文教研のプロフィール

1974年1月 日本民間教育研究団体連合会編「日本の民間教育」季刊bP(1974.1.30)掲載 
小特集「私はなぜ民間教育運動に参加するか」のうちの一編。
会員個人の立場で書かれた文教研プロフィールとしてとりあげました。


連帯を求めつつの教研活動  杉浦寿江

「日本の民間教育」bP
 教師になって数年になるが、私は別に理想に燃えて教師になったわけではなかった。大学時代、ろくに勉強しなかったのだが、卒業の時期が近づくにしたがって、“文学研究”がだんだんおもしろくなってきた。その国文学に、すこしでも関係のある職業と思い、教職についた。言ってみれば、“教える”ということにはほとんど興味をもっていなかった。
 実際、生徒の前に立っておおいにとまどった。第一、教科書の文章の個性のないこと、退屈なこと、私がおもしろくないと思っているのだから、生徒がおもしろいと思うわけがない。大学時代、文学史で漱石の講義をきいて感激した時のこと、ゼミでいろいろな近代作家に接してみて刺激された時のこと、芭蕉に魅せられた時のこと、あれこれ思い出しては、こんなはずではなかったという思いを強くするばかりだった。
 だいたい『国語』という教科は、何を、どう教えるべき教科なのか。理屈のうえでもわからないことだらけだ。ことばを教えるといっても、ことばだけが独立しているわけではない。ものの感じ方や考え方と離れて、ことばの使い方を教えられるものかしらという疑問……。教科書にはさまざまの文章が単元ごとに並んでいる。けれども、相互の関連性、テーマの共通性ということを考えると、並べ方に必然性がない。せっかくある小説を読み合って友情について考えはじめても、つぎにはまったく関係のないテーマを語らなければならない。一年でこれだけはやっておきたいということがない。要するにどっちでもいいのだ。『国語』――わからない! 国語の教師になったことを後悔した。困ってあちらこちら探ね歩くうちに、文学教育研究者集団(略称「文教研」)と出会った。“文体づくりの国語教育”、はじめはかいもく見当がつかなかった。ただ、友人の紹介で会員のNさんに会った時、Nさんの緊張感、迫力のようなものに惹かれ、すこし首をつっ込んでみようという気になった。
 今思うと、あの時、文教研を知ったということは、私にとって、何か運命的なことだったような気がする。もし文教研と出会わなかったら……、そう考えただけでも、自分の混迷が思いやられ、疲れてくる。

    国語教育とは

 文教研にはいってはじめに教えられたのは、国語教育とは何かということである。自分自身の文体をもった、主体的な人間を育てる、そのためにすぐれた文体の文章をぶつける、そして格闘させる。教師はそのとりもち役であるということなのだ。“読み書き算盤”式の、とにかく文章を理解できなくてはしようがない、といった安手の国語教育論に対して、何と現実的で、ダイナミックな発想だろう。“文体”ということばを自分がかなり不正確に使っていたことも知らされた。
 実際に、優秀で国語のテストをしてもよく点をとる男の子がいたが、全然、私はその子に満足できなかった。文章を書かせると、きちんと整った文章を書くが、ことばが空転している感じがしてしかたがない。それにくらべて、テストの点はいつも最低なのだが、“おとうさんは時々よっぱらって帰ってきます。そんな時、私は切ないです”と書いた女の子の“切ない”ということばがなんと身に迫ってひびいてきたことだろう。自分の主体を素通りする形でいくらことばを覚え、使えてもだめなんだ、それは、ことばの働きから言って、大事なことが欠けているのだということがわかってきた。
 私は文教研理論にすっかりまいってしまった。理論的な面ばかりでなく、実践がまたすばらしい。「スーホの白い馬」をやった例会は忘れられない例会の一つだ。子どもの文学についてほとんど知らなかったこともあるが、ただなつかしいとか、かわいらしいとかいうのでなく、骨のある、感動的な作品を発掘していて、しかも、どんどん教室に持ち込んでいることに驚きを感じた。そして、実践的なことでは発問を大事にし、おさえるべきポイントはおさえるが、一律に“こうして教えたらよい”式の技術的な型にはこだわらないことも、私の惹かれたことの一つだった。だから、最終的な授業のあり方は、教師の読みが決定することなのだ。ついでだが、そのとき教科書のひどさも思い知らされた。「スーホの白い馬」がM社の教科書に載っていたのだが、福音館の大塚勇三訳のものと同じ作品かしらと疑いたくなるほど違うのだ。“おばあさん”が“おかあさん”になっているし、キラッと光るものがなくなってしまっている。ひどく平板だ。教師が不勉強だったら大変なことだと思った。

