文教研のプロフィール

1969年1月 文教研著『民族の課題に応える 文体づくりの国語教育』(第17回全国集会記録集)所収  


十年の足跡   福田隆義


 文教研創立のころ
 集団の発足は一九五八年一〇月で、すでに一〇年と二ヵ月のの歴史がある。が、人間関係をたどって、もっと遡ることもできる。文教研の母体は、戦後まもない頃から、熊谷孝氏を中心としてうまれたサークル「広場」や、同じ熊谷氏が講師であった「全国青年教師連絡協議会」の「文学教育部会」にあった。
 当時は「勤評闘争」のさ中、他方「道徳教育実施要綱」「学習指導要領改訂案」(三三年版)が提示され、論議をわかせていた。そうした背景のなかで、前記、熊谷氏を中心とした、文学を愛し、文学教育を大事にしようと願う仲間たちで結成されたのが、わたしたちの集団「文学教育研究者集団」である。
 当然のことながら、わたしたちは「学習指導要領改訂案」の検討から研究活動を始めた。何十回となく討論を重ねて得た結論は、世上一般の批判のように、語句の入れかえや、部分の修正ではまにあわない、その根底にある、「言語観・文学観」から考えなおす必要があると結論された。こうした結論から、いきおいわたしたちの研究は、私たちの言語観・文学観の確立にむかわざるをえなかった。原点にたちかえって、国語教育・文学教育を構想しようというのである。
 そこでわたしたちは、会の創立宣言に「明日の民族文学の基礎をつくること」を究極のねらいとするが、当面は「国語教育のなかに文学教育を明確に位置づける」ことから仕事を始める、とその仕事と方向を明示して研究活動にとりかかった。

 年表 ――公開研究会テーマ――
  はじめに、わたしたちが公開してきた研究集会のテーマを、年表ふうに列記してみよう。

    一九六〇・四  文学教育理論の確立とよりよい実践をめざして (都下・小金井市)
    一九六〇・八  子どもの認識をはぐくむ国語教育 (日本青年館)
    一九六一・四  コトバと認識――第二信号系理論の視点から―― (墨田・業平小)
    一九六一・八  第二信号系理論とその実践 (京都・宮津)
    一九六二・五  国語教育としての文学教育 (都下三鷹市・明星学園)
    一九六二・八  国語教育への反省と授業改造 (山中湖)
    一九六三・四  コミュニケーション理論と国語教育 (法政大学)
    一九六三・八  たしかな文学教育をすすめるために (千葉・館山二中)
    一九六三・一二  集団主義文学教育の理論による指導体系の構想 (都下・阿佐ヶ谷)
    一九六四・三  文学教育の体系化 (都下武蔵野市・エルム荘)
    一九六四・一二  文学教育の順次性 (都下・武蔵野公会堂)
    一九六五・四  発達と文学教育 (都下三鷹市・明星学園)
    一九六五・八  文学の教授=学習過程 (都下・武蔵野公会堂)
    一九六六・八  文学の授業をどうすすめるか (都下・武蔵野公会堂)
    一九六六・八  文学の授業をどうすすめるか (宮城・池月小)
    一九六七・八  子どもの内がわからほりおこす文学の授業 (千葉・館山二中)
    一九六八・八  子どもの主体性をのばす国語教育 (横浜・神奈川教育会館)

