のけじめが失われることで、真の意味での日常性も失われる。私たちの考える〈日常性・科学性・芸術性〉との対比。
・ 全国集会のテーマにつながる、存在論と認識論という切り口が、この対談を批判する上でも大事である。この対談の論理展開の根幹には、存在論の持っている論理構造があり、一貫して科学否定が語られている。
・ 加藤周一が事実誤認という点で、この対談を批判していたが(2/15朝日新聞夕刊)、基本的な発想・立場は批判しきれていない。存在論・解釈学の発想にどこか重なる部分を残しているからだろう。私たちは、実際に存在論とはこういうものだということを明らかにしながら、そのしっぽを切り捨てていくことが必要だ。そうやって自分を鍛えることで、現実に原則的に立ち向かっていくことができる。
・ そうした私たちの発想・論理の根底にある、教養的中流下層階級者の視点の大切さ。

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・ 素朴実在論ではなく、弁証法的反映論の立場での文学論の原理と方法を打ち立てようとしている文教研。一人でできないことを、皆でやっている。そのための一つの取り組みとして、この対談の検討を行った。後戻りすることなく、しっかりやっていきたい。

V 「『中流ゲーム』の終幕」(今田高俊)
  「日本人を語る」で解明したことをもとに、この文章を読んだ。以下、その討論内容の要約抜粋である。

・ 最初、読んだときは、「日本人を語る」とは異質な文章のように感じたが、こうして読み返すと、根底にあるのは同じようなものであることが見えてきた。
・ 私たちが取り組んできた「中流意識の幻想性」殿関連を感じて注目していた記事。しかし、私たちは80年代を意識して「中流意識の幻想」を叩いてきたのに対して、ここでは、70年代後半は中流意識、80年代は格差の時代と断定されている。こう断定できるのか、疑問だ。
 また、中流意識の果した役割を述べるのではなく、中流幻想をふりまいた側も、階級意識を問題にして私たちがやってきた批判も、ゲームだったとしてしまうところに憤りを感じる。根本に、階級的視点の喪失があるのではないか。
・ 「中流意識を実体なきものにする効果、つまり階層の非構造化」に関して。芥川は、ブルジョワということ事態が危険だったブルジョワ社会において、身を守る(検閲への目くらまし)ために、プチ・ブルという言葉を使わず、「中流下層階級」という言葉を用いた。1930年代の青年であった私たちが、階級という言葉を使わず、階層という言葉を用いたのも同じ理由による。つまり、中流下層階級とプチ・ブル(マルキシズム階級論の)、階級と階層は同義語である。
 この文章ではどうなのか。「中流階級」=プチ・ブルであるのか。マルキシズム階級論に立っているのか。現代において、階層という言葉を使って、目くらましをする必要があるのか。どうも階級という言葉を使うスタートラインが違うようだ。中流階級=プチ・ブルの意味でとるなら、こういう論理展開にはならないはずだ。
・ 「かつて下層と明確に区別されていた中流階級」について。ここを読む限りは、階級がある(あった)ことを認めているようだ。では、ここでの「中流階級」とは、どういうものがイメージされているのか。芥川の言った中流下層階級=プチ・ブルではなさそうだ。
・ 階級の存在をトータルとして認めている文教研。今田氏のこの文章ではどうなのか。かつての「下層」はプロレタリアート大衆と農民大衆であろうし、それと区別されていた「中流階級」はプチ・ブルということ以外に考えようはない。この文のある、記事の三段目に限っては、階級社会であることを言っているように受けとれる。階級の存在をぼやかした中流ゲーム、中流崩しというとらえ方もされている。ところが、その後プチ・ブルという言葉があるにも拘わらず、階層という言葉を使う。それは、階級社会の存在をぼやかすためだとしか思われない。
・ 階級の存在は認めているが、階級の概念は私たちと違う。私たちの認識している(生産手段に対する関係の違いなどで区別される)階級は認めていない。
・ それは、この文章の一貫した「客観主義」傍観者的態度ともなって現われている。それを科学的としている立場である。自分の主体をかけ、虚構精神によって未来を先どりして現実をつかみ直すのではなく、過去を解釈し現状を追認する「うしろ向きの予言者」伸す型が、はっきり見えてきた。
・ 「階級の実体はなく、あるのは格差による階層のみ」という論の展開。そこには、教養的中流下層階級者の視点はない。資本主義社会の根本矛盾、対立、人間疎外に目を向けていかないのである。現代(資本主義)社会は永遠に続くという前提で、現状を、産業社会のゆがみとしてとらえるのである。そのゆがみを是正するために、豊かさか平等かというおかしな二者択一を迫る。人間としての豊かさのために、何をなすべきか、社会をどう変えていくのかという変革のための論理ではなく、現状肯定、適応の論理。階級社会是認、その中で、処方箋のようなもの「生活の充実に敏感なルールづくり」を示す。梅原氏たちが「こころの時代」を語るのと同じ論理がある。

434
太宰治『葉』の虚構と文体
 合宿二日目の午後は、機関誌151号の合評に続いて、〈『葉』の虚構と文体〉に進んだ。[中略]
 熊谷先生から、集会プログラム(7)の「井伏鱒二と太宰治―第3日へ向けて」のパートで予定している報告の趣旨として、概略次のような問題提起があった。

○ 『言語観・文学観と国語教育』の中で、いかに太宰文学に惹かれ、読みすすめることになったかを述べた。それを、多少視点をかえて話したい
 偶然は大事だ。それが人生コースを変えていく場合がある。私と太宰との出会いは『葉』においてであり、それが私の人生(生活)、生き方を左右することになった。
 序章のヴェルレーヌの詩にまず心をうたれた。(堀口大学の訳詩のあのリズムに大きな意味が)

○ 「死のうと思っていた。」――
 生きていることに意味を見つけられなかった1930年代を二十歳代で迎えた人間の、ある部分が共通して感じていた思いである。人生25年が合言葉になりつつあった時期。生きようと思っても、ある者は満州に送られ、あるものは中国で弾丸の標的にされる。芥川を愛し、平和と自由を愛していた、私とほぼ同年の従兄弟は、中国戦線に連れていかれ、直属の上官に睨まれたために、うしろから狙撃された。味方の中の敵(それは最悪の敵)に殺されたのだ。
 こういう日々を送っていた二十歳代の私たちにとって、いっそ自分で生命を絶つことの方が、嘘を言わないで誠実に生きる唯一の生き方のように思えた。「死のう……」は、ある部分の若者たちの真実の叫びであり、それをすぐれた虚構精神において捉えた表現である。
 「竜」の言葉、それは僕たちの言葉だ。こんなにすっきりと叫べたらいいなと思った。私たちにとって、これこそが〈現代文学〉であり、私の文学、バイブルであった。そういう出会いをした人々、太宰が最初に読んでもらいたいと思って、必死の思いで書いたのは、そういう読者に向けてであった。違う状況の中で生きている人に、同じ気持になれというのでは、追体験主義になる。準体験なしに文学はない。新しい読者は、自分たちの世代の問題として、『葉』(太宰文学)をどう受けついでいくのか。一人ひとりの問題である。
[中略]

435
○ むだのない文章。立ち止まり立ち止まり、区切りながら考えざるをえない人間の、そういう発想に生きざるをえない人間の息づかいを感じる文章になっている。
 それにまた、太宰固有のリズム感覚に貫かれた文章表現。それは太宰だけがもっていて、私たちがもたないものではない。つながるものがある。特定のリズムと自分のリズムがぴしゃっと合った時、準体験可能な道が開かれる。「私の文章・文体・リズム感覚」になりうる。
 それは誰しもが出来るものではない。教育――相互教育の問題である。よき仲間たちと語り合っている時に、自分のリズム(感覚)が変わってくる。文章のもつリズム・リズム感覚と自分のそれとがつながるように自己を変革していけば、1930年代に二十代である必要はない。当時の二十代よりもっと深みのある、高度のリズム感覚を身につけうるであろう。それをもちえた時に、私の文学になる。
 この文章のリズム感覚と共軛したものとなった時に、「死のうと思っていた。/……」「ノラもまた考えた。/……」……がひとつながりのものとして、継時的に相互に関連をもって、大きくトータルに訴えかけてくる。「普遍につながる個」に読者がならなければ、まともに読むことはできない。『葉』の文章の区切り方も、事柄主義でなく、リズムで区切ってみてほしい。

○ 「けれども私は、自殺を処世術みたいな打算的なものとして考えていた矢先……」[中略]
 井伏と年代的に重なり合う時期の表現。『丹下氏邸』『多甚古村』『増富の渓谷』を書いた井伏と太宰とのつながりをみるうえに見逃せない生命的部分。竜にとって「意外」な事はこの時世にあっては常識的なこと。それを「意外」と感じる感覚に感動する。『多甚古村』の神主の母の「世にも不思議な話」と重なり合う。戦争が進展する中で、女の人のすすり泣きの声が聞こえなくなる。真実がそこにあるのに、意味のない常識が支配する世の中でそれが消されていく。『増富の渓谷』の鄙まれの乙女は非実在で、かつ実在している。変な常識が圧倒している世界を書く人として、共通の発想を見出す。井伏はたっぷり言語量をつかいながら書く。しかし理屈っぽくない。つつましい人だ。井伏と太宰とは、心の師弟関係であったことを実感する一句である。

○ 「白状し給え。え? 誰の真似なの?」
 誰かによびかけられている言葉として読む場合がある。相手はかなり怒っている。また、こういう言葉を言ってやりたい時もある。“真の独創――自我をぶつけているような作品はどこにある?”と。自分に問いかけている言葉でもある。“太宰よ、おまえは誰の真似をして書いているのか。自分が出ていない。これでは駄目だ”と。 「水到りて渠成る。」――こういう作品を書いているのは井伏さんだけ。わが芥川もそうであった。これこそ小説の極致。鴎外文学(『阿部一族』など)にみる偉大さもそこにつながるものがあろう。

○ 「白状し給え。え? 誰の真似なの?」→「水到りて渠成る。」(A)、それに、「芸術の美は所詮、市民への奉仕の美である」→「花きちがいの大工がいる。邪魔だ。」(B)というように、順序を変えないで読む。逆に読んでは「解釈」になる。
 冒頭から、自分の内面に眼をむけて、そのリズムで展開している。同時にそのリズムが深まっていく。(A)と(B)との間に位置づけられている「哀蚊」の章は、全くちがったリズム感覚の文章。つなげて読んでは、読み手のリズム感覚が狂ってしまう。だからこれをカットして読むのだ。読者が作品を再創造する、ということだ。再創造していこう。

☆ “太宰は、自分が感じているようなリズム感覚で読んでくれる人を期待して書いている。”、“リズムをわかってくれ。表現のリズム感覚にふれ合えなければ日本人ではない、おおげさにいえば人類ではない。”――太宰と共軛する心からの叫びを熊谷先生はこういう言葉で発せられた。
 私はこれまで、リズム(感覚)というものを、こういうものとして認識してはこなかった。今回の合宿を通して、読むと言うことの基本を厳しく問い直されたような気がする。それは読むことにとどまらない。日常のあり方すべてにかかわるものであることを、具体的につかむことのできた貴重な体験であった。



1990/04/28 436

4月第一例会(4/14) 報告  Y.R.

