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【Ⅰ 単行書 】 |
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1981.9 |
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ドレースデンの抵抗作家 ケストナーの生涯 高橋健二 駸々堂出版社 |
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1995.1 |
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大きなケストナーの本 シルヴィア・リスト/丘沢静也他 訳 マガジンハウス |
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2000.3 |
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ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家 クラウス・コードン/那須田淳、木本栄 訳 偕成社 |
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2004.11 |
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ケストナー文学への探検地図― 『飛ぶ教室』・『動物会議』の世界へ 文学教育研究者集団 編 こうち書房 |
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2010.10 |
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エーリヒ・ケストナー 謎を秘めた啓蒙家の生涯 スヴェン・ハヌシェク/藤川芳朗 訳 白水社 |
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【Ⅱ 雑誌特集号 】 |
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1975.2 |
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日本児童文学 vol.21 №3〈特集:ケストナーの世界〉 すばる書房盛光社 |
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1982.12 |
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ユリイカ vol.14 №12〈特集:ケストナー 子どもの現在〉 青土社 |
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1989.夏 |
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飛ぶ教室 №31〈特集:ケストナー カムバック〉 光村図書出版 楡書房 |
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1989.秋 |
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飛ぶ教室 №32〈特集:ケストナー カムバック PART2〉 光村図書出版 楡書房 |
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1999.2 |
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日本児童文学 vol.45 №1〈特集2:ケストナー生誕百年 ケストナーを読みなおす〉 小峰書店 |
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1999.3 |
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文学と教育 №184〈小特集 ケストナーの世界〉 文学教育研究者集団 編 こうち書房 |
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1999.8 |
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文学と教育 №185-186合併号〈ケストナー特集号 ケストナーの世界への誘い〉 文学教育研究者集団 編 こうち書房 |
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2003.11 |
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文学と教育 №198〈小特集 ケストナーにみる戦争の現実〉文学教育研究者集団 編 こうち書房 |
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2005.5 |
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文学と教育 №201〈『ケストナー文学への探検地図』刊行記念小特集〉文学教育研究者集団 編 こうち書房 |
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2008.7 |
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文学と教育 №208〈特集 ケストナー「一杯の珈琲から」注解〉 文学教育研究者集団 編 こうち書房 |
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【Ⅲ 雑誌・紀要等掲載記事】 |
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1930年代 |
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1933.11 |
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盲腸のない紳士 エーリヒ・ケストナァ 板倉鞆音 訳 カスタニエン(京大独逸文学研究会)№4 |
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1934.6 |
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「ピュンクチヘンとアントーン」に就いて 板倉鞆音 カスタニエン(京大独逸文学研究会)№7 |
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1934.6 |
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実用抒事詩に就いて ケストナァ 汐見哲 訳 カスタニエン(京大独逸文学研究会)№7 |
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1950年代 |
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1957.1 |
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ケストナーの児童文学 猪熊葉子 聖心女子大学論叢vol.9 |
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1958.7 |
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書評 ケストナー・筒井敬介訳 スケートをはいた馬 書評委員会 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.4 №6 |
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1958.7 |
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空想物語が必要なこと 瀬田貞二 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.4 №6 |
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1959.3 |
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亡命しなかった童話作家 エーリッヒ・ケストナーについて 木島始 文学(岩波書店)vol.27 №3 |
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1960年代 |
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1961.2 |
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座談会 日本の「少年小説」を語る 福田清人他 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.7 №2 |
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1961.3 |
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ケストナーとドイツペンクラブ 植田敏郎 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.7 №3 |
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1961.3 |
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ケストナー批判 東独作家ロードリアンのケストナーの児童文学論 山下肇 文学界(文芸春秋社)vol.15 №3 |
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1962.8 |
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エーリヒ・ケストナー(人と作品について) 高橋健二 学校図書館(全国学校図書館協議会)142 |
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1964 |
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エーリッヒ・ケストナーが描く子どもたち 石原淳子 目白児童文学(日本女子大学)3 |
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1964.3 |
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ナチス時代のドイツ文学 谷崎英男 早稲田商学(早稲田商学同攻会)№172 |
