資料:文学教育研究者集団/熊谷孝への言及
山元隆春『文学教育基礎論の構築——読者反応を核としたリテラシー実践に向けて——
                          
   (渓水社 2005.4)

   ・同書「第1章 戦後日本における文学教育論の検討」より抜粋した。
     ・脚注は、本文中のそれぞれ該当する箇所に移し、<>内に示した。
   
・注の「前掲書」については、それぞれ該当する書名に替えて示した。



 文芸認識論の構築と文学教育 —— 熊谷孝の場合 ——


2.1 〈文学教育の哲学〉としての熊谷文学教育理論

 熊谷孝は、文芸認識論の立場から読者の認識過程の解明を目指して、主として1950年代から1970年代にわたって、独自の文学論・文学教育論を展開した。熊谷の文学教育論の場合は、文学教育のための理論構築の営みにその特徴があると言ってよい。そういう意味で、熊谷の文学教育論は〈文学教育の哲学〉としての趣をそなえている。もちろん、熊谷が単に哲学的な思弁に終始したというわけではなく、彼自身〈文学教育研究者集団〉(略称文教研)を組織し、〈印象の追跡としての総合読み〉を提唱し、独自の指導過程論を構築していった。戦後の文学教育の〈基礎理論〉の展開を考える時、熊谷の理論の持つ意味は大きい。熊谷とともに文学教育研究者集団に属する荒川有史は、熊谷の仕事を次のようにまとめている。

周知のように、熊谷理論は、『文学教育』(国土社、1955年刊)、『芸術とことば』(牧書店、1963年刊)、『言語観・文学観と国語教育』(明治図書、1966年刊)、『文体づくりの国語教育』(三省堂、1973年刊)、『芸術の論理』(三省堂、1973年刊)等々の著書に集約されているが、この理論は次のような特徴を持っている。すなわち、(1)〈私の中の私たち〉と〈私たちの中の私〉との統一として人間をとらえていること、(2)母国語文化の真のにない手は〈創造の完結者〉としてのその読者であり、作家の創造過程も内なる読者相互の対話の過程として分析していること、(3)民俗的体験の総決算としての母国語概念を提出することで、母国語教育が学校教育の分野でしめる位置・役割機能を明確に指し示していること、(4)母国語教育は、その母国語操作をとおして子どもたちや若者たちの文体的発想を保障する作業であり、更に彼らの現実把握のしかたを文体づくりというモメントに絞って変革していくいとなみであること、(5)形象的な母国語操作を保障する文学教育は、母国語教育の重要な一面であり、欠きえない心臓部分であること、それは〈母国語教育としての文学教育〉という提唱につながるということ、(6)読みの過程的構造とは〈印象の追跡としての総合読み〉にほかならず、総合読みの発想こそ、動態としての文学教育活動の方法的確信を示すものであること等々64
 <注64:荒川有史 1976『文学教育論』三省堂。また、文学教育者集団の機関誌『文学と教育』第160号(1992年12月)は熊谷孝の〈追悼号〉として熊谷の〈人と学問〉を特集している。この号には熊谷の著作に関する詳細な目録が収められている。文学教育研究者集団の詳細については http://wwwsoc.nii.ac.jp/gsle/  参照のこと。> [引用者注:上記ウェブアドレスは現在 https://bunkyoken.org に変更されている。]
 
 荒川が掲げている六つの論点は、いずれも熊谷の文学教育論を検討する場合の重要なポイントである。以下では、荒川の挙げている熊谷の主著のうち、とくに熊谷の文学教育理論の展開をたどる上で重要な著作である『文学教育』『芸術とことば』『文体づくりの国語教育』の3冊を取り上げ、熊谷の文芸認識論の立場に立つ文学教育理論のなかで、〈作品と生徒の思想がじかに触れ合う関係〉すなわちテクストと読者との相互作用過程が、どのように明らかにされていったかということを検討したい。