太宰治『葉』の検討(続き)
[略]
○ 「花きちがいの大工がいる。邪魔だ。」
 この章については、これまでもいろいろな意見が出された。
 花=芸術=すみれの花。この言葉はそれまでとは違い、世間―常識(狂った常識)の言葉。として読めてくる。懸命に〈ムダ〉を守る姿、芸術を愛する人間が邪魔にされている。――という意見。(ちょっと極端なまとめかたですが。)
 いや、やはり、その前の章からの連続としてとらえるべきだろう。「花きちがいの大工」はやはり「邪魔」なのだ。とする意見、等々。
 しかし、論じていても、いっこうにすっきり、はっきりしてこない。明確な方向がでてこないのだ。いろいろな意見が出ても、やはり、何故「花きちがいの大工」なのかがはっきり響いてこないのである。結局、むりやりこじつけようとする傾向があったように思う。
 この章、一体どうなのだろう。この章の必然性あるのかしら。なくもがな、なのでは。という熊谷先生の一言が、だからして一番すっきりした、そしてこれまでのリズムを大事にしてきた私たちの読みに一番ぴったりくるものだった。
 「白状し給え。え? 誰の真似なの?」の章の、一つの明確な方向性、イメージ。その上での、時によっては他に向けての批判に、時によっては自己への厳しい批判に読めてくる、というのとは全く違うのだ。ああも読める、こうも読めると、っこの文章だけよんでいると大きなブレが出てくる。ということは、やはり文大敵定着が弱いと考えざるを得ないのではないだろうか。
 *渡部芳紀氏らの『葉』論(特にこの章の部分)も紹介された。彼らの“解釈”に知らず知らず近づいていたり、食われていたり。あなおそろし。

○ 「それから、まち子は眼を伏せてこんなことを囁いた。……」
 (まち子の苦しさは、“僕”の苦しさとは違う――という意見に対して。)まち子は何を苦しんでいるのか、いや、一体苦しんでいるといえるのか。“僕”の言葉が〈葉〉に自分自身を、またその思いを託しているのに対して、まち子の言葉は自己凝視の表現とは思えない。
 まち子の言う〈花〉とは、さしあたり、ここでは(つまり二人の会話の中では)相手の青年――“僕”を指しているんじゃないか。
 まち子は相手の苦しみを、あるわかりかたでわかっている。そして、自分の言葉を愛情をもった言葉だということがわかる相手、関係だということの上での、まち子の表現なのだろう。相手が苦しんでいること、その苦しみが深刻なこと、それに必死に耐えていることをまち子はわかっている。けれどそれは「指をふれればぱちんとわれて、きたない汁をはじきだし、みるみる指を腐らせる」、そのような苦しみとしてしか、そのような相手としてしか理解していないのだ。
 わかってくれちゃいないね、ちっとも。「僕はせせら笑い、ズボンのポケットへ両手を突っ込んでから答えた。『こんな樹の名を知っている? その葉は散るまで青いのだ。……散るまで青いふりをする。……』」散るまで青いふりをする、裏はじりじり枯れていても。青いふり、これこそが、怒濤の葉っぱの世代の根本的感覚なんじゃないのか。そして、この文章、太宰でなければ書けない文章――文体、リズムである。ここが山場だ。
 *まち子の表現は比喩的、という意見があったが、もしそうだとすると「みるみる指を腐らせる」というのは何の比喩なのか。   

○ 「『死ぬ?死ぬのか君は?』/ほんとうに死ぬかも知れないと……」
 青井と小早川の議論は、抽象的な思想に賭けた世代の自問自答の姿なのだ。

○ 「外はみぞれ、何を笑うやレニン像。」
 雪でも雨でもない、〈みぞれ〉でなければ。
 宮本顕治氏の論(「どうなる社会主義 1」朝日新聞4月10日朝刊)も、この「外はみぞれ、何を笑うやレニン像。」という、そういう感情体験をもった人間にしかいえない論、言葉なのではないか。かつての文学青年の。(もちろん彼の芥川論には大反対だけど。)
 現在の状況において、この言葉は〈レニン奪還〉の言葉として響いてくる。

 以上、かなり無茶なまとめかたをしました。お許しください。また、〈まち子と僕〉の章、〈レニン〉の章は熊谷先生の発言を中心にまとめました。



1990/05/12 437

4月第二例会(4/28) 報告 
S.F.

T 全国集会プログラム前文「思想の混迷と疎外」
 初め、熊谷先生から執筆者としての発言があり、検討に入った。みな賛成の立場からの意見であった。
 本文は四つのブロックにわかれており、第一のブロックの「思想の混迷の時代」を「プシコ・イデオロギーの動揺」という面でつかんでいるが、これは文教研のみが言いうるものであるという指摘には、重いものがある。
 第二ブロックは、「自己の存在証明」を「自己の日常性」においてつかもうとするものである。この日常性は、むろん私たちが、芸術性・科学性との関連において学習してきた、その意味での日常性である。形象的思索なしに、イメージの支えなしには認識できないものである。
 第三ブロックは、教育の問題である。「明日への展望」なくしては何も前進しない。「明日への展望」がもてるのは、虚構精神においてである。虚構精神なくしてはあるべき未来をつかむことができない、という指摘はきびしい。なぜならば、教育の仕事は、「明日」の問題だからである。「明日への展望」がないということは、教育の仕事が成立たないことであり、虚構精神なしには、教育はありえないからである。「〈明日の教育〉への予測と展望を欠いては、教師という知識人大衆の作業は一歩も先へ進められない」という指摘に、私は、きびしく、あたたかい励ましを感じたのである。また、「明日への何らか確かな展望」について、「何らか」に重点を置いて、結論がわかっていて行動するのではない、動揺するプシコ・イデオロギーにおいて必死に探り求めようとする姿勢を感じたというH氏の指摘に、執筆者の熊谷先生が発言。こういうやりとりに、私は感動した。
 第四のブロックは、近代主義、体制内知識人への批判である。体制内知識人の「社会主義には明日はない」という論理に、民主主義と資本主義を同一化する、概念のごまかし。まさに、「少し論理がなさすぎる」である。紙数の関係上「近代主義」を使わなかったのは「覚悟の自殺」、と執筆者はいうが、しかし、多くの発言が、ここにふれて近代主義批判がなされた。「近代主義の末期症状」「主体をかけて追求しない体制内知識人のあり方、日常性に欠けている」「近代主義のいなおり」、等々。そうしたことから「近代主義の総決算期」「近代主義批判をつねに意識していくことの重要性」「虚構精神の必然性」などが指摘された。
 また、ジャーナリズムに指定席をもつ体制内知識人の発言は、多様性ではなく多元的である(つまり、近代主義である)ということや、日常性をわきに追いやっている、という指摘もあった。
 私たちにとっては、日常性における疎外状況に着目して思索することが大切であること、日常の中に行動選択を迫られる場面が限りなく存在すること(決定的瞬間は何も大事件に際してばかりでない。)、等々に、今次集会の方向が明確に示されたと感じた。

U インタビュー「どうなる社会主義」(朝日新聞4月10日付)
 日本共産党中央委員会議長宮本顕治氏の発言に関しての検討である。
 それぞれの立場から、意見が述べられたが、どれもが直接・間接にTでの「思想の混迷と疎外」にふれた発言であった。そのいくつかをまとめてみると、次のようになろう。
 @ 朝日でとりあげた意味。シリーズの一番に他の人達の意見の倍の分量で、日本共産党中央委員会議長の見解が述べられたこと。
 A 構成上、発問上のおもしろさ。「赤旗」でならば絶対に出てこない内容・表現で質問している。しかも日本共産党の見解が全面的に出てくるような構成になっている。
 B 唯物史観の問題。階級的価値と人類的価値。宮本氏はバラバラになっていると批判しているが、そのとおりで、階級的価値を抜きにして人類的価値はない。近代主義批判の問題もここにある。前文との関連でも追究すべきことである。
 C 上記に関連しながら、レーニンとスターリンの違い。権力奪取の問題と〈個〉の確立。社会主義的民主主義と社会民主主義(近代主義)のちがい。
 D また、上記に関連して、歴史は誰がつくるのかという問題。人民が歴史をつくるという唯物史観。近代主義=資本主義批判。民主主義対社会主義ではなく、資本主義対社会主義という問題。前文との関連も大いに問題とすべきである。



1990/05/26 438〜439

5月第一例会(5/12) 報告
  T.K.

 前々回に引き続き『葉』の検討。最初に16「叔母の言う……」〜18「満月の宵……」をひとまとめにして話し合った。
 はじめ、「竜」の孤独の想いにつながる切り口から読んでいる、との報告が続いた。それは私の読みの方向とも合致するものであった。しかし、熊谷先生の、質問の形で提示された次の二点を考え合うことで方向は大きく修正されていった。
    (1) 叔母はだに話しているのか。相手は男性か、女性か。
    (2) 16の三つのことは、一気呵成に言われたのか。様々の場面で言われたことか。
 (1)については、やはりそれは女の子、姪であろう、(2)については、叔母から折りにふれて言われてきた、そのことの再構成されたものであろう、ということになった。場面規定を押えて読むということの難しさを、ここでも改めて感じさせられた。

 ところで、16をめぐっては、叔母は愛情をもっていっているつもりでも言われる方はたまらない、迷惑な愛情だ、との共通の押えに立って、さらに以下のような展開があった。[中略]
○ 折りにふれてのこの三つの言葉は、論理の組立が同じだ。「……から、……しなさい。」というように。しかもそこには、ある種の序列が見られる。第一文は、無愛想すぎると嫌われるよ、ということだから、愛嬌をよくすることで救われる面がある(論理的に)。しかしそれは第二文第三文では言えないことだ、どうにもならないのだから。
    |ある可能性をもったこと 〈第一文〉
    |不可能なこと 〈第二文〉
    ↓不可能にして無意味なこと(嘘こそ行いのポイントなのだ!) 〈第三文〉
 ここには太宰世代のロジックみたいなものがある。また、こういう“叔母貴”っているよね、ウフフという笑いすら感じられる。
○ 今まで、「竜」のことだと受けとめていた。前のところが「竜」だからここもまたと、単につないでいく読み方をしていた。愛嬌云々のところでオヤ、ヘンダゾと思いつつも。連句的な連続と非連続、そのリズムを大切に押えなければならず、のっぺりと連続性のみにおいてとらえてはいけなかったのだ。

 17、18でとくに問題となったのは、「告白を強いる」(17)立場と強いられる立場と、どちら側に立つ人の言として受けとめるかということ。それに、「故意(わざ)と」(18)という言葉の押えについてであった。
○ 「知っていながらその告白を……」(17)。案外よくやっていることだ。こちらで用意した筋道をたどらせる……。その相手は深く傷ついていくのだろう、ということを改めて思い知らされるところだ。まずなにより、強いられている立場の人の言として押えるべきだろう。このことが基本だ。確認したい。
○ 「俺が故意(わざ)と振り切った女は忽ち浪に呑まれて、たかく名を呼んだ。俺の名ではなかった……」(18)冷静に状況を見据え、「故意と」と自己凝視している。自分の意志で「振り切った」のだ。もっとも、これは後からの回想として「故意と」という言葉選びがなされていることに注意したい。
 「俺の名ではなかった」。深く傷ついている人の想いがこの一言に込められているようだ。気持がつながっていなかったのだ。この18は、自分と相手の女との関係、というところにポイントがある。『道化の華』とは違うものとして読めるが、同時にまた、『道化の華』につながっていくものとして読むことができる。やがては、あの時の僕の気持……、とそちらに主題が移っていくのだが、ここではそれと違うところで読んでいくのがよいだろう。


439
 19〜29は保留。是非とも30(いわゆる「花売り娘の章」)以下の検討をやり終えたい、ということからである。
○ この30が転換点になっていることがよく分かる。28までの辛さ・緊張、それを受けての29「役者になりたい」。そして30が転換点になって35章「……お茶のあぶくに/きれいな私の顔が……」に続き、最後の36「どうにか、なる。」で締めくくられる。30がここに置かれる必然性が感じられる。このコントが書けた人だから、終わりのの「どうにか、なる。」につながっていく。
○ 花売りの少女は教養ある白系ロシア人の娘。厳しい境遇の中で大人相手の商いをしているのだ。なめられてはいけない。そこで必死になって言う、「咲キマス」と。女の子のイメージが鮮明になってきた。初めは、きれいな話だなと美化してとらえていたのだが。感動点は、「咲キマス」から「咲クヨウニ」という祈りの言葉に変わっていったところにある。「咲クヨウニ。咲クヨウニ」に凝縮されている祈り、そこに託されているものは大きい。
○ 「市民への奉仕の美」(10)から「咲クヨウニ」へのつながりを感じる。この花売りの少女のコントは、あの『一杯のかけそば』のように上から見下ろしていい話があると言っているようなのとは違う。 「咲クヨウニ」は、「竜」みずからへの励ましにもなっていると思う。読者自身にとっても、そのような祈りを胸に持ちながら生きていく意味が見えてきた。
○ メルヘンのような感じのするコントだ。この異国の少女はあくまで子供っぽさにおいて描かれていく。その子供っぽさとつながっていきたい「竜」の気持もあるのではないか。「葉の裏だけがジリジリ枯れて……」(12)というような苦悩を「竜」は“ふり”をすることで突き抜けていこうとする。少女の子供っぽさの行き着く先が「咲クヨウニ」という祈りだが、「竜」の求めていたものがそこのあるのではないか。「竜」の「青いふりをする」(12)というのはカギになる言葉だと思うが、「咲クヨウニ。咲クヨウニ」はそこにつながっていかないか。
○ 太宰世代(怒濤の葉っぱの世代)の切なる想いと、白系ロシア人の厳しい現実を生きる想いとのつながりが実感できる。



1990/06/09 440〜441

5月第二例会(5/26) 報告 
H.M.