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1964.4 |
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世界児童文学の動向 高橋健二 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.10 №4 |
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1967.7 |
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展観 エーリッヒ・ケストナー:その生涯と作品展 静脩(京都大学附属図書館)vol.4 №2 |
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1968.4 |
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現代の児童文学におけるリアリズム 神宮輝夫 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.14 №4 |
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1969.2 |
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勇気ある知識人〔エーリヒ・ケストナー〕 高橋健二 心vol.22 №2 |
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1969.4 |
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児童文学における「性」の神話の克服 横谷輝 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.15 №4 |
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1970年代 |
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1970.9 |
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大人はどのように児童文学にかかわっているか 張り切りケストナー入門 上野瞭 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.16 №9 |
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1971.3 |
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ドイツ児童文学の児童像 鈴木武樹 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.17 №3 |
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1973 |
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ケストナーの児童文学 星名七世 目白児童文学(日本女子大学)11 |
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1973.3 |
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E .ケストナー試論 Roman für Kinder を中心に 橋村悠紀枝 独逸文学(関西大学独逸文学会)18 |
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1973.6 |
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日本の児童文学におけるリアリズム 鳥越信、渋谷清視 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.19 №7 |
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1973.7 |
|
ヨーロッパ児童文学の旅 私の会った人びと15〔E .ケストナー氏〕 鳥越信 (日本児童文学者協会)vol.19 №8 |
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1973.8 |
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ヨーロッパ児童文学の旅 私の会った人びと16〔E .ケストナー氏〕 鳥越信 (日本児童文学者協会)vol.19 №9 |
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1974 |
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こどもの世界と大人の世界 「エーミールと探偵たち」と「ふたりのロッテ」及び「ファービアン」を中心に 加納武 武庫川女子大学紀要(英語・英文学編)22 |
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1975.1 |
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大人はどのように児童文学にかかわっているか 張り切りケストナー入門 上野瞭 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №2 |
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1975.2 |
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ケストナーの児童文学 猪熊葉子 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №3 |
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1975.2 |
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鼎談 ケストナーの児童文学をめぐって 猪熊葉子、鳥越信、砂田弘 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №3 |
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1975.2 |
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体験的ケストナー紹介 高橋健二 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №3 |
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1975.2 |
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報告 ケストナーはどう読まれているか 砂田弘 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №3 |
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1975.2 |
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近くて遠いケストナー 前川康雄 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №3 |
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1975.2 |
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私のケストナー いぬい・とみこ 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №3 |
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1975.2 |
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憎き人ケストナー 大石真 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №3 |
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1975.2 |
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ケストナーとわたし 藤田圭雄 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №3 |
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1975.2 |
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三十年めの出会い はまみつを 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №3 |
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1975.2 |
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ケストナー邦訳図書リスト 柿崎広幸、松尾一幸 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №3 |
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1975.3 |
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ケストナーの死 野村〔ヒロシ〕 ドイツ文学(日本独文学会)54 |
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1975.10 |
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私の読んだ本 本と仮病 丸川栄子 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.21 №14 |
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1976 |
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エーリッヒ・ケストナーの世界 坂井和美 目白児童文学(日本女子大学) 13 |
