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梨木 香歩 『僕は、そして僕たちはどう生きるか』 解説  澤地 久枝 (抄)
 (岩波現代文庫 2015.2)


 梨木香歩さんに会ったことはない。
 ごく初期の作品を目にしたときから、その才能と繊細な感性に魅せられてきた。そのひとが、少年と少女の世界を書いたという。わたしが手にしたのは、理論社版の『僕は、そして僕たちはどう生きるか』であった。
 二〇〇七年四月から二〇〇九年十二月まで、理論社のウェブマガジン「あ、ある。」に連載され、二〇一一年四月に出版されている。そして今度、岩波現代文庫に入ることになった。
 私はこの間、梨木さんの作品を慎重に読んでいながら、この連載をまったく知らずにいた(ウェブには縁がない)。彼女をよく知る編集者も(そしてわたしの梨木さん傾倒をよく知っているのに)、なにも語らなかった。
 「僕」には叔父さん(母の弟)がつけたあだ名がある。「コペル」だ。ここで、あ、この本はあの……と思うひとは、幸せなひとである。昭和十二(一九三七)年八月、日中戦争の発端になる中国盧溝橋での衝突の一カ月後の発行、『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎著)の中心人物も「コペル君」(コペルニクスにちなむ名)だった。それを知っているひとは、この「再会」に、梨木さんのつよい意志を感じるはずだ。
 吉野さんの本は、軍ファシズムに抗して、未来を生きる少年少女のためにという山本有三以下、日本の良心のようなひとたちによる『日本少国民文庫』(全十六巻、新潮社)の最終巻である。
 じりじりと戦争へ傾斜してゆく時代、「挙国一致」へ一色になってゆく世相。よく出版ができたと思う。書き手も、出版社側もあえて勇気をもった。「少年少女にこそ、まだ希望がある」と考えた先輩たちは、敗戦後七十年になるという現在の日本、とりまく世界の状況をどう見ているだろうか。
 梨木さんがこの本を書いたのは、作家の現在の立ち位置の証明というべく、はじめて政治の問題にふれている。

(…)

 むかし富裕な農家であった家に、ユージンは一人で住んでいる。
[コペルと]おなじ一人暮らしの十四歳だ。

(…)

 
[ユージン]「ぼくは集団の圧力に負けたんだ。<あれよあれよという間に事が決まっていく> その勢いに流されたんだ。僕を信じて付いてきた、あのニワトリを守れなかった。僕も集団から、群れから離れて考える必要があった、米谷さん[召集令状を拒否し、戦争終結まで洞穴に隠れ住んだ]のように」
 聞いたコペルは、自分自身を信用できない危機の真只中におかれる。ユージンの絶望の深さを誰よりもわかったはずの自分は、屋根裏部屋で読んだ戦争中の愛国少年少女とおなじではないか。一人になったコペルはしゃがみ込み、声を殺して泣いた。
 「……泣いたら、だめだ。考え続けられなくなるから」
 「ほんとにそうだ」
と返事して顔を上げると、数メートル先で、ちょっと疲れた感じの女の子が、困ったような緊張したような顔をして、でもゆっくりと微笑んだ。インジャ
[辛い体験に深く傷ついた彼女は、いま、ユージンの従姉とその母の計らいで、ユージンの屋敷内の森の中にかくまわれている]だった。

 ノボちゃん
[コペルの叔父さん]と途中参加のオーストラリア人マークは、インジャの話を知らない。焚火をはじめたとき、「さっき、ここの<森の精>を、焚火に誘ったんだ」とコペルは話し始める。
 聞いていたマークが言う。軍隊に入って砂漠で訓練があった。一夜親友がテントを抜けだしていた。残した荷物の上に「一人になりたい」とメモが残っていた。次の日、一マイルほど離れた場所で、耳の穴まで砂に埋もれて死んでいた。「僕が、見つけた」。
 「だから、その子
[インジャ]が、生きていてくれるだけで、嬉しい。よかった、ここを、この場所を、君が守っていてくれて」マークはユージンの目を見て、力を込めて言った。コペルは不動産屋相手に、頑張り通した日々を、ユージンの結んだ唇と表情に見出す。
 ノボちゃんは、コペルの母の話をする。「どうしても徴兵制が復活するようになったら、ぎりぎりの妥協案として、良心的兵役拒否の条項を入れてもらう」と。現在の日本政治を冷静に考えたら、きわめて重要な示唆を梨木さんは敢えて示したのだ。「政治」と書いたのは、ここにこの本の主題を感じるから。

(…)

 日本には武力を放棄した憲法があるが、実質はひどいことに向かっている。
 日本はこの前の戦争終結以来、一人の戦死者も出していない。一人の外国人も殺していない。世界に誇っていい記録だ。それでも、政治は戦争の方向へ動いてゆく。あやういかなの時相である。

 森の夕暮れ、インジャはおずおずと姿をあらわす。コペルの記録はここまで。そのまとめ。
 「人が生きるために、群れは必要だ。強制や糾弾のない、話し合える、ゆるやかで温かい絆の群れが。人が一人になることも了解してくれる、離れていくことも認めてくれる、けど、いつでも迎えてくれる、そんな、<いい加減>の群れ」。
 「そういう<群れの体温>みたいなものを必要としている人に、いざ、出会ったら、ときを逸せず、すぐさま迷わず、この言葉を言う力を、自分につけるために、僕は、考え続けて、生きていく」。

 やあ。
 よかったら、ここにおいでよ。
 気に入ったら、
 ここが君の席だよ。

 「そういう」ひとと、わたしは読書会をしたい。わたしは「戦争中の愛国少女」であり、その「恥」とともに生きてきた。年齢、性別、国籍など、問わない。刺戟的で豊かなこの本の読後感を、みんなとわかちあいたい。
 

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