作品発表舞台の変遷――初出雑誌“あとがき”抄   【太宰 治 昭和初年代~20年代】
(作品初出誌は手近な資料 ―原本及び複写― から適宜選択した。)   
1934.4

太宰治
「葉」
『鷭』
第一輯
昭和9年4月

鷭社
《編輯後記》 ○なれぬ仕事なので、プランを決定してからも、編輯上の具体的方針が幾度変つたか知れぬ。稍[やや]もすると読者をあつと言はせたくなる気持をどうして抑へるかといふ反省だ。熟慮してやりながらも、百年の大計を忘れ、目先の成功に気を奪はれる。実力以上に思はれたい心が気づかぬ間に忍びこんできて、つひものほしげな心で読者を釣つてやらうといふ風なプランにひつかかりがちだつた。そんな計画は一応はジヤーナリスチックな新鮮さで華麗かも知れぬ。しかし浅薄でない筈はない。営業雑誌や同人雑誌の沢山発行されてゐるなかで、尚この「鷭[ばん]」を刊行せねばならぬ。その意義にだけ忠実でありたい。目先の誘惑からは能う限り戦つてきたつもりだ。巧妙な作戦によつて千人の読者を得るより、良い仕事でひとりの知己を得たい。〔…〕
 唯、今度編輯してみて痛感したことは、今後私達のジエネレーシヨンの新文学建設のために、安心して協力を懇願したいやうな傑れた同時代人の少ないことだ。かくれた立派な人を求める気持は、実に切実だ。〔…〕(F)
○〔…〕何よりも、事実が足りなかつた。どつしりとしたものがなく、断片の寄せ集めじみたのは、私達不徳のいたすところ。第一、仕事に馴れなかつた。空想ばかり空を走つて、それを追ふ手足が息切れした。第一輯はどんなにみじめな捨石でもいいと思つてゐる。然し、いささかの自負がないではない。少くとも一つの清潔なつながりが見へるではないか。〔…〕
○今日文学を愛することが如何に困難であるか、その困難さの故にのみ私達の「鷭」の存在意義がある。文壇にせり上ることではない。目安は人間性の大広間にある。愛情のために、しばし私達はきびしくよろほはねばなるまい。〔…〕
○編輯を終る日に大雪が降つた。久方ぶりのびのびした休養を得て、第二輯の活動に移りたい。(D)  
・太宰治「葉」

主な執筆者
古谷綱武/伊藤整/室生犀星/佐藤春夫/田中克己/中原中也/金子光晴/神西清/中村地平/古谷綱正/浅見淵/秋山六郎兵衛/神保光太郎/尾崎一雄/仲町貞子/木山捷平/谷川徹三/坂口安吾/大岡昇平/保田与重郎/本荘可宗/松永定/檀一雄
1934.7

太宰治
「猿面冠者」
『鷭』
第二輯
昭和9年7月
鷭社
《編輯後記》 ◇文学の世界ほど、言葉がそれぞれの興ざめた姿で不気味な横行をつづけてゐる所はあるまい。問題はすべて皮相な外見のまま、ゆくはしはしから白けたおとし(、、、)でちよんぎられ、馬鹿は小利口にていよく嘲笑はれ、何とまあ果てしのない狂状だ。併し考へてみると自分の足許にこびりついたごふん(、、、)が先づ第一に気になりだして、結局これは人事ではないと悄気[しょげ]かへるのだ。
 一体すべての足懸りといふものは不潔な安心以外にはあり得ない。今更ながら自分の踏板が見すかされて総毛立つ有様だ。
 自分達の身構へは鷭自信をほそらせたといへ、これ以外に救はれる道はなかつた。現象への反目もつまりは自分の用意を声あらげてわめきたてたにすぎぬ。
 語つた言葉はすべてはねかへつた。さうして今日再び何とも助からぬ気持でこの第二輯を送りだす。読者の御諒恕を乞ふ次第。(D)〔…〕
○「鷭」の抱負は勿論新らしい文学の建設にあるのだが、殊に同人雑誌とかそのほかに、実質的にいいものを書いてもそのまま埋れてゐるやうな人びとを微力ではあつても出来るだけ多くの人びとに読まれ、その批判を得るやうその紹介の労をとりたいと思ふのである。「新人出でよ」のかけ声はジヤナリズムの上だけの空つぽの叫びにまかせてはおけない。こんなことは今更に云ふだけ野暮な話だが、お互ひに地道に勉強して、そのお互ひの勉強のなかから、いい作品を生まし、ほんたうの「新人」を発見したいものだと思つてゐる。(横田)
・太宰治「猿面冠者」

主な執筆者
山崎外史/古谷綱武/中原中也/田中克己/竹中郁/新庄嘉章/片山敏彦/本庄陸男/亀井勝一郎/佐藤惣之助/尾崎一雄/武者小路実篤/北川冬彦/浅見淵/檀一雄/保田与重郎/古谷綱正
1935.10

太宰治
「ダス・ゲマイネ」
『文芸春秋』
昭和10年10月号
文芸春秋社
《編輯後記》 〔…〕◇頻々と起る地震禍、台風禍、日本はこの所天変的非常時に襲はれてゐる。無数の悲惨な被害の数々は我々に、自然の猛威の怖れでなしに科学的知識を要求せしめてゐる現状だ。防止の理論もこれを基礎としてのみ成立する。専門的にならず而も簡潔に終始した座談会は、此際切に読まるべし、である。〔…〕◇石川達三氏芥川賞授賞の後を受け、更に積極的に新人の抜擢によつて文壇一身の鋭気に燃えてゐる本誌は受賞候補者だつた新人四氏を以て本号創作欄を充した。〔…〕◇親友永田鉄山中将の死によつて痛く心撃たれた二荒伯爵は、こゝに皇学研究機関の設置を熱望して陸海両軍部に提言する。読む者をして襟を正さしめる。◇当今学生の堕落相を、彼等の服装から点検しようとする小泉博士の意向は、皮肉と科学的統計が物をいつて、否応なく迫るものがあらう。貴重なモデルノロヂイとして近来の一収穫。◇急逝した政治家床次竹二郎の一生をしみじみと語る山本氏、大作家荷風の日常に迫る生田氏、共に人物批評の雄。
太宰治「ダス・ゲマイネ」

主な執筆者
三田村鳶魚/山本実彦/和達清夫/戸坂潤/岡邦雄/小林一三/吉川英治/菊池寬/久米正雄/徳田秋声/松井翠声/川端康成/高見順/外村繁/衣巻省三
1937.1

太宰治
「二十世紀旗手」
『改造』
昭和12年1月号
改造社 
《編輯だより》 新年オメデタウ 〇誰を怨んでもしやうがない、三十億の負担はわれわれ国民の手で引受けねばならない。物価は見る見る暴騰してきた。
〇外交は大変な難局に陥つた。局長を差向けたり、総領事を帰服せしめたりしてお腹のできてゐないことを中外に広告したりした屈辱外交を清算するにはいい時期になつた。張学良のクーデターを契機として断然独善姑息の外交より国民外交に転ずべきだ。
〇突如支那に起つた張学良軍の一大クーデター事件に依て統一完成途上にある隣邦支那は再び軍閥抗争の国と化するか、或は赤化勢力の浸透の為に更に複雑なる様相を呈するか、事件の緊急批判の為締切後にも拘らず、大西、波田野、山川、山本、山上五氏の徹底的の究明をのせた。〔…〕
〇吾々は愈々多難な年を迎へやうとしてゐる。集中論題、『準戦時統制下の日本』、『日独協定批判』の如きがそれだ。国内情勢の急テムポの変化、国際関係の紛糾化、吾々はウンと肚を据えてかゝらねばならぬ。〔…〕里見弴氏の「金」は、氏自ら半生の力作と認むるもので、堂々百枚に及ぶ力作である。又徳田氏病後の第一作、武田氏苦心の作ならびに新人太宰その異色ある小説を採つた。寔
[まこと]、比類なき堂々たる創作陣と誇り得るものである。
〇付録フアシズム辞典は、世界的フアシズムの進行とこれに対する人民戦線運動の発展とが相拮抗して新たな世界的動きを見せつゝある時、何人にも看過を許されぬ絶好の必携書である。監修者宮沢、木下両氏は、最近の国際状勢、政治学に関する新鋭なる研究者として令名ある人々である。
 
・太宰治「二十世紀旗手」

主な執筆者
田中耕太郎/森戸辰男/小林秀雄/馬場恒吾/河合栄治郎/山川均/林芙美子/斎藤茂吉/麻生久/平林たい子/末川博/有沢広巳/戸坂潤/笠信太郎/斎藤隆夫/鈴木茂三郎/小島政二郎/広津和郎/向坂逸郎/伊藤正徳/横田喜三郎/長谷川如是閑/久米正雄/吉川英治/横光利一/里見弴/武田麟太郎/徳田秋声
 
1937.4

太宰治
「HUMAN LOST」
 
『新潮』
昭和12年4月号
新潮社 
 《記者便り》 〔…〕▼もう、雑誌は四月号の編輯を終へた。慌ただしい月日が過ぎて行く。「新潮」はお蔭で、この頃方々で好評を得てゐるので、記者も努力の仕甲斐を感じてゐる。各新聞の学芸欄で取上げられてゐる文芸上の諸問題も、屡々[しばしば]のこと「新潮」誌上で取扱はれた諸問題から展開されて、また新しい問題を提供してゐるやうである。……さういふ点から云つて、この四月号もまた、十分に興趣ある問題を含んだ諸評論をもつてゐると思ふ。例へば、中野重治氏の文芸時評「一般的なものに対する呪ひ」といふ三十枚に亘る評論、広津和郎氏の「強さと弱さ」、本多顕彰氏の「われら如何に生くべき」に見る切実なる感懐、民族精神を論じられること、今日ほど急なることない時に当つて、片山敏彦氏は「ギリシヤ精神について」語る。何れも御精読を得たい好個の評論である。〔…〕▼青野季吉氏に、一群の若き批評家の風貌面目を伝へていただいた「若き批評家について」なる一文を、木村毅氏に「日清・日露・世界大戦と文学」といふ、過去の戦争時代に、文学者は如何に戦争を見、如何なる文学作品を書いたかといふ事を、寄稿して頂いた。準戦時代といはれる今日、このエツセエは十分に関心をもたれ、かつ愛読されて然る可[べ]きものであらうと信じる。〔…〕   太宰治「HUMAN LOST」

主な執筆者
本多顕彰/青野季吉/片山敏彦/広津和郎/木村毅/中野重治/林芙美子/保田与重郎/高橋健二/中山省三郎/中島健蔵/中野好夫/葉山嘉樹/榊山潤/井伏鱒二(「取立屋」)
 
1939.3

太宰治
「続、富嶽百景」
『文体』
昭和14年3月号
スタイル社
(編輯者)
三好達治
(発行者)
宇野千代
 
《後記》 前号の「小説特輯号」は各方面の好評を博したが、本号も御覧の通りの充実した内容である。ただ何分にも頁数の狭少のため、折角頂戴した諸家の玉稿の割り振りがつかず、詩、小説、翻訳の数多くを組み置きのまま次号に廻さざるを得なかつたことを、諸家並に読者諸賢にお詫びしなければならない。御諒承を得たいと思ふ。〔…〕
太宰治氏の「富嶽百景」は本号を以て完結するが、豊かな情感を独自のスタイルに包んだ一家の作風は、新進田畑修一郎氏の好短篇と共に、正に新風掬すべきものと信ずる。井伏鱒二氏の「多甚古村」は、愈々佳境に入つた。〔…〕
 本誌十二月号所載坂口安吾氏の小説「閑山」は、芥川賞の有力な候補に上つたが、氏の「紫大納言」に次ぐ第三作も、やがて近く本誌創作欄を飾る筈である。小説とのみは云はず、評論に訳業に、益々「文体的」など公事のエコールを、徐々に確立したいと思ふ次第である。(編集部)
 
・太宰治(「続、富嶽百景」) 

主な執筆者
井上究一郎/上林暁/北原武夫/ポール・ヴァレリー(河盛好藏訳)/R・M・リルケ(大山定一訳)/中里恒子/阿部艶子/井伏鱒二(「多甚古村(二)」)
1939.4

太宰治
「女生徒」
『文学界』
昭和14年4月号
文芸春秋社 
《文学界後記》 ○岡本かの子さんが亡くなられた。どうも何とも御気の毒な事になつて了[しま]つたと思ふばかりで巧な哀悼の辞なぞ凡[およ]そ見付からぬ気持である。
○岡本さんに会うのは、実に苦が手であつた。あの長話しが僕には閉口なのであつた。社に電話が掛かつて来た時なぞ、受話器を手にして地団駄踏んだものである。とうとう捉まつて、噴水の様に迸しる話を聞き乍ら、呆れたり、感服したり、ともかく、僕の知つてゐる女流作家のうちで、何か非凡なものを持つてゐるのは、この人だけだと思ふのであつたが、その非凡なものが、漸く小説に現れ始めたと思ふ間もなく、亡くなられて了つた事は、いかにも残念な事である。〔…〕
○去年満州に立つて以来、亡くなるまで、一ぺんもお目にかゝらなかつた。これは、或る事情による、僕の頑固さと我が儘からであつたが、こんな事にならうとは思はなかつた。しまつた事をしたと思ふが、もうどうする事も出来ぬ。
○今月号をこの恩人の絶筆で飾らねばならぬ様になつた事、まことに悲しい事である。(小林秀雄)
 