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1976.3 |
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私の読んだ本 わたしの聖域から きどのりこ 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.22 №4 |
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1976.8 |
|
児童文学にあらわれた二、三の母親像について 安藤美紀夫 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.22 №10 |
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1976.11 |
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ケストナーに魅かれる 砂田弘 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.22 №13 |
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1976.12 |
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ケストナーにとっての〈構想〉 大藤幹夫 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.22 №15 |
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1976.12 |
|
構想力と人物像 原昌 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.22 №15 |
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1977.1 |
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座談会 大人の文学と子どもの文学 安藤美紀夫他 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.23 №1 |
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1977.6 |
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座談会 休暇物語を考える 安藤美紀夫 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.23 №6 |
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1978.2 |
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児童文学における少年時代の意味 小西正保 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.24 №2 |
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1978.2 |
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ケストナーと少年時代 植田敏郎 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.24 №2 |
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1978.5 |
|
離婚を描いた作品をめぐって 山花郁子 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.24 №5 |
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1978.6 |
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ケストナー著・高橋健二訳『子どもと子どもの本のために』(書評) 安藤美紀夫 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.24 №6 |
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1979 |
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「ファービアン」の時代性と限界 柴田道雄 ドイツ文学研究(日本独文学会東海支部)11 |
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1979.12 |
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世界児童文学100選 飛ぶ教室 鳥越信 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.25 №15 |
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1980年代 |
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1980 |
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ケストナーの初期作品について 佐藤和夫 金沢大学大学院ドイツ文学論集1 |
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1980.5 |
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児童文学と社会性テーマ(再録) 西本鶏介 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.26 №7別 |
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1980.9 |
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ドレースデンの抵抗作家E .ケストナーの生涯 1 高橋健二 心 vol.33 №9 |
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1980.10 |
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ドレースデンの抵抗作家E .ケストナーの生涯 2 高橋健二 心 vol.33 №10 |
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1980.11 |
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ドレースデンの抵抗作家E .ケストナーの生涯 3 高橋健二 心 vol.33 №11 |
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1980.12 |
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ドレースデンの抵抗作家E .ケストナーの生涯 4 高橋健二 心 vol.33 №12 |
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1981 |
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エーリッヒ・ケストナーと詩 河合節子 日本獣医畜産大学研究報告(日本獣医生命科学大学)vol.30 |
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1981.1 |
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ドレースデンの抵抗作家E .ケストナーの生涯 5 高橋健二 心 vol.34 №1 |
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1981.2 |
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ドレースデンの抵抗作家E .ケストナーの生涯 6 高橋健二 心 vol.34 №2 |
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1981.3 |
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ドレースデンの抵抗作家E .ケストナーの生涯 7 高橋健二 心 vol.34 №3 |
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1981.4 |
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ドレースデンの抵抗作家E .ケストナーの生涯 8 高橋健二 心 vol.34 №4 |
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1981.5 |
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ドレースデンの抵抗作家E .ケストナーの生涯 9 高橋健二 心 vol.34 №5 |
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1981.5 |
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なぞの作家ケストナー 高橋健二 日本古書通信vol.46 №5 |
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1981.6 |
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ドレースデンの抵抗作家E .ケストナーの生涯 10 高橋健二 心 vol.34 №6 |
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1981.10 |
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植田敏郎先生に聞く 望月正子 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.27 №11 |
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1982.6 |
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あの本この本 高橋健二『ケストナーの生涯』 木島始 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.28 №6 |