2.2 〈文学的思考〉への問い ——『文学教育』——
 
 1956年に刊行された『文学教育』の主眼の一つは、戦後の日本社会において読者をどのように創造していくかということであった。


  偉大な読者の創造ということ、幅と厚みのあるすぐれた文学的思考力の身についた人間に国民を育んでいくということ、そのことこそが、やはり今のわたしたちの、じっくりととり組まなくてはならない仕事ではなかろうか。すくなくとも、そのことを抜きにしては、新しい文学への期待もなにもないように思われる。《家を建てるには、まず土台工事からはじめなければならない。》
 いまは“文学教育の季節”である65
<注65:熊谷孝 1956『文学教育』国土社、78頁>
  熊谷によれば、上の引用文の冒頭にある〈偉大な読者の創造〉ということばは、ロシアの作家イリヤ・エレンブルグの言葉を借り受けたものであるという。熊谷の文学教育論の中心にこの〈偉大な読者の創造〉という目標があることを確認しておかなくてはならない。とりわけ〈文学的思考力〉の育成が、熊谷の場合は〈偉大な読者〉を〈創造〉する重要な条件であった。また、この件りには明らかに戦後の文学教育論の展開や、あるいは〈国民文学論〉をはじめとする当時の文学理論の展開が踏まえられている。しかし、〈読者〉の立場への着眼は、熊谷の場合戦前から始まっていた。
 たとえば、乾孝・吉田正吉と連名で執筆した「文藝学への一つの反省」で、熊谷は1936年種々の文学理論を批判的に論評した上で、とくに文学の価値論を扱った諸家の論が〈作品をそれだけで完結したものと考へて、それの働きを読者と無関係に考へてゐる事に起因してゐる〉66
<注66:熊谷孝・乾孝・吉田正吉 1936「文藝学への一つの反省」『文學』第4巻9号、岩波書店、99頁> という問題点をすでに指摘している。この発言は、熊谷のうちに〈読者〉志向の文学教育を求める明確な意思があったことを証すことばでもある。これは、後述する桑原武夫の『文学入門』の立場にきわめて近い67<注67:桑原にも戦前に、「小説と讀者」という論文があり、これが戦後における桑原の〈読者論〉の基をなしたと考えられる。> 桑原も、テクストの〈価値〉は読むという行為に対する読者の参加と無関係にはありえないとする立場に立っている。
 〈偉大な読者の創造〉を目指した熊谷の文学教育論は、まず読者の〈認識〉及び〈思考力〉の問題を扱うことになる。〈認識〉及び〈思考力〉をめぐる熊谷の発言に注目してみよう。


 文学教育のめざすところは、文学的思考において生活できる人間を作り上げることであるはずだ。別のことばでいえば、文学的思考において生活の中に問題をさぐる能力を身につけさせる、ということだ68<注68:熊谷 1956 『文学教育』、106頁>
 論理的思考力とは、普通にそう考えられているような、たんに科学的思考力のことではない。ましてのこと、単なる観念的思考の別名にすぎない“科学的思考”をなど、それは意味していない。
 それは具体的には、文学的思考にささえられた科学的思考力のことであり、また、科学的思考にささえられた文学的思考力のことである。文学的思考と科学的思考とは、論理的思考ないし論理的思考力の二つの側面である。
 文学教育は、つまり、そうした論理的思考力をつくる教育の中軸であり、それらの内容教科にほかならないのである
69<注69:熊谷 1956『文学教育』、111頁> 

 わたしは、文学的思考をささえとした論理的思考力を身につける(身につけさせる)必要があるから文学教育が必要なのだ、というふうな考え方をしている。文学を生活に結びつけ、生活のうちそとを、またその基盤である歴史社会をいきいきと形象化し典型化してとらえるという、準体験的な文学的思考力を自分のものとすることは、(中略=山元)科学的思考を実践的に主体に媒介することにもなる70<注70:熊谷 1956『文学教育』、130頁> 

  熊谷は〈論理的思考力〉を〈単なる観念的思考の別名にすぎない“科学的思考”〉から峻別する。また、〈文学的思考〉を〈論理的思考〉と切り離すこともしていない。彼の言う〈論理的思考力〉とは、〈文学的思考に支えられた科学的思考力〉及び〈科学的思考にささえられた文学的思考力〉のことである。〈科学〉一辺倒でもなく、〈文学〉一辺倒でもない〈思考〉がここで探られていること、そして、〈文学教育〉が〈論理的思考力〉育成の対極にあるどころか、その中軸に位置するものだとされていることが重要である。
 熊谷は、印象主義的な文学教育や感動中心の文学教育というものを明らかに否定している。これはもちろん、彼が〈感動〉や〈印象〉そのものを否定しているという意味ではない。そうではなくて、〈感動〉や〈印象〉に溺れるような方向での教育を否定しているということである。〈生活〉上の実感と切り結ぶことのない〈感動〉や〈印象〉は、少なくとも熊谷の言う〈準体験〉を呼び起こすことはない。



