≪『君たちはどう生きるか』(吉野源三郎):作品と作者をめぐって≫
 

羽賀翔一  自分の意思 メンターが照らす
 (『朝日新聞』東京版 希望はどこに 2 2018.1.5)


 80年前から読み継がれてきた小説「君たちはどう生きるか」(吉野源三郎著)を昨年、漫画化しました。恥ずかしながら、話を頂くまで原作を知らず、お堅い教養書だろうと思って読み始めました。
 でも、主人公のコペル君が街を歩く人を見て「分子みたい」と思う場面から始まるように、言葉ありきでなく、叙情的な部分がしっかりと描かれていました。誰もが持っている、でも時と共に記憶からこぼれ落ちてしまったような経験からコペル君が感じたことを、「おじさん」といっしょに言語化していく。題名は問いかけても、答えは書かれていない。こう生きなさい、と押しつけるのではなく、考え続けるための姿勢を書いた本でした。
 吉野さんの息子さんにも話を伺いました。父が作品を書いた時は軍国主義まっさかりで、国全体が戦争に突き進む状況への危機感が強かった。それではいけないという思いを書きたかったが、検閲が厳しくてやむなく児童書にした、と。作品中、子どもたちが意識せざるうちに集団で化け物のようになる場面がありますが、まさに社会全体もそうなろうとしていると伝えたかったのでしょう。無自覚なまま何かの一部に加担してしまうことは、いつの時代も人間の本質的な問題としてある。時代背景を全面に出せず、教室の出来事などに翻訳したことで結果的に普遍的な作品になり、時代を問わず共感されるようになったのだと思います。(…)

 「いま君が苦しみを感じているのは、正しい道に向かおうとしているからだ」という「おじさん」の言葉があります。この視点は、苦しんでいる人自身は持ちづらい。自分の苦しみが何なのかを整理できない時、メンター[助言者]がこういう言葉をかけてくれることで、正しい道に進む力を振り絞れるのです。メンターは、本でも動画でもいいのかもしれない。(…)   (聞き手・吉川啓一郎)

 

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