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1982.7 |
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エーリヒ・ケストナーの『「ファービアン』について(Ⅰ) 斎藤寛 商学論集(福島大学経済学会)vol.51 №1 |
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1982.12 |
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ライプチヒのころ エンダーレ、田尻三千夫訳 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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「肝玉小父さん」としてのケストナー 飯沢匡 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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文体家と博愛家 J.クリュス、田尻三千夫訳 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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方法序説としての『ファービアン』 上野瞭 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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ケストナーとの幻想対談 前川康男 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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お菓子とメランコリー 丘澤静也 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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ケストナー・カレイドスコープ まえのまり ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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微笑の国から ワルター・トリヤーの世界 伊藤俊治 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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対談 わたしたちがケストナーを読んだころ 今江祥智、川本三郎 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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ふたりのロッテ 秋山さと子 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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ケストナー自由連想 山中康裕 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
|
「ノーレンドルフ広場」の異物たち 本田和子 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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鬼にせんべい 奥本大三郎 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1982.12 |
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ケストナーと子供たち 大西赤人 ユリイカ(青土社)vol.14 №12 |
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1983 |
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ケストナーの母あての手紙について 佐藤和夫 千葉工業大学研究報告(人文編)20 |
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1983.5 |
|
〈帰属〉ということ 安藤美紀夫 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.29 №5 |
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1985 |
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写実的児童文学作家としてのケストナー 佐藤和夫 千葉工業大学研究報告(人文編)22 |
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1986 |
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エーリッヒ・ケストナーにおける父と子の関係 河合節子 日本獣医畜産大学研究報告(日本獣医生命科学大学)vol.35 |
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1986 |
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ホルスト・エーバーハルト・リヒタ著「両親、子どもそして神経症」とエーリヒ・ケストナーの親子関係 河合節子 津田塾大学紀要18 |
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1986 |
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エーリッヒ・ケストナー再考:「実用詩」の可能性 小森香折 ドイツ文学語学研究10 (学習院大学) |
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1986.3 |
|
エーリヒ・ケストナーの『「ファービアン』について(Ⅱ) 斎藤寛 商学論集(福島大学)vol.54 №4 |
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1987 |
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ケストナーの日記《Notabene 45》について 佐藤和夫 千葉工業大学研究報告(人文編)24 |
|
1987.3 |
|
エーリヒ・ケストナーの『「ファービアン』について(Ⅲ・完) 斎藤寛 商学論集(福島大学)vol.55 №4 |
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1987.3 |
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ケストナーと第一次世界大戦 佐藤和夫 茨城大学人文学部紀要 人文科学論集vol.20 |
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1988.2 |
|
一人対四三人―『飛ぶ教室』にふれて 荒川由美子 文学と教育(文学教育研究者集団)№143 |
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1988.3 |
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執筆禁止時代のケストナー(Ⅰ) 佐藤和夫 茨城大学人文学部紀要 人文科学論集vol.21 |
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1989 |
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メッセージから記述へ―ケストナーの伝記資料をめぐって 佐藤和夫 千葉工業大学研究報告(人文編)26 |
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1989.3 |
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執筆禁止時代のケストナー(Ⅱ) 佐藤和夫 茨城大学人文学部紀要 人文科学論集vol.22 |
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1989.8 |
|
ケストナーについて二回の特集をするための前口上 今江祥智 飛ぶ教室(光村図書出版)№31 |
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1989.8 |
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ボタンの話 エリッヒ・ケストネル・小松太郎訳 飛ぶ教室(光村図書出版)№31 |
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1989.8 |
|
『テッシーンからの手紙』 エーリヒ・ケストナー・植田真而子訳 飛ぶ教室(光村図書出版)№31 |
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1989.8 |
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エーリヒ・ケストナー ヘルマン・ケステン・飯塚信男訳 飛ぶ教室(光村図書出版)№31 |
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1989.8 |
|
『母への手紙』を読んで―一九二三~二七のライプチヒ時代を中心に 若林ひとみ 飛ぶ教室(光村図書出版)№31 |
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1989.8 |
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ケストナーのお墓に出会う 尾埜善司 飛ぶ教室(光村図書出版)№31 |
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1989.8 |
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ずっと大好きでいたい大人子供のケストナー 石川佳子 飛ぶ教室(光村図書出版)№31 |
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1989.8 |