『丹下氏邸』の虚構と文体
 1月第一例会などで話題になったことの確認。
 @ この作品における人間把握のすばらしさ。変革へのイマジネーションが生まれてくるような、人間の描き方。
 A ナレーター兼狂言回しである「私」の役割の大きさ。生きた人間把握を可能にし、ユーモアを媒介にした徹底した批判を可能にしている。
 B アクチュアリティーにおける印象の追跡をめざす。今だからこそ、可能的現実を探るのだということ。自己の階級論を明確にすることで虚構論をより確かなものにしたい。

 続いて、HさんとNさんが、作品の前半部と後半部をそれぞれ分担して、印象の追跡をした。音読も含んでの多岐にわたる報告だったが、ここでは何点かを示すにとどめる。
○ 冒頭の「折檻」の部分が最近は楽しく読めてきた。以前、丹下氏は面白半分にやっているのかと思っていたが、大真面目に怒っている。男衆の自由意志を奪っている丹下氏の「底意地の悪さ」(『日本人の自画像』)も見えてきた。
○ 精神の拷問を受けながら「やましいやうな気」がしている男衆の、農奴的メンタリティーに、読者として哀れさを感じる。
○ 永遠に続くであろうこうした人間関係を、井伏は、人間の内部に分け入って(プシコ・イデオロギーとメンタリティーを)描ききっている。そこがすごい。
○ 雇い人に来た郵便を気にしながら決して読んでやろうとはしない丹下氏がユーモラスだ。両者が互角に張り合っている。
○ オタツの平仮名だけの手紙に、奉公人としての二人の精一杯の姿が……。
○ 二十年以上も今のような状況にあって慣れてしまっているエイの言葉(「所詮、屁はカゼですがな」)のおかしみ。
○ 森に響く鋸の音にエイの姿と心を思いやっている「私」の感受性が素敵だ。
○ 丹下氏はエイに愛情をもっているが真に理解してはいない。主観においては意地悪などしていない。その重層性がおもしろい。
○ ごく簡単な言葉をかわすだけでわかり合っているエイとオタツ、その夫婦関係。
○ こうした人間関係を、「私」という、ある教養を持った人の目で驚きつつ見ることで、様々な問題を投げかけている作品である。

〈話し合いの骨子〉
1. 「私」をこそ問題に!
○ 「文学史1929」ということ、「作者がシャシャリでない井伏」というおさえを是非。最初から最後まで「私」の視点で文章が綴られている。都会人らしい「私」の目にはけったいな風景として映るが、そういう形で、土地のものにしかわからないものも語られている。その「私」のメンタリティーやプシコ・イデオロギーがどういうものか、どういう階級的視点をもった「私」か、を問題にしてほしい。「私」というフィルター、それが根本的な問題だ。(熊谷)
○ 「私」の目の特性を感じっさせるところを具体的に出し合おう。男衆の胸部の起伏の描写など……。

2. ユーモアを保障しているもの
○ この作品が誰にとってどうおもしろいのか、ユーモア・滑稽間の分析を。
○ ユーモアを感じるのは「私」がユーモリストだからか。それとも、「私」はおかしみを感じていないが読者には笑えるということか。また、その笑いは教養的中流下層階級者の視点からのものか。(熊谷)
○ 「私」に諷刺精神があるのではなく、読者の視座に、ということだろう。
○ 「私」は笑わせようと思って語っているのではない。大まじめにやっている。それが読者におもしろいのだ。(熊谷)
○ 「私」は屈託している人間だ。それで丹下氏とエイのことを見逃せないのだろう。
○ “屈託の笑い”のようなものが「私」にあるのか。読者には笑えてくるが……。(熊谷)
○ 折檻されて屈託しているエイの様子を「私」は笑いに近いものを持ちつつ克明に記録している。
○ いや、「私」はエイに同情し、丹下氏を批判している。「私」は笑いを共有してはいない。

3.教養的中流下層階級者の視点について
○ 読者の中堅は教養的中流下層階級者の視点を持つ者だが、「私」はそれと同質のものを持っているかどうか。洋の字とのやりとりなど、心の中にウフウフというものがないと、あれだけ克明に書く気になれないと思うが……。本人たちは気づかないが、彼らの行動を滑稽に感じている「私」なのではないか。(熊谷)
○ 笑いが支える楽しい作品だ。
○ 自然主義の小説とのちがいがそこにある。誰にでも笑える分けではない。そこで、教養的中流下層階級者の視点が問題になるのだ。洋の字の土俗的なものへの笑いがそこに……。
○ 
「私」の視点が教養的中流下層階級者の視点だと、どう説明できるのか。『葉』ともからんでくるが。
○ この「私」の言動はこの人物の部分 だ。その部分 が、期せずして教養的中流下層階級者の視点に直結するものになっている、ということだろう。渦の中に飛び込んだところから生まれた「私」の視点が教養的中流下層階級者のそれだと言えないか。

 話し合いの中で、熊谷先生から、洋の字の実入りが消費税以下であるとさりげない指摘があった。私は一瞬ハッとし、これぞ“アクチュアリティーにおける印象の追跡”の見本かと、すばやくメモをとった。が、大事なのは、「百分の一」にこだわって語っている「私」であること、つまり数字ひとつにも細やかさのあるナレーターであることの指摘であったようだ。「言語量が多いが無駄のない」この作品と比べて、『葉』の特性をどう捉えどう説明 すればよいか、私たちのグループも当分悩み続けることになりそうである。



1990/06/23 442

6月第一例会(6/9) 報告 Y.R.

全国集会プログラム「2 基調報告(1) 教組分裂の現状のなかでの教研活動のありかたを問う」
 S.F.氏の報告とそれをめぐっての話し合いであった。

 S.F.氏は縷々、神奈川県における教育現場の現状を語った。「明日の教育」への見通しが見いだせない状況の下、途中退職者が増加。休み時間(空き時間)より授業のほうが楽、と思ってしまうような、生徒との格闘。そしてその授業では、すぐに「答え」を求めようとする生徒たちとの対話がいっそう難しくなっている。
 しかし、そんな中で、勉強したいと思っている教師はいる。特に若い教師にその気持ちは強い。その思い・要求は一体どこへ吸収されていくか、といえば、今や官製研なのである。むしろ、官製研で充分だ、という状況はまた、重点研等の発表自体が目的化した、いってみれば教師(校長)の実績づくりの(決してこどもたちのためではない)研究!にふりまわされている、ということでもあるだろう。その結果、書き取りだけが出来る、鉄棒だけがうまい、しかし算数はまるでできないといった(まさしく重点研)こどもたちが次の学年に送られてくることになる。そして、教師はといえばその過程で疲れきってしまう。……云々。

〈話し合いから〉
@ それこそ、現状をリアルに見ていけば、お先まっくら、なのである。それに対しどう見通しをつけていくか、対話を生み出していくか。そこに虚構精神が係わってくるのではないのか。また、見通しを方向を見失わないで現状をみつめる目を培うための研究活動とはどういうものなのか、どうあるべきなのか。

@ 教組分裂の現状というのだけれど、これほど明確な形ではなかったにせよ、絶えず分裂し続けてきているのではないのか。そのつけが今、せきをきって流れ出しているのだ。私たちは教研活動のありかたを問い続けてきた。しかしその闘いが、せいいっぱいだったとはいえ不十分だったと言わざるを得ない。それでは、これからどうしていくのか。どうしたらいいのか。

@ 連合にいくのか、それとも新しい組合に結集していくのか。それは、それぞれ置かれている立場の違いもあろう。従って、どの教研でどうがんばるのか。それ自体は個々の問題になっていくだろう。大事なのは一人ひとりの行動選択の基準なのである。個の自覚に立つ、精神の自由を守る立場にたって闘うとはどういうことなのか。それを支える論理の問題として、このパートも報告がなされるべきだろう。

@ 文教研の存在理由とは何なのかを、もう一度確認したい。どういう団体に育てていけば、あってはならない教組分裂の状況に歯止めをかける力になりうるのか。自分たちにできうるっことは? 今、私たちはどう動いていくのか? その根本となるべきものを話し合うのが今度の全国集会ではないのか。そうでないのなら、全国集会をもつ意味がない。運動論ということを慎重に考えないと、私たちの分担課題が、ひいては文教研の存在理由がわからなくなってしまう。

@ 同じ国語科教師でたとえ政治的イデオロギーが共通していても、文学をともに語り合えるか、というとそうでもなかったりする。私たちが学んでいることを、うまく媒介できない自分を感じる。ほんとうに個の自覚にたって学んでいるのか。そういう反省も含めて、今こそ、自身の言語観・文学観・国語教育観を問い直してみる必要がありはしないだろうか。

 話し合いは、S.F.報告をめぐってというところから、改めて全国集会に臨む私たちの構えが問題になっていったように思う。今、なぜ、文教研なのか。そこを見据えていないと、思わぬところで足もとをすくわれそうだ、そんな気がした。うまくまとめられずに、断片の羅列に終わってしまったことをお詫びします。



1990/07/14 443〜444

6月第二例会(6/23) 報告 
M.M.

