文教研のプロフィール |
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(サークルだより)文学教育研究者集団
代表 墨田区立業平小学校内 福田隆義 事務局 三鷹市牟礼明星学園内 荒川有史 機関誌 『文学と教育』 1 発足 集団の発足は、一九五八年の十月です。それは、勤評闘争のさ中、他方「道徳教育実施要綱」「学習指導要領改定案」が提示され論議をわかせていたときです。そうした背景の中で“わきおこった”とでもいいたい誕生をしたのがこの会です。 私たちは、会の創立宣言に《明日の民族文学の基礎》をつくることを究極のねらいとするが、当面は《国語教育のなかに文学教育を明確に位置づける》ことから仕事をはじめる、と、その仕事の方向を明示して研究活動にとりかかりました。 当然のことながら「指導要領改定案」の検討から始めました。何十回となく討議を重ねて得た結論は、語句の入れかえや、部分の修正ではまにあわないということです。その根底にある、言語観・文学観から考えなおす必要を痛感したわけです。 こうした結論から、いきおい私たちの研究は、私たちの言語観・文学観の確立に向かわざるを得ませんでした。人間が成長発展してきた歴史とコトバの関係・関連、個々人として完成していく過程で果たすコトバの役割、或いは、科学と芸術(文学)の対象と方法、そこではたらくコトバの機能、そうした分析から導き出される、芸術的認識論などなど、二年間の討議を重ね、いちおうの結論を得ました。 2 研究と運動のあゆみ こうした地道な研究活動のなかで、私たちに明かるい展望を与えたのが、熊谷孝の《国語教育の基本路線》(『生活教育』一九六〇年一二月臨時増刊)です。 私たちが、こうした見通しをつかんだ、ちょうどそのころです。“誰にでもできる文学教育”というキャッチフレーズで、現場迎合の方向性を欠くブンガク教育が、あたかも、文学教育の停滞・不振を打開するかのような主張がありました。私たちは、そういう現場主義的な考え方に対して憤りを感じました。そして、一九六〇年四月、もろもろの文学教育の壁を打ち破りたい、という願いをこめて飛躍を試みました。 具体的には @毎月二回の研究例会をさらに充実すること A研究成果の公開 B活字活動の積極化などがそれです。ちなみに月例会のテーマをいくつかひろってみます。(以下、実=実践 理=理論 作=作品研究) 実 『一寸法師』をどうあつかうか 理 芸術の認識と科学の認識 実 『二十二夜待ち』(民話)を実践して 作 『大晦日はあわぬ算用』〈西鶴〉 理 『第二信号系理論と国語教育』〈波多野完治〉をどう読んだか 実 『ごんぎつね』〈南吉〉を実践して 理 表現とは テキスト『経験としての芸術』〈デューイ〉 実 長編小説の与え方 理 ことばと生活体験 テキスト『芸術とことば』〈熊谷孝〉 実 入門期文学教育―絵本の与え方― 理 第一信号系と第二信号系のあいだ 実践・理論・作品研究を、たえずつきあわせるなかで得た成果は、次のようなテーマで公開してきました。 (1960年) 四月 文学教育理論の確立とよりよい実践をめざして(都下・小金井) 八月 子どもの認識をはぐくむ国語教育(日本青年館) (1961年) 四月 コトバと認識―第二信号系理論の視点から―(墨田・業平小) 八月 第二信号系理論とその実践(京都・宮津市) (1962年) 五月 国語教育としての文学教育(明星学園) 八月 国語教育への反省と授業改造(山中湖) (1963年) 四月 コミュニケーション理論と国語教育(法政大学) 八月 たしかな文学教育をすすめるために(千葉・館山市) なお機関誌『文学と教育』が体裁を整えてきたことはもちろんですが、本誌『国語教育』に掲載された論稿だけでも左のようなものがあります。参照いただければ幸いです。 