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ケストナーと私 中島邦彦 飛ぶ教室(光村図書出版)№31 |
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1989.8 |
|
『ファービアーン』のケストナー 池田邦彦 飛ぶ教室(光村図書出版)№31 |
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1989.8 |
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もうひとりのケストナー 丘沢静也 飛ぶ教室(光村図書出版)№31 |
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1989.11 |
|
椅子の間の詩人 上野陽子 飛ぶ教室(光村図書出版)№32 |
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1989.11 |
|
ケストナーとケステン―この二卵性双生児たち 飯塚信雄 飛ぶ教室(光村図書出版)№32 |
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1989.11 |
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ケストナーとの出会い いぬいとみこ 飛ぶ教室(光村図書出版)№32 |
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1989.11 |
|
ユーモアは平衡棒 井上章子 飛ぶ教室(光村図書出版)№32 |
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1989.11 |
|
ケストナーとの出会い三つ 前川康男 飛ぶ教室(光村図書出版)№32 |
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1990年代 |
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1990.3 |
|
執筆禁止時代のケストナー(Ⅲ) 佐藤和夫 茨城大学人文学部紀要 人文科学論集vol.23 |
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1990.12 |
|
エーリヒ・ケストナーと大衆―ケストナーの初期の詩をめぐって―(Ⅰ)斎藤寛 商学論集(福島大学)vol.59 №2 |
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1991.3 |
|
エーリヒ・ケストナーと大衆―ケストナーの初期の詩をめぐって―(Ⅱ)斎藤寛 商学論集(福島大学)vol.59 №5 |
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1991.6 |
|
母親たちの変容 ケストナーの翻訳をめぐって 泉千穂子 比較文学研究(東京大学比較文学会)59 |
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1991.12 |
|
現代ドイツ児童文学の諸事情 佐々木田鶴子 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.37 №12 |
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1992.3 |
|
執筆禁止時代のケストナー(Ⅳ) 佐藤和夫 茨城大学人文学部紀要 人文科学論集vol.25 |
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1994.3 |
|
執筆禁止時代のケストナー(Ⅴ) 佐藤和夫 茨城大学人文学部紀要 人文科学論集vol.27 |
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1994.5 |
|
冒・犯・侵の構図 佐藤宗子 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.40 №5 |
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1994.9 |
|
没後の後にやって来るのは?:『ファビアン』と1930年のベルリン 筑和正格 言語文化部紀要(北海道大学)vol.26 |
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1995.11 |
|
西鶴―人間喜劇の文学〈その二〉 荒川有史 文学と教育(文学教育研究者集団)№171 |
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1996.3 |
|
執筆禁止時代のケストナー(Ⅵ) 詩集『ケストナー博士の家庭薬局』 佐藤和夫 茨城大学人文学部紀要 人文科学論集vol.29 |
|
1996.6 |
|
テーマとメッセージは時代とともに 長谷川幸男 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.42 №6 |
|
1996.8 |
|
児童文学と成人文学と―ケストナー・ドストエフスキー・トルストイたちの〈よびかけ〉を聞く 荒川有史 文学と教育(文学教育研究者集団)№174 |
|
1997.3 |
|
児童文学と成人文学と―文教研の初心にふれながら 荒川有史 文学と教育(文学教育研究者集団)№176 |
|
1997.3 |
|
人と人との心のつながり 荒川由美子 文学と教育(文学教育研究者集団)№176 |
|
1997.6 |
|
創作時評 健気に生きられない不幸物語 西本鶏介 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.43 №3 |
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1998.3 |
|
執筆禁止時代のケストナー(Ⅶ) 佐藤和夫 茨城大学人文学部紀要 人文科学論集vol.31 |
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1998.10 |
|
ケストナーとわたし 瀬尾七重 児童文芸(日本児童文芸家協会)vol.44 №10 |
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1998.10 |
|
対談再録 高橋健二・岡信子 子どもに迎合せず気持ちをひきたてる話を―ケストナーそしてグリム 高橋健二、岡信子 児童文芸(日本児童文芸家協会)vol.44
№10 |
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1999.2 |
|
対談 エンターテーナーとしてのケストナー 若林ひとみ、砂田弘 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.45 №1 |
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1999.2 |
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ケストナー信者二十五年目の考察 泉千穂子 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.45 №1 |
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1999.2 |
|
百歳のケストナー 今江祥智 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.45 №1 |
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1999.2 |
|
ケストナーから学ぶこと 鳥越信 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.45 №1 |
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1999.2 |
|
ケストナー翻訳図書リスト 日本児童文学(日本児童文学者協会)vol.45 №1 |
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1999.3 |
|
子どもに読んでほしいケストナーの作品 渡辺孝子 世界文学(世界文学会)90 |
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1999.3 |
|
ケストナーの世界 井筒満 文学と教育(文学教育研究者集団)№184 |
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1999.3 |
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ゼミナール: 『飛ぶ教室』を読む 文責 村上愛 文学と教育(文学教育研究者集団)№184 |
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1999.3 |
|
ケストナー作品の邦訳(初期) 夏目武子 文学と教育(文学教育研究者集団)№184 |
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1999.8 |