基調報告(2)「虚構精神の衰弱と文体の喪失」の検討
○ 集会プログラムの前文「思想の混迷と疎外」の特に冒頭部分を大事にしたい。“思想”を各自の行動選択の規準となるプシコ・イデオロギー、実感の体系とおさえてきた。ものを見るときの認知の構えを形成するのは、各自のプシコ・イデオロギーである。それをぬきに“見ること”派手機内。しかし、案外それが不安定であり、具体的な問題に直面するつ根無草が露呈される。そこに問題がある。自己の「日常性」の中に政治への通路がある。明日へ向けての確かな展望を積極的に持とうとするとき、自分はいかにあるかが問われ、その中で展望が用意されてくるのではないか。
○ 「日常性」に人間の存在の源泉がある。“俗から出て俗にかえる”形で捉えていく必要がある。体験を日常性・科学性・芸術性の三側面から捉えかえすとき、それは近代主義者のように概念的・観念的にではなく、形象的な、イメージ豊かなものでなければならない。そうでない限り、未来への展望は用意できない。ありうべき未来を求めて思索する行為を支えるのは虚構精神であり、今こそそれが必要になっている。
○ 『文体づくり……』に提起されているように、混迷の時期にこそ原則に立ち返って考えることが必要である。我々のよって立つべき原則とは? 一人ひとりの内なる問題――内なる政治の問題になってこなくてはダメ。内なる教研をどう組み立てていくのか。個人として、個の自覚に基づいて教研活動を問い続けなければならない時期にある。イデオロギー的にはしるのでは何ら解決策は見えてこない。
○ 機関誌152掲載の「『葉』の虚構性」を今次集会のテキストにしたい。その虚構論(文体論)は外国にも見られないすばらしいもの。どのパートもそこがポイントになる。

(以下テキストを読みながら)
○  “階級的価値ぬきに人類的価値はありえない”が、“人民が歴史をつくってきた”というとき、「人民」というだけでは不明確。小市民大衆、教養的中流下層階級者につながる一連の人々が文化を創ってきたとおさえることが必要。日常的にも、階級性ぬきにものを捉えることは出来ない。太宰文学一つをとっても、階級的視点をふまえないと大きく見誤ることになる。(5/28朝日新聞、梅原猛・百人一語「『サヨナラ』ダケガ人生ダ」)
○ 実践的認識の営みとして、創造・再創造を捉えかえしたい。
 日本の文化伝統の中の〈見立て〉に、〈見立て直し〉という視点を導入することによって、この虚構論が展開されている。斬新な指摘である。人は日常的に見立てをしている。そうすることで〈準体験〉をしている。日常性の中から〈見立て・見立て直し〉をすることで、準体験の世界をみずみずしく生きることができる。それを支えているのが虚構の精神であり、それが行われないと一編の小説を読んでも見ぬけない。見立て、見立て直しで可能的現実を探る、こういう虚構論が用意されない限り、『葉』は断章で終わり、新しい真の小説性をそこに見ることはできない。
可能的現実を言葉に託して探り、文体に定着させる。それを作家だけが行うのではなく、読者もまた創造・再創造していかないと、すぐれた文学としてアピアしない。虚構精神の衰弱は文体的発想のそれにつながる。可能的現実を探る営みも生まれてこない。虚構とは、側面を変えていえば文体のこと。
○ 文学教師の分担課題をまずどこに? 虚構精神のどんどん薄れていく子どもたちが育っている。また、現在は、コピーに耽り、くり返しをもとめ、ものの再現をはかる私小説的方法で書かれたものの中に“生”を読みとる解釈学=追体験主義が幅をきかせている。ぷしこ・いでおろぎーのに関わる思想の混迷の時代にあって、自己の虚構精神をきたえ直すこと。子どもたちにみずみずしい虚構精神、自分の文体をもてるように手をさしのべていくこと。そのための教研活動が組まれるべきであるし、全教加入の問題も、プシコ・イデオロギーの問題として内側から展開する必要がある。


444
〈話し合いの中から、熊谷先生・報告者の発言を中心に〉
○ 私たちは、日本の文学者を西欧のそれより下と捉えがち。虚構論の視点からいっても、芭蕉のような秀れた芸術論、芸術感覚の持ち主が地球規模でみて何人いるだろうか。芭蕉をつかみ直そう。
 井伏文学、文学史1929の意味を発展的に再確認したい。井伏が分かってこないことには、日本の現代文学、ヨーロッパの近現代文学は見えてこない。井伏を省いて現代日本文学を語れるのか。

○ 教養的中流下層階級という階級が実際にあるのではない。それは、自己凝視の中でその視点が自分のものになるということ。
 教養的中流下層階級者の視点、この言葉を使い出したのはずっと後のことになるが、その出発点は、私の場合学生の頃に遡る。――近藤忠義先生に導かれたが、一点合致できないところがあった。“階級的価値なしに……”の点は握手なのだが、先生は、プチ・ブルという自分の階級はくだらぬ、それをのりこえてプロレタリアートの立場に立つべきだと主張される。そういう意味での階級論が必要だとされた。先生は自分の主体をあっさりと観念の面で変えられる方。しかし、自分をそれ程スパッと変えられるものか。プチ・ブルウである自己をのりこえることがどれ程むずかしいか、考えるほどに、不可能なことが自覚された――。
 自己をのりこえるには、自己を知らねばならない。我はプチ・ブルなりという確認が大事。確認できた時に、それをのりこえる道筋がほのかに見えてくる。プチ・ブルという立場なるがゆえに見えてくるものがあり、新しいまっとうな任務がつかめる。これが私の変わらぬ視点である。“存在が意識を決定する。意識が存在を変えていく。”これを追究する以外に何あらん。
 日本の文化を担っているプチ・ブルであることに、ある意味の自負と誇りがある。問題は実践(自己の日常性をよりよき日常性に変革していく)なのだ。プチ・ブルであるための悩み、卑屈さ……それをのりこえる実践は文学にしかない。これは私に一貫したもの。そういうところから出発した。教養のための教養ではなく、実践的教養、実践的文化性を身につけていく必要を感じた。そこから出てきた“教養的”なのだ。文学的教養、文学的イデオロギーの根本はプシコ・イデオロギーの問題である。

○ 『丹下氏邸』は、「私」が渦中ににとびこみ、その世界とのかかわりの中で見せる階級性(教養的中流下層階級者の視点)がある。「私」が見立て、見立て直しをする中で、現実の真の姿が浮き彫りにされてくる。それも、読者がコミット(対話)する中で浮かび上がってくる構造になっている。私小説的コメントで読むのではなく、わからないから「私」を設定して探っていく。

○ 井伏は作品を書きかえ、書き足ししては、別の場面に設定を変えて書き継いでいく。ナレーター兼狂言回しという設定は一貫している。しかし条件が変わる。『丹下氏邸』の「私」は渦中の人に。が、定住者には絶対にならない。ああいう視点に立つからこそ見えてくるものがあり、そうでなければ見えないものを見据えている。『朽助のゐる谷間』の「私」も朽助とあのような関係にあるから見えてくるものを根気づよく見ていく。文学史1929の基本的発想をくずさず、しかしそれ以上入り込んだらウソになるギリギリのところで、基本型『山椒魚』『炭鉱地帯病院』のジャーナリストも書いている。そして、よそ者から定住者への道を辿りだす。別に、〈流れていく者〉(『さざなみ軍記』)の世界への道が一本ある。この特性を、日本文学がつくり上げたものとすれば、見落さないでいってほしい。
 A型→B型→C型へと、作者は自分をつき放して描いている。『朽助のゐる谷間』の「私」……『山峡風物誌』の米山さんへ。スケールが雄大である。徐々に定住者の立場に近づく。視点をパッパッと切り替えるのではなく、じっくり書きかえ、書き足していく。この作品創造の文学史的意義を、現代史としての文学史の中に、文学創造の歴史として位置づけて、再評価してほしい。
 井伏という個性、個性的文学者が、個性的であるために自己変革を続けている。井伏のように苦悩し、努力し続けた作家は近現代文学史上、決して多くはない。それを特殊としてではなく、文学的個性として位置づけてほしい。



1990/08/01 445〜446

7月第一例会(7/14) 報告
 I.H.
 前回に引き続き、全国集会に向けて、各パートの報告の検討が行われた。時間の都合もあり、報告者が骨子を話し、意見・要望を皆で出し合う形をとった。

1. 今の教育体制は根本的にまちがっている――開会のあいさつに代えて
(1) 現在の教育体制について
○ 自民党政府45年間の政治が、学校教育の場から自由を奪った。教師の自由な発想を奪った教育政策。「量産」される主体性喪失(人間疎外を人間疎外と感じない)子ども・若者たち。
○ これを指摘するだけでは、どうにもならない。教師としての責任回避→体制に加担することになる。
(2) 世界的な政治状況・思想の混迷の中で
○ 独占資本と癒着した政府自民党は、今の体制を永続化しようと画策している。
     ・体制内知識人を動員してのマスコミ利用
     ・民主的団体の破壊(日教組の分断)
     ・小選挙区制
○ 彼らの言うように、日本は本当に自由で民主的な「いい国」なのか。過労死(人間疎外の限界を越えている)。人間疎外の拡大再生産(自分と無関係では済まされない。自己凝視・自己点検)。
○ どう克服してゆくのか(展望なしには実践の名に値する実践は不可能。
(3) 文学教師の役割
○ 人間疎外・主体性剥奪の教育に抗して、文学の人間回復の機能にかける文教研。
     ・文体づくりの国語教育の提唱
     ・国語科教育における文学教育の位置
○ 当面の課題――文学の科学としての文学教育論の構築。(今次集会のテーマもその一環)
○ 「すぐれた文学は、いつの時代でも反逆精神の産物」。(文学固有の機能・虚構精神を、この集会で解明する)
 あるべき明日の可能性を追求する虚構精神によって創造された作品を読み、作品と、またお互いと対話し、現実を見つめ直す。私たち一人ひとりが虚構精神を持つ。この上に真の実践はある。

〈意見〉
○ 主旨には全面賛成。(1)の「批判しても仕方ない」は、「批判する必要がない」と誤解されるおそれがある。「不徹底な批判にとどまらない批判を」としたい。話し言葉を十分に選んで
○ 虚構精神を持つべきだと思っても、持てないから、皆悩んでいる。どうしたら持てるか、を強調したい。「論理的克服なしに現実の克服はありえない」という押えを。

2. 基調報告(1) 教組分裂の現状の中での教研活動のありかたを問う
(1) 研究の自由の問題
○ 研究の自由のないところに、学問・学問精神は育たない。
○ 教育の自由のないところに、教育の名に値する教育は行われない。
○ 研究の自由は、精神の自由につながる。その自由に裏打ちされた批判精神を、自分の中にどう培うか。
○ 指導要領の法的強制力の中で、教育現場にある私たち教師は、どのように自由を失いつつあるか。
(2) そうした状況における、集団研究という形での教研のあり方
○ 研究者としての姿勢。
○ 学問的レベルを高める上での、リーダーとの協力のあり方。
(3) 教組分裂、教研も二つ行われる中で、一つの教研、あるべき姿を求めていくことの大切さ
○ 文部省であろうと、組合サイドであろうと、「イデオロギー」教育をしてはならない。
○ 数で決定していくのではない教研を。

〈意見〉
○ 指導要領の拘束性と精神の自由。外側の不自由さと内側の不自由さ。解釈学からの自己解放なしに精神の自由はない。

3. 講演とシンポジウム 表現と表現理解と――日常性・科学性・芸術性
『芸術とことば』から『芸術の論理』への熊谷理論の展開の中で、今、私たちが学ぶべき発想とは何か。
(1) 国語教育における二つの偏向、その克服
○ 「客観主義」的潮流と「主観主義」的潮流。
○ 『芸術とことば』――心理的事実と客観的事実を混同したさまざまな意見に対して、ある一定の姿勢を示す。
(2) 認識・表現・表現理解が統一的な形で提示されたことの意味
○ 『芸術とことば』――〈内なる読者〉の発見によって。
(3) 社会現象としての文学現象のありよう
○ 生活過程と文学過程。
○ 『芸術の論理』――〈創造の完結者〉という発想によって。
○ 「文学と教育」152、『芸術とことば』再録。p.59上段行目、追体験的なものへの明晰な批判。
○ 同上、p.59下段、ふたとおりの内なる読者の解明。その先駆性と今日的重要性。
○ (記号論などは)作家が表現したものを自己完結したものとして扱い、レトリックによって、すべて解明できるとする。
○ それに対して、文学史1929の成立。井伏文学。日本近代文学における真の対話精神の樹立。

〈意見〉
○ 世間一般で通用している「表現と表現理解」の二元的とらえ方と、われわれ文教研の「表現論」とは、どこがどう違うのか。二元論が、そもそも成立たないと言えるのは、なぜか。全国集会に来た人に、はっきりさせることが必要。
○ 内なるものの外化が「表現」になるとは限らない。「表示」や「記述」になることもある。「表現と表現理解」は「日常性・科学性・芸術性の逆三角形」に裏打ちされてこそ解明される。
○ 「文学と教育」152、p.58下段、「外なるものが人間の社会的行為を媒介として、内なるもの(意識の世界、無意識の世界)をつくる――そして、意識をそなえた人間主体の外界に対する実践的なはたらきかけの一つとして、創作(表現)のいとなみが行なわれる」いう押さえが必要。