太宰治「女生徒」 

主な執筆者
岡本かの子/井伏鱒二(「多甚古村の人々」)/立野信之/林房雄/三木清/保田与重郎/小林秀雄/亀井勝一郎/河上徹太郎/中島健蔵/川端康成/与謝野晶子/武田麟太郎/サント・ヴゥヴ(小林秀雄訳)/ヴァレリイ(吉田健一訳)/
 深田久弥/今日出海/舟橋聖一
1939.11

太宰治
「皮膚と心」
『文学界』
昭和14年11月号
文芸春秋社  
《文学界後記》 ○池谷賞が「呉淞[ごしょう、ウー・ソン]クリーク」の作者日比野士朗氏に決定し、その授賞式が去る九月二十九日レインボー・グリルで挙行された。集る者菊池氏外文学界同人十数名其他で、如何にも此の名篇の授賞を記念するに相応はしいいゝ会であつた。〇授賞が終つて、菊池氏は起ち、既に世に宣伝されてゐる此の作品が、此の授賞によつて新たに文学的価値が認められたといふ栄誉を加へたことになつた所以を述べ、更に次の様な意味のことをいつた。即ち、氏が戦争の場面を描く毎に一番参考になつたのは、実は日比野氏の此の作品で芥川つて、御当人は気がつかないかも知れないが、氏の作品は日比野氏から借りた所が沢山ある、と。これは日比野氏の作品の純文学的優秀さを証明する、此上ない事実だと私には聞えた。更に日比野氏が答へていふには、自分は元来小説など書いたことのない人間だが、この作品を書いた動機といへば、自分が死闘を終へて帰還したときに人から君の部隊の評判が、余りよくないといはれたので、一つ自分の感じた侭[まま]を率直に文章に書いて見ようと思いふついたのが、そのきつかけである。それが此のやうに認められて、こんな嬉しいことはないという意味のことを述べた。〇共に、文学する者にとつて心を打たずにはおかない言葉である。〔…〕(河上徹太郎)  ・太宰治「皮膚と心」

主な執筆者
大谷藤子/真下五一/岡本かの子/林房雄/浅野晃/尾沢良三/芳賀檀/桑原武夫/林達夫/T・S・エリオット/森山啓/中島健蔵/青野季吉
 
1940.2

太宰治
「駈込み訴へ」
『中央公論』
新人創作特選
昭和15年2月号
中央公論社 
《編輯後記》 □この二三年来、歴史進展のテンポが速度を早め、平常ならば五年十年の星霜を閲[けみ]する史的所産を、一年もたたぬ間に成し遂げて行く。紀元二千六百年!! 正に画期的に意義深い歳で一月一月が平時一年にも値する程の歴史の内容を構成して行くであらう。それだけに巨歩を大地に踏みしめてゆかねば、この一年の業績如何が、将来大きな誤差を生ぜしめるであらう。
□内政も外政も多難なりとはいへ、この『新日本再建』の劇しき胎動を大きな歴史的試練として受忍し、その艱難を堪へ得ざるやうでは日本民族の矜持を放たねばならぬ。強力内閣出現の要請はこの矜持をすてざらんとする国民的感情と見ていゝ。
□待望の新内閣出現によつて政局は更新、ここに厳しい国民の輿望は凝集して米内総理の双肩に負荷された。南極は誰しも識る所、国民の覚悟は堅いのである。締切間際の政変でわれらの趣意を尽くし得なかつたが、今こそ完き挙国体制の下に興亜鴻業の完遂に邁進しなければならぬ。〔…〕
□正宗氏の神品は、月を逐つて愈々犀利。なほ今月創作欄は挙げて俊鋭の新人作品を以て一貫した。いま赫耀たる再出発の約束される大田氏の力篇を初め、形式に於て内容に於て、各篇各自、等しく新人としての何等かの主張と意欲が流露してゐる。〔…〕
・太宰治「駈込み訴へ」

主な執筆者
馬場恒吾/岩渕辰雄/堀真琴/河野密/佐藤尚武/宇垣一成/幸田露伴/杉村楚人冠/野上豊一郎/野上弥生子/川田順/久原房之助/羽仁五郎/A・マルロオ/青野季吉/宇野浩二/長谷健/真杉静枝/壺井栄/石上玄一郎/北原武夫/大田洋子/正宗白鳥
 
1940.7

太宰治
「六月十九日」
 
『博浪沙』
昭和15年7月号
博浪社  
《龍骨車》 ×梅雨あけの炎天下、緑陰の涼風の好伴侶たる七月号をお送り出来ますのは、寄稿家各位の御高援によるもの、編輯部として何より嬉しいことで御座います。(T)〔…〕 
×三度食ふ飯も外来の、世の有様とかたければ言ひたきこと言はずして腹ふくらす輩多し。/ 筆を曲げ疎食にありつき昼寝哉 /×電光ニユース、店頭のラヂオ、目的は新報の速報を慌しき世に供すもの、然も結果は街頭、徒らに立ん坊を作るのみ。(近々亭)
×「歴史」の不入りに乗じて、日活重役連、儲かる映画に突進せんとす。知識階級に幾分の同感を与へてゐた「映画は日活」なる標語も遂に歴史的存在となるか。/×儲からぬ映画さへ作れぬものに、儲かる映画が出来たらお慰みだ。/×二月か三月待てば、安くみられるものを、一寸鼻をウゴめかしたいばつかりに五円も払つて「民族の祭典」をみる馬鹿者共。(そして各等満員の由)こんな奴が、第五列第六列だ。(雀舌軒)〔…〕
×今次の大戦に新武器なる者伝へられること頻々なり。然も是又前大戦の産物たるウエルズの火星人の武器の範疇を出づる事なし。空想は科学の埒外にあらず。科学の限界を描くものか。〔…〕(四三子)
 
・太宰治「六月十九日」

主な執筆者
水守亀之助/沖野岩三郎/森田草平/中山義秀/寺崎浩/宮尾しげを/近藤日出造/田岡典夫/平野零児/田中貢太郎
 
1940.11

太宰治
「きりぎりす」
『新潮』
昭和15年11月号
新潮社 
 《記者便り》 ▼政治上の新体制問題の進展にともなつて、わが文学部門でも、いろいろなかたちで動きを見せてゐる。このことは当然なことであらう。それにしても、新体制の本質なるものの在りどころを、はつきり認識することなくて、ただ道聴塗説の類ひをもつて、まことしやかに、かれこれと文学部門のことを云々してゐる人々のあることは、まことに嘆かはしいことで、〔…〕
▼新体制の進展につれて、本誌も、その内容にも十分に心をもちひて、編輯をすすめてゐるつもりである。例えへば、われわれの関心が、ともすれば外国文学の動向にとらはれてわが国のもつ誇りともすべき古典が顧みられなかつた点なども、その一つといつていいであらう。さういふ意味から云つても、「わが国の国民文学」といふ特輯の下で、上代・中世・近古・近世・明治以降のわが国の国民文学とは如何なるものであるかを、再検討してみることも、この時代にあつては、最も適切なことであらねばなるまい。又、文学にあらはれた民族の優秀性について再認識することもJ当然なことであらう。〔…〕現在われわれの関心の的となつてゐるドイツの、文学の伝統と現実を知ることも、また当然なことであらう。さらに翻って、何故に、フランスはかくも脆くも敗れたかといふことを、思想的な観点から見ることも徒事ではあるまい。〔…〕
▼記者は時局の進展とともに文学界の動向に対しては、つねに新しい感覚と、謬
[あやま]りのない認識のもとに、わが国の文学に、何んらかの意味で寄与したいと念じてゐるのである。幸に、記者の意図あるところを汲まれて、今後とも応分の御援助をたまはりたい。
太宰治「きりぎりす」

主な執筆者
保田与重郎/浅野晃/藤田徳太郎/舟橋聖一/塩田良平/雅川滉/小田嶽夫/向井潤吉/恩地孝四郎/鼓常良/伊藤整/上田広/三好十郎/今日出海/小松清/河盛好藏/高橋新吉/新田潤/稲垣足穂/北原武夫/島木健作
 
1941.1

太宰治
「東京八景」
『文学界』
昭和16年1月号
文芸春秋社 
《文学界後記》 〇多事多端の二千六百年も暮れて、こゝに新しい世紀の第一年の新年号を世に贈る。/とはいへ、本誌の例として別に正月号らしいサーヴイスも編輯上では出来なかつた。蓋[けだ]し、新体制の動きは翼賛運動となつて秋以来着々進んでゐるし、それと並んで本誌の編輯プランも、目だたない乍[なが]ら、一二ヶ月前から自ら出来た一つの方針の下に着々動きつゝあるので、今更盆も正月もない訳なのである。
〇新体制運動の進行と共に、確かに文芸雑誌の役目は変つた。以前は文壇といふ自主的な社会の機構に対して之に追随する機関誌であつたが、その後次第に文壇を漸層的に改組して之を文化的に位置づけするのを任務とするに至つた。然しそれが完成されないうち更に現在では変つて、文学そのものを解体して之を一国のの文化面に浸透せしめて、そこに文学の存在理由を確かめるといつた使命を帯びるに至つた。これは政治に於ける文化の使命が検討再認されるやうになつて来た時節柄、必然のことである。
〇或る文芸雑誌の如きはいちはやくさういふ傾向に対して反応を示して来た。あれはあれでいゝと思ふ。然し本誌の如き雑誌は、執筆者の内在的な力といつたものに頼るべきものである故に、矢張独自なゆき方があると思ふ。しかも現在は、人為的な強制は抜きにしても、眼前の光景の印象の強烈さに幻惑されて、此の内在的な力が当人にも掴み難い時代である。さういふ操作に役立つために、本誌並に我々編輯者の責任は大きいのである。
〇長らく本誌の編輯をやつてゐた内田克己君が、此度翼賛会岸田文化部長の希望で、同氏の所に働くことになつた。地味ではあつたが本誌のための内田君の功績は、野々上、式場両君の名と共に忘れられない。〔…〕(河上徹太郎)
 
・太宰治(「東京八景」)

主な執筆者
今日出海/三木清/保田与重郎/亀井勝一郎/芳賀檀/小林秀雄/林房雄/中島健蔵/北原武夫/阿部知二/三好達治/青野季吉/川端康成/井伏鱒二(「郷土大概記(三)」)/田畑修一郎/日比野士朗/舟橋聖一
  
1941.2

太宰治
「服装に就いて」
『文芸春秋』
昭和16年2月号
文芸春秋社  
《編輯後記》 〇松岡外相はラヂオを通じて、海外同胞に呼びかけ、紀元二千六百一年の重大性を強調して、一大奮起を要請した。これは独り海外同胞への要請ではない。日本国民たるものは誰しも銘記すべき要請である。〇祖国日本は今や真に重大事局に直面してゐる。陰鬱なる底流が国民各層に流れてゐる。じつくり自己反省すればその底流が何処に水源を持つかが明瞭になつてくる筈である。〇積極的に、情熱を傾けて仕事をする努力がつまらない努力とせられて、国民はその日暮らしの不安に希望を失ひつつあるのではあるまいか。それではならない。〇当面の日本は逆行であり、反動であると言ふ。或は旧体制的勢力の反撃であると言ふ。何れにしてもそれは否定されねばならない。祖国日本はあらゆる苦艱を突破して前進せねばならぬ。所謂日本的革新そのものが明確に再吟味されねばならぬ。〇日本のジヤーナリズムはその祖国への責任の大きさを益々深く認識して、更らに積極的に日本を前進させるべく闘はねばならぬ。今こそジヤーナリズム自身も自己革新を要請されてゐる。〇米国の対日攻勢は愈々[いよいよ]あらゆる角度より展開されてくる。日本戦ふべし! 戦争開始は何時? 論議が囂々[ごうごう]と巷に溢れる。戦ふべき時到れば大いに戦ふべし、我に万全の準備ありの自信に、事態の現実を深く掘り下げる必要がある。特輯せる理由も此処に在る。「米国の攻勢とと日本の決意」座談会は味読されたい。〇休会明けを以て再会せられる翼賛議会は注目せられねばならぬ。風雲は愈々急である。山積せる諸問題は独り議会の運命を決定するのみならず、日本の運命を決定する意義を持つ。議員諸君の充分なる審議を期待し、国民の意思の発顕の完[まった]からんことを切願する。〇四月より愈々国民学校が開始される。注目されねばならぬのはその教育の担当者たる教師の問題である。前後の予告により、「新体制下の生活記」のうち、「小学教師の生活記」三篇を特輯した。日本文化のために小学教師の在るべき位地を示唆するものである。〔…〕 太宰治「服装に就いて」

主な執筆者
高野辰之/山口誓子/関根秀雄/高良富子/嘉治隆一/木村禧八郎/窪田章一郎/五島美代子/飯田蛇笏/石田波郷/桑木厳翼/林房雄/小松清/村上知行/安部能成/夏目純一/菊池寬/渋沢秀雄/小林秀雄/中山義秀/志賀直哉
 