熊谷孝(9・3・27・28・43・48・61) 寒川道夫(5・9・45) 荒川有史(32・35・61) 福田隆義(35) 鈴木勝〈松戸一中〉(34) 川越怜子(〈森村学園〉(35) 夏目武子〈横浜大綱中〉(43) 蓬田静子〈荒川三瑞小〉(44) 河野玄〈法政大学〉(55) 以上が私たちの足どりです。こうした公開研究会や、教研集会に積極的に参加することで、私たちは全国に仲間ができました。館山集会は、山中湖集会で会員になったばかりの土橋保夫(神戸小)が中心になった“安房文学教育の会”が組織してくれました。鳥取からかけつけた、津村武は「1000キロの距離をうめ、はたいた財布うめてもらった思い」と言い残して帰りました。そして、さ来年は鳥取でと、さっそく組織づくりにかかっています。六四年八月集会は、宮城の千葉一雄〈池月小〉がすでに準備をすすめています。こんなすばらしい仲間たちと呼応して、東京グループでもますます張り切っています。 3 さらに飛躍するために 私たちの究極のねらいは《明日の民族文学創造の基盤》を確かなものにすることだと考えます。そのためには @みずからが文学を愛好し、常に文学観念を変革していくこと 読み返すたびに、新しい感動を覚える文学作品の秘密はどこにあるのでしょうか。私たちはそれを探りたい。探ろうとつとめる教師であってはじめて、文学教師の資格を得ると思います。例の読解方式で、この作品の主題はこうだ、ときめてしまうやり方、結局は主題のおしつけだと思うのです。こわいことだと言いたくなります。そういう教師に私たちはなりたくないのです。 そのために私たちは、第一土曜日は理論研究会、第二土曜日は実践研究会、さらに、第三・第四土曜日は、西鶴・太宰を中心としたゼミをおこなっているグループがあります。『今昔』に取り組もうとしている連中もいます。ここでは、自分自身の文学をもつこと、自分自身の文学観念の変革を中心課題としています。気楽な会です。楽しい集いです。だが、文学教師の前提条件はここからうまれる、と自信をもって言えます。 A当面の課題――文学教育の体系化をめざして―― 何を、いかに教えるかを体系化することは、目下の急務です。私たちもそれに手をつけました。小・中・高・大の教師を会員にもつ文教研、私立学校のグループ会員があり、ある意味では実験学校的な役割を果たしてくれる、などの条件には恵まれています。だが、この仕事は容易ではありません。 イ 教材リストの作成 例を十一月の例会にとってみます。話題にしたのは『今昔物語』です。教科書(三省堂・中等国語 一)には「頼光ノ郎等共、紫野ニ物見シタルコト」の翻訳が「あおい祭」として収録されています。ここで問題になった第一点は翻訳のしかたです。第二点は、あの大部な作品群から、どうして「あおい祭」なんかを取り出したのかという疑問です。 民族の遺産として、しかも、二十一世紀に生きる子どもたちにくぐらせる体験、という視点からの選択・翻訳であるかどうかということです。残念ながら、そうは思えません。私たちは、安易な仕事はしたくありません。つねに原則に返して考え、討議し、確かな足どりで進みたいと考えます。 ロ 指導方法の研究 何を、いかに、これは切りはなせません。対象がちがえば、当然、方法もちがってきます。また、五十名それぞれの先行する体験がちがうのですから、そこに成りたつ文学体験も、同じ意味の体験ではないはずです。そうした個々の先行体験に即し、新しい意味体験を成りたたせる介添役、それが教師です。 どの教材にも適用できる、しかも、五十名一律にわからせるような方法、そんなものはないと思います。あるとすれば、あの文学ぎらいをつくる読解方式です。従って、私たちのいう体系化は、公式をあみだすのではありません。参考になる事例を示すにとどまると思います。それをどう生かすか、文学の学習をどう展開するか、それは、教師その人の問題です。意をつくせません。熊谷孝著『芸術とことば』〈牧書店〉・本誌61熊谷・荒川の論稿を参照願えれば幸いです。
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