作品発表舞台の変遷――初出雑誌“あとがき”抄   【芥川龍之介 大正~昭和初年代】
 (作品初出誌は手近な資料 ―原本及び複写― から適宜選択した。)
1918.4

芥川龍之介
「世之助の話」
『新小説』
大正7年4月号

春陽堂
 
《時論》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]「事件及び批判」 〔…〕日本がシベリヤに出兵することが何を意味するか? それが日本国民に何を与へるか? それが世界の政局に何をもたらすか? それが所謂東洋永遠の平和の為に如何なる効果をもたらすか?  吾々はそれらの問題に就て茲[ここ]に論を立てる必要を認めない。それは今日まで、余りに多くの人々によつて、余りに屡々[しばしば]論議せられて来たことであつた。いづれにしても、日本がシベリヤに出兵することを、吾が国民の大多数が希望して居ない、少くともその問題が、国民の熱狂的な積極的な感情に触れて居なかつたことは事実である。恐らく理性ある国民は、今後と雖[いえど]も、この態度を変へないであらう。このことは、世界から好戦国民と云ふ折紙を貼られて居る吾が国民にとつては、全く稀有にして奇特なる現象でなければならない。〔…〕
 領土侵略主義が、国際間の悪徳であるか善徳であるか、また現在の各交戦国が平和の美名の下に侵略を企てつゝあるか否か、それは此処では問題でない。たゞ、シベリヤ侵略の好餌が、理性的日本国民に好戦的感情を喚起し得ないことだけは明かである。聡明なる吾が国民は、侵略の目的を以てするシベリヤ出兵には、断乎として反対すべき多くの理由を持つて居る。〔…〕
 出兵論を喚起したるものは誰か? 而
[そ]してこれを拒否すべき感情の酵母を国民の心内に植えつけた者は誰か? 吾等はその二つながら、共に同じ人々の手によつて持ち来されたものであることを見るに及んで、この国の文明に対する一種の皮肉感と共に、或るふかい憤りを感ぜざるを得ない。〔…〕 
・芥川龍之介「世之助の話」

主な執筆者
尾崎行雄/室伏高信/大山郁夫/田山花袋/正宗白鳥/田中貢太郎/大町桂月/有島生馬/坪内士行/昇曙夢/本間久雄/森田草平
 
1920.4

芥川龍之介
「秋」
 
『中央公論』
大正9年4月号

中央公論社
 
《巻頭言》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]「解散と選挙」 原内閣が、下院に多数の味方を擁し乍[なが]ら、また普選問題に必勝を期するの成算あり乍ら、突如議会を解散したのは非立憲だと云ふ人がある。多くの人が信ずる如く、之が或る卑むべき政略に利用されたのなら、不都合千万に相違ないが、併し単純に形の上から云ふなら、多数党を以てして自ら解散の挙に出づるといふ事其れ自身は、必しも非立憲にあらず又先進諸国に例のない事でもない。〔…〕之れだけの筋が立派に通れば、今度の解散も立憲的に無意義とは云へない。けれども之は政党政治の実践が相当に挙つての上の話であつて、粗雑低陋を極めた我国今日の政党に之を求むるは、云はずと知れた野暮の骨頂であらう。/日本の政界では、品格よりも金が問題となる。無論信頼に値する品性の人を得るが根本の要点だけれども、最も高尚なるべき政事に携るに、下らぬ人物が出て来るといふが土台間違ではないか。代議士に選るゝ程の人は、否自ら候補の名乗りを揚げる程の人は、初めから立派な人物に決つて居ねばならぬ。だから西洋などでは品性の詮議は初めから問題とならぬ。狙ひ所は只政見のみだ。だから又政党政治は前述の様な筋道を辿つてうまく行はれ往くのである。/我国の政界が政見よりも先に人物を見定めねばならぬのは、偶々淘汰力と制裁力とが社会的に今仍[な]ほ薄弱なるを語るものであるが、残念ながら何と云つても、矢張り今の所は、人物本位でゆくより外に仕様がない。願はくは我党の士よ。所属政党の如何を問はず、只信頼するにたる品性の人に投票し給はん事を。  ・芥川龍之介「秋」