 1941.11

太宰治
「風の便り」
『文学界』
昭和16年11月号
文芸春秋社 
《文学界後記》 九月下旬には私の郷里のある中国地方へ文芸銃後後援にいつて来た。毎度乍[なが]ら此の後援に就いては、従来の文芸講演会と一緒に考へられて呑気なことをいゝ気になつてやつてゐるやうな陰口をきかれるのは口惜しい限りだが、参加した人は皆感じてゐるやうに、此の旅行は決して派手なものでも楽なものでもない。先づ題目が限定されてゐる。それから、名士が訓話を与へるつもりで壇上へ立つたら必ず失敗する。翼賛会、情報局御立会ひの下に、全く平の一国民として皆と一緒にものを考へるといふ覚悟でやらねばならぬ。だから、テーマは同じでもしやべり方はいつも気を遣つて変へてゐねばならぬ。それからスケヂユールがびつしりだから、夜講演がすむと早く寝て早く起き、次の土地へゆくまでの午前の汽車の中が唯一の休養補給の機会だ。そんな訳で、四五日もするとみんなぐつたりして、親しい中でも口をきくのが厭な位不機嫌になる。呑気に酒をのむとか、フアンに取巻かれてもてるとか、思ひもよらぬことだ。それでゐて、経済的に持ち出しなのはもとより、健康や仕事の妨げになることは覚悟の上である。
 題目についていへば、文学者が必ずしも文学について語らぬ所に、他所
[よそ]目には安易さが考へられるのだが、実はそこが困難な所であつて、俺には筆の上でこれこれの傑作があるが、それはそれとして今は余技を御目に掛けるといつた余裕のあるものではない。日によつてとても出来不出来があるのも、また、しやべりつけぬ文士のことゝはいへ、いつまで経つても舞台馴れないのも、そのためである。
 要するに講師の一人として、我々の力の不足は勿論認めてゐる。然し、不真面目や不熱心が些
[いささ]かでもあるやうに思はれては、誠に心外の限りである。
 来月から全雑誌の発行日の変更があり、本誌は二十七日発売となる筈だ。従つて次号と丁度一と月半間があくが、筆者も読者もその期日をお忘れないやうに。(河上徹太郎)
 
・太宰治「風の便り」

主な執筆者
亀井勝一郎/萩原朔太郎/三木清/保田与重郎/佐藤信衛/渡辺一夫/青野季吉/河上徹太郎/西村孝次/伊藤信吉/大木実/江口榛一/三好達治/上田広/芹沢光治良/津村秀夫/中村光夫/舟橋聖一/森山啓
 
  1942.1

太宰治
「新郎」/「(文学の新しき道) 或る忠告」
『新潮』
昭和17年1月号
新潮社 
《編輯日録》 ▼昭和十六年十二月八日、日本はつひに米国、英国と戦端を開いた。/畏くも、大詔渙発された。/この大東亜戦争の経過についてはここに、記者が改めて述べるまでもなく、すでにわが一億の同胞が、朝に夕べに、ラジオ、新聞によつて心肝に銘じてゐる。無敵皇軍は、広茫一万哩にわたるひろき西太平洋に陣を敷いてゐる。何んたる壮絶さであらう。それにしても、ハワイ、マレイ沖にて敵艦を撃沈し、比島において敵機数百を撃墜破したといふ。なほここに記者もまた、開戦劈頭の陸海軍が有史以来の大戦果をおさめて、わが日本の皇軍が精鋭無比なることを世界万国に誇示して余りなかつたことの喜びをのべてもいいであらう。日本人として、この喜びをあらはさないものは、日本人ではないであらう。かつて経験したことのない、歓喜と緊張のなかにあつて、昭和十七年の新年号の文芸雑誌を編輯してゐるといふことも、われら、日本人としての光栄を身にしみておぼえるものである。中村武羅夫氏は本号の巻頭において、「日、米、英開戦と文学者の覚悟」といふ題下で、「神国日本が正義の師を起して暴戻不遜なる米、英両国の上に膺懲[ようちょう]の一大鉄槌を加ふべき時いたりたる」こと、そして、「苟[いやしく]も日本国民たるもの、一人残らず、一切を大君に捧げまつりて、鍬を握る者は鍬を握り、筆を執る者は、筆を以て、忠誠を尽す心に変りがあるべきはずはない」と烈々なる文字をもつて文学者の覚悟のほどをしめした。
 まこと、筆を執るものも、この覚悟を覚悟として、われわれは仕事をつづけて行くであらう。そして皇軍将士の武運長久を念じる。
 ▼十二月十六日、日本出版文化協会の雑誌分科会が開かれた。そして、「決戦体制下の雑誌対策」についてのことで、いろいろと、今後の雑誌の方向について語られた。編輯者の意のあるところは、別項のとほりの決議にもみられるとほりであるし、この「編輯日録」にもみられるとほりである。 
 ・太宰治「新郎」/「(文学の新しき道) 或る忠告」

主な執筆者
中村武羅夫/保田与重郎/草野心平/上林暁/福田清人/尾崎一雄/野口冨士男/岩上順一/井上友一郎/白川渥/平野謙/長谷健/本多顕彰/菱山修三/大木実/室生犀星/森三千代/伊藤整/金史良/田畑修一郎/岩倉政治/宮内寒弥/舟橋聖一/火野葦平
 1942.2

太宰治
「十二月八日」
『婦人公論』
昭和17年2月号
中央公論社
(編輯人)
湯川龍造
 
 《編輯後記》 積年の鬱結したモヤモヤの感じが一時に発散して、全国民は寧[むし]ろ快哉を叫んだ、これが米、英に対する宣戦の大詔を拝した日の全国民の実感であつた。ラジオの前に直立して、あの荘重な声で国民に告げられる大詔を拝しつつ、私は流れ出る泪をとどめえなかつた。戦は長期に亘つて闘はれるであらう。闘ひ勝つ為には極度の困苦を忍ばねばならぬであらう。然しそんなことが何だ。物の不足はこの感激の日の国民の志を奪ふことは絶対にないであらう。長い戦争の日日の時間も決して国民のこの炳乎として天を貫ぬく壮烈なる志気を蔽ふことはないであらう。過去の光栄ある日本精神を伝承して、今後幾十百年に亘つてこの戦ひがつづかうとも、闘ひ勝つまでは断乎として我等日本国民は聖戦の大旆を推し進めてゆくであらう。我等もさうであるが。読者諸姉の多くも、日清、日露の感激の日を鮮明には記憶されてゐないであらう。生を享けてかくまで旺[さかん]なる感激を燃やしたことは未だなかつた。光栄の日にめぐり会ふことの欣ばしさ。一切を大君に捧げまつりて今ぞ悔なき日と時間を、命ある限り送らんことを今日の日の誓となさん。
 諸姉は今日まで幾度か、独逸に於て伊太利に於て、国土を挙げて戦ひつゝある盟邦諸国の女性の活動を聞かれたであらう。その壮烈なる交戦国の女性としての活躍を感嘆しながらも、余裕をもつて読まれたであらう。それ程日支事変の五年はゆとりがあつた。然し事態は今度こそ違ふのである。大東亜戦を闘ふ我等は、独、伊諸国と同じ、否、より以上の困難をも覚悟しなければならない。この困難に闘ひ勝つてこそ、最後の光栄は吾等のものである。諸姉は全精力をあげて、国家が要請する任務を果していただきたい。決戦下の国民生活安定は当面の最重要問題であり、そして又諸姉の力を絶対必要とするものである。特輯を試みたのもその意味よりであるが、説かれるものを超えて、諸姉の精力的創意と努力によつてより一層の効果をあげていただきたい。女性徴用の問題もまた諸姉の積極的な愛国心の顕現をまつてゐる。闘ふものの光栄を諸姉自らのものとして、、闘つて、戦つて闘ひ抜いていただきたい。皇軍緒戦の赫赫たる戦勝の報をききつゝ私達はもう何も言ふことはない。国民としても最善を今は、ただ尽すのみである。諸姉の御健闘を切望するのみである。(龍造)

         決    議
畏くも宣戦の大詔渙発せられたり 洵
[まこと]に皇国の隆替、東亜興廃の一大関頭なり 吾等日本編輯者は謹て聖旨を奉体し、聖戦の本義に徹し 誓つて皇軍将兵の忠誠勇武に応へ鉄石の意志を以て言論国防体制の完璧を期す 右決議す  
   皇紀二千六百一年十二月十二日    日本編輯者協会/中央公論社
・太宰治「十二月八日」

主な執筆者
斎藤茂吉/中谷宇吉郎/野上弥生子/窪川稲子/平貞蔵/鈴木東民/奥野信太郎/安部能成/有坂愛彦/高倉テル/武者小路実篤/真船豊/徳永直/羽仁説子/芹沢光治良/富沢有為男
 
  1942.5

太宰治
「水仙」
『改造』
昭和17年5月
改造社 
《編輯後記》 〇もとより戦争のもと、徒らなる相克摩擦はつとめて避けねばならぬこと、ここに贅言するまでもないが、決戦国内体制の整備断行は一刻の遅滞も許さない。今時戦争の正確に決定され目的に添ふところの国内体制の確立は、長期戦完遂の礎ともなるべきものである。一億国民の湧き上る翼賛の精神を火を消さずして効果あらしめんには、清新強力なる国内革新は不可避であらう。各新政治貫徹の方途を敢て特輯する、又この一助たらんとする熱意によるものである。
〇印度洋にわが凱歌あがれる日、英国の対印懐柔は全く無効に帰した。世紀に跨
[またが]るイギリス帝国主義の圧政と搾取をはねのけて、今こそ印度は、アジアの印度として甦らねばならない。日本を領導とする大東亜共栄圏の一翼として印度民族の興起せんことを待望してやまぬ。矢内原、網本両氏の説論は細を尽して遺憾ない。〔…〕
〇皇軍の赫々たる戦果に応ふるべく、国民の熾烈なる熱意は挙げて今次翼賛選挙へと濺
[そそ]がれてゐる。長期戦を倦[う]むことなく戦ひ抜かんとする国民の決意は、一票一票に託されて、清新なる議会政治建設へと燃え上つてゐる。この澎湃[ほうはい]たる政治意識高揚の実相を、地方に探つた平貞蔵氏、また先年来学的見地より各地を視察し歩ける小野武夫氏の報告は、時期にふさはしき必読の文字となつた。
〇新生せる昭南島に飛んで、身親しく硝煙の香消え去らぬ新戦場に立つた山本社長より、この建設戦争のまつ只中にあつて、民族百年の経綸と生彩ある感触とを充溢させた一文が届いた。氏の鐫鋭
[せんえい]なる眼眸に映つた南保圏の相貌を伝へて快文字をなす。 
太宰治「水仙」

主な執筆者
鶴田三千夫/海後宗臣/石原純/矢内原忠雄/岩渕辰雄/ギヤラハー/保田与重郎/高橋誠一郎/相馬御風/平貞蔵/小野武夫/前田普羅/会津八一/山本実彦/葉山嘉樹
 
 1943.1

太宰治
「黄村先生言行録」
『文学界』
昭和18年1月号
文芸春秋社  
《文学界後記》 〇巻頭の座談会は、十月号の座談会「近代の超克」が結論をなす刻下の我々の生きる道を説いたものが何もないので、それを同人仲間でつけようといふのが動機で催したものである。従つて顔触れも特に吟味した訳ではないが、これが出遭ふや否や、忽[たちま]ち大激論を生み、やがて大混乱に陥つた。各出席者の真剣な直言は、実に目覚ましいものがあつた。然し何といつてもその侭[まま]読者に公開する体をなしたものではないので、大苦心の揚句、林亀井両君の神仏論を中心に一篇を編んだが、読んで見て十分啓示に富んだものが出来たと、私は喜んでゐる。
〇南方に徴用された友人達が続々帰つて来る。彼等の話は、種々雑多だが、然し一言一言聞く者の胸を打つ。さしあたつての休養と神経の調整が今の所みんなに必要だと私には思へるが、その後の活動が期待される。それがどんなものを生むか? 貴重な報告書のは外に、真に今後の文壇の中枢をなす大切なものが彼等の土産の中にはひつてゐることは、既に誤たず私の眼に映つた。
〇一般文学雑誌の解体の中にあつて、同人諸氏の本格的な勉強は自から本誌に集中してくる傾向が、顕著に見える。既に本誌でもさうだが、来月あたりは相当それが濃厚になるだらう。編輯してゐて自然いゝものが集まるのは、嬉しいやうな、くすぐつたいやうな気持である。〔…〕(河上徹太郎)
  
井伏鱒二「十七年七月下旬ころ」
・太宰治「黄村先生言行録」

主な執筆者
岸田国士/青野季吉/森山啓/芳賀檀/河上徹太郎/久米正雄/高橋健二/片岡鉄兵/西村孝次/横光利一/亀井勝一郎/三好達治/芹沢光治良/井伏鱒二(「十七年七月下旬ころ」)/中山義秀/阿部知二/今日出海/石塚友二
  
  1943.4

太宰治
「鉄面皮」
 『文学界』
創作特輯号
昭和18年4月号
文芸春秋社
《文学界後記》 本号を出す抽象的な趣旨については、はしがきに書いたからその方を読んで貰ひたい。/これを出すのに、去年からかゝつてゐる。/去年の秋、米子や松江の方へ、報国講演の旅に出たとき、同行の河上徹太郎と、途すがら小説復興論をやつてるうちに、来年の四月頃特輯号を君が世話して出せといふ話になつのが、ともかく実現したのである。/慎重を期するために、この正月、中堅作家に檄を寄せて、執筆の志を契るための顔合せをやり、その後も時々、激励の文を書きおくつたが、その中、志を契つた人が全部書いてゐるといふわけではない。これによつても、雑誌記者の苦心の並大抵ならざることが、わかつたが、同時に、小説といふものが、いかに六ヶしいものかといふことを、自他共に、大いに考へさせられるわけだ。雑誌記者的外聞に拘泥せず、当夜、集つた顔触れをいふと、書いた人のほか、川端、中山、横光、宇野(千)、阿部(知)などがゐたが、彼等もこの会に来た処を見ると、書く気は大いにあつたのであるが、残念ながら、思ふにまかせなかつたのであらう。/林房雄も北京へ出かけてしまはずば、書いてくれる筈であつた。又、文学界の同人の中には、帰還作家が大勢ゐるが、この人たちも今月は、講演に出て廻つて、小説が書けなかつたらしい。/その代り来月号は賑[にぎや]かになると思ふが、僕の世話は、一号だけといふ約束でもあるから、来月からは、又、河上がやつてくれるのである。/その代り、本号を素材にして、六月号あたりに、小説家と評論家の、「現代小説論」なる座談会をやることを約束したい。評論家は溌剌たる攻勢を展開するといつてるが、小説家も亦、負けずに之を邀[むか]へうつ手筈はあるであらう。文芸的会戦ともいふべきである。(舟橋聖一)  ・太宰治「鉄面皮」