    教師は媒介者

 教師は勉強し続けなければならない。それはわかるが、ではいったい教師は国語教育においてどんな役割を担っているのだろうか。作品を生徒に媒介する役割。作品と生徒が対話をする時の案内人。それまで、私は、作品が良ければ作品が生徒に語りかけるものと思っていた。だから、一級品を与えれば、その作品と肌の合う生徒は読めばわかるだろう。教科書用の書きおろし作品ばかりでなく、一級品を与えればなんとかなる、そう思っていた。
 ところが、文教研の財産になっているような作品でも、一読してみてさっぱり良さがわからないということが時々あった。片や、これぞ私の文学ということで教室に持ち込み、生徒をも感動させているというのは、私は少しも動かされない。一つの作品が間に立つ教師によって、まるで別の顔をして生徒の前にあらわれる。私の“一級品”論もはなはだ心もとないものとなってしまった。教師は、誤読しないように注釈を加えていればよいのか。いや、媒介とはとてもそんななまやさしいものではなかった。“媒介する”、それはまさに教師の主体性を問うことからはじまり、教師の主体的な読みがすべてを決定するのだということ、これはぞっとする確認だった。
 文学は実感でしか読めない。けれども自分の実感は絶対不変のものかどうか。また自分の実感はどんな質のものなのか。そりゃいつかは変わるだろうし、自分はそんなにひどい文学オンチでもないからいいだろう、そうも思った。しかし、ひとりで暇にまかせて小説を読み耽るならそれでもいいが、五〇名、いや時には数百名に自分の読みをおしつけるのが教師ではないか。自己の実感に固執していてよいのだろうか。自分に対する疑問はふくらんでいくいっぽうだった。教師は密室での読みに寄りかかっていてはけないのだ。文教研は逃げる私をひっとらえて、このことをたたき込んでくれた。例会に出るたびに、自分の読みの甘さ、不確かさを知らされた。つまり、文学を読むとは自分という人間をつくっている皮を一枚一枚確かめることに外ならなかったのだ。

    文学とは何か

 私が国文学を専攻したのも、このことを考えたかったからだ。これまでも、自分なりに問い続け、考えてきてはいた。けれども、そもそも文学のよってたつ言語とはいったい何なのかということを、第二信号系理論によってしっかりおさえたうえで、文学とは何かを探る文教研の、その問い方がダイナミックで緻密ですばらしいと思った。例会を重ねるうちに自分の言語観、文学観は修正されざるを得なかった。そして、私は文学を読んだ時の自己の実感も変化してきていることをはっきり感じるのだ。“私の文学”が変わってきつつあることを感じるのだ。芥川文学というと弱くて作りものめいていて、あまり好きではなかったが、「芋粥」その他多くの作品を文教研で読み合ってくるうちに、芥川への好悪の感情も変わってきた。非文学的な読み方をする傾向がある自分自身のクセも、ある程度自覚できるようになった。そして、文学を読むことの楽しさ、厳しさがもう一つ深いところで感じとられるようになったという気がする。

    文教研に支えられて

 自分が痛切な思いで読んだ作品、たとえば「芋粥」をぜひ生徒に読ませたいと思う。そして、ああこれが文学教育の出発点なのだと実感するのだ。胸をつきあげる熱いもの、これは仲間と読み合ってきたのだから、決してひとりよがりのものではないという自信もある。一面ではどうしようもないようなこの現代を、連帯を求めつつどう主体的に生きるか、教育するかということだけを気にして、私たちは教研活動をしている。かっこいい授業などは考えない。ここにこそ民間教育運動の存在価値と発展のカギがあるのではないか。この出発点における純粋さを源泉とする民間教育運動を大事に育てていくためにも参加していきたいと思う。
(文学教育研究者集団)
  

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