主な執筆者
中沢臨川/有島武郎/平塚らいてう/大山郁夫/三宅雪嶺/堺利彦/松崎天民/大町桂月/吉野作造/谷崎潤一郎/室生犀星/大泉黒石/菊池寬/久米正雄/徳田秋声/里見弴/宇野浩二
1920.7

芥川龍之介
「南京の基督」
『中央公論』
大正9年7月号

中央公論社
 
《巻頭言》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]「疲れたる欧州と肥えたる日本と」 欧州よりの最近の帰朝者から聞いた。戦後の欧州諸国に往つて何よりも先きに感ずることは、生活の不便乃至不安といふことだ。/第一に物価が高い。併し之は予期せぬことでもないから驚かないが、意外なのは高くて品物の粗悪なことであつた。否、粗悪は我慢するとしても、品物の払底なことであつた。〔…〕/単に夫れ丈けなら可[よ]い。物を買つても一々釣り銭に警戒するを要すとあつては愛想が尽きる。伊太利は殊にひどいが、独逸までが其例に洩れない。〔…〕/道路も塵埃[ごみ]だらけで昔の面影が無い。〔…〕郵便や電信や電話の当にならなぬは改めて言ふだけが野暮だ。/一言にして云へば、欧州での生活は今日を以て明日が測られない。旅をするには勿論の事、ぢツとして暮して行くにしても明日以後のプランが丸で立たない。従つて皆浮き腰である。其日暮しである。物質的にも。また精神的にも。/斯くして欧州の人々は今になつて戦争の惨禍を滲々と感じて居る。心あるものが平和主義の熱愛者となるも怪むに足らない。/併し帰朝者の話を冷静に聴いて居ると、之が遠い欧州の珍しい土産話かとあやぶまるゝ。何故ならば、そんな事は我が日本では昔から当り前の事であつたし、又今日となつても更に改めらるゝ気配さへ無いからである。/欧州諸国は戦争で疲れた。疲れた結果の一時的変調として、社会の生活秩序が紊[みだ]れて居るのだ。日本は戦争で肥えた。肥えても整はなかつた生活秩序は更に改善され様としない。/疲れて悩める者には恢復の希望がある。肥つても改めざる横着者に至つては殆んど度し難い。何とかして魂の入れ替は出来ぬものかしら。  ・芥川龍之介「秋」

主な執筆者
吉野作造/三宅雪嶺/中沢臨川/黒板勝美/村松梢風/生方敏郎/久米正雄/内村祐之/飛田穂洲/正宗白鳥
 
1922.1

芥川龍之介
「藪の中」
『新潮』
大正11年1月号

新潮社
 
《記者便り》 ▼新年号を発行する運びになりました。革新の第一歩を踏み出す時にあたつて、読者諸氏と共にわが新潮の前途を祝福し、併せて諸氏の幸運を祈りたいと思ひます。
▼革新々々と云ふても文芸思想的の記事を中心とする雑誌ですから、唯、外観ばかり華やかに見えるやうなことは出来ません。で、大して変つたところは見えないかも知れませんが、固
[もと]より実質本位、内容本位ですから、号を追うて、いよいよその言の実なることが了解して頂けると信じます。
▼本号の如きも、この他にまだ多くの評論、創作がありました、何分限りある誌面のことですから到底すべてを掲げると云ふわけには参りませんでした。で、それ等はすべて次号に割愛することにいたしましたから、筆者並びに読者諸氏に深くお詫びを申します。
▼以上の次第ですから、二月号は他雑誌が一月号の後をうけて余り振わないのが常でありますが、本誌は決して一月号に劣らない内容充実せる雑誌をお目にかけることが出来やうかと思ひます。〔…〕
 
