文教研のプロフィール |
|
|
|
|
|
〈文学史を教師の手に〉という言葉に自分たちの研究姿勢を託したのは、一〇年前のことである。以後、一貫して、文学教育に携わる教師自身の人間主体の確立をめざして、芥川・井伏・太宰・鴎外・透谷などの文学と取組んで来ている。というのは、これらの文学が現代につながる日本的近代の疎外の根源に目を向け、それとの対決と克服を自己の課題とした文学であるからだ。 小学校教育の担当者から大学教育の担当者までというふうに、会員の幅は広い。小・中の教師の場合、直接自分の現場の教材にはなり得ないような作品も少なくないにかかわらず、これらの文学の研究にやはり情熱を燃やし続けているのは、実は自分の現場の仕事に責任を持とうとしているからなのだ。 あらゆる教育の営みがそうであるように、教師の人間を通さないことには、国語教育としての文学教育も不発に終わるほかはない。そこに要求されるのは、民主教育の今日的課題を理論的・実践的に見極め得るような、教師の人間主体の確立である。国語の教師、文学の教師の場合、ハッキリ自分のものといえるような言語観(母国語観)、文学観を持ち得てこそ、まともで確かな教科教師としての方向感覚を身につけることもでき得るわけだろう。そこで、いわば、文学教育に携わる教師の資質と条件づくりをめざして、私たちは私たちの研究会を、(ゴーリキイのひそみにならって)〈私の大学〉と呼び、その一回一回を大切に扱っている。 ここ数年来、研究の対象領域を拡げ、逍遙・四迷・鴎外・透谷・芥川・蔵原(惟人)などの評論と取組み、文学理論を媒介することで、作品の文学史的把握をいっそうダイナミックなものにしようと試みている。こうして文学史のつかみ直しの共同作業を重ねることで、小学校から大学教養課程に至る、一貫性を持った教材体系の編成の実現をめざしているわけなのだ。小・中・高・大と現場を異にする会員が、全員でたとえば小学校低学年に教材化可能な作品を選択・検討する、といった作業行程なのである。 ところで、直接学習者に接する授業の場を私たちはもっとも重視する。直接自分が責任を持たねばならない、目の前の子どもや若者たちの可能性を発見し引き出し、それを伸ばすために、自分が研究例会の場でつかみ取ったものを引っ提げて、学習者に教材化作品を媒介するのである。徹底的にその媒介の作業を行うのである。その作業が、それまでの授業を発展的に受け継ぐかたちで、また事前の綿密な授業の準備を前提とするものであることは、いうまでもない。七〇年代の私たちのこうした営みがまた、八〇年代においても、絶えざる自己反省のもとに持続・継続されて行くことになるのである。 |
|
(夏目武子) | |
|
|
‖文教研のプロフィール‖文教研の歴史‖年表・文教研史‖文教研(理論・運動)史関連記事一覧‖ |