 以上、十七回におよぶ集会を公開してきた。

 準体験理論の摂取
 文教研創立期(一九五八~一九六〇)に、まず導入したのが、熊谷孝氏らの「準体験理論」(「文芸学への一つの反省」 一九三六『文学』)であった。この準体験の概念は、当時文芸学の主流であった「追体験理論」に対する、アンチ・テーゼとして提起された概念である。
 がしかし、この「準体験理論」は、たんに文芸学の基礎理論にとどまらず、当時ファシズムの御用哲学であった「生哲学」批判の理論でもあった。つまり、追体験理論が同化の理論であり、そのゆきつくところは、「己を虚しゅうして上御一人に帰一し奉る」という「無の理論」に帰する。それに対し、準体験理論は、変革の理論である。仲間の体験をくぐることで、自己の変革をというのである。
 わたしたちは後に、戸坂ゼミ(『日本イデオロギー論――現代日本に於ける日本主義・ファシズム・自由主義・思想の批判――』戸坂潤全集 第二巻所収・勁草書房刊)で、生哲学から導き出された追体験理論が、いかに民族の進路を誤らせたかを知った。と同時に、準体験理論のすばらしさを確認しあった。
 なお、創立期にわたしたちがどういうテーマで、この理論を学習していたかを知っていただくために、機関誌『文学と教育』所収論文・報告要旨から二・三紹介しておこう。
 「改訂・学習指導要領(国語科)の問題点」(創刊号) 「国語教育の機能的本質と役割」(№2) 「仲間の体験をくぐるということ――科学と文学との二つの軸から――」(№4) 「文学と科学――その方法と対象――」(№6) 「追体験と準体験」(№12) などなどである。
 こうした原理的な学習をふまえ、国語教育を直接問題にした論文に、熊谷孝氏の「国語教育としての文学教育」(『文学と教育』№5、№36に再録)と「国語教育の基本路線」(『生活教育』一九六〇・一二月臨時増刊号)がある。改訂学習指導要領を批判したわたしたちに、わたしたちの国語教育に対する展望を与えてくれた論文である。つまり、言語現象からわりだした学習指導要領方式の「話す・聞く・読む・書く」という教科構造ではなく、ことばの認識機能に即した教科構造への展望である。前記、一九六〇・四月、および、八月の公開研究集会では、この考え方を提案し、ご批判をいただいた。

 第二信号系理論の導入
 公開研究会のテーマとして、第二信号系理論をとりあげたのは、一九六一・四「コトバと認識――第二信号系理論の視点から――」が、はじめてである(前記年表参照)。が、文教研で最初にこの理論を問題にしたのは、一九五八年刊『国語教育の実践』(国土社)の熊谷論文「国語教育と文学教育」および「文学教育の展開」である。
 当時、わたしたちは、この理論を国語教育の即効薬・特効薬と思いこんで、精力的に学習した。が、その結果、この第二信号系理論は、国語教育の即効薬でも特効薬でもないということがわかった。しかし、この理論は、国語教育だけでなく広く認識論の基礎理論であり、わたしたちには欠かせない学習の対象である、ということもわかった。
 第二信号系理論→伝え理論への媒介→メディア観・言語観の変革→授業の反省と方向指示、というかたちでしか現場には結びつかない。それを具体的に提示したのが、熊谷孝著『芸術とことば――文学研究と文学教育のための基礎理論――』(牧書店刊・一九六三年)である。
 つまり、この理論は、わたしたちの主張してきた準体験理論の正しさを裏づけてくれた。仲間の体験をくぐるという人間の反映活動は、いかにして可能になったかの生理的な根拠を与えてくれたのである。いうなら、人間の思考の発生や認識活動とことばとの関係・関連を解明する手がかりを、大脳生理学の立場から提起してくれた。ということは、この理論によって、反映論の正当性、唯物弁証法の正しさが立証されたことを意味する。この第二信号系理論を媒介することで、準体験理論はより精緻になった。
 なお、この段階の文教研で、精力的に学習したものに、デューウィの『経験としての芸術』(春秋社刊)がある。そこでは「表現」と「表示」のちがいなどの指摘に学んだ。仲間の体験をくぐることなしには表現にはなりえない、表示の段階にとどまる。こうした整理をすることで、準体験理論はより説得性をもってきた。

 文教研著『文学の教授過程』
 文教研は、その名が示すように文学教育研究者 の集団である。右に述べたように、論理的な追求を第一目標としてきた。教室での実践は、そのうえにたってめいめいが考えることだ、という姿勢がどこかにあった。文学にしても「わたしの文学」をあいことばに、直接の教材より、自分自身の文学、ないし、文学観をということが中心課題であった。したがって、「西鶴」「太宰」「芥川」……といったゼミ形式の研究にウェイトがかかっていた。
 一九六三年、館山集会は、そうした文教研の体質に、若干の変化をおこさせる転機になった。集会に参加した仲間の要望もあって、研究団体であると同時に、運動団体としての側面も正面にうち出す必要を痛感した。ということは、文教研理論が国語教育界で占める役割が高く評価され、一般の関心をひいたということでもある。わたしたちとしても、その要請にこたえざるをえなかった。また、実践面でも、その要請にこたえるだけの実力のたくわえがあったし、指導要領や教師用指導書を徹底的に批判したわたしたちろしては、それに対決する指導体系をうち出す責任も感じた。
 そこで、一九六三年、六四年、六五年と「文学教育の体系化」を中心テーマに、実践の整理を下。そして、一九六五年『文学の教授過程』(明治図書刊)を世に問うた。さらに、その反省のうえにたって、一九六六年『中学校の文学教材研究と授業過程』(同)を出版した。
 また、活字活動をとおして特記しなければならないのは、前記二著と併行して(一九六五・一九六六年)執筆した、熊谷孝氏の『国語教育』(月刊・明治図書)の「国語教育時評」である。が、ここでは紹介するだけのスペースがない。(必読論文解題・その2参照)