・芥川龍之介「藪の中」

主な執筆者
柳宗悦/平林初之輔/井汲清治/片上伸/三宅周太郎/菊池寬/佐藤春夫/久米正雄/谷崎潤一郎/星田源次郎/藤森成吉/有島武郎/千葉亀雄/有島生馬
 
1923.1

芥川龍之介
「侏儒の言葉」
『月刊 文芸春秋』
創刊号
大正12年1月号

文芸春秋社
 
△『局外』と云ふ、高畠素之君一派の雑誌を見てゐると、つひあんな手軽な雑誌を出して見たくなつたが、愈々出して見ると、やつぱり手軽には行かなかつた。
△もとより、気まぐれに出した雑誌だから、何らの定見もない。また、雑誌も売れ景気もよかつたら、拡大して、創作ものせ、堂々たる文芸雑誌にするかも知れない。
△去年あたり、いろいろな人々から悪口を云はれても、大抵は黙つてゐた。平生書き付けない文芸欄などへ、飛び出して行つて、喧嘩をするのは大人気ないと思つたから。が今年からは、自分に対する非難攻撃には、せいぜい、この雑誌で答へたいと思ふ。
△この雑誌に、書いて下さる人に一言する。原稿料は、原則として払ふ。殊に、文筆丈で喰つてゐる人には、屹度
[きっと]払ふ。が、金額支払の時には、一任されたい。又、その月に依つて高低もあるから、そのつもりでゐて貰ひたい。投稿も取る。無名の人でも、言説が面白ければ採る。が、取捨撰択は、絶対編者に任して貰ひたい。(菊池) 
・芥川龍之介「侏儒の言葉」

主な執筆者
菊池寬/中戸川吉二/今東光/川端康成/横光利一/小柳博/鈴木彦次郞/鈴木氏亨/南幸夫/斎藤龍太郎/佐々木味津三/船田享二/清野暢一郎/直木三十二/三上於莵吉/岡栄二郎/小島政二郎
 
1923.3

芥川龍之介
「雛」/「一番鶏の声」
『中央公論』
大正12年3月号

中央公論社
  
 《巻頭言》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]「解放運動と政治運動」 或る経済学者は曰ふ、人間が喰う為に執る所の方法に二つある。一は自ら労働し又は其の労働の結果を他と交換することに由[よっ]て食べ物を得るので、他は他人の労働の結果を劫取するのである。前者は経済的手段(、、、、、)で後者は即ち政治的手段(、、、、、)だと。此説は西洋の一派の社会主義者に唱へられて以来可なり広く受け容れられ、我国でも前提たる論拠を吟味する事なしに安価に之を振り回す輩は頗[すこぶ]る多い様に思ふ。/尤[もっと]も当節の政治家は概して此の定義を拒む資格のないことは明だ。ことに我国政界の有象無象に至ては誰かよく所謂掠奪に由らずして一家の計を樹つるを誇り得るものがあらう。故に今目のあたり見る所の堕落せる政治現象の批判としては、前記の説明は強[あなが]ち誇張謬妄の言として斥けることは出来ない。/併し政治の本質は決してそんなものではない。理想的の形状に於ける政治は我々の生活に於て到底欠くことの出来ぬものだ。当今政界の為す無きに諦めて之を破戒し去らんと欲するは妨げないが、社会改造の事業に於て積極的の建設を念とするものは、モ少し政治の本質に意を注ぐの必要があると信ずる。/政治のエッセンスは統制である。他律である。斯かる外的統制は如何にして吾人の社会的生活の進展に重大の関係ありといふか。〔…〕
 最近の現象として伝へらるゝ解放運動家の政治的覚醒(、、、、、、、、、、、)は果して如何なる方向を取つて居るのであらうか。吾人は刮目して其の将来の成行を見んと欲するものである。
・芥川龍之介「雛」/「一番鶏の声」

主な執筆者
大山郁夫/安部磯雄/長谷川如是閑/村松梢風/大町桂月/徳田秋声/小川未明/豊島与志雄/室生犀星/田山花袋/白鳥省吾/葛西善蔵/長田幹彦/吉野作造/新井紀一
 
1924.5

芥川龍之介
「続 芭蕉雑記」
『新潮』
大正13年5月号

新潮社
 
《記者便り》 ▼本月は巻頭を飾るべき田山花袋氏の長文を得たことを先づ感謝しなければなりません。御覧になれば分ることですが、氏は近時の文壇及び文芸上の時事問題を捉へて、氏自身の人生観、芸術観を語られたもので、必らずや文壇の問題となることと信じます。御精読あらんことを希望します。
▼その他、多く新人の評論感想を掲載し得たことは恰
[あたか]も五月の新緑を見るが如き清鮮さを加へ得たと存じます。「合評会」は人数こそ少なかつたですが、各自が大いに語られたのでいつもよりも却[かえ]つて長くなつた位です。正宗白鳥氏は病気入院中の為来会されなかつたのですが、その代り病院から原稿を書いて送つて下さいました。感謝に堪へない次第であります。
▼創作欄には久しぶりでの有島生馬氏外五氏の新作を掲載いたしました。井東、牧野、関口の三氏の如きは、悉
[ことごと]く近時台頭せる新人であります。広津和郎氏が作品を寄せられたことも久しぶりのことです。愛読せられんことを希望いたします。 
・芥川龍之介「続 芭蕉雑記」