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ケストナーの語録と若干のコメント 井筒満 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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「エーミールと探偵たち」(作品紹介) 成川日女美、村上愛 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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「ファービアン―あるモラリストの物語」(作品紹介) 高澤健三 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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「点子ちゃんとアントン」(作品紹介) 夏目武子 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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「五月三十五日」(作品紹介) 佐伯昭定 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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「飛ぶ教室」(作品紹介) 金井公江、橋本伸彌 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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「エーミールと三人のふたご」(作品紹介) 岩﨑晴彦 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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「動物会議」(作品紹介) 森田高志 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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「ふたりのロッテ」(作品紹介) 朱通節子、西平薫 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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「わたしが子どもだったころ」(作品紹介) 樋口正規 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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「一九四五年を銘記せよ―ケストナーの終戦日記」(作品紹介) 鈴木益弘 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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「サーカスの小びと」(作品紹介) 荒川由美子、中野斉子 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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エーリヒ・ケストナー略年譜 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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ケストナー作品別邦訳図書リスト(戦後) 福田隆義 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.8 |
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初期の翻訳状況 夏目武子 文学と教育(文学教育研究者集団)№185-6 |
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1999.11 |
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現代にとって〈虚構〉とは何か 佐藤嗣男 文学と教育(文学教育研究者集団)№187 |
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1999.11 |
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一九三〇~四〇年代の文学―ケストナー文学を中心に 井筒満 文学と教育(文学教育研究者集団)№187 |
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1999.11 |
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ケストナー『飛ぶ教室』の印象の追跡 荒川由美子 文学と教育(文学教育研究者集団)№187 |
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1999.11 |
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フォアビルト(Vorbild)をさぐる 富永真理子 文学と教育(文学教育研究者集団)№187 |
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1999.12 |
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子どもに読んでほしいケストナーの作品 渡辺孝子 世界文学 (世界文学会) 90 |
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2000年代 |
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2000 |
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E.ケストナーの『ファービアン』における「逆さまの世界」のモチーフについて 立花哲雄 ドイツ文学論集33(日本独逸文学会中国四国支部) |
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2000 |
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2000年度前期ドイツ文学演習1「ドイツ近現代詩を読む」エーリヒ・ケストナーの詩『都会に生きる人たちのための夜の処方箋』―私的満喫論(ドイツ文学科の学生レポートから) 川原由希子 Aspekt34(立教大学ドイツ文学研究室) |
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2000.3 |
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エーリッヒ・ケストナーの世界―8歳から80歳までの子供たち 村山正雄 生涯学習センター紀要13(神戸親和女子大学) |
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2000.7 |
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書評 K . コードン『ケストナー ナチスに抵抗し続けた作家』 田中眞澄 文学界vol.54 №7(文芸春秋社)
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2000.8 |
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今、なぜ、ケストナーか 夏目武子 文学と教育№188-9(文学教育研究者集団) |
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2000.8 |
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『点子ちゃんとアントン』 井筒満 文学と教育№188-9(文学教育研究者集団) |
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2000.8 |
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〈ケストナーの経歴と作品〉メモ 芝崎文仁 文学と教育№188-9(文学教育研究者集団) |
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2000.11 |
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ケストナー文学の視点的立場 井筒満 文学と教育№190(文学教育研究者集団) |
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2000.11 |
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ケストナー詩の印象の追跡 鈴木益弘 文学と教育№190(文学教育研究者集団) |
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2000.11 |
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〈ケストナーの邦訳詩〉ノート―「カスタニエン」「コギト」掲載詩をめぐって 夏目武子 文学と教育№190(文学教育研究者集団) |
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2001.4 |
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『エーミールと探偵たち』 井筒満 文学と教育№191(文学教育研究者集団) |
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2001.6 |
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「点子ちゃんとアントン」ケストナーの児童文学を元に時代を超えた健全な市民社会をリアルタイムで描き出す 渡部実 映画テレビ技術586(日本映画テレビ技術協会) |
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2001.8 |
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ケストナーの学生時代 佐藤和夫 茨城大学独文学論集1 |
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2002.4 |
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ゼミナール:ケストナー『エーミールと三人のふたご』を読む 文責 成川日女美 文学と教育№194(文学教育研究者集団) |
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2003.春 |
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美しき誘い(5)巻頭の詩『明後日(あさって)の空想』とケストナーについて 三村利恵 ムネーモシュネー5(大阪音楽大学美学研究会) |
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2003.7 |
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ゼミナール:ケストナー『わたしが子どもだったころ』 文責 井筒満 文学と教育№197(文学教育研究者集団) |
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2003.11 |
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ケストナーと二つの戦後 井筒満 文学と教育№198(文学教育研究者集団) |
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2003.11 |