2.3 準体験論 ——追体験批判からの出発——
 
 作品の読みとは、読者が作品に表現された作者の体験を再現していくことであるというのが〈追体験〉論の考え方であるが、この〈追体験〉論に対する批判を企てることから、戦後日本の文学教育論は始まったと言っても過言ではなく、熊谷の理論もその例外ではない。彼が〈追体験〉論の代案として提出したのは、作品の読みにおける読者の体験を現実に対する読者の〈実感〉に支えられたものとして捉える〈準体験〉論である。これは、読みにおける読者の〈実感〉の役割を明確に位置づけているという点で〈追体験〉論とは一線を画するものであり、読者の積極的関与を強く肯定した論である。

追体験の論理――それは、ところで、主体喪失の論理のような気がしてなりません。というのは、あながち、己を虚しうして天皇に帰一奉る、という、例の戦時ちゅうの追体験・同化の論理をここに連想するからだけではありません71<注71:熊谷 1963 『芸術とことば』牧書店、266頁>
 ここには、大河原忠蔵の〈状況認識の文学教育論〉の論理と共通するものがあらわされている。熊谷の文学・文学教育論は、戦前の〈鑑賞〉論・〈追体験〉論に対する批判的検討から出発しながら、教室の読みにおける〈主体〉のあり方を問うたものでもある。読者が読むなかで創造するものは、作者が心に抱いたものとは別のものであるという考え方を、ここから読み取るのは難しいことではない。芸術作品から受け手のかたちづくる芸術体験の質を問うところから熊谷は論を組み立てている。〈追体験〉論にあっては、〈鑑賞〉にしろ〈解釈〉にしろ、芸術作品を受容するという営みにおいて、作品に込められた作者の体験を追認することが中心となる。そこでは、作者の内部における対読者意識や、読者の側の個性といったものは顧慮されない。いきおい、芸術作品は受け手の意識のありようと関係なく存在するものとされる。そこのところに熊谷は〈主体喪失の論理〉を捉え、批判をしているのである。
 このように、熊谷が〈追体験〉論の代案として提唱した〈準体験〉とはどのようなものであるか。それは、次のような彼のことばにあらわされている。

 準体験という、このまことにインスタントな概念は、じつはディルタイふうの生哲学的方式の《追体験》概念への批判として提起した概念にほかならない72<注72:熊谷  1963『芸術とことば』、201頁>

 単なる特殊を典型にかえ、深い感動とともに具体的形象において現実を見、かつ考えるという文学固有の準体験的認識。そうした文学的な認識方法・思考方法に媒介されて、科学の認識は観念から思想への、実践の原動力としての思想への深まりを示すことになる73<注73:熊谷 1956『文学教育』、109頁>

 準体験——それは、現実のデイリーな体験とは違うが、しかも現実まるごとの実感にささえられた体験である、というふうにいったらよろしいでありましょうか。また、それは、現実を形象にシンボライズする体験であり、形象的現実における《まるごとの体験》である、というふうにもいえようかと思います。
 もっとも、必ずしもそれは、芸術体験――創作体験や鑑賞体験に限定して考える必要はありませんし、また、そんなふうに限定できるような性質のものではありません。が、しかし、芸術体験においてもっともティピカルにその機能が発揮されるのが、この準体験です。その意味では準体験は、典型の認識を成り立たせる体験のことである、ということにも究極的にはなるでありましょう74<注74:熊谷 1963『芸術とことば』、91頁>


 文学作品(ことば)は、それの芸術的機能において、読者その人に対してその主体の位置づけ方に変改を求めることなしに、しかも彼を別個の人生体験(典型的な生活場面)にさそいこむのです。いいかえれば、そこに描かれた出来ごとや人間のなやみや訴えを、それに対する自分自身の感じ方などをひっくるめて、読者はそれを日常的全体的なものとして受けとっている、という関係です。
 これが、僕のいう準体験です。準体験としての芸術体験です。それを機能の面からいえば、準体験とは典型的場面を感情まるごとに体験するはたらきのことです75<注75:熊谷 1963 『芸術とことば』、225頁>