主な執筆者
深田久弥/永井龍男/石塚友二/真杉静枝/舟橋聖一/芹沢光治良/室生犀星
 
  1944.1

太宰治
「佳日」
『改造』
昭和19年1月号
改造社 
《編輯後記》 〇偉大な、大東亜戦争第三年の年が明ける。新しい国生みの大業成つて、アジアの新春が明けるのだ。われわれの祝辞は、征戦完遂と米英撃滅の決意に外ならぬ。〇この決戦の新年号にかなつた充実した内容を以て編輯し得たことは、吾々の誇りでもあり、喜びでもある。決戦への態勢強化、大東亜共同宣言の浸透と具体化、我々が今年に於て果すべき諸課題について執筆をいたゞだいた諸家に厚く感謝する。〇敵の反攻もますます必死の度を加へるであらう。ことに太平洋戦局の重大さはこゝに言ふまでもないが、末次大将が専門の立場から縦横に論じられた所に教へられるものが尠くない。〔…〕〇この春には出版決戦態勢の確立も愈々[いよいよ]本格的に実現することであらう。永い間の念願の実施を前にして、吾々は愈々編輯報国の至誠に徹すべく、自省と決意を新たにするものである。〇曩[さき]に発表した科学技術文芸の募集も、いよいよ締切りまで一ヶ月を余すに至つた。この戦ひを勝ち抜くために、科学技術の必要が叫ばれ、その為の措置が色々講ぜられてから、すでに久しいが、国民一般の生活に根を下ろすにはまだ不十分の憾みがあるといへる。此の試みが少しでもその様な方面のお役に立つと共に、日本文学の主流に新しい風潮を導きうることになれば、望外の喜びである。江傾の協力と支援に切に俟ちたい。〇藤村と並んで、文壇の巨きな足跡をのこした徳田秋声氏の死は、哀惜にたへぬ。この機会に心から追悼の意を表し度い。  ・太宰治「佳日」

主な執筆者
井沢弘/板沢武雄/大串兎代夫/難波田春夫/関口猛夫/末次信正/平間孝三/斎藤瀏/佐藤垢石/白井松次郎/日野藤吉/陳彬龢/石坂洋次郎//坪田譲治/佐佐木信綱
 
  【以下、戦後】   
1946.1

太宰治
「庭」
『新小説』
創刊号
昭和21年1月号
春陽堂
(編輯兼発行人)
松本太郎
《編輯後記》 ▲新生日本が平和的文化国家たることが明示せられ、その与へられた自由の波に乗つて、文化面に於てはかつて見ざる活発な動きが見られんとしてゐる。併し、かつては自由を阻害し、フアシズムに加勢し、有能なる文化人を抑圧する暴挙に出たものまでが、自由の名によつて自己の温存進出を計らんとしてゐる傾向がありはしないか。
▲日本文化の再生と云ふ大業が、例へば雨天が青天になつたと云ふが如き単純な変り方で建設されるものではない。
▲日本文化の再生の為めには、単に日本文化に於ける戦争責任者の追及や、その責任の所在を明かにするだけではなく、日本の民主主義実現のために、戦争責任者の反民主主義を掃蕩することから先づ始められねばならなぬと思ふ。
▲文学が、国の、そうして国民の良心であるならば、先づ我々は我々の新しい文学によつて、失はれたる日本の、そうして日本国民の良心の恢復を計らねばならぬ。文芸雑誌の責任の重大なることを切に思ふものである。
▲かつての新小説は、幾多の新人幾多の名作を文壇に送り、明治大正の文学史に多大の貢献をなしたのであるが、今我々は、文化国家としての新しい日本の為めに、文芸文化の領域に於て微力を尽し、公器としての役割を十分果したいと念願するものである。特に新人育成のためには、その、よき苗床たるべく、最善をつくす覚悟である。切に御協力を得たいと思つてゐる。(松本太郎)
 
・太宰治「庭」

主な執筆者
中野好夫/河上徹太郎/亀井勝一郎/西村孝次/石川達三/丹羽文雄/土方与志/久保田万太郎/柳田泉/津村秀夫/岩倉政治/倉光俊夫
 
 1946.2

太宰治
「嘘」
『新潮』
昭和21年2月号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
 
《---》 ▽本誌の世界文化情報は担当者某氏の非常な苦心になるものであるが、匿[かく]すより現はるゝなしで、各方面から非常な好評を博してゐるのは有難いことである。このとはどんなに些細な部分に於いても編輯者は常に全力を尽すべきことを教へるものであつて、拳々服膺[ふくよう]すべき教訓である。
▽アランの「芸術百一話」は本号を以てすでに四ヶ月連載されて居るが、回を重ねるに従つてますます好評である。これは最初約半年間連載の予定であつたが、読者からの引続き連載の希望が高いので今後当分連載するつもりである。当代碩学アランの時流を超越した名エツセイは、なほ当分、読者を堪能させてくれる筈である。なほ本稿のために鏤骨
[るこつ]彫心される訳者の河盛好藏詩にも読者と共に感謝したい。
▽最近の永井荷風氏の眼ざましい復活ぶりは多くの新聞雑誌に荷風論を氾濫させてゐるが、本誌でも多年荷風文学を研究して来られた北原氏にお願ひして、荷風先生の近作について論じて頂くことにした。これはその考察の深さに於いて群小の荷風論を断然抜くものであり、同時に新しい世代に属する誠実な文学者の信条のきびしさを示すものである。〔…〕
 
太宰治「嘘」

主な執筆者
武者小路実篤/水野亮/吉川幸次郎/高橋健二/西川正身/渡辺一夫/本多顕彰/北原武夫/桑原武夫/アラン/内田百間/森山啓/林芙美子/川端康成
 
  1946.5

太宰治
「未帰還の友に」
『潮流』
昭和21年5月号
吉田書房 
《編輯後記》 文化(Kultur)のラテン語の元来の意味は土地の耕作であり、有用な労働の意味であるといふ。さうであるとすれば文化といふ言葉の実在、即ち人間が自然に挑んで、自然に優越し、その理想を実現せんとする過程である現在に於て、文化に対する最大の矛盾を発見するであらう。/我々人類は生きることに於てあらゆる苦難と闘つて来た。寒さ暑さに対しても、食ふことに対しても、住まふいことに対しても、――そしてその構成要素である宗教や、政治や、経済や、法律や、道徳や、文学や、芸術や、科学等を生み出して来た。然し現実を眺めて見るならば是等の文化財は、土地の耕作と、有用な労働の奉仕者である大衆のものであらうか? /芸術を一つとらへて来てもさうである。芸術とは人間の情緒と思想とを具体的に表現するものである。それなるが故に今までの芸術の社会的役目は、人間の情緒や思想を、芸術的形式の中に捉へ、それを組織化することであるた。その芸術的形式とは何んであるか? 即ち、封建的イデオロギー、近くは軍閥的イデオロギーの中に形成された芸術的形式である。斯くして政治も、経済も、芸術も、教育も、科学も、乃至は文化もあらゆる一切のものが特権階級に壟断[ろうだん]せられて来たのである。それだけに我々の観念も、実在も、過去の古き矛盾と、不徹底の中に定限されてゐるのである。/文化とは、精神文化と物質文化の二つの本質から見られる。現実の物質文化とは、生産の問題であり、精神文化とは、社会意識の問題である。/人間の究極の目的は一つである。宗教でいふ神、哲学でいふ真、善、美の世界、科学でいふ真理はみな同一の目標である。我々人間がこの究極の目的に向つて闘ふ真摯なる要求と、純粋なる意欲とは、決して他に専横されていいものであらうか。/こゝに我々は真に新しき文化建設への急務がある。封建的文化の破摧[はさい]と、その揚棄と、而して新しき文化の建設への使命がある。/次号において特輯する、科学の問題は文化国家建設への最大な実践的武器である。(吉田)  ・太宰治「未帰還の友に」

主な執筆者
下村寅太郎/青野季吉/松本慎一/川島武宜/杉浦明平/瓜生忠夫/下村正夫/丸山鉄雄/児島喜久雄/中野好夫/牧野英一/嘉治隆一/神保光太郎/高安国世/松本正雄/神沢虎夫/岡鹿之助/石川達三
1946.5

太宰治
「苦悩の年鑑」
『新文芸』
昭和21年5月号
虹書房 
《編輯後記》 作家や読者の方々の絶大な御支援を得ながら、第三号はまた遅れました。/時日は遅れたけれども、しかし新文芸も第三号に至つて全頁小説特輯の画期的事業をなし遂げました。/〔…〕お忙しい中を、特に新文芸のために御寄稿下さつた宇野、室生、丹羽德田その他の諸氏に感謝するとともに、ジヤーナリズムの夾雑物を排し、純文学の孤城を守り抜くことを誓ひます。(宮内)
〇いま、第三号を校了する編輯室で、創刊以来の過去をふりかへると、万感溢れるものがあつて、印刷、紙、色々と多難な将来も考へるとはるばる来つるものかなの感じである。しかし私達は、最初盟約した純文学の孤城を守といふ固い決意はたやすく捨てるものではない。寧
[むし]ろ風に当つて、根はぐんぐんと地下にはるいつぱうだ。その意味で三月号を休刊の上第三号は遅れたけれど、編輯の良心と熱意を示した筈だから、どうか隅々まで読了して頂きたい。次号は原稿も揃つてゐるしなるべく早く出して読者の許へ届けたく思ふ。先号も書いた如く投書投稿は山積してをり、これは全部、各編輯員が責任をもつて取扱つてゐるがいちいち返事返送をしてゐたら、肝心の仕事の方が留守になるので、悪しからず御了承して頂きたい。然し、投稿の中からも尊重すべきものはする積りで、読者の熱意とさういふ文学的精進に対してはいづれ本誌を開放する折もあらうと思ふ。〔…〕(水上勉)  
・太宰治「苦悩の年鑑」

主な執筆者
室生犀星/德田一穂/宮地嘉六/石塚友二/丹羽文雄/牧屋善三/山岸一夫/野口冨士男/外村繁/宇野浩二
  
1946.6

太宰治
「冬の花火」
『展望』
昭和21年6月号
筑摩書房
(編輯者)
臼井吉見
《編輯後記》 ◇編輯後記を書く段になつていつも思ふことだが、編輯者の頭に描いてゐた誌面と、出来上りのそれとは、いつもかなりのひらきがあるということだ。何としたところで、執筆者相手のことだから当然であらうが、このひらきが実に気にかゝる。出来栄えを褒められても、さしてうれしくなく、と言つて、けなされれば、癪にもさはるが、さもあらうと思ふことが多い。
 かういふ時代には、特定の政党の機関誌なり、またはそれに準ずるものでないかぎり、編輯者を噛む苦渋は、世の褒貶ぐらゐで消えるものではない。我々は絶えずこの苦悩のなかに仕事をおし進めるつもりである。断じて方向を誤らぬこと、一歩一歩前進すること。さういふ思ひが本号あたりにも出てゐると思ふが、停止したかたちのところもあるやうだ。かういふことは誰に言はれなくても、我々自身知つてゐるつもりである。刻々に自己を革新し、一歩々々ふみかためて前進したい。オプテイミズムとオポチユニズムは峻拒せねばならぬ。
◇「冬の花火」は、作者が自信を以て世に問ふ本格的な戯曲である。読者はこの作者について新しく発見する処があるだらう。
◇次号には、和辻博士の「歴史的自覚の問題」百枚、荷風氏の小説「問はずがたり」百五十枚を掲載の筈。御期待を乞ふ。 
・太宰治「冬の花火」

主な執筆者
高坂正顕/鈴木大拙/山川菊栄/唐木順三/遠藤嘉基/永末安明/斎藤忍随/古在由重/ジュリアン・バンダ(杉捷夫 訳)
  
1946.7

太宰治
「チャンス」
『芸術』
1
昭和21年7月
八雲書店
(編輯人)
新庄嘉章
《後記》敗戦以来文化の貧困といふことが屡々[しばしば]口にされるが、われわれにも世界に誇るべき文化の伝統はある。然しその本然の姿が人為的に歪められてゐたのである。美しい伝統を継承し、それを創造の中に融かししこんで行かねばならない人間性が、希薄にされ、喪失されてゐたのである。われわれは先づこの人間性を本然の健康な姿に引戻さねばならぬ。さすれば、そこに文化も向上し、芸術も栄へるであらう。敗戦はわれわれに厳しい試練を与へつつある。ともすれば絶望に陥る瞬間もある。然し人間性を取戻す好機会がここにあるといふ希望は、前途になほ多難な荊棘の道を予想させつつも、われわれに生きる欲求を与へてくれるものである。/『芸術』の発刊も、この希望に生きる者の一つの試みである。//知識人はいかなる時代に於ても、ものの動きに最も鋭敏な触覚を持つもので、従つて現代のやうな不安動揺の時代には、その精神安定の枢軸を求めるために最も多く悩んでゐるが、浅井真男、小口優、池島重信三氏の説くところ、必ずや《知識人の道》について何らかの暗示を与へるものと信じてゐる。〔…〕/深い尊敬と鋭い批判を以て文壇の巨匠に迫る新鋭岩上順一氏の五十枚に垂[なんな]んとする『志賀直哉論』をはじめ、犀利な叡智と温い詩情を併せ持つ青野季吉氏のエッセエ、井原宇三郎氏の現代美術論、渡辺一夫氏の頗[すこぶ]る含蓄ある文章、ヴィヨン研究の第一人者佐藤輝夫氏の翻訳、その他いづれも甲乙なく愛読願ひたいものばかり。山内義雄氏の『眠れる女』に到つては、何人もがこなし得ぬジロドゥーの陰影深い文章を、鏤骨彫心、正に完璧な姿に移し得たもの、ドランのデッサンとともに併せ味はつて頂きたい。〔…〕//従来稍々[やや]もすれば文学、美術、音楽などが夫々孤立のかたちにあつたが、本誌はこれらのものの刺激交流によつて芸術の健全な発達を促したい念願を持つてゐる。創刊号にはまだこの企画は十分活かされてゐないが、号を追つて理想的なものに育て上げたいと念じてゐる。大方の御支援を切にお願ひ致したい。(新庄嘉章)  ・太宰治「チャンス」