主な執筆者
田山花袋/正宗白鳥/米川正夫/菊池寬/佐藤春夫/佐佐木茂索/宇野浩二/久保田万太郎/三上於莵吉/井東憲/萩原恭次郎/有島武郎/小川未明/牧野信一/広津和郎
 
1925.7

芥川龍之介
「『わたくし』小説に就て」
 
『不同調』
創刊号
大正14年7月号

不同調社
(発売元)
新潮社
 
《編輯者雑記》 本誌の編輯体裁は現在のあらゆる雑誌に類のない、全く変つたものにしようとした。目次は最後の頁に入れ、本文を表紙から組み、二段組みで、本誌巻頭の創刊の辞のやうに全部罫を入れてやらうと思つた。しかし同人会議の時それに反対するものがあつた。〔…〕現在の凡[すべ]ての雑誌は、どれもこれも他の雑誌の体裁の真似でないものはなく、全然相違ある編輯法といふものは一つもないのだから、雑誌をやる以上は、編輯の体裁等、ちつとも遠慮することはない、堂々と内容で戦へといふ人が多かつた。僕は自分の主張を引込めて、唯主張の理由だけを述べた。〔…〕
 本誌では、新刊図書の厳正な批評をやつて、読者を欺く広告文に筆誅を加へ、定価、装幀などの是非当不当をも忌憚なく批判する。従来の新聞雑誌の新刊批評の如く、出版業者との妥協を全然やらないで、読者のために、よい図書を推奨し、いかがはしいもの、無価値なもの、価格の不当なものを、こつぴどくやつつけ、出版業者の反省を促したい。〔…〕(森本)
◇創刊号は勝手がわからず、大分ゴタゴタして、万事思ふやうにいかなかつた。それでも寄稿はお頼みした方々に九分通り書いていただけた。ことに正宗氏はイの一番に原稿を送つて下すったし、武者氏のも期日通り頂いて有難かつた。ここでお礼を述べておく。〔…〕
◇編輯は当分、森本と僕がやるが、専断をやりはしない。二人はただ原稿を集めたりそれを印刷所へ廻したり、校正をしたりするだけのことだ。(藤森) 
 
・芥川龍之介「『わたくし』小説に就て」

主な執筆者
武者小路実篤/生田長江/三上於莵吉/堀木克三/吉屋信子/浅原六朗/室生犀星/今東光/千葉亀雄/岡田三郎/藤森淳三/中条百合子/木蘇穀/正宗白鳥/藤沢清造/戸川貞雄/尾崎士郎/森本巌夫/宇野千代/近松秋江/佐佐木茂索/岡本一平/中村武羅夫
 
1926.5

芥川龍之介
「侏儒の言葉―病中雑記―」
『文芸春秋』
大正15年5月号

文芸春秋社
(発行編集兼印刷人)
菊池寬
  
《編輯後記》 ▽「文芸春秋」「演劇新潮」も四月は売行きがよかつた。「演劇新潮」は、都会地では二三日で売り切れたらしい。
▽今月号は特別号ではないが、余りに頁数が超過したため、定価を三十銭にした。悪しからず諒承願ひ度い。
▽今度「映画時代」を出すことになつた。自分達は、映画の将来を信ずるから、映画の方面にも大に活躍したいと思ふ。「文芸」「演劇」「映画」と此の参方面の雑誌を出して居れば、如何なる時代が来ても、文芸春秋社は、時勢に遅れることはないだらう。
▽調子に乗りすぎて、雑誌を三つも出して失敗するのか、三つの雑誌とも駸々として天下に闊歩するか、それは自分達にも分らない。〔…〕(菊池)
〇今度、些
[いささ]か身体を無理して健康を害したので、三四ヶ月静養する積りである。其間関口次郎氏が手伝つて呉れるし、六笠武生君も、もうすつかり馴れてゐるので安心して私も托して、当分逗子の方でも行つてる考へである。併し月に一二回は勿論出社する。〔…〕
〇よろづ案内が近頃甚く輻輳するので選択に随分手数を要する。いかがはしい紹介やこつちに都合の悪い広告はドンドン拒絶する。あの料金で三頁を潰すのは可成の犠牲であるから、有用に利用して貰ひたい。(菅)
・芥川龍之介「侏儒の言葉」

