文教研のプロフィール |
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母国語文化との出会いを大切に――文学教育研究者集団 荒川有史 国立音楽大学教授 1 創立の初心 文学教育研究者集団(略称 文教研)は、一九五八年一〇月に発足しました。 『文学と教育』創刊号では、〈私たちのしごと〉を次のように位置づけています。――「とくに、学校教育の面において文学教育がおしゆがめられようとしている、こんにち、私たちは、まず《国語教育のなかに文学教育を明確に位置づける》ことから、仕事をはじめていきたい。当面の課題をそこに求めて学習活動をつづけると同時に、一方では、たえず、学校教育のワクを越えたところで活動をおし進めることで、《明日の民族文学創造の基盤》を確かなものにしよう、と考える」云々。鑑賞・文学史・文学理論・表現などの学習領域が相互に支えあいながら展開される文学教育活動の究極のねらいを、〈明日の民族文学創造の基盤〉づくりに求めた、と言えましょう。 ところで、そうした基盤づくりも、教師の主体を通したいとなみ なしに実現できるものではありません。いつ、どこの、誰に向けても有効な方法などありえない、という判断から、私たちは自己の言語観・文学観の問い直しを始めました。 第二期の一九六〇年代は、第二信号系理論の摂取による自己変革の時期、であります。いわば、いそがばまわれ、の格言を地で行くような、学習の継続でした。誰にでもできる文学教育を志向しつつ、一方、文学教育は誰にでもできるのか、を追跡し続けた十年間であった、と思います。文学を必要とせず、文学作品に親しむこともなく、未来をになう子供たちの媒介者になりうるのか、という問いかけが根底にあったのです。 その後、一九七〇年前後からの十年間は、〈文体づくりの国語教育〉という発想を自覚し、実践する時期となりました。〈母国語教育としての文学教育〉を、〈文体づくり〉という切り口から、深めよう、というねらいでもありました。 文体に定着を示している自己の現実認識のありよう、それを問い直し、変革していく作業は、否応なしに、すぐれた文体とは何か、という問い返しを喚起しますし、文体創造に基盤とその歴史に注目せざるを得なくなります。〈文学史を教師の手に〉というねがいやよびかけの中から、〈現代史としての文学史〉という発想も生まれてきました。森鴎外、徳冨蘆花、芥川龍之介、井伏鱒二、太宰治などと取り組む十数年が続きます。 この取り組みの中から、あるいは並行して、古典としての西鶴、芭蕉、近松、秋成、蕪村、親鸞、定家などの再発見がありました。母国語文化としての再発見であります。 それは、また、小・中・高・大学を見通した教材体系の追跡と、整理・再整理の過程であります。さらに、文学教育の方法としての〈印象の追跡〉を、具体化し主体化する過程でもありました。 二〇人で出発した仲間が五人になり、また七人になり、今、三五〇名の仲間を数えるようになりました。 2 文教研は、いま、何を 右のような取り組みを積み重ねる中で、文教研の生みの親、育ての親とも言うべき熊谷孝先生と永別するときがやって参りました。一九九二年五月一〇日のことであります。今は、熊谷理論の核心を継承し主体化しつつ、文教研が一つの集団として飛躍する時期を迎えています。 その指標が、毎年八月上旬、東京都八王子市の大学セミナー・ハウスにおいて行われる〈私の大学〉文教研全国集会と、秋の一日集会(不定期)です。 全国集会は、ことし43回を数えました。〈母国語文化の画期――井伏鱒二・文学史一九二九の意味〉という切り口から、文教研の課題を追跡いたしました。〈文学史を教師の手に〉というよびかけは、毎年、次の一文を集会案内の第一面にかかげます。 「“文学教師”――それは、自身に文学を必要とし、また、文学の人間回復の機能に賭けて、若い世代の“魂の技師”たろうとする人々のことである。そういう人々の中には、当然、学校教師もいるだろう。当然また、人の子の親や、兄や姉もいるだろう。限界状況の一歩手前まで追い込まれた、日本の社会と教育の現状は、今、まさにそうした人々の文学教育への積極的な参加を求めている」云々。 集会は、二部構成で考えました。列記すると、次のとおりです。 T 母国語教育の課題『文学と教育』一六七号(一九九四年一一月刊)は、第43回全国集会の総括特集になっています。ご一読をいただけるなら、さいわいです(年間四冊、送料とも二四六〇円)。 ことしの秋の集会は、一九九四年一一月一三日(日)、川崎市の中小企業・婦人会館でひらかれました。課題は、〈“読み”の楽しさ・むずかしさ――母国語文化との出会い〉です。よびかけの一文は、現時点における文教研の姿勢を示しています。 3 文教研の姿勢 よびかけの全文は、次のとおりです。 すぐれた文学作品には、未来のさきどりにおいて人生の真実が表現されています。成人文学と児童文学とを問わず、すぐれた文学作品は、読み手に自己凝視と自己変革を促さずにはおきません。文学による“人間回復”――本当の楽しさがそこにあります。 こうした文教研の姿勢を、さらに深く知りたいと思われる方は、次の著作が参考となるでしょう。 (1) 熊谷孝 『文学教育の理論と実践 日本児童文学大系 6』 三一書房、1955年10月 4 展望 第四四回全国集会は、芥川、井伏文学の総括をふまえ、〈太宰治と西鶴〉という課題に。 |
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