主な執筆者
浅井真男/小口優/池島重信/会津八一/三好達治/仁戸田六三郎/横山大観/片山敏彦/中川一政/日夏耿之介/岩上順一/青野季吉/富安風生/飯田蛇笏/渡辺一夫/アンドレ・ジイド(新庄嘉章 訳)/ジャン・ジロドゥー(山内義雄 訳)丹羽文雄/宮内寒弥
 
1946.9

太宰治
「春の枯れ葉」
『人間』
昭和21年9月号
鎌倉文庫
《編輯後記》 ★日本が戦争に敗れ去つた原因の最も大きい一つに、端的に云つて、われわれが真に近代に生きてゐなかつたといふことが挙げられるであらう。明治開国とともに日本が直面したのは、ルネサンスに始まり科学文明の展開を経て結実ししかも既に爛熟の時期に達してゐた十九世紀ヨーロッパの近代文化であつた。異常な速度と精力をもつて日本は近代の精神を学びその文明を貪るやうに輸入摂取した。そかしそれはそれらを冷静に批判する余裕をもたぬ後進国の不幸な努力だつた。そして不幸は、近代が十分に存立し得ぬ中に、ヨーロッパが既に悩み始めてゐた近代の矛盾と課題とも必然的にぶつからねばならなくなつたといふ複雑な条件によつて倍加されたのである。これは日本ばかりでなく、東洋全体が生きなければならない運命でもあつた。自我の確立と同時にそれと並行的に発達し来つた物質文明を、自我の完き確立のない、土壌に吸収したことから起る精神的生活的混乱の中へ投げ込まれたのは当然だつた。この混乱に苦悶した日本が、世界史の方向に沿つて自己の問題を解決しようとしなかつたところに未曾有の錯誤が始まつたのであつた。近代日本の混乱をすべてヨーロッパ近代文明の故とした。しかも近代の課題を解決せんとする努力のなかに日本の課題の解決を発見しようとせずして、近代に逆行することによつて、近代を否定しその以前を主張することによつて、解決を見出さうとしたのであつた。錯誤の結果は余りにも瞭[あきら]かであつた。日本は連合軍に惨憺たる敗北を喫した。
 再びふり出しに戻つたと謂つても過言でない。われわれはもう一度明治のあの精力を燃やさなければならないであらう。将来のよりよき日本のために、厳しい反省の下に、文字通り懸命のこゝろで近代精神を身につけ生活を打樹てるべきは、われわれ最大の目標に違ひない。
★近代精神についてわれわれは多くの考察を今までに持つたかも知れない。しかし今日、過去の桎梏から脱したこの出発の瞬間にあたつて、尚も真摯なる論究の必要を痛感するのである。日本の現実を直視し、日本再建の課題との関連に於て行はれるべき近代精神の研究と理解こそわれわれの義務と信じるのだ。
 この意味から「人間」は今月号から数ヶ月に渉る近代精神研究を企画した。近代精神の形成史とその代表的人物についての研究を毎月連載するつもりである。
 本号はその第一回として鈴木成高氏の「文芸復興とヒューマニズム」、野田又夫氏のデカルト研究、杉捷夫氏のルソ研究を掲げた。次号には、下村寅太郎氏の「啓蒙時代と合理主義」、金子武蔵氏のカント研究、大山定一氏のゲエテ研究、大河内一男氏のベンサム研究を発表の予定である。
 雑誌に於けるこのやうな研究講座は様ざまな無理も伴ふであらうが、現在の哲学・歴史・文学の分野に於ける最精鋭の研究家の執筆よりなるこの講座は、必ずや江湖に裨益するところ多大なるものがあるに違ひないと思ふ。(T・K)
 
太宰治「春の枯れ葉」

主な執筆者
鈴木成高/野田又夫/杉捷夫/L・ウォーナー/神西こよし/坂口安吾/アンドレ・ジイド(堀口大学 訳)/北条誠/草野天平/橋本英吉/アンドレ・マルロオ/小松清
 
1946.10

太宰治
「雀」
『思潮』
昭和21年10月号
昭森社
(編輯者)
窪川鶴次郎
 
《編輯後記》 ◇第二号が出てから本誌の評判はますますよいので、編輯部一同は一層責任を感じ、読者の期待にこたえるために努力している。〔…〕
周知のごとく国語問題は日本の民主々義革命において重大な意味を持つて居るので、本誌はこの問題を発展させるために少しでも役立ちたいと考え、国語問題の各方面の専門家を煩わして、専門家それぞれの研究の立場から、あらゆる面にわたつてこの問題を扱つて頂いた。/言語は生きたものであるとゆうことは、言葉が大衆自身のものであり大衆の生活の生きた表現だとゆうことである。国語改革の第一の問題は、言語を大衆自身のものとすることである。/したがつて国語の改革は、大衆の生活内容の変革に即してのみ常に現実的に行われねばならぬ。/この現実を無視して国語改革の問題を扱うことは、大衆から言葉を奪ひ去ることであり、文化の遺産から大衆を切り離すことであり、このことは国語改革がかえつてその国語改革の目的である文化の発展そのものを停滞させることになる。/多方、国語問題は、日本民族の歴史とともに古く、国語の歴史、構造、特質、さらに広く言語学の一般的問題などについての、専門的研究なしには、問題の発展は期待できない。ことに言質
[ママ]発展の法則を無視した便宜的な改革は、言語の堕落と破壊をもたらす危険がある。
◇国語問題は、第一に文化破壊したる軍国主義者らによつて民族主義や排外主義の思想鼓吹の目的のために全く誤つて取扱われた。第二に、日本人民全体の文化財たるべき国宝が、今日まで一部に占有され、退蔵されていたこれは人民全体に解放されてはじめて、日本人民全体の文化財としての正当な評価を受けることができ、日本の文化の発展に役立つことが可能となる。/第三に、国宝は現在、賠償の対象として注目されているの、国宝に対して日本文化の正当な擁護とゆう立場をはつきりさせることは今日の急務である。/各専門家の研究は、十分に読者の要望にこたえることのできるものであると確信する。(クボカワ)
太宰治「雀」

主な執筆者
高木弘/佐伯功介/松阪忠則/倉石武四郎/土居光知/小林秀夫/東条操/金田一京助/藤村作/保科孝一/田中一松/大口理夫/岸田日出刀/柳宗悦/エレンブルグ(蔵原惟人 訳)/小田切秀雄/中本たか子
 
1946.10

太宰治
「たづねびと」
『東北文学』
昭和21年10月号
河北新報社 
《あとがき》 [当該号未見だが、同誌昭和22年1月号に「編輯」「編修」「編集」等の用字に関して触れているので参考までに]〇編輯の「輯」が「修」や「集」にあらためられやうとしてゐる。英語のエデイターのやうに割りきれた表現の言葉が欲しいものである。「輯」に対する「修」も「集」も、単なる便法、思ひつき程度で、いきなりそちらに移行する気にはなれないし、第一「編修」も「編集」もエデイターの内容を適確に表現してはゐないと思ふ。〔…〕(宮崎泰二郎)    
1946.11

太宰治
「男女同権」
『改造』
昭和21年11月号
改造社 
《編輯後記》 〔…〕新しき経験と事実の年であつた。敗戦から再建へ、歴史の変革が伴ふ苦悩と試練の歩みこそ、われわれをして奮起せしめ、新しき希望と自由と責任を、われわれに運命づける。/想へば、再刊に当り新しく結集した編輯部員達も、時代のはげしきユサブリのうちに早や一年の事実を見、経験を得たのである。//所謂「平和革命」、「民主革命」の日本は、今日の時点に於てこそ実に、有史以来の渾沌と動揺の浪にもまれてゐる。われわれは、このはげしく重量ある圧力のなかにあつて。われわれの正しき批判の舵を折らるべきではない。つまり今日この国の民衆は、嘗[かつ]てなき沈着と冷徹なる思考の形式と力を持つことを迫られてゐる。政治に、経済に、日常の生活に俊敏なる思考の活動が必要なのだ。昨日の尺度は、既に今日の尺度ではなく、人々が夕に、楽しき家庭の食膳を支へる盤石の如き基底なりと信ずるものも、朝には砂山のくづるるが如く費え去るのだ。空々しき非常なる歴史の流のなかに、われわれの民族の運命を、荒々しき筆力をもつて、冷静にデッサンしなければならない。しかし、われわれの思考の形式と力はどうであらうか? 曰く浅くしてザッパク……これでは、歴史の冷厳な事実の前に、ただただ叩頭して、唖然たるのみである。//政治家も、経済人も、学者も、芸術家も、歴史に対しては、虚心坦懐、卒然として立向ひ、徒らに混迷することなく、新しき自由と希望と、責任を、自己の思考のうちに求むべきではないだらうか?//再建フランスの作家、ジヤン・ポール・サルトルは、十一月一日ソルボンヌ大学に於ける「ユネスコ」月会に於いて、次の如く述べた。/「ドストイエフスキイはいつた。“すべて人間は責任を持つべきなり”と、とくに今日これまで以上にこのことの痛感される時代は、かつてなかつた。アメリカ流にいふなら『世界は一つ』であり、あらゆる人々は、発生するすべてのことがらに、責任を負はねばならぬのだ。では、作家に特有な責任とはいかなるものか?」(読売新聞十二月二日)//いふまでもなくわれわれは、自己の思考の責任の上に、総てを打ち建てゝこそ、健全なのである。//湯川秀樹氏「科学的思考について」及び織田作之助氏「可能性の文学」も、ともに、或ひは科学者の責任に於いて、或ひは作家の責任に於いて、その初心を披瀝されたものと信ずる。//本月の創作としては、文壇の異才太宰治氏の「男女同権」をおくる。 ・太宰治「男女同権」

主な執筆者
湯川秀樹/鈴木武雄/吉岡金市/島上善五郎/鮎沢巌/大友福夫/住谷悦治/J・ヤング/白石五郎/中野五郎/織田作之助
 
1946.12

太宰治
「親友交歓」
『新潮』
創刊五百号記念
昭和21年12月号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
  
《中村武羅夫「文壇と新潮」》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕『新潮』の態度が、何時の時代にも不偏不党を以て一貫して来たことは、さきにも言つた通りである。海外の新しい思潮の流入につとめ、文学の新しい問題を提供するために努力し、新人の推薦と紹介とを以て本領とし、既成の勢力の温存を計るよりも、新興勢力の推進のために力を尽して、常に文壇に新風を送ることを以て使命をとして来たことは、人の知る通りである。だから、自然主義文学の興隆期には、おのづから自然主義文学の作品や、その言論が誌上に現はれるのは当然のことであるが、しかし、これは決して『新潮』が一党一派のために「私」せられたり、「利用」されることではなかつた。そういふ場合にも自然主義文学に対して反対の立場に立つ言説――たとへば夏目漱石、森鷗外、内藤鳴雪、後藤宙外、泉鏡花、小川未明氏などの批評、感想、作品の類ひを掲載することを忘れはしなかつた。また、プロレタリア文学の盛んな時代にも、私個人の思想は必ずしもプロレタリア文学の理論に同感する者ではないが、しかし、編輯者としては公正に、プロレタリア文学のためにその理論や作品を『新潮』に掲載するのに吝[やぶさか]でなかつたことは、心ある人々の知る通りである。〔…〕/編輯者として『新潮』を飽くまで公器たるの面目を名実ともに堅持せしめ、寸毫も「私」することがなかつたといふことを、四十年間に亘る編輯者生活に於いて俯仰天地に恥ぢずして断言し得ることが、顧みて今、せめても私の誇りとするところである。〔…〕/とに角半世紀に垂[なんな]んとする長い間には、いろんな角度から、いろいろな問題を取上げ、いろいろな人々の原稿を取扱ひ、推薦した新人の数も夥[おびただ]しいものだと思ふ。しかし、それも昭和十八九年になると、他のすべての雑誌と同じく哀れ貧弱なものになつたのは是非もない。それでも漸[ようや]く命脈を保つて、僅かに存続し得たことが、せめてもの見つけものといふべきだらう。  ・太宰治「親友交歓」

