むかしの「文教研ニュース」記事抜粋 1978 *例会ごとに発行されるニュースから、部分を適宜、摘記したものです。
▼1978/4/22 144
井伏鱒二『侘助』―4月15日研究例会―
15日の例会では、再び『侘助』をとりあげました。その時の討議の中で、強く印象に残ったことを断片的、メモ風にまとめてみました。きわめて個人的、あまりにも印象的であるので、本来、第一面の記事にはなりえないものですが、ニュース部編集局の都合により、掲載することになりました。検討はずれの要約であったら、文書でニュース部にお知らせ下さい。(S)
〈S氏のノートからの抜粋〉―熊谷先生の発言の要約―
(その一)「資料主義」と文学史のための資料操作とは全く違うもの。例えば、改稿の事実をどう理解するかなんていうことは、作者はそれによって、何を明らかにしようとしたか、何のためにわざわざ書き換えをしたか、それをはっきりさせることが大切なんだ。
(その二)「サマリー(summary)」「シーン(scene)」といった概念は本来、「自然主義文学」を説明する時に有効な概念なんだ。概念というものは、何となく作られるものではない。何かを、その時、明らかにしなければならないという必要から作り出されてくる“武器”なんだ。だから、その「何」を明確にしない限り、つまり、どのような武器でありえたかということにはならない。「サマリー」と「シーン」、これ井伏文学に必要なのかしら。
▼1978/6/10 146
井伏鱒二『かるさん屋敷』 5月20日例会
S氏のノートより転写
『かるさん屋敷』 歴史小説としての“信長”像の描き方について
〈新しい封建社会形成期の為政者〉…………………〈戦後社会〉 人間としておもしろみのある人間 | ・そういう生き方をつらぬこうとした時に生まれてくる倦怠・孤独(思索すること、考えることができる信長)
・また、そういう生き方をしているからこそ〈信長〉わかる治郎作。----- それと、読み手のどんなプシコ・イデオロギーとみあうのか。
☆「史実」からみた信長像〈歴史科学が追求した真実〉
☆Fictionのなかでの信長像〈歴史文学が追求した真実〉
道が違うのではない。目的が違うのである。奥の方の壁のむこうで、ほんとうは一致するものである。
井伏はなんで「信長」を選んだか。
――そりゃ本人にきいてみた方が早い……
――「秀吉」友「家康」とも違うところがある。
――資料は? 「フロイス 日本印象記」か。「信長公記」か。「吾妻鏡」か。
K.Kさんからの便り―全国集会申込みに添えて
先日、「文学と教育」(ニュース版)を送っていただき、本当にありがとうございました。大学の中で有志(五人)が集まり、毎月一回『言語観・文学観と国語教育』をテキストに勉強会を開いていますので、たいへん役立っております。
とりわけ、話題が井筒論文 (失礼。適切な言葉がみつかりません。)に集中しまして、熊谷講演をあれだけの文章にまとめるとはにくい!というのが皆の一致した意見でした。
簡単ですが感想とお礼まで……K
▼1978/9/23 147
1978年度 第一期(9月〜12月)研究計画 決定
その内容は別紙でご覧のとおりです。9月9日(土)の総会では、それをめぐっての率直な討議が行われましたが、以下はその時の熊谷先生の発言です。
この第一期プランを理解するうえで大事なことですので、その大意をまとめておきます。
★ 文学教育とは、文学的イデオロギーをはぐくむ教育のことである。
★ 文学がわかる――ということは、
――自分の文学的イデオロギーをまともなものにしていく営みの中で可能になる。
――「読みが変わる」ということは、学習を通してであるが、その自分の学習の在り方がまず基本にあって、その上で、授業における教授過程が変わってくる、ということになる。
★ 作品のすぐれた文学的イデオロギーは教師のすぐれた文学的イデオロギーを媒介することによって、読み手(生徒)の中に、すぐれた文学的イデオロギーをはぐくむことができる。〈文学研究と文学教育の統一〉
(文責・S)
▼1978/9/23 148
神教協・余話
武蔵坊 とかく 仕度に 手間がとれ
七福神 弁天のほかは みな かたはなり
馬盗人 盗んだ馬に乗って逃げ
宮芝居 百石ほどの工藤が出
神教協集会準備のため、神奈川グループ最終打合せ会をN邸にて持つ。
会員ら甲論乙駁……打合せに疲れたる時、電話のベル鳴る。
熊谷先生からなり。そして、上記の句を陣中見舞ひとして頂戴す。
T氏感じいつて、下記の句を以て答礼とす。(M)
武蔵坊 熊に逃げられ猿芝居
▼1978/10/28 149
井伏さんからの手紙
井伏鱒二氏から、熊谷孝氏、荒川有史氏宛につぎのようなお礼状が届きましたので、ご紹介します。
拝啓
好天に恵まれ結構です。老生、先日旅行から帰って、貴著「講演と對談・井伏鱒二」を拝読、愚作のつっかひ棒をして見せてもらってゐるやうな氣がしました。ずゐぶん御苦労だったらうと思ひます。
取敢ず御禮申上げます。
御清適を祈ります。 早々不一
十月三日 井伏鱒二
熊 谷 孝 様
拝啓
良い時候になって結構です。老生、先日旅行から帰って「さざなみ軍記論ノート」を拝読しました。あれを書いてゐるときの気持を思ひ出しながら、且つ楽しみながら読了しました。
御礼言上仕ります。 早々不一
十月三日 井伏鱒二
荒 川 有 史 様
びっくりするような うれしいこと ひとつ
西ドイツから福山市の本屋をとおし、熊谷先生の本(『井伏鱒二――講演と対談』)について40冊もの注文があったそうです。
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