鈴木益弘 著作一覧 | |
*1960年代以来、文学教育研究者集団の会員であった、鈴木益弘氏(2016年1月26日逝去)の著作一覧である。文教研の著書において氏が分担執筆した論文、および機関誌『文学と教育』掲載の論文・記事を中心にまとめた。(2016.4.11.) |
発表年 | 論 文・記 事 | 掲載書・掲載誌 |
1966 | ・武蔵野集会に参加して | 『文学と教育』40(1966.9) |
1967 | ・横浜合宿集会略報 | 『文学と教育』46(1967.9) |
1968 | ・〈認識の発達と総合読み〉高校段階の特色 | 『文学と教育』53(1968.8) |
1969 | ・〈国語教育で何をするか―文学教育を中心に〉その民族的課題は―連帯の回復 ・〈鷗外「最後の一句」 私の印象の追跡〉 “読み”の解きくち |
『文学と教育』59(1969.8) 『文学と教育』61(1969.12) |
1970 | ・〈同一教材による各段階の特質―「皇帝の新しい着物」の場合〉 高校―前期の段階(定時制高校の場合) |
『文学教育の構造化』 (1970.11) |
1971 | ・〈私の研究・私の教室〉(無題 万葉歌をめぐって) ・与謝野晶子「君死にたまふことなかれ」をめぐって ・〈基本過程としての作品把握―黒島伝治「電報」をどう読むか〉構造化へのあゆみ ・〈座談会 戦後文学教育運動の渦のなかで―文教研13年の足跡を顧みる〉 鈴木益弘(司会)、荒川有史、夏目武子、福田隆義、熊谷孝 ・近代主義の克服・晶子の場合―前号 新開質問に答えて ・あとがき(編集後記 以下同) 《『文学と教育』71号より92+93号まで編集長》 |
『文学と教育』67(1971.1) 『文学と教育』68(1971.3) 『文学と教育』70(1971.8) 『文学と教育』70(1971.8) 『文学と教育』71(1971.11) 『文学と教育』71(1971.11) |
1972 | ・芸術の原点への思索 熊谷孝(研究部)、鈴木益弘(編集部)、黒川実(編集部) ・〈文教研リポート 地区研究会・問題別研究会始まる〉神奈川地区研究会 ・あとがき ・〈巻頭言〉文学史を教師の手に ・〈巻頭言〉人間破壊と母国語教育 ・〈総合読みの理論と実際のあいだ 合宿の第一日をふり返って〉 鈴木益弘(編集部)、熊谷孝(研究部)、福田隆義(委員長) ・あとがき ・〈私の研究・私の教室〉(無題 「馬盗人」をめぐって) ・あとがき ・あとがき |
『文学と教育』72(1972.1) 『文学と教育』72(1972.1) 『文学と教育』72(1972.1) 『文学と教育』73(1972.3) 『文学と教育』74(1972.4) 『文学と教育』75(1972.6) 『文学と教育』75(1972.6) 『文学と教育』76(1972.8) 『文学と教育』76(1972.8) 『文学と教育』77(1972.11) |
1973 | ・文学の立場―言語と認識と文体と 熊谷孝 (ききて)鈴木益弘、黒川実 ・あとがき ・〈座談会 芥川竜之介「偸盗」をめぐって〉荒川有史、佐伯昭定、鈴木益弘、 夏目武子、山下明、(司会)佐藤嗣男、(誌上参加)熊谷孝 ・あとがき ・〈文学・文学史の原点への追求の中で〉近代主義克服への大きな一歩― 「大導寺信輔の半生」の総合読み ・あとがき ・あとがき |
『文学と教育』78(1973.1) 『文学と教育』78(1973.1) 『文学と教育』79(1973.3) 『文学と教育』80(1973.5) 『文学と教育』81(1973.6) 『文学と教育』82(1973.8) 『文学と教育』83(1973.11) |
1974 | ・〈文教研リポート 二つの問題別研究会から〉西鶴作品を読む会 ・あとがき ・竜―付 尾形了斎覚え書/貉 ・糸女覚え書 ・あとがき ・あとがき ・〈座談会 作品把握の方法としての総合読み 「律子と貞子」をめぐって〉 山下明、杉浦寿江、鈴木益弘、(司会)編集部 ・〈文教研リポート〉じっくり「雛」を読んだ神教協集会 ・あとがき ・あとがき |
『文学と教育』84(1974.1) 『文学と教育』84(1974.1) 『教材化と授業の視点 芥川文学手帖』(1974.2) 『教材化と授業の視点 芥川文学手帖』(1974.2) 『文学と教育』85(1974.3) 『文学と教育』87(1974.8) 『文学と教育』88(1974.9) 『文学と教育』88(1974.9) 『文学と教育』88(1974.9) 『文学と教育』89(1974.12) |
1975 | ・あとがき ・〈座談会 「右大臣実朝」と取組んで〉 荒川有史、熊谷孝、佐藤嗣男、夏目武子、山下明、(司会)鈴木益弘 ・あとがき ・〈太宰文学の原点を探る〉「列車」の総合よみのために ・〈作品把握の前提条件〉行動面での実朝像の提供―「吾妻鏡」と太宰治 ・あとがき 《『文学と教育』71号より92+93号まで編集長》 ・〈巻頭言〉国語教育の役割(常任委員 鈴木益弘) |
『文学と教育』90(1975.1) 『文学と教育』91(1975.5) 『文学と教育』91(1975.5) 『文学と教育』92+93(1975.8) 『文学と教育』92+93(1975.8) 『文学と教育』92+93(1975.8) 『文学と教育』94(1975.11) |