4. 講演三題B 解釈学復活の今日的意味
(1) 解釈学批判の根本を亜明らかにする
○ 日本的実存哲学の原点である『人間の学としての倫理学』(和辻)に流れ込んだ存在論哲学を太い線で明らかにしたい。とりわけ、観念論と解釈学をドッキングさせたディルタイと、現在の解釈学の総本山である和辻に焦点を絞り、なぜそう言えるのかも明らかにする。
(2) 解釈学の今日的意味
○ 解釈学の持つ、凡庸な甘いインテリにとっての魅力の解明。
○ 弁証法的唯物論の否定、現実へのめくらましとなっていることの解明。(詳しくは、レジュメ参照)

〈意見〉
○ このパートの目的。解釈学批判の原点を明らかにすること。「解釈学の考える『解釈』は、事物を変革する論理ではない」という点を明確に。
○ パート間の連絡を密にし、共通の目的のもとに、何を分担し合っているか、はっきりさせたい。和辻倫理学を批判する必要性や、日本浪漫派の今日的検討は、シンポジウムのパートとも、相互に関連しているはず。
○ 反映論的立場に立ったときの表現・表現理解―→3. 。存在論的発想に立ったときの表現・表現理解―→4. 。この裏と表の関係がはっきりしてきた。



1990/09/22 447

9月総会(9/8) 

[以下の項目で、詳細の多くを省略]
〔常任委員会報告〕
(1) 1989年度三役・委員会(総会資料)についての説明
(2) 文教研の存在理由
(3) 常任委員会の役割
(4) “私が文教研”

〔1990年度委員長・常任委員選出〕

〔1990年度の研究企画について〕
(1) 1990年度第1期テーマ
  明日へ向けて 文教研理論の形成過程をさぐる(その2)
   ――虚構・典型を中心に――
(2) 第1期 研究計画
  熊谷孝著『芸術の論理』(1973年 三省堂刊)をテキストに学習をすすめる。
  『芸術の論理』をとりあげる理由
  @ テキストに即して、第39回全国集会を論理的に総括する。
  A すでにこの時点で「文学の科学」という概念が提起されている。
    文教研理論形成史にとって欠き得ない著書。
  B 理論は理論、作品論は作品論というのではなく両者を統一的に学習したい。

(3) 次回例会について

〔問題別研究会「考えるらっきょうの会」の提案〕



1990/10/13 448〜449

9月例会(9/22) 報告 M.M.

熊谷孝著『芸術の論理』(1973)を読み合う (第1回)

第V部 現代史としての文学史/第1章 課題と方法意識

 全国集会への反省(リフレクション)が目的である。遠近法を変え、ちがったフィルターでそれjを行いたい。日本の文化領域を支配した保田与重郎の理論のスタート・ラインはどうであったか。バネがどこで狂ったのか。〈現代史としての文学史の根本問題〉に関わる部分などを中心に。

〈熊谷先生の問題提起〉
(1) 文学・文学史・文体(p.172/l.1〜)
 文学は新しい文体を探るいとなみであり、文学史は新しい文体の創造の歴史。創造は変革なしにはありえない。したがって、新しい文体の創造されるところが、その区切りになる。

(2) 虚構・典型・文体(p.173/l.9〜)
これらがバラバラにならぬよう、一つながりのものとして捉えてほしい。――典型と文体、典型と虚構、虚構と文体。

(3) 歴史的個性としての文体
 「……文学史的な、作品のリサーチとは、その作品の文体・発想を、それに先行しそれと時期を同じうするもろものの作品の文体・発想と対比し、またそれに続くもろもろの作品の文体・発想と対比しつつ、必然的、必至的なその作品の文体的個性を見きわめる、ということ……。」(p.175/l.2〜)
 夏の集会の作品論は、こう進んだか。文体の個性を見極める仕事として適切であったか。基本の姿勢は、中世でも近代でも変わらない。歴史的個性として文体を考えるのでなければ、文学史にも作品論にもならない。大江健三郎の文体もリアリズムの文体も歴史的なものではないか。

(4) 文体とは
 〈文体〉といえるような文体とは、「およそ誰かがいったこと、誰かが書いたことを、再び俺はいうまい書くまい」(近藤日出造 p.160/l.5)とする「根性」のある文章のこと。多くの人が云々しているが、〈文体〉をこれ程明確に言い表した人が他にいるだろうか。真似とオーム(鸚鵡)から文学(史)は生まれない。アヴァンギャルドに近い文体だけが文体であるといわんばかりの意見に対する、これが反論。

(5) 本来の読者中心の文学史
 これらのことを基本において、文学評論・文芸時評と文学史との統一を考える。
 イ. 過去についての知識が目的でなく、問題は現在にあると考えるとき、〈現代史としての文学史〉の発想にゆきつく。
 ロ. 「従来の文学史は、作家(作家の意識)中心でありすぎた。文学史は、読者――本来の読者中心に構想し直される必要がある。」(p.183/l.2) ここが、他の“読者中心”をうたう文学史と違うところ。このグルントとにあるのは第二信号系の条件反射である。 
 ハ. 「芸術作品によって喚起されるイメージは、感情をチャージした何かだが、その感情は(中略)作家・芸術家にではなくて、芸術そのものに属していると考えられるべきだ」(ランガー p.183/l.5) この辺を大いに問題にしてほしい。
 ニ. 「……典型というのは、時間という概念、そして歴史という概念が下敷きにないと出て来ない、わく組みの概念……」(p.184/l.3) ランガーと根本的に違ってくるところとしてチェックしておいて欲しい。

〈話し合いの中から〉
(1) 虚構と文体
○ 小説の方法としての虚構と文体の、歴史との関係を明確につかみたい。
○ 〈虚構〉の営みは主観的なもの、〈文体〉は、その客観化されたものである。虚構は文体によってのみ客観化(保証)される。(熊谷

449
○虚構は文体とシノニムだといったのは、この意味。作品の新しさを解明するのは、形式・形態を通してではなく、発想(虚構)=文体においてなのだ、と捉えないとブレていく。文体論は展開できない。
○ 〈語り口〉⇔〈発想〉⇔〈文体〉。文体と語り口は同じものではない。語り口から発して、語り口に戻る。語り口が文体を如実に表す。
 真の虚構論は、文体論のうら打ちなしにはない。文体を通してのみ、その送り手の方法意識をつかむことができる。(熊谷
○ 現在の作家は、虚構意識はあっても、言葉に託し、形に表してしまうと、そこで終わると考えている。しかし、虚構の営みの中での言葉とイメージの関係は、言葉を通してイメージを変革し、イメージが変革されることで言葉が変革されていくダイナミックなもの。その中で客観化されたものが文体。〈現代文学と現代の文学〉を考えるとき、そこに目を据えないと現代文学論にはならない。

(2) 歴史的と超歴史的
○ 「……〈芸術とは何か〉〈文学とは何か〉ということの〈何〉が――つまりは文学概念・芸術概念が、歴史の流れを貫いて、ある共通性と普遍性を持った概念として用意されないことには、文学史を組もうにも組みようがない……」(p.179/l.12)
○ 「……歴史的・普遍的な芸術概念・文学概念を組み上げる作業――これが文学史の方法意識を確実なものにする作業の第一着手だ……」(p.180/l.2)
○ 我々の文学史は、いわゆる“読者中心”のそれとは違って、「本来の読者中心の文学史」なのだ。「歴史的・普遍的な芸術概念・文学概念」は、実は「本来の読者中心」に構想されてこそ明確になる。歴史を無視した超歴史的な捉えかたでなく、歴史を貫いた「歴史的・普遍的」なものとして芸術概念が構成される必要がある。
 芸術・文学の歴史は自立しては成立し得ないとして、文学史という統一的な構想を放棄するような読者論がある。既成の文学史概念に対して、“脱構築”をとなえ、それを新しい視点とする。一方、文学外から文学概念を持ってきて、イデオロギー主義的に積み上げていき、それを文学史観とする見方もある。
 両者を克服するものが、「歴史的・普遍的な芸術概念・文学概念を組み上げる」ということ、「本来の読者中心」に文学史を構想する観点であり、この二つは一つのことの裏表であって、一体なのだ。
○ 前記引用の指摘を大事にしたい。その際注意すべきことは、パルテノン建築に見られる“芸術観”がすでに在ったと考え、歴史の流れに位置づけて捉えることを忘れ、現代の眼で見てしまうこと。同様に、作家研究の場合も、達成したところから初期を見て、既にそこに胚胎していたように考えて絵解きをする。そういう傾向に流れ易い。それだけに〈時期区分論〉〈系譜論〉を大切にしたい。
○ 大昔の建築様式を対のものとして(ママ)、近頃、未開人の壁画、彫刻がもてはやされている。あの野蛮人が、ナメテかかり、それを見なおすことができるのは我々近代人、というような一種の近代主義をそこに感じる。それとも決して無縁ではないだろう。(熊谷
[以下略]



1990/10/27 450〜451

10月第一例会(10/13) 報告 Y.R.

 前回の例会から3週間あった。その間に、問題別分科会が二度行われた。その内容をぜひ例会でも聞きたい、という会員の要望に応えるかたちで、熊谷先生が媒介してくださった。文教研理論の総括とも言える内容だったと思う。全容をまとめるのはとても無理なので、熊谷先生の板書を中心に……。
 〈第1部 問題別分科会 中間報告〉
   統一テーマ 文芸認識論の基調概念
    〈第一回〉 反映論と実在論
    〈第二回〉 リアリズムとロマンチシズム
  〈第一回〉 9/24
    1) 二つの概念
      ・素朴実在論の反映論
      ・弁証法的唯物論と条件反射学によるその裏うち
 文芸学文学の科学)の三つの側面(部門でなく側面)。その中核になるのが文芸認識論、というサイド。その基調概念を語る、考え合おう、ということで始めた。
○ 反映論の“”とは。論理を組織する仕事、組織したものが理論。理論の視点から、自分の論理の確かさを検討していく。そうやって深まっていく、進歩していく、それがセオリー。反映論の“論”、とはそういうことだ。
基調概念(キイ・コンセプト)とは。キイとなるコンセプト、思考の形式。基本をゆるがせにしたらどうにもならない。
     2) 各種の実在論の展望
       (例) ・素朴実在論(ナイーヴ・リアリズム)
           ・新実在論(ネオ・リアリズム)  etc.
○ 新実在論(ネオ・リアリズム)と呼ばれているものと、基本にあるプラグマティズムの考えかたと、どうつながるのか。
    3) 各種のリアリズム(論)の展望
      (例)・自然主義
         ・プロレタリア・リアリズム
         ・批判的リアリズム
         ・社会主義者のリアリズム   〈誤訳〉社会主義リアリズム
                                 翻訳の怖ろしさ
         ゴーリキー
         批判的リアリズムの訳   
○ 素朴実在論の中心になる自然主義。プロレタリア・リアリズムといわれるリアリズム。社会想念としてプロレタリアートのものの考え方を自分も持とう、プロレタリアートのものの考え方をもっと本来のプロレタリアート的なものにしていこう、そこから生まれるリアリズム。しかし実際は、文学論、芸術論として見れば、何のことはない、素朴実在論である。そういう正体を暴きつつ、自分が足をすくわれている面をはっきりさせよう。
○ 誤訳の問題。もともとはロシア語で、ソシャリスチェスキィ・リアリズム(英語ふうに綴ると sotialisticheskij realizm 社会主義者のリアリズム。ソシャリストのリアリズム。「社会主義リアリズム」とは根本的に違ってくる。一人ひとりの、悩める社会主義者のリアリズムなのだ。自由がないからこそ自由を求めている、そういう社会主義者のリアリズム。つながろうとしてつながれない、そうした悩みを持っているからこそ。
○ 批判的リアリズム――クリチェスキィ・リアリズム(criticheskij realizm)
○ ロマン主義とリアリズムの問題に目をとめた人、ゴーリキー。『文学入門』

451
  〈第二回〉 10/7
    〈リアリズム志向のロマンチシズム〉という発想の一つの穴をめぐる論争!!
    