主な執筆者
志賀直哉/谷崎潤一郎/武者小路実篤/横光利一/阿部知二/石坂洋次郎/深田久弥/川端康成/尾崎士郎/中村武羅夫
 
1947.1

太宰治
「メリイクリスマス」
『中央公論』
昭和22年1月号
中央公論社
(編集人)
畑中繁雄
 
《後記》 年のはじめ、まずお祝いのあいさつからはじめるのをならいとするが、それがそうすなおに出てこないほど、今日日本の国内情勢も国民ひとりびとりの表情も複雑である。民主革命へのかけ声にもかかわらず、再建途上すぐる一年の足ぶみは、あまりにもみじめすぎる。生産面からみても、この国全体の再建は一向はかばかしくなく、困難はますます拡大されつつ四七年にそのままもちこされている。まずこのままでゆけば、「三月危機」の呼び声どおり、そのころ私たちはそれこそ破局のフチにおちこむかもしれない。その危機をどういう仕方で、どういう方向にきりぬけるか、まただれがそれを担当するかは、日本の民主化のうえにも大きく影響してくる。それだけでも四七年は日本の歴史にとつてもつとも大切な年となるであろう。そこになお希望をもつか、絶望するかは、めいめいの属している社会的な立場とそれに基づくそれぞれの意識によつて異なるであろう。/一方、社会の進んでゆく方向はもはや歴史的にはほぼ見きわめられているばかりか、少なくも搾取なき住みよい社会に向つての努力は、働らく大衆のなかにすでに盛り上つてもいる。社会の仕組みを将来戦争の危機から完全に切りはなすことは、いつそう大切であるが、そういうおおきな役割を担うものがこんご社会のいかなる階級であるかも、すでに世界的にも明らかとなつてきた。かくて一般に働らく階級のこんご一だんの生長が問われ、またその組合活動にかけられる期待もいよいよ大きい。/そういう環境のなかで、綜合雑誌のはたしてきた役割をふりかえつてみると多くの不満につきあたる。中でもとくに目だつ一つの不満は、それが一部のいわゆる知識層によつてろおだん(、、、、)されていたことだ。私たち編集人もまたそういう知識層だけをことさらに相手としようとする、一種の特権意識にわざわいされていたことも事実だが、もつと重要なことは、そこにせつかくすぐれた意見が闘わされていても、それが一向に社会化されないことだ。ときには先進国に並ぶくらいすぐれた意見が、雑誌をにぎわしたにもかかわらず、日本の文化自体が、こんなに遅れていた理由の一つは、たしかにそこにあろう。/多くのすぐれた意見がより社会化されるためには、それがもつと大衆に広く親しまれ、よく理解され、かつそれらが歴史の発展をうけもつ働らく大衆のなかに、直接実を結ばなければならない。そういう社会化の中立をするところに雑誌の重要な役割の一つがあるのに、いままで私たちは、それについてかなり怠慢であつた。/表現をやさしくすることは、ものの考え方、理解の深さ浅さによつて影響されるところ大でありいままでのものに漢字の制限を加へ、それをそのまま新仮名づかいに改めただけで直ちにわかりやすくなるわけではないが、さしあたり、表現の方法にもひと工夫あつてしかるべきであろう。こんどの漢字制限や新仮名づかいも、その第一歩としては十分意味がある。本誌もぜんじそれによろうと思う。とくに執筆者の方々もよくご理解のうえ、私たちのそういう心組みに御協力下さるよう、年のはじめ、この欄を借りて、ひろくお願いするしだいである。言葉と文字の整理は、日本民主化の大事な糸口のひとつと思うからである。そうして私たちは、もつと大衆のなかにはいりこまなければならないのである(H)  ・太宰治「メリイクリスマス」

主な執筆者
戸沢鉄彦/迫間真治郎/川島武宜/犬養健/高木惣吉/福田定良/荻須高徳/太田典礼/山之口貘/井上清/羽仁五郎/石母田正/谷崎潤一郎/宮本百合子/石川淳/豊島与志雄
 
 1947.1

太宰治
「トカトントン」
『群像』
昭和22年1月号
大日本雄弁会講談社
《編輯手帖》 ◎ここに昭和二二年新年号をおくる。第二巻の第一号……新雑誌が第二年めをむかえるにあたり、編輯者のいさゝか感慨めいた心持を、読者諸氏よ諒とせられたい。
◎こんとんたる世相ではあるが、一年の始めというものは、何やら希望に似たおもいが往来する。たとえば(、、、、)少しとつぴであるが、走高跳の選手が未征服のバアをめざして眼をこらすとでも表現したい――飛躍への望みに胸がふくらむ。この新年号から、そうした編輯者のきはくを、くみとつていたゞけるかどうか。
◎本号は、各方面のお力添によつて、ゆたかな内容のたらしめることができた。創作欄には上林・太宰・森山・豊島の諸氏のほかに、袋氏を煩わして、ソ連の作家プリシヴィンの近作を訳載した。幼童のやわらかな肌にふれるようなプリシヴィンの抒情的な作風は、異色あるものと言えよう。〔…〕
◎本年度の出版界の前途には、さまざまな困難が予想される。しかし、本誌及び本社の各誌と書籍部では、それらの難路をふみこえて着々実現させたい、たくさんの抱負をひつさげて居る。その一つ一つが、諸氏の前に展開するのも遠くはあるまい。御注目を乞う。(T)
・太宰治「トカトントン」

主な執筆者
辰野隆/武者小路実篤/武田泰淳/高橋義孝/徳永直/正宗白鳥/斎藤茂吉/上林暁/プリシヴィン(袋一平 訳)/森山啓/豊島与志雄/梅原龍三郎/室生犀星/高浜虚子/土屋文明/吉野秀雄
 
1947.3

太宰治
「ヴィヨンの妻」
『展望』
昭和22年3月号
筑摩書房
(編輯者)
臼井吉見
 
《編輯後記》 ◇和辻博士の論考は、今後引続き半ヶ年以上にわたつて連載の筈であるが、やうやくはじまらうとしてゐる日本の近代化の前途に、希望を見出すにせよ、絶望を抱くにせよ、「世界的視圏の成立過程」に照してはじめて己の位置と姿勢を知ることが出来るにちがひない。この意味に於ても、この精彩に富む歴史的叙述は、吾々に示唆するところ甚大なるものがあらう。
◇「ランボオの問題」は小林秀雄氏が長い沈黙を破つた「モオツアルト」に次ぐ第二作である。ランボオは氏の文学的出発に当つての問題であつたが、今二十数年を過ぎて再び新しく問題になつて来たわけで、氏を知る上にきはめて重要なる文献といはねばなるまい。
◇対談「科学・宗教・恋愛」はおそらく最近のかうした試みのなかでは最も面白いものになつたと思ふが、同時に幾多の大切な問題が提出されてゐることはいふまでもない。本誌の女性読者はおそれく渺渺た寥々たるものであらうが、この対談はとくに広く女性の一読を望むものである。
◇新しい民主主義文学は、過去のプロレタリア文学の発展として自己をおし進めようとしてゐる。そのためにもプロレタリア文学の正しい批判の必要なことはいふまでもない。中野重治氏の一分は平野、荒両氏を批判しつつ、この点に関して究明するところがあらう。唐木順三氏の「読書報告」は現代哲学に於けるおそらく最大の問題を提出してゐると信ずる。この問題に関しては何人も無関心たることは出来まい。
◇「小説「ヴィヨンの妻」は敗戦後に於けるこの作者の最大の力作であり、佳作であらうと思ふ。〔…〕
 
・太宰治「ヴィヨンの妻」

主な執筆者
小林秀雄/和辻哲郎/中野重治/唐木順三/小倉金之助/宮本百合子/武谷三男
  
1947.3

太宰治
「母」
『新潮』
昭和22年3月号
春季小説特輯
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
 
《編輯後記》 今月号は御覧の通り創作特輯にした。本誌は従来から創作欄の充実に努力してゐるが、普通号の限られた誌面では、どうしても思ふやうに十分小説を載せることができないので、今年は一年のうち四回、創作特集号を出すことにした。次回は六月号の予定であり、既にその準備に着手してゐる。
 さて本号では、谷崎氏の日記、秋艸道人の短歌のほか、稲垣、太宰、八木、舟橋、伊藤、坂口の諸家の小説を掲載することができた。読者諸兄に十分御満足して頂けることと信じてゐる。〔…〕
 亀井氏の「罪の意識」は大きな反響を呼んでゐるが、なほあと二回連載の予定である。北原氏の「近代人論」は北原氏に打つてつけの好題目として、編輯者のひそかに自負するところ。中村氏の「偉大な知識人」と共に、好エッセイとして大いに自賛してゐる。塩尻氏は一月号の「死について」に引きつゞき、「寂しさについて」篤実な随想を寄せられた。
 本誌は一月号から部数を増加して、読者の範囲も非常に拡大したために、その編輯には一段と苦心を必要とするやうになつた。従来とても本誌は文壇の小天地に跼蹐
[きょくせき]しないことを念願としてゐたが、今後はいよいよこの方針を強化する積りである。健全にして逞[たくま]しい知識人の好伴侶たることに大いに努力したいと思ふ。〔…〕
 今回本誌では、国民の国語運動連盟と協力し、現代かなづかいと当用漢字による創作の懸賞募集を行ふことゝなつた。詳細は本誌一四一頁を御覧の上、ふるつて応募されんことを期待する。 
太宰治「母」

主な執筆者
谷崎潤一郎/舟橋聖一/八木義徳/会津八一/伊藤佐喜雄/稲垣足穂/坂口安吾/辰野隆/北原武夫/古谷綱武/生島遼一/中村真一郎/亀井勝一郎/塩尻公明
1947.4

太宰治
「父」
『人間』
昭和22年4月号
鎌倉文庫 
《編集後記》 読者諸兄もとくに十分御承知のことと思うが、出版界全体が未曾有の紙不足に直面しているのである。先月号の減頁、そして更に今月号の減頁は、これはもうやむを得ないわけなので、どうか諒承していただきたい。
 それにしても、紙が不足すれば、いきおい書籍雑誌の淘汰は想像にかたくないのであるが、しかし、だからといつて、良い書籍雑誌だけが残るとは考えられない。少くとも出版に関する現状ではそうなのである。これからの日本が文化国家としてのみ再生しなければならないことは、多くのひとによつて言いつづけられているし、又真実には違いないけれども、このわれわれの目標であるべき高い文化の建築について、現在の為政者がどれだけの責任を痛感し、どれだけの構想を練り、どれだけの配慮を惜しみなくなしたか、われわれにはなつとくがゆかない。その建築作業の重要な力の一つである出版に対する今までの処置を見ておれば、そう思わないわけにはいかないのだ。個人の自由がよく放埒と混同されがちな近頃のことである。文化を放りぱなしの無責任は、為政者の自由とでも名づければいいのであらうか。
 ともかく、紙が不足すればするほど、よけい「人間」は、限られた頁数のなかで編集の充実に努めて、雑誌刊行の責務を果したいと思うばかりである。(T・K)
太宰治「父」

主な執筆者
平林たい子/石川淳/吉野秀雄/岡本潤/伊藤整/河上徹太郎/諸井三郎/宇野浩二/川端康成/外村繁/北原武夫/北条誠/福田恆存/河盛好藏/中野好夫/小田切秀雄/折口信夫
 
1947.7

太宰治
「斜陽(一)」
『新潮』
昭和22年7月号
夏季小説号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
 
《編集後記》 今月はお約束通り夏季小説号とした。六十四頁といふ極くわづかな紙面を考へると、小説特集号とするには、いろいろ無理の点があると思ふが、普通号ではかんじんの小説に充分のスペースを与へることの出来ない事情もあるので、今後も一年に四回は小説号を出すつもりである。
 懸賞創作の発表は四十三頁の通りであるが、予想外の反響と多くの応募数があつた。これは、文学と創作に対するかつてない熱意と意欲を示すものと思はれるが、応募原稿の水準は、必ずしも文運盛んなりとは言ひ切れぬものがあつた。多くの若い世代たちが、貴重な体験と深刻な苦しみを経たにもかゝはらず、それらを表現するに足るだけの技術と、内的発酵が見られなかつたのは残念だつた。題材としてはまことに得難きものも数々あつたが、以上の点で、殆ど割愛せざるを得なかつた。
 当選作「浜辺の歌」については、選者川端氏の適切な言葉をいたゞいたので改めて言ふべきものはない。〔…〕
 本号より太宰治氏の長編「斜陽」を連載することにした。原稿は全部で三百枚、一回八十枚づつ、遅れても本年中に完結する。氏の久しぶりの長編小説として御期待ありたい。
 
太宰治「斜陽(一)」

主な執筆者
井伏鱒二(「高田館」)/大鹿卓/里見弴/川端康成/松田美紀
 
1947.8

太宰治
「斜陽(二)」
『新潮』
昭和22年8月号
夏季小説号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
  
《編集後記》 本号の巻頭は、田中博士のベートーヴェン的人間像をもつて飾ることが出来た。これは博士の多年にわたるベートーヴェン音楽への造詣を通して、人間の楽としてのベートーヴェンを把握し、現代知識人に他の何ものをもつてもかへることの出来ぬベートーヴェン的精神を強く訴へた力篇である。本論文を、単なる音楽評論や、音楽随筆と同視されざるやう、切に熟読を望みたい。
 偉大な教育者アランと、代表的なフランス的知識人とも言ふべき、アンドレ、モロアとについて河盛好藏氏にお願ひして味はひ深き一文を得た。これによつて、われわれは、アランが現代のソクラテスと呼ばれる所以を諒解出来ると同時に、聡明な師弟の情愛を通して実践教育者としてのアランの偉大さを窺ひ知ることが出来よう。
 天野博士の「カントの魅力」は短文ながら充実した内容をもつもの。
 創作は、太宰氏の長篇第二回をのせた。これは既に書いたやうにあと二回、十二月号をもつて完結する予定である。
新潮は他誌に比べて、幾分発行が遅れ気味であつたので、今月号こそ早く出すやうに努力したが、御承知の如く印刷ストのために又遅れてしまつた。〔…〕
太宰治「斜陽(二)」

