文教研のプロフィール |
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文学教育研究者集団 夏目武子 委員長 その歴史 文学教育研究者集団(略称文教研)は、熊谷孝(一九一一〜九二)の文学観・言語観・文学教育観に共鳴し、その理論の継承・発展を目指して共同研究を続けているサークルです。創立以来、四十二年目を迎えます。メンバーの多くは小学校から大学までの教員(退職者も含む)ですが、もちろん学校教師以外の方も。入会のきっかけは、たとえば、熊谷の著書『文学教育』(一九五六年国土社)、『芸術とことば』(六三年牧書店)、『文体づくりの国語教育』(七〇年三省堂)、『現代文学に見る日本人の自画像』(七一年三省堂)、『芸術の論理』(七三年三省堂)などを読んでということになりましょう。 文学教育研究者集団――この、一見いかめしい名前の由来を知っていただくために、熊谷孝の戦後の活動(それは文教研前史にあたります)を、文教研ウェブサイトから一部転載させていただきます。 サークル生みの親であり、理論上のリーダーでもあった熊谷孝は、戦中、宮城県に疎開。戦後も教職に献身し、さらに生徒たちの兄姉弟妹たちとも、学校の内外において、創刊されたばかりの雑誌「世界」や「中央公論」、文学作品などを読み合い、若い主権者としての現実認識を確かなものにしようと、対話を重ねました。こうした活動は、『文学入門』(四九年学友社)、『文学序章』(五一年磯部書房)に反映されています。 公開研究集会は年二回 文教研の公開研究集会は、八月五日から七日までの八王子・大学セミナーハウスを会場とする全国集会と、十一月の日曜日に開催する秋季集会の二回です。全国集会は今夏で五十一回を迎えました。初期のころは、「文学教育理論の確立とよりよい実践をめざして」とか「子どもの主体性をのばす国語教育」、「国語教育としての文学教育」など、国語教育、文学教育を前面に出した統一テーマを掲げていました。二十回集会あたりから、「文学史を教師の手に――文学教育の原点をさぐる」「文学史を教師の手に――芥川龍之介から太宰治へ」「文学史を教師の手に――井伏鱒二と太宰治――戦中から戦後へ」などのように教師自身の文学研究に重きをおいたものになり、さらに、三十回以降は「日本近代文学における異端の系譜――井伏文学を中心に」「リアリズム志向のロマンチシズム――太宰治『右大臣実朝』を中心に」などのように、「教育」「教師」という言葉自体は前面に出なくなりました。が、創立以来、一貫しているのは、参加者と一緒に一つの作品を読み合うということです。一人の読者として、作品の文体と対話するため、そこに集まった仲間と場面規定を相互に押えながら、鑑賞体験を媒介し合い、それぞれの印象を追跡しなおすということです。 教室はさまざまな条件があり、目の前の学習者自身がその作品と対話できるような媒介者になるために、まず、教師自身、自己の感動の質を確かなものにしようということでもあります。「感動の分かち合い」を目指す一つの実践でもあるわけです。 二〇〇二年全国集会の統一テーマは「現代市民社会と文学 U――〈文体の喪失〉を越えて」。昨年度の「雪がなだれになる前に――現代市民社会と文学――芥川龍之介から大江健三郎へ」をさらに深めようとした試みでした。基調報告は@「戦後の近代主義との対決」(井筒満)・A「文体の喪失と回復」(佐藤嗣男)。ゼミナールは大江健三郎『芽むしり仔撃ち』(六日七日の午前・午後)、チューターは井筒満・高澤健三。夜は『「自分の木」の下で』を中心に大江文学をめぐってフリートーキングと、話し合いを重視したプログラムでした。 ゼミナールはチューター提案の後、一章ごとに立ち止まり、話題提供(朗読あり)の後、その章をめぐっての討論。いくら時間があっても足りないくらい、多くの意見交換がなされました。大規模な集会は最初から予定しておりません。全体討論ができる人数ということで、今年も適正規模というか、六十数人の参加でした。このゼミナールをはじめ、今集会のまとめは次号「文学と教育」(一一月刊)に掲載される予定です。 共同研究の成果 共同研究の成果をまとめた何冊かの著作を刊行しております。絶版となり、入手困難なものも含めますと、『文学の教授過程』(熊谷孝監修、六五年明治図書)、『中学校の文学教材研究と授業過程』(熊谷孝監修、六六年明治図書)、『文学教育の構造化』(熊谷孝責任編集、七〇年三省堂)、『芥川文学手帖』(熊谷孝編 文教研著、八三年みずち書房)、『井伏文学手帖』(熊谷孝編 文教研著、八四年みずち書房)、『太宰文学手帖』(熊谷孝編 文教研著、八五年みずち書房)、この他出版ルートに載せない自費出版のものが何冊かあります。 三冊の『手帖』シリーズに取り組んだことは、私たちの研究姿勢の自己確認でもありました。この『手帖』シリーズの編著者でもある熊谷の発言を紹介させていただきます。 「月例二回の研究会のうち一回は必ず芥川作品の検討会に当てる、というようなかたちで、私たちが芥川文学の共同研究に取り組み始めてから二年になる。その間、毎年三月と十二月に行われる二泊三日の合宿研究会では、何回かにわたって、〈戦後芥川文学研究史の批判的受け継ぎ〉という厖大な課題に取り組んだ。自分たちの作品論・作品評価が独善に陥ることを避けるための作業であった。今は、例会は、〈芥川龍之介から井伏鱒二・太宰治へ、そして戦後へ〉というかたちのものに課題の中心を移して来ている」。「芥川文学へのアプローチは、それまでに何年かにわたって私たちが取り組んできていた〈文学事象としての大逆事件〉というテーマや、それの関連テーマとしての〈冬の時代の鴎外文学〉という課題につなげるかたちで、鴎外の文学系譜を後続世代へ向けて探る、という課題的志向に基づく作業であった」。「佐々木基一の座談会での発言は、文学史に関する私自身の――それは多分、私たちの、といいかえても叱られないだろうと思うが――方法意識と共軛する点があるかと思う」。「佐々木の言うように、『初期から正常にたどって行って、作家の苦労なり努力なりを評価』すること、いいかえれば『その作家が――この場合、芥川が――一歩一歩何を実現』させて行ったか、そこに創造された新しさは何であったのか、ということを〈実践的〉に探る必要があるわけなのだろう。それを逆に、三十なん歳かで自殺したというところから、〈後向きの預言者〉的な絵解きの“解釈”をやってみたり、近代作家芥川龍之介を現代作家に引きずりおろして無い物ねだりするのは、これは文学史ではない」(熊谷孝『芥川文学手帖』)。 初期から順にたどる作品検討。テキスト・クリティーク。また、そこで確認された〈教養的中流下層階級者の視点〉に立つ文学系譜として文学史を構築すること、そのことは、〈現代史としての文学史〉として文学史をとらえることでもあり、後続の世代への連帯の呼びかけでもあること、等など、研究企画部を中心に進められている現在の共同研究に継承されています。 ご多分にもれず、会員も高年齢化の傾向にあります。が、かつての青年教師の情熱は脈々と生きつづけております。公開研究集会に参加した大学生・高校生が、真剣に議論している大人の姿に心うたれた、励まされ元気が出た、などと感想を語ってくれました。 毎年、全国集会プログラムに掲げている私たちのサークルからのメッセージは―― 文学史を教師の手に |
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