    ロマンチシズムとは? 三つのキイ
      ・情熱 
           ⇔抽象的な思想への
      ・夢
      
      ・人間の可能性を求めて→不可能を可能に
リアリズム志向のロマンチシズム、この発想が到達点じゃないか、到達の水準ではないのか。(『太宰治――「右大臣実朝」試論』「〈リアリズム志向のロマンチシズム〉ということ」)
抽象的な思想への情熱。これが、あるべきロマンチシズムの姿なのだ。
○ ロマンチシズムぬきのリアリズムなどはない。しかし、学説史、文芸論史の歴史では、ロマン主義は、リアリズムの前段階のものだ、はやく越えなければならないものだ、とする。たんなる対立物としてとらえている。今日でもそうなのではないか。
○ 現代史としての文学史を組んでいくうえで、作品を鑑賞するうえで、作品を評論するうえで、批判的リアリズムというのは、社会主義者のリアリズムの前段階だとかなんだとかいうことはぬきにして、ロシアと言えば、トルストイ以後とか、イギリスで言えばディケンズ以後とか、そういう意味に限定されるのか。批判的リアリズムという概念は、概念的発想は、そこに限定されるわけではない。
 例えば井原西鶴のリアリズムというのは、批判的リアリズムという一つのタイプ、型、と考えている。そういう用い方が可能だし、むしろ必要な事ではないのか。文学史を組むうえで。ただし、もちろん「社会主義者のリアリズム」、そこに西鶴は入るかは入らないか、などという論議はナンセンスである。
 近松や西鶴、あるいは、ある偉大な側面における松尾芭蕉、これは明らかに、批判的リアリズムである。彼らは、批判的リアリストである。
○ 保田与重郎(江藤淳、三島由紀夫)の転向の問題は、決して人ごとではない。我々は、知らず知らず文化ファシズムへの道を歩いているのかもしれない。世間の大勢の声に傾いている自分がないか。また、状況を見てから行動しよう、などと考えていないか。

〈話し合いから〉
○ リアリズムの対立物はロマンチシズムではなくて、アイデアリズム、観念論なのだ、という熊谷先生の指摘の重要さ。
○ 批判的リアリズムから社会主義リアリズムへ、というプロセスとして、広辞苑などでも書かれているわけだが、芸術に進歩がある、というような言い方を前提として、トルストイよりも、ソビエトで活躍した小説家のほうが偉大であるかのように言われている、そんなことにどこかごまかされていた自分を感じる。
○ 社会主義、というのは、それを志向する主体なしにはないし、リアリズムを本当に問題にすることもできないのだ。そこで気付かされるのは、やはり〈教養的中流下層階級者の視点〉でも、階級者、となっていることの意味である。社会主義者のリアリズム、ということには、あるべき社会主義を思索し続ける、そういう人間にとって、現実とは何なのか、リアリズムとは何なのか、ということが、本来的には含まれていたはずである。しかしそれが、社会主義者=スターリンのリアリズムというふうにも滑っていった。社会主義、社会主義者、転向、その本来の意味を問い直すことの重要性を、今、現代の問題として感じる。
○ 「社会主義者のリアリズム」といっても、危険は伴うのだ。本来の、悩める社会主義者の、ということを落とすとおしまいだ。そうでないとスターリン主義にすべる。そういうことが今日も多いのではないか、といういまの I さんの意見に同感。
 そこで、今日扱うはずであった作品の『歎異抄』。親鸞を崇めて、得々と人に向かって説教する、教えがましさ。そういう人が我が宗門の指導者である。そして親鸞とは真反対のことを言っていたりする。スターリンになっている。それを歎く断片、という主旨をもった随想なのだ。タイトルは大事。
 リアリズムとは“歎異抄”のことだ、そしてまたロマンチシズムとは“歎異抄”のことなのだ。“歎異”なのだ。(熊谷

 このあと、次の例会以後『芸術の論理』を具体的にどう読み進めていくかをめぐって、いろいろな意見が出された。[略]



1990/11/10 452

10月第二例会(10/27) 報告 D.H.

前回決定した方針に従って『芸術の論理』の第T部についての報告とそれを受けての話し合いが行われた。ここでは、特に話し合いの内容を中心にまとめていく。[中略]

○ p.41の典型概念について。世界像に対して現実像がある。しかしその現実像の全てが典型なのではなくて、「ある普遍性をもった現実像」の極致が典型である。ここを一般性と言わず、わざわざ普遍性という言葉を使っているところが重要。科学認識(世界像に関する)とは違って、普遍性という概念で問い詰めたときに典型という概念が生まれてくる。そこをはっきり押えないと芸術と科学が単に程度の差でもって、どっちがラフであるかなどという妙な議論になってしまう。
 典型というのは普遍の中の個である。普遍を含みこんだ個を典型と言うのだ。(熊谷
○ 論理の問題としてだされたことを、作品に即して考えてゆきたい。『芋粥』を次回話題にしたらどうか。
○ 本文の訂正を一つ。p.52のA氏の発言中の「インプリケイション(言外の含み、意味)となっている所、そのカッコの中の「言外の含み」というのを「言葉の含み」と直してほしい。(熊谷
○ 解釈学ふうの言葉の解釈と、熊谷先生の「概念を有効に組み替える」(p.52)ということの違いを明確にすることは重要だ。
○ 問題 を解決するときには、新しい問題提起が用意されている。「文学作品についても、達成へ向けての可能性をそこに感じ、そしてそれをこえようとするものがあってはじめて実現できる」という指摘が以前あったが、こうした問題ともつながる。
○ 概念にもインプリケイションがあるということを見落していた。そう押えるからこそ、概念の組み替えができるのだ。
○ 逆三角形の図形(p.88)について。以前、熊谷先生のほうから日常性から芸術性といっても手段が必要だ、と言われたことがある。大切な指摘だと思う。
○ p.32の後半部分。「客観の薪」という言葉をデューイは使っているが、我々の言葉で言うと「虚構」であろう。インスピレーションの日を燃やしつづけることができるためには、「虚構」という薪が必要なのだ。
 p.33「インスピレーションが混乱、動乱の中に投げ込まれるのでなければ、それは表現に至りうるものではない」、これが虚構というものであろう。
 p.23のデューイの言葉「社会生活の主要なもろもろの制度に関連するエモーションや観念を反映する」という指摘がある。エモーションや観念そのものではなく、それを「反映」させたというところがステキだと思う。
 NHKの番組でこの前の日曜、パルテノン神殿についてふれていた。それによればあの神殿は極彩色のものだったという。これはダューイの指摘に対しての客観的な裏づけだと思う。彼らの市民生活の観念その他のまっとうな反映だ、ということだ。ここに重要な問題がある。我々は模倣(ミメイシス)というとくだらないものだと考えがちだが、デューイは、このパルテノンはミメイシスの所産だ、それもつまらないミメイシスではなく「反映」だと言っている。これはすぐれた指摘だろう。(熊谷
○ このギリシャ人の模様の考え方と、今我々の回りで氾濫している模倣というものとは大きく違う。「芸術模倣説」を考える時も、場面規定と芸術の原点とのかかわりを問題にしなければならないのだろう。言ってみれば、このアテネの人々の健全な模倣説こそ、我々が継承し、発展させるべきものなのだ。
○ エモーションや観念をぶちまけたものではなく、それを反映させたものがパルテノンだ、これこをギリシャのすぐれたリアリズムなのではないか。正に、リアリズム志向のロマンチシズムの典型例なのだろう。(熊谷


☆佐藤嗣男「『山椒魚』の世界」
 表現学体系 各論編13巻『近代小説の表現 五 』―井伏鱒二―
 (教育出版センター 1990.10.15 発行 )に収録。



1990/11/24 453〜454

11月第一例会(11/10) 報告 S.F.

 部屋に入って驚きました。上下二段の黒板いっぱいに、板書してあります。内容の大きさにも驚きました。それは、「歴史と文学の会」
(問題別分科会)の過去2カ月4回にわたる研究内容のメモでした。以下は、その板書を写し取ったものです。

第1回 1) 文芸認識論の基調概念をどこにもとめるか。
     2) その基調概念としてのリアリズムとロマンチシズム
         /  その問い直し
         \  つかみ直し   
第2回 3) リアリズムの〈何〉と〈いかに〉の関連〜相互規定の関係の中に 
               |    |         次元としての\ 
               |    |                   先後関係
             対象性  方法性       現実の    / 

     4) ・リアリズムの精神構造としてのロマンチシズム
       |
       ・リアリズム志向のロマンチシズム

     5) 文学史概念としての リアリズム とは?
                    ロマンチシズム とは?
       ――仮説の前提

第3回 6) 上記(5)の前提を仮説にみちびく作業
        a 「難波みやげ」(岩波古典体系50 訳注の全文にたる検討)

        b  同上第1章の〈現代史としての文学史〉の視点に立つ翻訳と
         そこに展開されている近松のジャンル論、芸術論への評価

        c 未解決の課題の自覚、発見

     7) 課題解明のための作業
        a 国会図書館蔵の「難波みやげ」(浪華書肆/元文年正月刊)原本コピー入手

        b 守随、鳥居、大久保諸氏による訳注、解説のコピーの用意

        c 近藤
(忠義)氏の「難波土産」論を用意

        d 関連資料「役者論語」他を用意

        e 佐々木氏の論文他4種の用意(「国語国文」所載)

第4回 8) 上記(7)の課題解明に向けての話し合い
        a 古学派の儒者にみる〈リアリズム志向のロマンチシズム〉の学問精神について

         起点1 「穂積以貫は夙に古学を新字、伊藤東涯に学び」云々という記載
             (「大日本人名辞典」)

         起点2 次のガラクタ知識が
                ・朱子学に対する古学の姿勢
                ・山鹿素行の学問精神

                ・東涯、梅宇兄弟の西鶴への関心
                  |   |
                  |   福山藩「見聞談叢」(注 「芸術の論理」p.202)
                 岡山藩 |
                  |   |
                 (長子  次子)

         林羅山
―――伊藤仁齋 


 この板書に基づき、4回12時間に及ぶ内容を、熊谷先生が1時間30分で要点を話されました。「会」に不参加の私には、その主旨をまとめること0はとうてい不可能なことなので、私の心にひっかかったことを以下に記録してみたいと思う。

(1) アマチュアリズムに徹しようではないか
 文教研のそもそもがアマチュアリズムの精神によっているはずだが、この「会」では真の意味でアマチュアリズムに徹するのだ、ということが強く響いた。首都圏に在住するならば、国会図書館その他がある。そこに足を運び、資料に当たる。それをしないのは怠けであり、“高尚なおしゃべり”からは何も生まれない、という強調。
 その成果として、「難波みやげ」原本コピーを手に入れ、またその他の資料も用意ができたという。それは岩波体系本「難波土産」の、@ 句読点の問題、A 頭注の問題を解明したいという要求からであるが、近世文学の木版本(しらみ本)を読む困難さを身にしみて感じたといわれて、その原本コピーを示されたが、私には全くわからなかった。が、そういわれている熊谷先生はそれをたのしんでいるかのように見えた。
 また、近藤忠義先生について近世文学を研究して来られた熊谷先生が、その研究過程(私からみれば大きな業績)にふれて自己批判される形で、現在の到達点としての研究成果を、婦民クラブ
(婦人民主クラブ)での講演(1980年11月〜1981年3月、西鶴について三回、芭蕉について二回)にあると位置づけらた。(「文学と教育」115、117にまとめられている)
 改めて読みなおし、その内容の大きさに驚いた。

(2) リアリズムとロマンチシズム
 この「会」の研究の方向は、文芸認識論の基調概念としてのリアリズムとロマンチシズムを問い直し、つかみ直すことにあるということだが、これは、現在文教研の定例研究会で『芸術の論理』を読みすすめていることに一致する。(文教研ニュース450、451)