主な執筆者
正宗白鳥/藤村作/小山内薫/千家元麿/岸田国士/直木三十五/中村憲吉/巌谷小波/藤森成吉/稲垣足穂/帆足理一郎/武者小路実篤/佐藤惣之助/平田禿木/三宅やす子/川口松太郎/吉井勇/柳田国男/堂本印象/笹川臨風/森田草平/金子築水/広津和郎/長谷川如是閑/菊池寬/宇野浩二/谷崎潤一郎/岡本一平/武者小路実篤/豊島与志雄/小杉天外/徳田秋声/久保田万太郎
 
1927.3

芥川龍之介
「河童」
『改造』
昭和2年3月号

改造社
《編輯だより》 ◇従来高級な綜合雑誌は、その部数もあまりたいしたことはなかつた。しかるに本誌が一度び革命的に三十銭の値下げを断行するや僅々二ヶ月にして十一万部の増加を示したことは実に我国文化史上の一大軌跡である。この増刷部数には一冊半冊の掛値もない。本年内には五十万部を突破するかも知れない。
◇論文が時代思潮を正しく指導し、創作が一粒選りの心血を濺
[そそ]げる結晶でなくてどうしてかくの如き歓迎を受け得やう。我誌はいよいよ責任の倍加を痛感せない訳には行かない。
◇日本人は米の飯には永久に飽きない。我誌は誌界の米の飯であり、時代の標識灯である。良薬は口ににがい(、、、)こともある。いろいろむずかしいところや、にがい(、、、)ところがあるかも知れないが、そうしたところに本誌の本領もある。人生行路の正映がある。〔…〕短篇作家として名高い芥川氏が一百四枚の大作を発表したことは文壇の驚異だ。佐藤春夫氏亦堂々六十一枚の谷崎潤一郎論を発表した。何れも近時の特筆すべき大収獲である。〔…〕 
・芥川龍之介「河童」

主な執筆者
末弘厳太郎/大山郁夫/山川均/大森義太郎/鶴見祐輔/安部磯雄/小牧近江/平林初之輔/徳田秋声/志賀直哉/里見弴
1927.4

芥川龍之介
「文芸的な、余りに文芸的な」/「誘惑」
『改造』
昭和2年4月号
改造社   
《編輯だより》 ◇本月号は特別号として四百余頁とした。約一千四百枚の原稿が這入つておる。改革前の頁数にすると六百五十頁壱円五十銭と云ふところだ。どうせ損失するならこの位の犠牲を忍ぶ方が男らしいと思つて。
◇頁数からも、紙質からも、内容からも本誌に追随の出来る雑誌は世界に二つとない。ボロ原稿は唯の一枚もない。しかし本誌が多大の犠牲を忍ぶには何かの理由がなければならぬ。それは実に百万部計画の目標があるからだ。我等は本誌が新興日本の代表的輿論の府であり、実力であるやうに部数の増加を悦ぶ。〔…〕
◇本誌はいよいよ大衆的に解放されたが、しかし本誌の誇りは満紙これ真面目で、私人の私行をも発
[あば]かない点にある。学説や政論やに対しては血みどろになつて闘はすが個人を誹謗する記事は一切避ける。大衆的にはなつたが、学説上の発見等については読む人がない位難渋なものでも登載する。真摯の風、敢為の気に満ちた本誌でありたい。私なぞは日本の大衆が個人非難の記事を悦んで読む気風のなくなるやうに努力したい。左傾派でも右傾派でも世に何者かを示唆する論文・説苑は何れをも歓迎する。だが、進歩的に溌剌たるものであつて欲しい。
◇今月号はいつもなら壱円八十銭の特別号を出すのだがいろいろの意味でそれはやめた。
◇しかし内容は確
[しっか]りしたものが集まつている。〔…〕芥川氏ののが五十三枚谷崎氏三十三枚〔…〕、それに新帰朝以来始めて[ママ]論文を発表した恒藤氏が五十七枚の雄篇である。〔…〕
・芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」
・芥川龍之介「誘惑ー或シナリオ」