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ゼミナール:『ケストナーの終戦日記』 文責 金井公江 文学と教育№198(文学教育研究者集団) |
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2004.4 |
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ややこしや~ややこしや~ 双子が出てくる文学の楽しさ 志村恵 金沢大学サテライト・プラザミニ講演記録集vol.5 №1 |
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2004.5 |
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ゼミナール:『動物会議』 文責 金井公江 文学と教育№199(文学教育研究者集団) |
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2004.6 |
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あちこちから吹いてくる風 佐々木江利子 日本児童文学vol.50 №3(日本児童文学者協会) |
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2004.10 |
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エッセイ 児童文学と戦争 今という時代 那須田淳 日本児童文学vol.50 №5(日本児童文学者協会) |
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2005 |
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新教育期の子ども観の展開 E..ケストナーの児童文学に即して 馬場結子 関西教育学会紀要29(関西教育学会) |
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2005 |
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ケストナーをめぐる人々 ケストナーの少年時代 津田聖子 セミナリウム27(大阪市立大学ドイツ文学会) |
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2005.3 |
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執筆禁止時代のケストナー(Ⅷ) 佐藤和夫 茨城大学人文学部紀要 人文科学論集vol.43 |
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2005.3 |
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『ふたりのロッテ』と4つの映画作品 ケストナーのお説教はいかに語られてきたか 中村釆女 人文社会学研究45(早稲田大学理工学部複合領域人文社会科学研究会) |
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2005.5 |
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ケストナーの一九三八年前後 井筒満 文学と教育№201(文学教育研究者集団) |
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2005.5 |
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ゼミナール:『オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』 文責 山上英男 文学と教育№201(文学教育研究者集団) |
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2005.5 |
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初期ケストナーの抒情詩 《間接的な抒情詩(Indirekte Liryk)》という概念を中心に 高坂朋子 研究報告集Bruecke18(獨協大学外国語学研究科)
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2005.8 |
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ケストナー『ファービアン』をめぐって(上) 井筒満 文学と教育№202(文学教育研究者集団) |
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2005.11 |
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ケストナー『ファービアン』をめぐって(中) 井筒満 文学と教育№203(文学教育研究者集団) |
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2006.2 |
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ケストナー文学への探検 夏目武子 国語の授業192(児童言語研究会) |
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2006.3 |
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詩人としてのケストナー 平野七濤 上越教育大学研究紀要vol.25 №2 |
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2006.3 |
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ケストナーをどう読むか 『点子ちゃんとアントン』の場合 中村釆女 人文社会学研究46(早稲田大学理工学部複合領域人文社会科学研究会) |
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2006.3 |
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書評 エーリヒ・ケストナー作、若松宣子訳『飛ぶ教室』―子ども時代を伝える声 矢武久実 白百合児童文化15(白百合女子大学児童文化学会) |
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2006.7 |
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ドイツの子どもの本と啓蒙の精神―ケストナーの『エーミールと探偵たち』を中心に 中川浩 世界文学103(世界文学会) |
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2006.7 |
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ケストナー『ファービアン』をめぐって(下) 井筒満 文学と教育№204(文学教育研究者集団) |
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2006.8 |
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エーリヒ・ケストナーのアイデンティティ形成と理想視の関連について 茂垣まどか 日本教育心理学会総会発表論文集48 |
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2006.10 |
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イーダ・ケストナーの生涯 佐藤和夫 茨城大学独文学論集2 |
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2007 |
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エーリヒとミヒャエルの戦争体験 近藤悟 KGゲルマニスティク12(関西学院大学文学部ドイツ文学研究室) |
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2007.2 |
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エーリヒ・ケストナーと夏目漱石 『「ファービアン」』と『吾輩は猫である』を比較する 外山里菜 立教大学ドイツ文学科論集40 |
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2007.8 |
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ゼミナール:ケストナー『消え失せた密画』 文責 高澤健三 文学と教育№206(文学教育研究者集団) |
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2007.8 |
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M,エンデとE,ケストナーの、F1・F2の様相と親密性・生殖性の発達に関する比較分析 茂垣まどか 日本青年心理学会大会発表論文集15(日本青年心理学会) |
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2008 |
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アイデンティティ形成と同一視の関連性--エーリヒ・ケストナーの、育ての父および小学校教師への同一視の伝記分析から 茂垣まどか 教職研究19(立教大学教職課程研究室) |
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2008.2 |
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世界各国におけるエーリヒ・ケストナーの翻訳と受容について―オサリバンの10のテーゼをめぐって(1) 長谷川弘子 杏林大学研究報告 教養部門25(杏林大学) |
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2008.7 |
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ケストナー「一杯の珈琲から」の注解にあたって 井筒満 文学と教育№208(文学教育研究者集団) |
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2008.7 |