454
 さて、熊谷先生は、リアリズムの〈何〉(対象)と〈いかに〉(方法)との関連で、次元としては、対象は方法に先行すること。が、現実には必ずしもそうではなく、その相互関係において相互に規定するものであることを指摘されたが、私にとって痛かったのは次のことである。全国集会での問題でもあったが、方法がまちがって身につくと対象まで違ってくる。解釈学の方法を小学校教育以来取りつづけて骨の髄までしみこんでしまっているために、なかなか脱却できずにいるではないかと。解釈学の方法意識が身についているために、
(そこから)〈何〉を判断する(という)あやまりだ。

(3) 研究の広がりと深まり
 文学史概念としてのリアリズムとロマンチシズムの概念を明らかにする仕事であるわけだが、仮説の前提を、仮説に導くための作業として、「難波みやげ」をみんなで翻訳をした。そこで発見したものは、ジャンル論と芸術論への評価であった。これをジャンル論として評価した論文はないということ。テーゼを近松が述べたように書いているが、これは、ほんとうの近松のジャンル論といってよいのか。そこから、研究のための追究が始まった。著者穂積以貫の視点的立場、学問精神を明らかにする必要が生じてきている。そのための基礎資料としての「難波みやげ」の原本コピーの入手であり、現在の中心テーマは、古学派の学問精神を問題として明らかにすることである。
 そこで明らかになったのは、起点1として穂積以貫の古学との係わりの問題と古学の位置、古学に係わった人々の位置である。起点2として、ガラクタ知識が役立つ、と熊谷先生は言われるが、過去の蓄積した知識の広さを見る思いだった。
 幕藩体制を支えたイデオロギーである朱子学に反発して、アンチテーゼとして出発した古学。その祖は山鹿素行であり、江戸追放を受けて播州赤穂藩に配流され、朱子学批判の古学と、山鹿流軍学を教授する。
 古学を学んだ伊藤仁斎の長男は伊藤東涯であり、岡山藩で教授、同時に西鶴に傾倒し、西鶴文学を池田家奥女中に伝えている。穂積以貫は、この東涯に古学を学んでいる。また、東涯の弟梅宇は、福山藩で教授しながら、西鶴について「見聞談叢」に書いていることは、『芸術の論理』に述べられている。以上のことにより、朱子学は幕藩体制を支えたイデオロギーとして、解釈学として位置づくが、古学の学問精神は反俗的学問精神であり、朱子学を批判し、町人文学である西鶴文学を、武士や奥女中に教えていった。穂積以貫の視点的立場は、そうした古学儒者としてのそれであったことが明らかにされた。後日に資料をもらったのであるが、「会」では、浄瑠璃作者として名高い近松半二の父であることも知った。今後の「難波みやげ」の追究で、大きな成果を上げられることが楽しみである。

 例会の後半は、前回に続いて、『芸術の論理』の第T部の検討。報告者は前回と同じ。
 中心の話題は、典型概念の追究である。広辞苑でさえ、普遍と一般を混同する概念の不明確さを指摘しつつ、芸術⇔普遍、科学⇔一般、の区別をはっきりさせた。このように普遍を問題にするからこそ、個、個性が重要になってくる。したがって、@ 階級と世代、階級性と世代性、A ハートの問題=実践の問題が、例えば、政子や義政と対決する実朝が、普遍に通じる個として描かれる意味が明らかにされた。個性がなくなるとき、類型化されることも、はっきりした。『芋粥』で、臨床的に扱い、典型・虚構概念を自分のものにすることが呼びかけられた。
 このように、第U部へのつながりがつけて例会を終えた。



1990/12/08 455〜458

11月第二例会(11/24) 報告  I.H.


 まず始めに、熊谷先生が、「歴史と文学の会」(第5回)における研究内容の展開を、前回の例会での総括(ニュース453、454)につなぐ形で話して下さった。
 途中からの参加者が問題の中心をつかめるような“つぎほ”をするためにとのことだったが、私にとっては、新しく目を開かされる指摘ばかりだった。以下、その時の板書と、熊谷先生のコメントをメモしてみた。

 問題別(10/18)中間報告
 継続テーマ/リアリズムの〈何〉と〈いかに〉と
 部分テーマ/作家の姿勢にみる近世リアリズムと近代リアリズムと(その共軛点と異質点)

 近世の作家 近松と穂積以貫を中心に。近松の芸論(「難波みやげ」序文)は以貫に媒介されたもの。その媒介者を狂ってとらえていたらどうしようもないので、資料や先行する研究成果をもとに、これぞ(あるいは一応)近松といえるものを確認し、紹介した。

  ・前提条件の検討
   1) 〈難波みやげ〉の著者の推定――二つの対立的見解(野間光辰、中村幸彦)
   2) 穂積以貫の学風と〈難波みやげ〉
       執筆の時点における、そのプシコ・イデオロギーとは?
   3) 近松の作風と見解(芸論)に対する以貫の視点・遠近法・フィルターは?

  ◇ 上記2)、3)の検討――部分テーマの解明を目標に
     a) 近松と以貫の交流の時期の推定――〈穂積以貫逸事〉の判断には確かさがある
       ○ 享保3年頃 近松、66歳  以貫、27歳
       ○ 享保9年末 近松、72歳  以貫、33歳
     b) 古学派の学徒、以貫の、近松(の文学イデオロギー)に対する視点の定着
       ○ 享保16年(以貫、40歳) 代表的著述《経学要字戔》の成立
     c) 元文3年(以貫、47歳) 《難波土産》――近松没後14年

1) 「難波みやげ」の著者は誰か。
 ・「以貫ではない」とする野間光辰(京都学派の代表)。
 ・「以貫であろう」とする中村幸彦。
 野間氏によってあげられた「難波みやげ」の著者とされる人々の文学的イデオロギー(文教研でいえば)は、「難波みやげ」のそれと矛盾する。矛盾しないのは以貫だけ。以貫が「難波みやげ」の著者群の中に加わっていないという根拠はない。だとすれば、以貫が加わったと考えたほうがよい。――この意見に賛意を表し、紹介につとめた。

2)、3) 以貫の学風と学統(学問の系列)は、前回の例会で報告したように、山鹿素行を起点とする古学派のもの。この子学派の学風を追いながら、以貫におけるその一つの完成の姿と、そこに含まれる芸論の芽を検討し、「難波みやげ」での諸論との一致とちがいを明らかにする。これを明らかにしないことには、「難波みやげ」を(ある時期の)近松の芸論として扱いかねるからだ。そこで、第5回の部分テーマの解明を目的として、a)、b)、c)の追い方をしていった。

a) 近松と以貫の交流の時期は、いつからいつまでか。
・享保3年頃、出会いがあった。(中村氏もたてている推論)
〈推定の理由〉 近松作「酒呑童子」が竹本座で上演。二代目竹田出雲と以貫が、それに対する感   動を分かち合っている記録がある。
・享保9年末、近松死去。
この6年間が、近松と以貫の交流の時期であろう。(その6年間に、どういう作品で、どう交流したかは 、ひとまず脇に置く。)

b)、c) 古学派の学者としての以貫は、近松の文学的イデオロギーに対して、どのような視点的立場をとったか。
・ 「経学要字戔」(享保16年、以貫40歳の著書、近松死語7年)と「難波みやげ」の比較検討。以貫が伊藤東涯から学び自己の内部で発展させてきたものと、「難波みやげ」における近松の概論は、方向性においてアルファからオメガまで一致する。
・では、以貫は、近松にあってから変わった(芸論を発展させた)のか、もとから同じだから近づいたのか。それを確かめるためには、以貫が学んだ、仁斎・東涯の学説と比べるしか方法はない。この学説史をたどり確認することによって、「こう思う」という仮説を抜け出し、「こうなんだ」と言えるようになる。この学説史の検討も、部分的には前回集会で行った。

456


4) 義理と人情   ※近藤忠義氏他へのアンチテーゼ
   a) 与謝野晶子ふうな意味での〈本能主義〉
   b) 反朱子学的
            天→理’→気
                   ↓
               理”← /

・「大風宋儒所謂有理而後有気」 (仁斎)
・「理をたづねて、これを天道といふ。是聖人のたまはさること……聖賢のをしへは、
      人倫日用を失務とし……」 (東涯)
・「吾聖人ハ、天ヲ論ズルニモ、以後ヲ論ジテ、気ノ前如何ト云フ論ハナシ」 (以貫 「経学要字戔」)
・「情トハ人ノ性ノ欲好ニテ……少ニテモ飾アレバ、外ヒ善ナリトイヘドモニアラズ」(同上、以貫)
・「天下ヲ治ルハ専ラ人情ニ本ヅキテ、必シモ其理ヲ責ズ……」(同上、以貫)
・「人ハ有情有心ノ活物ニテ聖賢、告問ハ其活物ヲ治ムル活法ナレバ、人事ノ上ヲ必ズ一々理ニ合フヤウトハセラレヌ他」(同上)
・「人情ヲ外ニシテニ本ツカントスレバ、人ヲ侍ウガ、ムゴクナリテ、世俗ノ云フ知ラズニナリテ、万事ヲ破ルコト多シ」(同上)

〈町人概念〉

4) 広末保・近藤忠義らの“近松の義理人情論”と、それに対するアンチテーゼ。
 近松は、義理を結局否定。時に義理に屈服する面も多少あったが、彼の考えたのは人情。人情こそ、町民のイデオロギー。義理が、武家・幕藩体制のイデオロギー、儒学思想。――義理と人情は対立物、という考え方が支配的。町民は、人情が義理に押しつぶされる中で、義理を少し立てながら、心中という道を選ぶ。
 これは、根本的に狂っている。〈新興町人〉概念の階級論的把握ができていないし、そもそも、そこへ目が向いていないからだ。

〈林羅山の朱子学(幕藩体制の儒学)〉
 義理と人情を対立物として扱う。――天の理(天命)である義理は絶対であり、理から生じた気の一種である人間はそれに従わなくてはならない。この理は、コチンコチンの理=義理。
〈山鹿素行に始まる古学派〉
 理=義理を固定的にとらえない。一貫して気を基点に。人間が中心。理は大事だが、それは気=人間性に導かれるべきもの。気=人間性に矛盾するときは、理’を理”に変えていく。

 与謝野晶子の〈本能主義〉――人間本来の想念に矛盾するものは、戦争であろうと何であろうと認められない――は、この古学派(すぐれて以貫によって深められへってんさせられた)の考え方につながるもの。義理は大事だ。しかし、情を殺して何が理だ。人間が人でなくなるのが、何で理だ。――そのような、彼の考え方を論理的に重層的に解明している『経学要字戔』。こうしてところに彼がたどり着いたのは、近松と接触してからの晩年であるということから、ある明確な方向感覚が得られる。

 この古学派・以貫の学問内容と姿勢と、ここまでそれを明らかにしてきた私たちの研究。そこに、継続テーマ「リアリズムの〈何〉と〈いかに〉と」についての方向性をみることができるのではないか。
 学問は、何でやっているのか。義理ではない。情なのである。そして、持続性がなければ、以貫は仁斎や東涯につながれなかったし、私たちも、つながっていけなかったはず。学問の方法と原理は離れるものではないのである。
 方法というのは、解釈学での小手先の技術としては生まれない。自分の生き死にの問題として、研究方法論を追求していく。それを具体的には、以貫を中心とした古学派、近松に学んでいる。


『芸術の論理』第U部の検討
 報告者K.K.さん、D.H.さん、N.H.さん、M.M.さん、F.T.さん。
 章を追いながら、各報告者が、自己の問題意識とつなげての要約と話題提供をしてくれた。T部との関連も明らかにされ、後の発言では、典型・虚構概念とその方法が話題の中心となった。ここでは、その話題の中心と直接かかわると思われるところだけメモふうに紹介したい。

457
《報告より》
〔K.K.〕 何を求めて、私たちは文学を手にし、また書くのか。未知のものとの出会いを求めてではないのか。
 今まで見ていたものを、視点をかえたとき姿をかえて鮮やかに見えてくる。ダイナミック・イメージ。そのとき生まれる驚き、感動が次の行動への構え、ステップを作る。
 わかっていないものを形象するのが芸術。そこに求められる手段・方法としての虚構。
 カオスとしてしか現代が映らなくなっていることが多くなっている自分に〈虚構精神の衰弱〉を感じる。
 「変革と創造の実践的契機においてだけ、現代がわたしたちのものになるのである。」(p.105)
 遠近法・視点をおさえることの大切さ。