主な執筆者
恒藤恭/福本和夫/山川均/高畠素之/青野季吉/堀口大学/吉田絃二郎/北原白秋/長谷川如是閑/呉文炳/滝井孝作/土居光知/谷崎潤一郎/泉鏡花/宇野浩二/犬養健/里見弴
 
 1927.7

芥川龍之介
「冬と手紙と」
『中央公論』
昭和2年7月号

中央公論社
 
《巻頭言》[「あとがき」に類する欄の設定がないため、それに代えて]「支那時局の正視」 蒋介石と唐生智と閻錫山とそして馮玉祥とが北京の張作霖を目がけて三方四方から攻め寄せる。よし接戦を見るまで多少の時日ありとしても、北軍の意気阻喪は我々をして早く既に大勢の帰趨にいづれに在るやを想はしめるに十分だ。昨今の新聞が張作霖の没落の遠からざるべきを伝ふるのも怪しむに足らない。/此際に方[あた]りて日本の出兵は何を意味するか。〔…〕日本出兵の最も著しい効果は、南軍北上の勢を阻止し北軍に頽勢挽回の機会を与ふることであるを承認せねばならぬ。〔…〕日本がその当然の権利を保護するが為に是非とも或る種の行動に出づるを必要とするかぎり、仮令[たとい]そが不幸にして間接に一方を助け一方を抑うる結果になるとも、之を辞するを得ざる場合もあらう。只問題はそこまで立ち入らねばならぬ程出兵の必要があり又それに当然の理由があつたか否かの点にある。〔…〕
 支那に於ける共産党のは吹けば飛ぶ様なものである。支那の為に祝すべきか悲しむべきかは分らないが、要するに彼等の勢力は今日もはや問題とするに足らぬ。蒋と唐と閻と馮との間には、過去に於て行懸り上の齟齬あり将来またどうなるか分らぬとしても、今日相当の連絡あるは疑を容れざる所、彼等相互の掛引きの為に少しでも張作霖の立場の安全なるを期待し得べき要素は全然見出せない。是非善悪利害得失の論は別とする。張と蒋閻一派との間に真実なる妥協(、、、、、、)の行はるべき見込の絶対にないことは明
[あきらか]だ。若し何等かの妥協の名に依て約束せられたものがあるとすれば、そは実質に於て体のよい降伏条欸でなければならぬ。張の没落は既定の運命である。彼の勢力の打倒こそが実に蒋唐閻馮をして密にかたく相結ばしめて居る紐帯ではないか。
 日本の対支政策は、何を措いても先づこの事実を正視して掛らねばならぬ
 
・芥川龍之介「冬と手紙と」

主な執筆者
猪俣津南雄/矢内原忠雄/馬場恒吾/清沢洌/安部磯雄/藤森成吉/高畠素之/秋田雨雀/石川三四郎/吉野作造/上司小剣/堺利彦/谷譲次/里村欣三/里見弴/山川均/徳田秋声/村山知義/近松秋江/本間久雄/新村出/正宗白鳥/永井荷風/佐藤春夫/滝井孝作/宇野千代
 
