文教研のプロフィール |
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教育荒廃の今日的状況を、戦後史――とりわけ、民主教育抑圧のこの四半世紀の戦後教育史の中に正当に位置づけて考えることをしないような、教育論のいっさいを、私たちは信用しない。それが教科教育論であれ、また学校・学級経営論であれ何であれ、そのようないっさいの教育論に対しては不信の意を表明せざるを得ない。そのような、歴史に背を向けた教育観・教育論に立っては、真に民主的な、民族の後続の世代をはぐくむことは不可能だからである。 教育の荒廃とは、もともと、民主教育(=平和教育を前提とした人間教育)の疎外・喪失・不在の教育状況そのもののことであろう。つまり、核状況下の民主教育の危機の問題にほかならない。 文学の教師が真に文学教師であるためには、常時、こうした悪現実と闘わなければならない。平和教育=人間教育そのものである文学教育の、最も実践的な担い手である文学教師としての闘いである。 ここにいう文学教師――それは、自身に文学を必要とし、また、文学の人間回復の機能に賭けて、若い世代の“魂の技師”たろうとする人々のことである。そういう人々の中には、当然、学校教師もいるだろう。当然また、人の子の親や、兄や姉もいるだろう。限界状況の一歩手前まで追い込まれた、日本の社会と教育の現状は、今まさにそうした人々の文学教育への積極的な参加を求めている。 〈委員長〉 福田隆義 |
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