1976 | ・〈座談会〉文教研理論形成史(二) 荒川有史、熊谷孝、夏目武子、福田隆義、(編集部)鈴木益弘 ・〈巻頭言〉第25回全国集会に思う(常任委員 鈴木益弘) ・「さざなみ軍記」と古典 |
『文学と教育』96(1976.5) 『文学と教育』97(1976.8) 『文学と教育』97(1976.8) |
1977 | ・「さざなみ軍記」と古典〈作品把握の前提条件 1〉 ・〈資料〉「さざなみ軍記」の改稿過程 ・〈『文学と教育』百号の歩み〉〝文学史を私たちの手に〟の歩みの中で ・〈巻頭言〉このごろ思うこと(常任委員 鈴木益弘) ・〈「富嶽百景」の総合読み〉美醜あわせもった富士の姿 |
『文学史の中の井伏鱒二と太宰治』(1977.4) 『文学史の中の井伏鱒二と太宰治』(1977.4) 『文学と教育』100(1977.6) 『文学と教育』102(1977.11) 『文学と教育』102(1977.11) |
1978 | ||
1979 | ・〈私の教室=高校〉「一寸法師」―古典入門 | 『文学と教育』109(1979.8) |
1980 | ・〈例会報告〉ジャンル論と教材化の視点―奈良本辰也『詩仙堂の庭―― 個性と教養の問題』 |
『文学と教育』112(1980.5) |
1981 | ・〈鷗外の眼に映じた近世的現実の重層性 「護持院原の敵討」―「阿部一族」 「最後の一句」「高瀬舟」との対比の中で〉 第二パート 要約 |
『文学と教育』118(1981.11) |
1982 | ・〈報告記録〉井伏鱒二「川」の世界 (報告)熊谷孝、(文責)鈴木益弘 ・〈座談会 井伏文学ロマンティシズム―全国集会のゼミの総括として〉 熊谷孝、 奥津志津子、山下明、山上英男、高田正夫、内貴和子、佐藤嗣男、鈴木益弘 |
『文学と教育』122(1982.11) 『文学と教育』122(1982.11) |
1983 | ・〈巻頭言〉荒れる生徒たちの人間回復をめざして ・〈座談会 戦後の教育史を語る〉熊谷孝、荒川有史、鈴木益弘、夏目武子、 福田隆義、山下明、(司会)佐藤嗣男 ・枯野抄 |
『文学と教育』124(1983.5) 『文学と教育』125(1983.8) 『芥川文学手帖』(1983.11) |
1984 | ・川 (研究協力者) | 『井伏文学手帖』(1984.7) |
1985 | ・津軽通信 (橋本伸弥、鈴木益弘) | 『太宰文学手帖』(198511) |
1986 | ||
1987 | ||
1988 | ||
1989 | ||
1990 | ・〈尾上文子さんを偲ぶ〉 おふくろさん | 『文学と教育』152(1990.6) |
1991 | ||
1992 | ・〈熊谷孝の世界=『文学と教育』〉 『文学と教育』の生みの親・育ての親 | 『文学と教育』160(1992.12) |
1993 | ・〈シンポジウム 古典との対話―芥川「芭蕉雑記」を通路に〉 連句の世界と浮世草子の世界 |
『文学と教育』163(1993.11) |
1994 | ||
1995 | ・〈サークル紹介〉佐野洋子の作品を読む会 | 『文学と教育』170(1995.8) |
1996 | ・〈佐野洋子の世界〉「空飛ぶライオン」―印象の追跡 | 『文学と教育』173(1996.6) |
1997 | ・〈佐野洋子の世界〉 ことばと絵のダイナミズム | 『文学と教育』176(1997.3) |
1998 | ・≪風流の≫歌仙の印象の追跡 | 『文学と教育』183 (1998.12) |
1999 | ・〈特集 ケストナーの世界への誘い〉一九四五年を銘記せよ―ケストナーの終戦日記 | 『文学と教育』185-6(1999.8) |
2000 | ・ケストナー詩の印象の追跡 | 『文学と教育』190 (2000.11) |
2001 | ||
2002 | ||
2003 | ||
2004 | ・ケストナー詩抄―人間信頼とユーモア精神と | 『ケストナー文学への探検地図』(2004.11) |
2005 | ||
2006 | ||
2007 | ||
2008 | ||
2009 | ・〈福田隆義初代委員長を悼む〉ハンチングの似合った福田さん | 『文学と教育』210(2009.11) |
2010 | ||
2011 | ||
2012 | ・〈座談会〉井上ひさし「ナイン」「握手」をめぐって (司会)高澤健三、(報告)井筒満、 夏目武子、椎名伸子、小出陽子、鈴木益弘、荒川由美子、成川日女美、 金井公江、佐藤嗣男、西平薫、橋本伸弥、芝崎文仁 -発言順- |
『文学と教育』216(2012.8) |
2016年1月26日 逝去(享年 89 ) | ||
2016 | (文教研名編集長 鈴木益弘氏を偲ぶ) (鈴木先生の思い出 橋本伸弥)* (出会いの妙 夏目武子) (鈴木先生を偲んで 金井公江) * 『戦争中の暮しの記録』(暮しの手帖社 1968.8)に、若き鈴木益弘氏の出征風景「若き日よふたたびはかえらぬものを――壕舎にも召集令状は来た」(朝日新聞社提供のグラビア写真)が掲載されています。 |
『文学と教育』224(2016.7) |
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