1927.8

芥川龍之介
「西方の人」/「文芸的な、余りに文芸的な」
 
『改造』
昭和2年8月号
改造社  
《編輯だより》 ◇経済不況、生活難はまだ可なり深い所まで行くと思ひます。この暑中にもそれぞれ戦ひとれるだけはとつておかるることが必要です。どの場合にも用意のある人にはかなはないから。
◇我誌の読者は希
[ねがわ]くは質実であれ、剛健であれ。銀ブラの珈琲や麦酒の一杯は時にとつて多大の興趣をそそるが、チップに壱円を奮発する虚栄とはあくまで戦つて欲しい。〔…〕
◇立法府であばれ法廷に引ずられて、司法政務官を弾劾するものあり。此徒
[ただ?]数旬前までは司法権の独立を絶叫したりき。出兵問題の次に何を予想すべきか? 恐ろしき重大な仕返しが来らねばよいが。台湾総督府問題のゴタゴタ。農蔵相の血みどろの闘争、川崎造船のあの始末、満鉄総裁? 地方長官の更迭、おごる平家は久しからず。大抱負、大経綸あればあるほど謙譲にぢみちに歩くべきだ。天下の大事を断行するに断じて陣笠どもに遠慮する勿れ。〔…〕
・芥川龍之介「東北・北海道・新潟」
・芥川龍之介「文芸的な、余りに文芸的な」
・芥川龍之介「西方の人」

主な執筆者
高畠素之/山川均/福田徳三/吉江喬松/佐藤春夫/中野重治/石川三四郎/金子光晴/与謝野晶子/小川未明/羽仁もと子/秋田雨雀/谷崎潤一郎/真山青果
1927.9

芥川龍之介
「十本の針」/「或旧友へ送る手記」/「芥川氏の書翰」/「暗中問答」
  
『文芸春秋』
芥川龍之介追悼号
昭和2年9月号

文芸春秋社
(発行編集兼印刷人)
菊池寬
 
(奥付頁欠損につき未見)  ・芥川龍之介「十本の針」/「或旧友へ送る手記」/「芥川氏の書翰」/「暗中問答」

主な執筆者
山本有三/内田魯庵/土屋文明/佐佐木信綱/中条百合子/滝井孝作/下島勲/佐佐木茂索/小穴隆一/菊池寬/恒藤恭/広津和郎/柳田国男/大山郁夫/牧野信一/武者小路実篤/横光利一/徳田秋声
   
 1928.5

芥川龍之介
「空虚」
——『大導寺信輔の半生』別稿の一部——
(遺稿)
『創作月刊』
昭和3年5月号
文芸春秋社
(発行編集兼印刷人)
菊池寬
 
《編輯後記》 □創刊号の売れ行きがこのほどわかつた。お蔭で相当な成績をおさめてゐるので喜んでゐる。雑誌の方は二号三号とよくなるて来てゐるから、それに準じて成績の方もいゝだらうと思ふ。この分なら益々いゝものにして行ける自信がついたので喜んでゐる。□これも全く寄稿家諸氏の好意によるものと感謝してゐる。創作欄も近頃大分評判になつて来た。純文芸の立場にある雑誌が近頃極めて少くなつたから、僕らも大いに奮闘甲斐があると思つてゐる。〔…〕(斎藤龍太郎)
□故芥川氏の遺稿として「空虚」を得たことも、僕らには力強い。「大導寺信輔の半生」は氏の作中最も注目される作品であり、別稿として意義深いものと思ふ。 □島根県、小原重臣氏に再びそのご尽力を感謝する。〔…〕(永井龍男) 
・芥川龍之介「空虚——『大導寺信輔の半生』別稿の一部——」 

主な執筆者
石浜金作/橋本英吉/梶井基次郎/室生犀星/岸田国士/光吉夏弥/小島政次郎
/川端康成
 1928.7

芥川龍之介
「文壇小言」(遺稿)
 
『創作月刊』
昭和3年7月号
文芸春秋社
(発行編集兼印刷人)
菊池寬
 
《編輯後記》 □本誌が文壇の諸氏の好意と、大方読者の後援によつて、着々所期の使命を果たして来てゐることは、既に御承知のことゝ思ふ。我々はこれだけに満足せず、ますますそれに邁進する考である。〔…〕(斎藤龍太郎)
□今月は特集創作欄の観を呈してゐる。之は予期以上の収穫で、その為あとの頁に余裕がなくなり、岩田豊雄氏の、「ポール・モオランと藤田嗣治」を始め赤松月船氏、小島健三氏等から頂戴した評論を次号へ回すの余儀なきに到つた。筆者諸氏に陳謝します。〔…〕(永井龍男) 
 
・芥川龍之介「文壇小言」 

主な執筆者
下村千秋/逸見広/北村寿夫/林房雄/千葉亀雄/尾崎一雄/武田麟太郎/園池公功
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