主な執筆者
田中耕太郎/深田久弥/河盛好藏/尾崎士郎/天野貞祐/高見順
 
1947.9

太宰治
「斜陽(三)」
 
『新潮』
昭和22年9月号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
 
《編集後記》 本号には塩尻氏の「書斎の生活について」を載せることが出来た。氏の論文は、すでに「友情に就いて」「寂しさについて」「老年について」の三篇を発表したが、本号には、特に我々読書人にとつて最も関心深き書斎の生活についての一文を得た。氏の些[いささか]もジャァナリズムに影響されぬ独特のものであるが、その巧まざるうちに描かれた厳粛なる自己の人生体験に基く烈々たる求道的な精神は、既に多くの読者の支持を受けつゝある。本論文も知識と行動の安定を失つた近代人の書斎の生活に、多くの示唆を持つものであることを信ずる。なほ氏に関する照会が多いので、氏が高知高等学校教授であることを念のために記しておきたい。
 寡筆の児島喜久雄氏にお願ひしてルネサンス人について書いていたゞいた。これは紙数の関係で氏のうんちくの片鱗を示すものに了
[おわ]つたが、いづれ本格的な研究を寄せられることを期待する。
 獅子文六氏が久しぶりに「共産党とエンコ」を寄せられた。これは肩のこらぬ、ちよつぴりカラシのきいた好個の中間読物とならう。〔…〕
―★―小社では今回新大衆雑誌として「小説新潮」を刊行した。既に創刊号を御覧になつた方も多いと思ふが、「小説新潮」は「新潮」とは全く編輯方針を異にした言はゞ小説の綜合雑誌である。〔…〕所謂純文学大衆文学などといふ狭い立場を無視し、およそ小説として面白い傑作のみをのせる方針である。/大衆雑誌とは言つても品と格の問題がある。/面白くさへあれば何でも良いと言ふわけのものではない。この点で最も良い意味において万人に読める健全な面白い大衆雑誌を目指して創刊されたのが「小説新潮」である「新潮」と共に愛読されるやう切にお願ひする。
 
太宰治「斜陽(三)」

主な執筆者
児島喜久雄/塩尻公明/武者小路実篤/石川達三/獅子文六/中山義秀
 
 1947.10

太宰治
「おさん」
『改造』
昭和22年10月号
改造社 
《編集後記》 われわれは現実に着実であらねばならぬ。現実を無視して名目にのみはしり、甘美なる自慰と夢想をよろこび、現実の持つ多岐と圧力への直視を回避するは、いたずらに論議とマサツをかもしだすに過ぎない。そこに乱れたる心理と事態は浮動し、政治は民衆から離れ、民族は歴史から遊離するに到る。この間隙こそ反動者流のシタリ顔に登場する場である。近き過去は、勢を得た反動者の言動が、如何に日本民族を今日の苦悩におとしいれたかを教えてゐる。正にその悲惨をなめつゝあるのではないか。われわれは、みづからの現在を守り、未来を育成するために、世界の現実を直視しつゝ、日本民族再建のプランを進めよう! 意味なき怒号、無責任な方言、自慰的ラデイカリズムは、諸君の愛する平和をして、反動者流の哄笑のうちに、再び空転せしむるであらう。 太宰治「おさん」

主な執筆者
鈴木安蔵/土屋清/小山弘健/渡部徹/戸田慎太郎/船木重信/浅尾忠義/伊藤静雄/田村泰次郎
 
1947.10

太宰治
「斜陽(完)」
『新潮』
秋季小説号
昭和22年10月号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
 
《編集後記》 今月秋季小説号の中心をなすものは、井上、船山、北条、田村四氏の作品である。終戦後一般に不振と言はれてゐる小説界ではあるが、しかし、この四氏等を中心とする中堅作家の活躍は、その作品の価値批判はともかくとして、現代日本文壇において力強い流れとなつてゐることは事実である。実際、寡作家の多い日本文壇にあつて、これら諸氏の旺盛な作家活動と、夥[おびた]だしい作品発表とは、たしかに驚異である。しかもこれらの作家は、文学生活も相当の年月に亘り、J特にその技巧においては、全く中堅の名にふさはしい力量を示してゐるのである。〔…〕
 太宰治氏の長篇連載「斜陽」は、本号をもつて完結した。七月号に第一回が発表されるや、各方面から激賞賛辞が殺到したが、現在までの連載ものでは往々竜頭蛇尾に了
[おわ]る例が数多かつたので、一抹の不安があつたが、二回、三回と続くに従つて、それらの賛辞が決して空虚でないことが事実として証明された。鋭い近代感覚と、高い文学精神が、心にくいまでに巧妙な筆致で、この一篇を見事に完結させたのである。恐らく、この「斜陽」は、本年度日本文学における最高の収穫ではあるまいか。完結を機会に、太宰氏に読者諸君と共に厚くお礼を述べたい。
 なほ、「斜陽」は、近日小社より刊行される予定である。
 
・太宰治「斜陽(完)」

主な執筆者
細川宗吉/船山馨/井上友一郎/北条誠/田村泰次郎
 
1948.1

太宰治
「犯人」
『改造』
昭和23年1月号
改造社 
《後記》 ☆新しい年を迎える度毎にわれわれは、「今年こそは」とのひそかな期待を抱くと同時に、その一年の性格を事実以上に大きく評価しがちである。――このこと自体は個人の心構えとして決してとがめられるべきではなく、むしろその人それぞれの進歩の契機となり得ることでもあろうが――われわれのかかる習癖を反省して、しかもなおかつ、新しい一九四八年が、われわれの運命にとつていかに決定的な一年であるか、考えれば考えるほどそれは、人類の興廃にかかわることであり、わが民族の死活を制するものであり、従つてまたわれわれお互いの生活のみじめな現状を保ちうるか否かについてまで、実に肌寒くなるほどの憂慮を感じさせられるのである。
☆国際的にも国内的にも、危機の可能性は切迫しつつある。これを未然に防ぎ繁栄をもたらし得るものが、一にかかつて人類の賢明な理性にあることは、少くとも常識ある人々の承知し尽くしているところであるが、知りつつもなお深淵に墜ちてゆくとするならば、これにまさる悲劇はあろうか。知識大衆が「賢明な理性」のもとに、小異を捨てて大同に結びつき得るか否かは、一年の歴史が否応なしに明らかにするであろう。明るい展開を実現するために、お互い最善をつくそうではないか。〔…〕(英吉)
太宰治「犯人」

主な執筆者
大山郁夫/永田清/阿部行蔵/小林珍雄/田中耕太郎/赤岩栄/荒正人/藤田嗣治/正宗白鳥/緒方富雄/永井荷風/谷崎潤一郎/辰野隆/斎藤茂吉
1948.3

太宰治
「美男子と煙草」
 
『日本小説』
昭和23年3月号
日本小説社
(編輯人)
和田芳恵
 
《「美男子と煙草」より[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〈私は、独りで、けふまでたたかつて来た積りですが、なんだかどうにも負けさうで、心細くてたまらなくなりました。けれども、まさか、いままで軽蔑しつづけて来た者たちに、どうか仲間にいれて下さい、私が悪うございました、と今さら(、、、)頼む事も出来ません。私は、やつぱり独りで、下等な酒など飲みながら、私のたたかひを、たたかひ続けるよりほか無いんです。/私のたたかひは、それは、一言で言へば、古いもの(、、、、)とのたたかひでした。ありきたりの気取りにたいするたたかひです。見えすいたお体裁に対するたたかひです。ケチくさい事、ケチくさい者へのたたかひです。/ 私は、エホバにだつて誓つて言へます。私は、そのたたかひの為に、自分の持ち物全部を失ひました。さうして、やはり私は独りで、いつも酒を飲まずには居られない気持で、さうして、どうやら、負けさうになつて来ました。/古い者は、意地が悪い。何のかのと、陳腐きはまる文学論だか、芸術論だか、、恥かしげも無く並べやがつて、以て新しい必死の発芽を踏みにじり、しかも、その自分の罪悪に一向お気づきになつてをらない様子なんだから、恐れいります。押せども、ひけども、動きやしません。だだもう、命が惜しくて、金が惜しくて、さうして、出世して妻子をよろこばせたくて、そのために徒党を組んで、やたらと仲間ぼめして、所謂一致団結して孤影の者をいぢめます。/私は負けさうになりました。〉〔…〕
 〈或る雑誌社の、若い記者が来て、私に向ひ、妙な事を言ひました。/「上野の浮浪者を見に行きませんか?」/「浮浪者?」/「ええ、一緒の写真を撮りたいのです。」/「僕が、浮浪者と一緒の?」/「さうです。」〉〔…〕
 〈「「こんどは、笑つて!」その記者が、レンズを覗きながら、またさう叫び、少年のひとりは、私の顔を見て、/「顔を見合はせると、つい笑つてしまふものだなあ。」/と言つて笑ひ、私もつられて笑ひました。/天使が空を舞ひ、神の思召により、翼が消え失せ、落下傘のやうに世界中の処々方々に舞ひ降りるのです。私は北国の雪の上に舞ひ降り、君は南国の蜜柑畑に舞ひ降り、さうして、この少年達は上野公園に舞ひ降りた、ただそれだけの違ひなのだ、これからどんどん生長しても、少年達よ、容貌には必ず無関心に、煙草を吸はず、お酒もおまつり以外には飲まず、さうして、内気でちよつとおしやれな娘さんに気永に惚れなさい。〉〔…〕
 
・太宰治「美男子と煙草」

主な執筆者
北原武夫/中村汀女/近松秋江/坂口安吾/林芙美子
  
1948.3

太宰治
「小説の面白さ」
  
『個性』
昭和23年3月号
思索社 
《「小説の面白さ」より[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〈小説と云ふものは、本来、女子供の読むもので、いはゆる利口な大人が目の色を変へて読み、しかもその読後感が卓を叩いて論じ合ふと云ふやうな性質のものではないのであります。小説を読んで、襟を正しただの、頭を下げただのと云つてる人は、それが冗談ならばまた面白い話柄でもありませうが、事実そのやうな振舞ひを致したならば、それは狂人の仕草と申さなければなりますまい。〉〔…〕
 〈小説と云ふものは、そのやうに情無いもので、実は、婦女子をだませばそれで大成功。その婦女子をだます手も、色々ありまして、或は謹厳を装ひ、或は美貌をほのめかし、或は名門の出だと偽り、或はろくでもない学識を総ざらひにひけらかし、或は我が家の不幸を恥も外聞も無く発表し、以て婦人のシンパシーを買はんとする意図明々白々なるにかかはらず、評論家と云ふ馬鹿者がありまして、それを捧げ奉り、また自分の飯の種にしてゐるやうですから、呆れるぢやありませんか。〉〔…〕
・太宰治「小説の面白さ」

主な執筆者
豊島与志雄/椎名麟三/徳永直/井筒俊彦/那須国男
 
1948.3

太宰治
「如是我聞(一)」
  
『新潮』
昭和23年3月号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
 
《編集後記》 ▽菊池寬氏が亡くなられた。つい先日横光氏の葬儀の折お目にかゝつたのが最後であるが、逝く人の余りに急なのに呆然とする。「無名作家の日記」をふりだしに文壇の大御所と称されるまでの華々しい文学的活動は今更言ふ迄もないが、私なぞほんの二三度会合などで望見した程度の者でも、氏の並々ならぬ天才を窺ひ得たものである。氏ほどヂヤーナリズムの寵児であつた人は尠いと思ふが、同時に氏自身が真のヂヤーナリストであつた。これは氏の中年から晩年にかけての社会的活動によつて明瞭であるが、このやうな人は類があるまい。氏に捧げられた、且つ捧げられるであらう数々の頌を予想しても、なほ非凡の才を文学と社会のために惜しみなく費[つか]ひ果された氏の霊に対して讃仰と惜訣を捧げたい。〔…〕
▽本号には充実した短篇小説三つと、羽仁、河盛、佐藤の三氏よりそれぞれ特色ある論文をいたゞいた。川端氏の小説は六月号完結の予定、太宰氏のエッセーは一ヶ年間連載するが、これは読者の期待以上のものとならう。
・太宰治「如是我聞(一)」

主な執筆者
橋本英吉/北畠八穂/石川淳/川端康成/羽仁五郎/河盛好藏/佐藤信衛
  
1948.4

太宰治
「渡り鳥」
『群像』
昭和23年4月号
大日本雄弁会講談社
《編集手帖》 △発表を待たれていた新人の小説・評論は、別項のような結果となつた。銓衡委員諸氏の痛烈な批評も、新人への嘱望が大きければこそと諒解されたい。
△本号は太宰、上林、榊山三氏の短篇に、丹羽氏の長篇第七回を配して、創作特集とした。各々独自の風格を持つ中堅作家の力作と共に、特記したいことは、エドマンド・ブランデン氏から詩の寄稿を受けた一事である。ブランデン氏は、戦前当代の講壇に立ち、その教え子の中には現在錚々たる作家・英文学者が多数ある。同氏は英国において著名の学者であると共に、詩人として令名ある人であるが、最近本国から再び来訪、東大その他で英文学の講義をされつつあることは周知の通りである。本号の詩は、特に西脇順三郎氏に訳をお願いした。〔…〕
・太宰治「渡り鳥」

主な執筆者
上林暁/エドマンド・ブランデン(西脇順三郎 訳)/榊山潤/丹羽文雄/井伏鱒二(座談会「新人を語る」)/川端康成/青野季吉/平林たい子/阿部知二/小林秀雄/中野好夫
 
