資料:文学教育研究者集団/熊谷孝への言及
大野 響 広島大学大学院・院生
  国語科授業における文学体験の必要性
――戦後文学教育論を中心に――
      (『全国大学国語教育学会国語科教育研究:大会研究発表要旨集』 2020年 139巻)



キィワード:文学体験 準体験 印象の追跡

1.問題の所在
 さまざまな論点で議論が繰り広げられてきた国語教育、文学教育論の歴史の中の一つに、「文学体験」がある。文学体験とは虚構世界への参入と感動の体験として語られ、その両者が文学の読みにおいても決して切り離すことのできない、それこそが重要なものとして捉えられてきた(田近洵一 1985, 丹藤博文 1991, 浜本純逸 2001)。
  一般に文学を読むという行為を想定した場合、虚構世界に参入したり、感動の体験と呼ばれる体験を したりすることは想像し得るし、経験的にも肯ける部分がある。ただし、それは国語の教育として、すなわち「ことば」にこだわった教育としてどれだけ重要なのだろうか。人が文学作品以外のさまざまな 出来事や場面で、感動と呼び得る体験をすることも当然のことである。それでは、どうして「ことば」 で表現された文学作品を読むことによる虚構世界への参入と感動の体験を重視する必要性があるのだろ うか。換言するならば、虚構世界への参入と感動の体験といった「文学体験」が、どういった側面から 「ことば」の学びへとつながるのだろうか、といった点に目が向けられなければならない。
  そこで本稿では、熊谷孝を取り上げる。熊谷に関しては、浜本純逸(1978)、山元隆春(2005)によって文学の読みにおける読者論的発想が考察されてきた。また、鈴木愛理(2011)によって、芸術の言葉としての文学教育といった視点からの考察もなされてきた。しかし、熊谷の「準体験」が文学体験論としていかなる意義と示唆をもっていたかについては論じられることは少なかった。今や「準体験」という表現が表立って語られることも少ない。しかし、戦後文学教育における文学体験論にとって大きな存在であったことは確かであろう。「準体験」論が乗り越えてきたものとは何か、乗り越えられなければならないものは何かを問うことで、「ことば」の学びにこだわった国語科授業における文学体験の必要性の一端を明らかにしていくことを目的とする。

2.熊谷孝の「準体験」論
2.1 「準体験」とは何か

 熊谷孝(1963)は「生の表現にほかならない芸術作品の表現を理解するためには、作者の内的過程を追体験することによって
、体験の同化を実現する以外に手段は見いだせない」(p.201)という「追体験概念へのアンティ・テーゼ」(p.202)として「準体験」を用いた。そして、熊谷(1974)は国語教育の問題を「作品の文章の記号性の中にその作者の意図した〝送り内容〟が概念として(、、、、、) 刻みつけられている、という素朴な言霊信仰」(p.51, 傍点ママ)にあると捉えた。
  このように提示された「準体験」とは何か、さまざまな箇所で語られるが、早くに熊谷(1954)は「文 学作品を読むということは、もともと、作中の人物の なかに自分を(――あるいは自分の分身を)見つ けだし、その人物といっしょになって、自分がげんに辿ってきたコースとはまた別の人生コースを歩い てみる」(p.141)こととした上で、「それが自分のかつて体験した(あるいは今げんに体験している)出 来ごとに通じる何かを含んでいる」のであり、「この共軛する〝何か〟が、人間の体験(生活)のいち ばん大事な部分である」(p.142)として次のように続ける。
ところで、作中の人物は、かつてのあの自分の立場に立って、しかもそれとは別の行動を起こそうとしているのです。それは、わたくしの選んだ道とはスレスレのものでありながら、しかしけっして一つものではありません。(中略=大野)それは自分にとっても、また可能であった一つの生き方なのです。悩むべきところで悩み、そして踏み切るべきところで踏み切った、作品の主人公は、さて、今、ある行動に移ろうとしています。わたくしは、かれと連れ立って新らしい別個の体験を、そこで体験(――準体験)してみることができるのです。(p.143)
 文学作品の人物と「連れ立って新らしい別個の体験」が「準体験」であるとされ、またこの説明に加 え熊谷(1954)は、それが「言葉を通路とした体験(――言葉による行動の代行)」であり、「なまみの現実体験」とは異なることから「体験に準ずる〝体験〟――〝準体験〟」と名づけた(pp.143-144)。
  しかし、ここでは「ことば」にどれだけこだわっているのか未だ語られることはなく、現実体験では ないという点での説明にとどまっている。また、「かれ(大野注―作中の人物―)と連れ立って」体験していくという言及には、後に触れるような自らの読みを突き放した発想があらわれてきていない。これらに言及していくには、「第二信号系理論」「印象の追跡」といった視点を待たなければならなかった。