 〈典型的場面を感情まるごとに体験する〉からこそ、文学作品を読むことによって現実のありようを捉えていくことが可能になる、というわけである。読者は文学作品を読むことをきっかけにして、自らの生活する現実を捉えていくための〈見方〉を手に入れるということになる。そのためにこそ、文学の学習は必要なのだ。熊谷の〈準体験〉論はそのようにして文学教育を基礎づける。
 芸術体験を〈準体験〉であるとするこのような考え方に従うと、読みの過程を経て読者の心に生ずるものはけっしてテクストと同一ではない。と同時に、芸術体験はけっして日常の生活場面から全く独立したものでもない。この両様の考え方を並立させることが可能であるところに、熊谷の〈準体験〉論の強さがある。そして〈準体験〉であればこそ初めて可能な〈典型的場面を感情まるごとに体験する〉ことをいかに導くかということが、熊谷の文学教育論においては中心となっている。


2.4 文学的コミュニケーション過程の探求 ——『芸術とことば』——

 〈準体験〉論の支えとなっているのは、作家の内部における〈対話〉過程に着目しながら説き起こされる熊谷の文学的コミュニケーション論である。彼は、文学的コミュニケーションを単なる情報の伝達とは捉えていない。書く行為も読む行為も、彼の考える文学的コミュニケーションの過程にあっては対話的な過程として位置づけられている。

 対象化された作家の自己は、絶えず読者とことばを交わしている自己であります。《内語》にささえられて、読者とコミュニケーションをおこなっている自己なのであります。それは、作家から読者へ向けての一方通行の伝えではなくして、対面交通・相互変革の伝えあい——内部コミュニケーションにはかなりません。
 が、作家の《自己》がそういう活動を始めるようになるのは、自己が対象化されることによってであります。それが《見る自己》に対する《見られる自己》として対象化されることで、読者との交通が始まるのです。
 で、そんなふうに、対象化された自己が《内なる読者》を獲得することで、《見る自己》のほうもまた、自分の対話の相手となり問答の相手となるような読者を、自分自身の内側に獲得する、という関係にあるわけです76<注76:熊谷 1963『芸術とことば』、51頁>
 

自他の変革。——自他の自は、むろん、芸術家その人の自己・自我をさしています。表現することがダイアローグに、鑑賞者との相互変革の内部コミュニケーションにささえられている、というかぎりにおいて、表現すること自体、送り手(表現者)自身の自己変革のいとなみとなるわけなのであります。創造・創作の名にあたいする表現は、このようにして、自他変革のいとなみにほかなりません77<注77:熊谷 1963『芸術とことば』、70頁>

 作家の自己凝視は、じつは作者としての自己凝視と、ひとりの市民としての自己凝視、自己の対象化ということとの統一という形のものになっていないわけにはいきません。作家の《内部》と《外部》との通路は、いわばこのような立体交叉の二重構造になっている、と考えるほかありません78<注78:熊谷 1963『芸術とことば』、94頁>

 「ことば」を媒体とした表現活動と表現理解の活動は、むしろ、表現することも、それを理解するいとなみも、思考し認識すること以外ではない、ということこそが、コミュニケーションとしての「ことば」の機能なのであります。そのことを、「ことば」の認識機能を軸にしていえば、「ことば」による認識活動というのは、伝え・伝え合いを通しての外界・内界の反映活動ということ以外ではないでありましょう。
 つまり、「認識するための道具としての言語と、コミュニケーションとしての言語」とを二元的にではなく一元的に、そして統一的につかむ必要があろう、ということなのです79
<注79:熊谷 1963『芸術とことば』、194頁>

 〈鑑賞者との相互変革の内部コミュニケーション〉〈自他変革〉〈作家の《内部》と《外部》の通路〉〈伝え・伝え合いを通しての外界・内界の反映活動〉といった語句に、熊谷の文学的コミュニケーション論の特徴があらわれている。彼は文学的コミュニケーションを機械論的なシステムとは捉えていない。言語使用というものが、使用者の外部に向かうものであると同時に、内部にも向かうものであり、そのような状態での言語使用者の内外における葛藤こそが重要な意味をもつことを、熊谷は上に引いた文章のなかで追究している。
 ここでは主として〈作家〉の内部に焦点が当てられているのだが、熊谷の述べていることは、〈鑑賞者〉の内部で生ずることにも当てはまる。読者の内外においても、葛藤は見られるはずであるし、文学の学習においてはそのような葛藤が確かに大切な要素である。読者もまた〈内語〉に支えられた他者とのコミュニケーションを営みながら、〈自他の変革のいとなみ〉を営むのである。