〔D.H.〕 p.117の定家の歌。そこにある創作態度・姿勢。空想ではなく想像である。「現実がカオスとして映ずればこそ、あるいは、明確な観念の対象としてそれをつかみきれないからこそ、虚構による現実の転位・移調(transposition) において現実そのものを見きわめようとする意欲も沸き立つ」(p.117)
 普遍に通ずる個としての自覚。欠かせない「対話」。私の中の私たちの「相互の意見が折り合わないこと(時)」の大切さを見落しがちだった。「気の合うもの」だけをとり入れるという受けとめ方をしていたところがあるように思う。「対話」といいながら、それでは、自分が固定化してしまう。

〔N.H.〕 持続性を必要とし、持続的であることを必要とされるような実践にとって必要なイメージとは何か。実践という角度からのダイナミック・イメージのつかみ直し。
 アンデルセンの『皇帝の新しい着物』。〈[平成天皇]即位の礼や大嘗祭を前に、この作品についての部分を読んで気付いたこと。〉
 アンデルセンは典型化して書いていて、子どもには、それが典型化されて読まれていると思っていた。実は、そうではなくて、それがその子(人)にとって、本当に実践にとてのイメージ・行動の契機となったときはじめて、典型化したと言える。典型とは、そういう概念だったということが胸に落ちてきた。
 「リアリズム志向のロマンチシズム」という角度から考えてみる。本当にリアリスティックに目の前の現実を変革したいと考えたときに、必要とし、つかめる概念。

〔M.M.〕 「難波みやげ」についての熊谷先生の話、そして、この章から、学説史的研究の必要性、学問成果の受け継ぎ、研究の進め方の厳密さなど、反映論の立場に立っての学問的実践の姿勢を学ばせてもらえたように思う。
 〈本当に否定すべきもの〉は、「素朴実在論的なリアリズムの想念」「その汎言語主義的な言語観につながる非実践的な文体論や創作方法論」(p.159)
 江藤の「言葉はあとからやってくる」。上記のものへの文体論的側面からの批判。それの果した大きな役割。ダイナミック・イメージにつながるものもある。
 しかし、主体の内部に、あるイメージをもたらす決定的役割を演じるのは内語(インターナル・スピーチ)。この発想は江藤にはない。
 文教研は、コミュニケーション理論としての第二信号系の理論をくぐることで、これ(江藤の論)を越えている。
 「近代文学と現代文学の不毛な断層は」「文体的に埋められる必要がある」(p.160)
 これまでの素朴実在論的文体論との自覚的訣別の必要性。近藤日出造の言葉。「およそ誰かが書いたことを、再び俺はいうまい書くまい」という決意、それが「人間の根性というものだ」。
 文体のある文章、異端の系譜の発掘、研究の必要性。

〔F.T.〕 1960年代の“読解指導ブーム”は、今も続いている。文学を文学でないものにしてしまっている。
 〈文学にとっての主題〉――読解・汎言語主義→「作家の表現意図」。必然的に「追体験による主題把握が作品理解・作品鑑賞の目的」となる。そこにある素朴実在論的言語観・文学観。
 〈本当に有効な主題概念への組み替え〉――「素材と共に与えられる、作品の内容的統一の契機――統一の契機としての思想内容」(p.169)

《発言より》
○ N.H.さんの報告。現実変革の姿勢で生きているとき、典型として映る。T部の日常性、想像の完結者という問題とつながった。
 文学の科学、虚構論・典型論というのは、自己の鑑賞をぬきにして追求しえない。作品論と文芸認識論は、ぬきさしならぬ関係にある。
 D.H.さんの報告。定家の歌に示される姿勢は、リアリズム志向のロマンチシズムではないのか。下の句「わざともふらぬ霰をぞ聞く」。体験的には未知、時間構造的には未来。変形においてのみ可能とされる可変的未来の実現、これは典型ではないのか。
 未来の先取りというのは、政治のことだけに限定しがちだが、そうではないだろう。

458
○ M.M.さん、それに今のN.さんの指摘にあった、未来の先取りというときの「未来」は、物理構造的な未来に限定されない。未知一般を含む。
 現在わかっていないこと、時間構造的に未知のことに取り組むのが文学。その場合、未来を未知という言葉でおきかえた方が具体的かつ適切だろう。
 その未知の先取りをしていくためには、近藤日出造の言っているような「根性」が必要。わかりきっていることについて、言い回しや、素材を変えてとうとうと述べても典型は生まれない。そこに文体はない。未知との徹底した対決をする「根性」=文体から、典型は生まれる。「文体とは何か」というのは、「典型とは何か」ということに直結している。
 未知との対決の方法。文学史1929,井伏の文体に即して言えば、「声なき声に聞く」こと。D.H.さんがし適した、本当の意味での「対話」によってのみ生まれる。(熊谷
○ N.さん、熊谷先生の話で、典型概念が一層はっきりしてきた。
 歴史小説の新しさ。小説を通して自分の体験をとらえ直す。『芋粥』に描かれた現実は結論の決まった現実として提示されているのではなく、今日の私たちの生きている現実のとらえ直しにかかわってくる。無位の侍の視点、行動選択のありかた等も、大事に考えてゆきたい。
 K.K.さんの指摘された、書くことにより新しい現実が見えてくるという点。自分が長いこと抜け出せなかった「結論があって、それに形を与える」という感覚に対する問題意識と重なった。
○ 現代文学の不毛(近代文学との不毛な断層)を〈虚構精神の衰弱〉という視点から明らかにする必要がある。 夏の全国集会のプログラムでも明らかにされたように、虚構・典型・主題・文体は、単なる外側の観念の組み替えでなく、プシコ・イデオロギーの問題として考えていることが求められている。自我の原点としての日常性をくぐることをネグレクトせず、そこへたえず帰ること。
○ F.T.さんの指摘。文芸認識論の根本問題としての主題概念がはっきりしないから、教育も、教育界も混乱している、ということではないのか。


☆「国文学 解釈と鑑賞」の11月号
 「特集 太宰治研究のために」に熊谷先生の『太宰治――「右大臣実朝」試論』が紹介されています。ニュースでのお知らせが遅くなってスミマセン。



1990/12/26 459〜460

12月例会(12/8) 報告 H.M.


 3回も休んでしまった後の例会は、いつになくキツかった。やはり、例会は欠かしたくないものだ。
 この日もまず、「10分コーナー」の枠を広げて、熊谷先生が、「歴史と文学の会」(第6回)の模様を媒介してくださった。板書と要点を以下に――。
普遍の中の個と個人・個性            
はみだし・逃亡
階級と世代
時期区分
封建制
A. 〈普遍の中の個と個人・個性〉
1) 「江戸町人は近代自然派の人々のような個人意識を持っていなかった」というような考え(近藤忠義氏)に対して、「江戸町人が個人意識を全然持っていなかったと言うのはどうか」という疑問がTさんから出された。これは重要な問題提起だった。

2) 文学の認識は〈典型〉による認識だ。〈典型〉とは〈普遍の中の個〉ということである。文学は、利左・こよしなど、とくていの〈個人〉を描く。真の〈個人〉は、ある特定の社会の、ある〈世代〉の中の一人だ。だから、こよしを描くことは、こよしの〈世代〉を描くことであり、その〈せだい〉の共軛する問題がそこで探られるのだ。

3) ところで、同じ〈世代〉に属していてもそれぞれに〈個性〉があり、特定の〈個人〉の意識がある。近代になってから〈個人〉の意識が出てくるというのではない。利左やこよしは、特定の〈個人〉であり〈個性〉だ。近代的個性だけが個性だと考えるのは近代人のうぬぼれであり、それこそ私たちの否定すべき近代主義に外ならない。

B. 〈階級と世代〉の問題
1) 〈世代〉をおさえない作品論・文学論はナンセンスだ。単に〈階級〉の枠だけで考えるべきではない。又、〈世代〉は〈階級的世代〉としてのみあるのであり、〈階級〉抜きの〈世代〉は存在しない。顔をもった〈階級〉、それが〈世代〉だ。
 古代文学や近世文学にしても、やはり〈階級的世代〉を描いている。こよしは新興町人という〈階級〉の人間であるが、その“顔立ち”(世代)をこそ問題にすべきだ。

2) 「新興町人文学」という言い方にも問題がある。〈鎖国の中で特権門閥町人と対決し、民衆的自我に生きた新興町人〉と言うことはまちがいではない。しかし、百姓身分を否定して商人身分に自分を置き、農作物や土地や資本を独占していった人たち(三井のような)をも「新興町人階級」と呼んでいいのか。蔵原[惟人]や芥川の指摘(プチ・ブルへの着目)に学びつつ、文学を担ったのはどういう層であったか、検討したい。

3) 文学論・文学史論は宿命論・運命論ではいけない。たくましく明るい時代には“明るい文学”があり、崩れた時代には“崩れた文学”しかない、といった宿命論。そういう考えに立って、芭蕉を高く評価し蕪村はつまらないとする進歩的な文学史家も多い。しかし、没落の時期に、たくましいリアリスティックな句を作っている蕪村に注目すべきだ。「二村に質屋一軒冬こだち」 「商人を吼る犬ありももの花」 「やぶ入りの夢や小豆の煮るうち」……。ここには、怒っている蕪村がいる。一刻も早くこういうことがなくなるように、と思いつつ、蕪村は句を詠んでいる。こういう蕪村を説明するためにも、〈世代〉概念が有効である。

 (以上の熊谷先生のお話に関連して、司会のSさんから次のような発言があった。
 @ 普通、〈武士〉対〈町人〉と捉えがちだが、その〈町人〉概念は身分概念であり、〈新興町人〉は階級概念である。三井などは〈新興町人階級〉とは言えない。 A 封建制の成立を戦国期に見る時期区分論に立って、確立期・動揺期・解体期における〈新興町人〉のありようを探る必要がある。江戸前期・江戸後期という分け方はおかしい。 B 近世における〈新興町人二代目〉の視点と近代における〈教養的中流下層階級者の視点〉の視点的立場との関連に目を向けたい。)

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 後半は『芸術の論理』第U部の検討を行った。ポイントは次の二点、と言えようか。

1) 「風の上に星のひかりはさえながら わざともふらぬ霰をぞ聞く」という歌に示される定家の姿勢は〈リアリズム志向のロマンチシズム〉と言える。普通、定家はアンチ・リアリズムの歌人とされるが、それは現実をありのままに描くのがリアリズムだとする考えに基づいている。霰は降っていないが、現実以上の現実として“降っている”。霰が、描かれることを「命令」(p.120)しているのだ。描かれるべきものを描くのがリアリズムなのだ。古代から中世への変革期に、和歌文学に心の支えを求めて生きた〈定家的世代〉にとって典型の実現をここに見ることができる。

2) 熊谷先生の〈主題〉概念(p.169)は、国際的な見解を批判的に受け継いだものである。すなわち、「素材と共に与えられる、作品の内容的統一の契機」という考えは国際的に共通のものであり、それに不足を感じて、先生は「統一の契機としての思想内容」と付け足された。この「思想」とは、無論、「実感の体系」(p.111)のことだ。作家の意図を作品の主題と考える一般の研究の実態は国際的常識からの立ち遅れを示すものであり、主題を作品の中に封じ込められていると考えるのも誤りだ。私たちは、創造の完結者としての読者を含み込んだ〈主題〉概念に立って文学を考えていく。「芥川文学の地下水」(第V部)も、こうした〈主題〉把握に基づいて探られたものだ。


冬期合宿研究会 統一テーマ 
 階級論としての世代論

☆小学館 『日本の作家16 井伏鱒二』 (¥1,800)
 文教研の井伏研究について紹介されています。



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