 日教組教研と文教研
 右にみてきたような、活字をとおしての運動と同時に、日教組教研をグランドとした教研活動も併行させてきた。文教研から、正会員として全国教研への初参加は、第十次(東京集会)であった。その後、鹿児島・福井・三重・新潟と参加しているが、具体的には機関誌『文学と教育』でご承知ねがうことにし、ここでは機関誌に掲載された主な論文・報告の紹介にとどめる。
 №19「教研全国集会・国語分科会に参加して」(荒川有史) №23「第十一次全国教研集会・国語分科会に出席して」(蓬田静子・佐伯昭定) №32「第十三次日教組研究集会からの報告」(下沢勝井) №37「全国教研参加の記――信号としてのことばを軸に――」(夏目武子) №43「十六次全国教研国語分科会報告――原理にたちかえって考えること――」(夏目武子) №50「飛躍的な前進――やっぱりそこには前進がある――」(夏目武子)などである。
 いずれも、ことばの認識機能から構想した、教科構造を提案しつづけてきた。

 文教研のスプリング・ボード――『言語観・文学観と国語教育』――
 いうまでもなく、熊谷孝著(一九六七年・明治図書刊)である。
 熊谷氏は「まえがき」のなかで「この本は、前著『芸術とことば』の論旨を発展させると同時に、それを国語教育の理論に具体的に組みこんだこと」云々と述べている。
 たしかにこの書を手にしたときは、ショックであった。第二信号系理論の新しい整理、先行体験の問題、などなど。わたしはここで、もう一度この書を読み返すことを提案したい。この『言語観・文学観と国語教育』を消化しきることで、はじめて学習指導要領の言語観・文学観も批判しきれると思うのである。
 文教研のメンバーのひとりひとりが、この論理を自分のものに組みこむことで、文教研の飛躍が約束される。(必読文献解題・その1参照)
 また、この『言語観・文学観と国語教育』の学習と併行して、わたしたちはサルトルの「想像力理論」や、フランス「構造主義」などの学習をした。いうなら、文教研理論を国際水準で確かめてみたのである。そのことによって、わたしたちの理論はより精緻になると同時に、さらに自信を深めた。
 こうした学習から、新しくうかびあがってきたのが、「教材群・教材体系」の問題であり、「文体づくりの国語教育」という問題である。さらに、文体づくりの方法としての「総合読み」などが、実践的な課題として検討されつつある。が、問題は広く、そして、深い。文教研の現メンバーはもちろん、おおぜいの仲間の協力を切望する。

 もう一つの実践
 文教研の本命は「研究」にある。が、しかし、昨今の情勢はそれを許さない。なかでも昨年(一九六七年)末の「小学生にも国防意識を」という灘尾文相の発言には我慢ができなかった。他の民主団体に先がけて、抗議声明をだすと同時に署名運動を展開した。そして、その一次分は本年(一九六八年)四月、福田委員長、佐伯・夏目両副委員長と、荒川事務局長で文部次官に手渡ししたし、この運動は今なお継続中である。
 文教研の本命は研究にあるといった。がしかし、今や文教研は、運動団体としても大きく成長した。本年五月民教連への加盟も、その一環として位置づける。そして、その運動意識のささえとなっているのが、指導要領のよってたつ理論「追体験理論」を批判した、「準体験理論」であることをつけ加えておく。
(ふくだ・たかよし/武蔵野・桜堤小)



文教研のプロフィール文教研の歴史年表・文教研史文教研(理論・運動)史関連記事一覧