2.5 〈印象の追跡〉論 ——読みの過程に関する試論——

 熊谷の文芸認識論は、彼自身述べているように、哲学者戸坂潤の文学論に負うところが大きい。〈印象の追跡〉について、戸坂は次のように言う。

  印象の追跡は印象への追随であると共に、そればかりではなくて、印象から距離をつくることであり、印象を直ちに疑ふことであり、印象を仮構的に破壊することであり、印象をつきはなすことである。それがなければ印象は、少なくとも真に客観的な方向へは、追跡されない80
 <注80:戸坂潤 1948 『文学論』(戸坂潤選集 第8巻)伊藤書店、60頁。戸坂の『文学論』を熊谷の
『文学教育』とつきあわせてみると、熊谷が戸坂から受けた影響の大きさと深さを知らされる。>

 〈印象の追跡〉によってこそ批評が〈客観的な方向〉へと向かいうるという戸坂の論は、読むことの理論を究明するうえでも非常に示唆的である。読者が自らの読みを対象化し、自立していくためには、読むなかで実感として捉え得た〈印象〉を〈追跡〉するという営みがどうしても必要になってくる。この〈印象の追跡〉という営みが、熊谷の読みの理論に従う文学教育方法論の重要な柱となった。熊谷の読むという行為を把握する際の原理としての〈印象の追跡〉論も、戸坂の理論を継承したものであると言ってよい。熊谷は言う。

 必要なことは、自己の実感ベッタリな態度を拒否してかかることである。自己の想像的意識に与えられた実感・印象を一度突き放して対象化し、それを点検し追跡するという姿勢である。(中略=山元)どういう意味にもせよ、批評という行為・活動は印象の追跡以外のものではないということを、わたしは戸坂潤(1900~45)に学んだ。すなわち、印象の追跡としての批評だけが、自己の実感をささえとしながら、その実感の検証を通して実感をこえる(つくり変える)ことを可能にする、ということをである81<注81:熊谷孝 1970 『文体づくりの国語教育』三省堂、55頁>

 〈自己の想像的意識に与えられた実感・印象を一度突き放して対象化し、それを点検し追跡するという姿勢〉によって、〈批評〉が生まれるという論理は、大河原忠蔵が〈状況認識〉を説明した論理と共通している。〈印象の追跡〉としての批評の成立を読みの目標としながら、熊谷は、その考え方を文学教育の方法論に結びつけた。

 で、こうした読みの作業面での具体的な方法が “印象の追跡としての総合読み” である。いや、意識しているといないとにかかわらず、文章の読みはすべて印象の追跡による総合読みにほかならない。が、それを教師自身ハッキリ意識化してつかみ、また、そのそれぞれの段階、次元に応じてそれなりに、子どもたちにも徐々に意識化させていくことで、受け手自身による印象の追跡(=点検)のしかたを確実なものにする指導が、ここに言う総合読みということなのである。
 くり返しになるが、印象とは、一定の刺激に対する受け手の全人間的な反応(=反射)のことである82
<注82:熊谷 1970 『文体づくりの国語教育』 三省堂、225頁>

 端的に言って総合読みとは、
 ①自己の文体、自己の発想(発想のしかた)を自覚する(させる)読みである。
 ②それは、ことばに表わすすべを知らない自己の発想・想念をことば(文章)に結びつける読みである。
 ③それは、自己の発想をことば(文章)に結びつける過程で、自己の発想のしかた自体を点検し、確かなものにする読みである。言い換えれば、その発想のしかた自体を変革することで、究極においては発想そのものを変革する読みである。
 ④それは、表現・記述の過程(=読みの過程)をたいせつにする読みである。すなわち、ことばの継時性における文章の部分と全体、全体像との関係を、それの言表の場面規定を押さえ、自分自身の遠近法の調節において主体的につかみとろうとする読みである、ということである83
<注83:熊谷 1970『文体づくりの国語教育』、224頁>