 1948.5

太宰治
「桜桃」
『世界』
昭和23年5月号
岩波書店 
《吉野源三郎「『世界』創刊まで」より[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〔…〕日本の再建とは、この同胞の人間らしい生活の取り戻しなのである。その生活が非人間的であればあるほど、人間らしい生活の奪回は必至のものとなる。窮乏と興廃のどん底から、このような衝迫が日本人を一斉に突き動かしているとき、どんな困難がまっていようとも、私は自分たちの行くてを、暗くなど考えることはできなかった。日本の再建とは、苦しくともやりがいのある男らしい事業であった。/私は、新しく総合雑誌を出すということを、こういう意味での日本の再建と関連させて、その中にはめこんで考えてみた。〔…〕
 これからさき、どれだけの変革がどう進行するのかは、だれにもまだ見通しがついていなかったのである。/しかし、古い日本がほとんど完全に崩壊したことだけは確かであった。そしてこの日本をなんとかして再建してゆかねばならないのだ、ということも、疑う余地もなく明らかであった。〔…〕
 私は、新しく総合雑誌を出すということを、こういう意味での日本の再建と関連させて、その中にはめ込んで考えてみた。〔…〕
 私は、戦後に創刊される私たちの雑誌『世界』を、このような意味で、オーソドックスな民主主義の機関にしなければならぬと考えた。また、この雑誌の確立そのものが、日本における民主主義の建設を意味するような、そういう雑誌にまでできたら――とも考えた。キングスリ・マーティンのいうように、言論・報道の自由とは、ニューズを無検閲で発表する権利、名誉毀損にわたらない限り、政府または他の何びとの干渉をも受けずに論評し批判しうる権利であって、他の基本的な人権と同じように、それこそ長い歳月にわたる困難な闘争で獲得された民主主義政治の原則である。雑誌をやってゆくとすれば、誌上でこのような民主主義の原則を説くだけでなく、雑誌の編集・発行において実際にこの原則を貫き、この権利を――こんどこそ強権の前に萎縮することなく、面を上げて使用してゆくのでなければ、意味がないのである。
 
・太宰治「桜桃」

主な執筆者
村川堅太郎/江尻進/鈴木力衛/大来左武三郎/松崎鶴雄/D・ド・ルージュモン/C・ミュレー
  
1948.5

太宰治
「如是我聞(二)」
 
『新潮』
昭和23年5月号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
 
《「如是我聞」より[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]〈〔…〕一人の外国文学者が、私の「父」といふ短篇を評して、(まことに面白く読めたが、翌る朝になつたら何も残らぬ)と言つたといふ。このひとの求めてゐるものは、宿酔[ふつかよい]である。そのときに面白く読めたといふ、それが即ち幸福感である。その幸福感を、翌る朝まで持ちこたへなければたまらぬといふ貪婪、淫乱、剛の者、これもまた大馬鹿先生の一人であつた。〔…〕宿酔がなければ満足しないといふ状態は、それこそほんものの「不健康」である。君たちは、どうしてそんなに、恥も外聞もなく、たゞ、ものをほしがるのだらう。/文学に於て、最も大事なものは、「心づくし」といふものである。「心づくし」といつても君たちにはわからないかも知れぬ。しかし、「親切」といつてしまへば、身もふたも無い。心趣(こころばへ)。心意気。心遣ひ。さう言つても、まだぴつたりしない。つまり、「心づくし」なのである。作者のその「心づくし」が読者に通じたとき、文学の永遠性とか、或ひは文学のありがたさとか、うれしさとか、さういつたやうなものが始めて成立するのであると思ふ。/料理は、おなかに一杯になればいいといふものでは無いといふことは、先月も言つたやうに思ふけれども、さらに、料理の本当のうれしさは、多量少量にあるのでは勿論なく、また、うまい、まずいにあるものでさへ無いのである。料理人の「心づくし」それが、うれしいのである。心のこもつた料理、思ひ当るだらう。おいしいだらう。それだけでいいのである。宿酔を求める気持は、下等である。やめたはうがよい。〔…〕 太宰治「如是我聞(二)」

主な執筆者
竹山道雄/片山敏彦/小松清/藤原審爾/丹羽文雄/川端康成
  
1948.6

太宰治
「人間失格」
『展望』
昭和23年6月号
筑摩書房
(編輯者)臼井吉見
《編輯後記》 ☆『革命の叙事詩』は桑原氏の四回にわたつたマルロー研究の最終篇である。〔…〕ここには、革命と倫理、革命と宗教、革命と文学、その他の問題がある。その一つ一つがわれわれの今日の問題として関心を強ひられずにはおかぬものである。〔…〕スペイン内乱では人民戦線の戦士でありながら、現在はド・ゴール派の人物として活躍してゐるこの複雑にして特異な現代作家の示唆するものについて学ぶところがあるだらうとおもふ。
☆太宰治氏の『人間失格』は向ふ三ヶ月連載することになつてゐる。『冬の花火』、『ヴィヨンの妻』とつねに自信作のみ本誌に寄せられた作者が、決然世に問ふ本篇は、太宰文学のおそらく一ばん高い峯を示すものになるだらうと信ずる。敗戦後の現実のなかにあつて、この作家の文学がどのやうな、なまなましい光芒を放つてゐるかは誰でも知つてゐるが、本篇ほど自己を吐露しつくしたことはなかつたであらう。
☆宮本百合子氏と太宰治氏とは、現代文学の二つのタイプの典型であらうと思ふ。対蹠
[たいせき]的なかたちで現れてはゐるが、いづれも現代の課題ととりくんでゐる。このふたりの作家の一ばんの力作を併載できることを喜びたい。 
・太宰治「人間失格」

主な執筆者
桑原武夫/和辻哲郎/宮本百合子
 
1948.6

太宰治
「如是我聞(三)遺稿」
 
『新潮』
昭和23年6月号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
 
《編集後記》 太宰治氏が亡くなつた。われわれは、二十世紀の旗手を失つた。氏の文学が、たうてい畳の上では死ねぬ文学であることは早くから多くの人々の一致した意見であつたが、それにしても余りに早過ぎたといふ感が深い。文壇としては芥川龍之介以来の事件であるが、あらゆる意味で若い人達のホープであつた太宰氏の死は単に文壇のみならず、多くの青年達にとつて手痛い打撃であるに違ひない。自らの文学に死を賭し、偶像破壊の旗手としてそのユニークな天才を飛躍させてゐた氏の自ら選んだ氏の道は悲愴である。〔…〕
 「如是我聞と太宰治」を書いた野平健一君は本誌の編集部員であるが、同君は生前太宰氏に最も愛顧を蒙つた人で、「斜陽も野平君のために書いた」と太宰氏も言つてゐたほどである。日頃の言動のほうが、その作品よりもはるかに面白い場合の多い太宰氏にあつては、このやうな重要な意味を持つと思はれたので、死体捜索や葬儀のため、殆ど連日徹夜を続ける野平君を激励して書いてもらつた。
 「如是我聞」は太宰氏としては殆どはじめて書いたエセーであり、必至のプロテストとして各方面に非常な反響を呼んでゐるが、これがいかに多くの犠牲を覚悟して書かれたものであるか、野平君の一文がよくその間の事情を物語つてゐると思ふ。なほ本稿の続編(四)は既に脱稿してあるので、これに関するノートと共に近く誌上に発表するつもりである。
 いろいろの方に追悼を書いていたゞかうと思つたが、すでに〆切後の為、本号には亀井勝一郎氏の思ひ出と石坂洋次郎氏の追悼しか間に合はなかつた。〔…〕
 
・太宰治「如是我聞(三)遺稿」

主な執筆者
塩尻公明/辰野隆/小泉信三/亀井勝一郎/野平健一/石坂洋次郎/椎名麟三
 
1948.7

太宰治
「如是我聞(四)絶筆」
  
『新潮』
夏季小説特集
昭和23年7月号
新潮社
(編輯兼発行者)
斎藤十一
 
《編集後記》 太宰、坂口、石川といふ顔触れを揃へることは雑誌編集者として誰もが一応考へるプランであるが、太宰氏生前には遂に一度も実現されず、死後はじめて絶筆「如是我聞」と共に本誌で顔が揃つたのは皮肉なものである。坂口、石川両氏ともに、太宰氏とは生前深い交友ではなかつたが、この三人の文学者の本質的な繋がりが、終戦後の文壇の第一線を象[かたど]つてゐたとも言へよう。両氏の文章を太宰氏の墓前に手向ける。
 本号は夏季小説特集号であるが、内容は太宰氏追悼号のやうになつてしまつた。巻頭の写真はこの三月、太宰氏の好きな三鷹上水の堤で撮ったもので、服装は暑くるしいが、記念的なものなので掲載した。なほ四月号で予告した通り、小説特集号の巻頭は現代画家の近作で飾るつもりで、本号も特に小林古径氏の見事な絵をいたゞいてあつたが、これはいづれ他日掲載するつもりである。〔…〕 
・太宰治「如是我聞(四)絶筆」
・石川淳「太宰治昇天」
・坂口安吾「不良少年とキリスト」

主な執筆者
室生犀星/田村泰次郎/井上友一郎/モンテルラン
 
1948.7

太宰治
「グッド・バイ」
『朝日評論』
昭和23年7月号
朝日新聞社 
《編集後記》 ◇…「六時だつて。そんならフントウの時間で五時だべ」サマー・タイムになつてから、大分たつたある日、はしなくも近在の農家の庭でこんな会話を耳にした。洋裁学校が続出して服装は色どりをましたが、心までスマートになつたかどうかは保証の限りではない。形式だけの民主化――
◇…民主化のはしがき、序論、緒論、序章はなんども綴られたが、本論、各論第一章以下となると、これまた怪しい。本論を具体的にとりあげ、時局と原稿のひらきをちゞめて、読者といつしよに考えることができたら、編輯者も楽しく、幸せでもある。〔…〕(は)

《末常卓郎「グッド・バイのこと」より》
[編集締切後「附」として追加収録された「グッド・バイ」の、その後に添えられた文章]〔…〕太宰治よ。君はまつたくひどい奴だ。ぼくに「グッド・バイ」の後記などと言う、間の抜けたものを書かせるなんて、まつたくひどい男だ。〔…〕朝日新聞に連載小説を書くことを太宰治に依頼したのは、この三月のはじめであつた。〔…〕依頼するとき、老婆心のきらいはあつたけれど、この小説の読者は、僅かの発行部数しか持たぬ文芸雑誌の文学青年ではなく、三百五十万の発行部数を持つ新聞の、二千万に達する読者であることを私は話した。彼は笑つた。/「おどかされるなあ」/といつて、不敵に笑つたものであつた。/この小説「グッド・バイ」は、本社の依頼を受けてはじめて構想されたものではなく、当時すでに作家太宰治の胎中に形をなしてうごめいており、やがて生れる子へ名も用意されていたのである。流行作家として、常に先き先きのものを考えていることは、何の不思議でもない。だが今となつて、彼の死と結びつけて考え見れば、新潮に「如是我聞」の斬り込みをやり、展望に「人間失格」を企て、さらに「グッド・バイ」の構想をからみつかせていた彼の胸中には、我々の予感し得なかつた死の行進が、ドドロ・ドドロの足音を響かせて、如実にはじまつていたのだ。/〔…〕私に残されたのは三回分の原稿と、十回分の校正刷であつた。〔…〕/校正刷には鉛筆で誤植の訂正がしてあつた。十二日には、まだ書き続ける気はあつたのだ。十三日の十三回。太宰は皮肉である。(朝日新聞東京本社学芸部長) 
太宰治「グッド・バイ」
・太宰治「グッド・バイ」作者の言葉

主な執筆者
笠信太郎/蝋山政道/都留重人/木村禧八郎/宗像誠也/瀧澤敬一/長谷川如是閑/末常卓郎
 
1948.8

太宰治
「家庭の幸福」
『中央公論』
昭和23年8月号
中央公論社 
《後記》 ☆出版社の封建制とか、編集批評を起せとかの論議が散見する。出版文化の在り方についての妥当な批判ならば、われわれ出版の仕事に携わるものとしても活発に真剣に闘わされることを要望してやまないが、従来のそれは色眼鏡を通して見る独断や現実ばなれの論理をもてあそぶだけのものが殆どではなかろうか。なぜ、現状を深く鋭く把握した上での真情こもる適切な批評が起らないのであろう。
☆もつともこれは出版文化に限らずわが国の文化一般に見られる現象でもある。いわゆる(、、、、)文化を売り物にする文化論の高踏的非文化性こをそ掃されねばならない。
☆民族の危機が、この数年いくたびか叫ばれて来たが、民族の転落を救いうる力は、民族の外によりも、実に民族のうち(、、)にあることを敗戦四年目を迎えるわれわれの新たな覚悟としたい。
☆この春執筆の「家庭の幸福」は図らずも太宰氏の遺作となつた。突然の死を哀悼する。(英吉)
 
太宰治「家庭の幸福」

主な執筆者
大内兵衛/大山郁夫/H・ティルトマン/八杉隆一/福井文雄/宮城音弥/吉田東祐/中勘助/暉峻康隆
 
1948.8

太宰治
「やはらかな孤独―「樹海」について―」
 
『表現』
昭和23年8月号
角川書店
(編集者)
林達夫
(発行者)
角川源義
《編輯後記》 「表現」も今月から月刊誌となつた。そして、林達夫先生を中心に編輯方針を更新した。ひそかに銘打つて思想文芸雑誌。そして、性格は? 傾向は? その説明に宣伝めいた長弁舌をふるふ余地はいまはないし、またその気持ちもない。固定観念による自縛をだいいち、『思想』といふものが嫌ふやうだ。〔…〕(野原[一夫]
 
・太宰治「やはらかな孤独―「樹海」について―」

主な執筆者
上原専禄/出隆/キェルケゴール(桝田啓三郎 訳)/永井荷風/豊島与志雄(「太宰治君を悼む」)/宇留野元一(「樹海」)
 
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