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〈特集〉ケストナー「一杯の珈琲から」注解 文学と教育№208(文学教育研究者集団) |
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2008.8 |
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オオカミの眼(異文化との遭遇)―『美女と野獣』ボーモン夫人 『かいじゅうたちのいるところ』センダック 『動物会議』ケストナー 『ジャングル・ブック』キプリング
『獣の奏者』上橋菜穂子 小澤英実 國文學 解釈と教材の研究vol.53 №12(臨増)(學燈社) |
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2008.11 |
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ケストナー「一杯の珈琲から(原題=Der kleine Grenzverkehr)」をめぐって(上) 井筒満 文学と教育№209(文学教育研究者集団) |
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2009.5 |
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ケストナーの処女詩集"Herz auf Taille"の戦争諷刺詩とその特徴に関する考察 高坂朋子 研究報告集Bruecke22(獨協大学大学院外国語学研究科)
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2010年代 |
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2010.2 |
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世界各国におけるエーリヒ・ケストナーの翻訳と受容について―オサリバンの10のテーゼをめぐって(2) 長谷川弘子 杏林大学研究報告 教養部門27(杏林大学) |
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2010.3 |
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1930年代ベルリンの日本人小学生―ベルリンの小学校、日本人学校での生活を中心に 奈倉洋子 京都教育大学紀要116 |
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2010.4 |
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ケストナー「一杯の珈琲から(原題=Der kleine Grenzverkehr)」をめぐって(下) 井筒満 文学と教育№211(文学教育研究者集団) |
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2010.5 |
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『五階で行われるカバレットの枠筋』“Eine Rahmenhandlung fuer ein Kabarette im vierten Stock”におけるケストナーの諷刺に関する考察 高坂朋子 研究報告集Bruecke23(獨協大学大学院外国語学研究科)
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2010.9 |
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エーリヒ・ケストナーの長編『ファービアン あるモラリストの物語』 浅野洋 埼玉女子短期大学研究紀要22 |
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2010.11 |
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ケストナーとライヒ=ラニツキ―改訂版『人生処方箋』への前口上 飯吉光夫 現代詩手帖53(思潮社) |
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2011 |
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さまざまなケストナー 佐藤和夫 独文研究室報21(金沢大学独文学研究会) |
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2011.2 |
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世界各国におけるエーリヒ・ケストナーの翻訳と受容について―オサリバンの10のテーゼをめぐって(3) 長谷川弘子 杏林大学研究報告 教養部門28(杏林大学) |
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2011.6 |
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ケストナーの初期四詩集から“男と女”に関する詩の考察 高坂朋子 研究報告集Bruecke24(獨協大学大学院外国語学研究科) |
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2011.12 |
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<研究ノート>児童文学者としてのエーリヒ・ケストナー 冨吉 祥子 Stufe30(上智大学大学院STUFE刊行委員会) |
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2012.1 |
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ドイツ語におけるwerdenの意味と文法:ケストナーの母親への手紙を資料として 板山眞由美 流通科学大学論集. 人間・社会・自然編 24(2) (流通科学大学学術研究会) |
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2012.2 |
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エーリヒ・ケストナー こわれた時間のゆがんだ鏡 青地伯水編著 寺井紘子・児玉麻美・千田まや・永畑紗織 松籟社 |
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2012.6 |
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エーリヒ・ケストナーのカバレット作品における他の作家の作品を下敷きにした諷刺的表現について 高坂朋子 研究報告集Bruecke25(獨協大学大学院外国語学研究科) |
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2012.7 |
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分裂するケストナー像―エーリヒ・ケストナーのゲオルク・ビュヒナー賞記念講演 竹内拓史 麗澤大学紀要94(麗澤大学出版委員会) |
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2013 |
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那須田淳と行く『飛ぶ教室』の舞台裏(エーリヒ・ケストナー作『飛ぶ教室』の世界) 那須田淳 飛ぶ教室35(光村図書) |
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2013 |
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映画『ミュンヒハウゼン』についての一考察 中村恵 大阪薬科大学紀要7 (大阪薬科大学) |
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2013.7 |
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ケストナーの虚像と実像:三谷幸喜作・演出『国民の映画』におけるケストナーの人物造形 竹内拓史 麗澤大学紀要96(麗澤大学出版委員会)
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2013.11 |
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児童文学の中の子どもと大人(8) 子どもの涙は大人の涙より重い:ケストナー『飛ぶ教室』を中心に きど のりこ 子どものしあわせ:父母と教師を結ぶ雑誌753 |
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2014.2 |
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“Das doppelte Lottchen”(1950)と「ひばりの子守唄」(1951)におけるケストナーのメッセージ性と家族イメージ 佐々木理奈 千葉大学人文社会科学研究科研究プロジェクト報告書268 |
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2014.6 |
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「現代に生きるケストナー」 井筒満 法政大学Ⅱ部九条の会 講演会(2013.12.21 講演記録) (法政大学Ⅱ部九条の会) |
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2014.12 |
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ファシズム体制下における「弱い抵抗」:秋山清とエーリヒ・ケストナー エヴァマリア アギー 論樹26(論樹の会) |
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2015.3 |
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ケステン『幸福な人々』とケストナー『ファービアン』―主人公像を通して見る2人の作家の異質性 吉田千裕 文芸表象論集2(京都大学大学院人間・環境学研究科) |
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2015.8 |
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現代に生きるケストナー ゼミナール:ケストナー『動物会議』 成川日女美 文学と教育№222(文学教育研究者集団) |
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