 〈印象の追跡〉としての批評を目指す〈作業面で具体的な方法〉を熊谷は〈総合読み〉と呼ぶ。これは、読むという過程のなかで営まれる読者とテクストとの対話的関係を重視したものであり、文章を読んで最初に抱いた〈印象〉や〈実感〉を大切にしながら、それを絶対視することなく、自分にとっての新しさを切りひらいていく読みの指導を企図して提案されたものである。上記の引用の末尾のところで述べられている〈自己規制〉とは、絶えず自らの読みをモニタリングすることのできる者にして初めて可能なことである。熊谷の〈印象の追跡としての総合読み〉論は、自らの読みを捉えるもう一つの〈私〉の意識――それは自己を対象化する自己でもある——の成立を目指す読みの指導論であると位置づけることができる。


2.6 第二信号系理論の導入 ——言語と思考の対話性を見据えて——

 先に述べたように、文学的コミュニケーションに関与する主体の内部に対話性を見て取った熊谷は、自らの理論の補強のために、パヴロフの条件反射説に始まる〈第二信号系理論〉を参照した。〈第二信号系理論〉が読むことの教育に示唆を与えるのも、それが言語と思考の対話性を扱う理論だからである。『文体づくりの国語教育』において熊谷は言う。

 “ことば” というものは全体として、そういう第二信号、二重の媒体のひとまとまりの組織、体系です。つまり、第二信号系なのであります。
 第二信号系というのは、信号の信号――すなわち二重の媒体を組織して、その二重の媒体において事物(=世界)を反映する、そのような組織活動のひとまとまりのシステムのことです。ことばを通して世界を反映する、現実を反映するということは、実は、現実について反省する、ということにほかなりません。(ちなみに、反射・反映・反省——それらはひとつながりのことばです。もとは、一つの Reflection ということです。)反省する?むしろ反省し続ける、ということです。言い換えれば、反映のしかたを変えて認知を深める、反映のしかたそのものを外界の法則に合致するように自己規制していく、たえずそのような規制を行なう、ということです。そのことが、第二信号系として “ことば” を操作する、ということです84
<注84:熊谷 1970『文体づくりの国語教育』、95頁>

 ここで重要なのは、〈ことば〉を〈第二信号〉と捉え、〈ことば〉を用いるということが〈現実について反省する〉ことだとする考え方である。〈反省〉は荒木繁や古田拡の思考の鍵でもあった。この発言の時点から少し遡る、『芸術とことば』には次のように書かれている。

〈ことば〉が第二信号系として理性的に機能するためには、それは認識の発展をそこにもたらすような、動的な《伝え》と《思考》の具とならなければなりません。思考――それが主体内部における伝え、伝え合い、内部コミュニケーションにほかならない、という点については一おう前に指摘した通りです。ですから、思考活動そのものが原理的には、伝え(コミュニケーション)だ、ということになるんですが85<注85:熊谷 1963『芸術とことば』、179頁>

 このような考え方に立ちつつ、言語教育を〈思考と言語の関係把握の問題としてつかみ直さなければならない〉としている点が、熊谷の理論においては重要である。
 現代の批評理論に多くの示唆をもたらしているミハイル・バフチンの対話論も、読むことに関して言えば〈思考と言語の関係把握の問題〉を〈対話〉という概念であらわそうとする。対話が成立するためにはズレが必要であるとし、反省しつづけようとする意識を呼び込むほどに、思考と言語とを互いに葛藤しあう関係にあるものと捉えた熊谷の理論は、バフチンの理論に通ずる部分が少なくないように思われる。
 もちろん、これは同じく〈第二信号系理論〉に基礎の一つを置く児童言語研究会の〈一読総合法〉86にも通ずるところである。〈一読総合法〉と同じく、熊谷は、言語と思考との関係を対話的なものとして捉え、読者の内部に働く反省的な思考過程に目を向けていったのである。
 <注86:児童言語研究会及び〈一読総合法〉については、たとえば同研究会の機関誌『国語の授業』(一光社刊)や、同研究会編の次のような文献を参照のこと。『国語教育の基礎理論』(1975  一光社)、『新・一読総合法入門』(1976  一光社)、『個性をみがきあう文学の授業』(1994 一光社)。>


2.7 〈文体づくり〉の論理 ——『文体づくりの国語教育』——

 言語と思考との対話がどのような場で具体化されるか ——この問いに対する熊谷なりの取り組みが〈文体づくり〉という発想を生む。

 “文体づくりの国語教育” は、子どもや若者たちの “人間” に対して責任を負う教育活動である。その責任の負いかたは次のようなものだ。まず、“内なることば” をささえとした彼らの不安定な発想(発想法)を、実際のことば (external-speech) を通すことで顕在化してリフレクトさせる。また、そこにリフレクトされた発想を、ただの観念としてではなく、イメージぐるみの観念として——つまり行動を触発する生活の実感として——子どもたちの主体に返していく、という指導操作においてこの国語教育は、人間教育としての責任をとるのである。
 言い換えれば、それは、子どもや若者たちの現実把握の発想のしかたを、たえざる印象の追跡・点検において “ことば” を媒介として顕在化し、その顕在化されたものを内化し、いわば文体的発想として保障していく作業である87<注87:熊谷 1970『文体づくりの国語教育』、3頁>
人々は、“ことば”(―ことば系)に媒介され、“ことば” 体験においてかちえた自己の発想を、さらにまた “ことば”(=文章)に結びつけることで、その発想を確かなものにしていっている。すなわち、文体的発想にまで顕在化する形で自己の発想を確かのものにしていっているわけである。(中略=山元)そこには文体とは言えない文体、他人からの借り物の発想や文体、ごく程度の悪い文体などもあるだろうが、しかしともかくは人間は文体でものを考えるのである。考えるというより、まず感じるのである。ふだん、自分では意識しないような、ある思考のパターン、思考の心理的な基盤みたいなものを文体は主体 ——個々人の主体——の内部につくり出すわけだ88<注88:熊谷 『文体づくりの国語教育』、202頁> 

 子どもの内面にある〈不安定な発想〉を〈実際のことば〉によって〈顕在化〉し、〈リフレクト〉(反省)させるというところに、熊谷は国語教育の〈人間教育としての責任〉のありかたを問うている。〈不安定な発想〉の〈顕在化〉された姿が、個々の〈文体〉であるとも述べられている89。熊谷の言う〈文体づくり〉とは、そのようなかたちでの、内なる思考や発想の顕在化と内省の営みに他ならない。この営みが〈印象の追跡〉を出発点にしているというところが重要なのである。
 文学教育に即して言えば、これは各々の学習者がテクストから得た実感や印象を〈追跡〉し、それをことばによって顕在化することで内省しながら対象化する、ということを繰り返していくことになる。そのようにして、読みの実感を内省しつつ、読者がそれを自らの文体として表出することを熊谷は大切なこととしているのだ。
 <注89:こうした学習者の獲得する〈文体〉への着眼も、先に論じた大河原忠蔵の理論と共通するものである。>


2.8 熊谷孝の文学教育理論の特質 ——リアリズム認識論に立つ文学教育論——

 以上検討してきた、熊谷孝の文学教育理論の根底には〈リアリティー〉に対する深い想いと強いまなざしが控えている。そのことを如実に示しているのが〈生活綴り方教育〉に向けられた、次に引くような発言であろう。

 生活綴り方や生活記録にかえれではなくて、これからの生活記録はどういうものにならなくてはならないか、ということですね。文学をというか準体験をというか、それをどこまで意識してつかんだ綴り方指導をやるか、ということでしょうし、それから子どもたち自身にどの段階、どういう過程で、それをどのように自覚させていくか、ということが生活綴り方教育のこれからの課題であるみたいに僕なんか考えますね。《鑑賞のリアリティー》を主軸にして考える文学学習のほうからすると、《生活のリアリティー》に直結しようとするこの生活綴り方の方法を併用しないと、文学教育が文学教育にならないというか、ただの文学少女や文学青年を濫造する妙なブンガク教育になってしまうということが、一方にあるわけですね。自分の文学の鑑賞の仕方や文学観念が生活から浮いたものになる、ということですね。フワフワした、そういう宙に浮いた文学青年の姿が子どもたちの未来像である、というような文学教育は困る、と思うんです90<注90:熊谷 1963『芸術とことば』、106頁>

 同じく文学的認識を問うていた大河原忠蔵と比べると、〈生活綴り方〉への評価は正反対である。〈生活へのリアリティー〉を欠いた文学教育が、外界との葛藤を経ない独話的な読みを生み出しかねないということへの懸念がここには表明されている。〈生活へのリアリティー〉を重んずる熊谷の文芸認識論は、次に引用する戸坂潤の問いかけに対する一つの回答であった。

 マルクス主義認識論と雖も、今日までは、ブルジョア認識論と同じく、殆んど凡て科学乃至理論に就いての認識論に限定されていた。之はブルジョア認識論にとつては当然なことだつたのである。なぜならブルジョア認識論は科学に関しても実践的な模写説は取らず、又ブルジョア文芸論は模写説としてのリアリズムを取るための必然的な論拠を有つてゐなかつた。従つて文芸理論と所謂認識論との間にはブルジョア的理論にして見れば、何等、思いつき以外の共通の地盤は見当たらなかつたわけだ。処がこの点、現代唯物論は全く条件を異にしてゐる。現代唯物論による認識論は、首尾一貫して模写反映の理論に立脚する。処が現代唯物論による文芸理論も亦同じく首尾一貫して模写反映の理論だ。それが文芸学の哲学的カテゴリーとしての(前にも云つたやうにスタイルとしてではない)リアリズムといふものだ。(中略=山元)文芸は世界の・時代の・自然の・社会の反映だ。文学は鏡である(中略=山元)。だからして唯物論によつて初めて、科学の認識論が文芸の「認識論」にまで拡大延長され得る条件が発生したのである。文学なる概念もこの認識に於て初めて、科学的カテゴリーとなることが出来る。(中略=山元)もし仮に、例へばリアリズムといふ問題が、今後の文芸学の何よりも重大な根本問題であるとしたなら、(私は夫を疑はないのだが)、文芸学はまず第一に、みずからが認識論である点を、実質的に明らかにせざるを得ないだらう。そしてその時、問題はおのづから、文芸と科学との認識論上の連関へと運ばれていくに相違ないのだ。——だが、今日の唯物論的文芸学は、この方向ではまだそこまで話を進めてゐないのではないかと、私は考へる91<注91:戸坂 1948『文学論』、130-131頁>

 戸坂が示した〈認識論〉に関わる問題意識を文学教育理論構築の足がかりとした熊谷の理論は、必然的に読者としての子どもにとっての〈リアリティー〉がいかなるものかということをその中心的課題とすることになった。熊谷の言う〈ただの文学少女や文学青年を濫造する妙なブンガク教育〉とは、そのような問いを欠いた文学教育に他ならない。
 もちろん、熊谷の理論が、現実を忠実に反映した文学作品のみを念頭に置いたものではないことに注意しなければならない。読者にとっての〈リアリティー〉の問題は、ファンタジックな作品を扱う場合でも、あるいはSF小説を扱う場合であってさえも見逃すことのできない問題なのである。むしろ、ファンタジックなものやSF的なものにおいて、〈リアリズム〉という手法は大きな効果を発揮するし、そのようなテクストの読みにおいて現実に対する読者の姿勢は強く揺さぶられる92
 <注92:ロバート・スコールズは次のように言う。〈SFがほんとうにうまくしごとをしたとき、それは見知らぬものを飼い慣らしはしない。それは飼い慣らされたものを見知らぬものにする。それはわれわれを旅に連れだし、そこでわれわれは見知らぬものに出会い、その見知らぬものが自分自身であることを知る。〉(ロバート・スコールズ 折島庄司訳 1987 『テクストの読み方と教え方』 岩波書店、205頁)これは、文学の読みにおける子どもの〈リアリティー〉に関する熊谷の所論にもあてはまることだ。>

 熊谷の文学教育理論は〈リアリズム〉の理論の有効射程を幅広いものとする契機をはらんでいる。そして、〈リアリズム〉における〈反映〉の問題を、テクストとの相互作用過程における読者の反省的意識の成り立ちに結びつけ、論じているところに熊谷の理論の重要な特徴があることも確かだ。〈生活綴り方の方法〉に彼が着目するのも、この〈方法〉が子どもの反省的意識に訴えるものだからではあるまいか。それはまた〈行為へのいざない〉の後に何を営むのかという、〈問題意識喚起の文学教育〉論が導いた問いへの一つの回答でもある。また、この問題は、現代の認知科学に依拠した読むことの理論において問われている〈メタ認知〉の問題に通じた重要な論点である。
 

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