2.2 「第二信号系理論」と「準体験」
  第二信号系理論は、生理学的な研究に根を持つ理論である。熊谷(1974)は「第二信号系というのは、 信号の信号――すなわち二重の媒体を組織して、その二重の媒体において事物(=世界)を反映する、 そのような組織活動のひとまとまりのシステムのことで」(p.14)あると説明する。熊谷の表現で換言する ならば、実体としての「梅干」を食べた「梅干体験」が条件反射を引き起こし、それ以降、「梅干」という実体が信号となり、実体を目にするだけで食べてもいないのに自然と唾液が出てしまう。こうした体験があるからこそ、「梅干」という「ことば」が、 第一信号の信号(第二信号)として機能し、「ことば」だけで目の前には不在の「梅干」がイメージされ、直接見ずとも唾液が出てしまうシステムである。
  ここで重要なことは、実際の「梅干体験」があるからこそ、第二信号系としての「ことば」が機能し ているという点である。これらを踏まえて、熊谷 (1974)は次のように述べる。
〝ことば〟が第二信号系としての生産的・実践的な機能を発揮するためには、いいかえれば、わたしたちが〝ことば〟ほんらいの信号(―― 第二信号)としての生産性を活かしてその〝ことば〟を操作するためには、〝ことば〟系を、 運動感覚の系、行動の系であるところの第一信号系に結びつくように操作しなければならない、ということになりましょう。(p.15)
 これを文学の読みに変換するならば、文学作品の「ことば」に読者が向かい合ったとき、それが読者 のそれまでの実際の体験に結びつく、すなわち自身のそれまでの体験と、文学作品での体験との重なり 合う部分が想起されなければならないということである。それを熊谷(1974)は、「自己の反応様式の想起」と表現し「〝わかる〟というのは、自己の反応様式の想起というかたちで、新しい反応様式の喚起 というかたちで、ともかくその作品形象が媒介している感情にこちらの感情がつながっていく格好にな らないと」(p.137)いけないという。
  したがって熊谷(1974)は、「そこ(大野注:作品)に表現された感情がじつは自分のこれまでの体験、先行体験につながる何かであるということに気づかせることが教師の仕事だ」(p.140)と述べるに至るのである。しかし、「先行体験」とは「たんに過去の体験というようなものをさしているのではありません。」(p.142)とする点が熊谷の「準体験」論において重要である。
過去における自分の、ある事物とのある接触のしかた、あるいは過去の事物体験、それが現在の自分自身の行動の系につながるかたちの、ひとまとまりの体験になってきたときに、そういうまとまりを持った体験になってきたときに、それをわたしは〝先行体験〟とこう呼んでいるわけです。つまり、最初から先行体験がそこにあるとか、あった、ということでなくて、先行していた何かが体験と呼ばれていいようなものとして形成される、された、ということなので す。 (p.143)
  「先行体験」という表現はそれだけをとると、過去の体験のようであり、その限りでは文学作品を読 まなくとも存在するものと言える。しかし、読者が文学作品を読んだ時、そこに共軛するものがある、 たしかにそういった体験があったと気づき、それがことばとして形を成した時、ようやく「先行体験」 と呼ばれるのだという。
  このようにして、「ことば」とは信号の信号であるという「第二信号系理論」によって、文学作品を 読む読者は「ことば」を読んでいるのではあるが、それは「ことば」の共軛する面において「自己の反 応様式を想起」し、「なまみの現実体験」とは違った体験をしながら、自己のうちに先行体験を形成し ていくこと、それまで気づかれなかった新しい体験をしていくことが「準体験」である、という関係に 整理できる。これは熊谷(1963)によって「準体験」が「体験に区切りをつけ、体験の仕方を構成する体験」(p.92)として簡潔に表現されることである。
  そしてこれを国語教育、ことばの教育という中で考えるにあたり「印象の追跡」が求められ、位置づ けられる。

2.3 「印象の追跡」と「準体験」
  熊谷による「印象の追跡」とは、戸坂潤によるところが大きいことが指摘されている(山元隆春 2005, 2009)。例えば、戸坂(1948)が「印象とは刺激に対する人格的反作用のこと」(p.56)であるとすることから、熊谷(1965)は「印象とは、一定の刺激に対する受け手の全人間的な反応(=反射)のことである。」(p.223)と説明し、戸坂の発想を受け継いでいることを述べている。これに加え、戸坂(1948)の次の言及は、熊谷の「準体験」論を捉えるための鍵となる。
印象の追跡は印象への追随であると共に、それ ばかりではなくて、印象から距離をつくること であり、印象を直ちに疑うことであり、印象を 仮構的に破壊することであり、印象をつきはな すことである。(p.60)
 これらから、戸坂や熊谷の言う「印象の追跡」において最も重要な点は「印象をつきはなすこと」であると言える。熊谷(1965)は、この「印象の追跡」を文学の読みの過程に応用し、①前、②中、③後に便宜上分類し、自身の読みの指導論に受け継いだ。 ①前とは「受け手自身の反応様式の想起」あるいは 「先行体験の端緒的形成」であるという(p.109)。前項までの表現を用いるならば、「自己の反応様式の想起」「先行体験の形成」によって、文学作品と読者に共軛する面があらわれ、「想起された自己の反応様式をささえとしながら――あるいは、それにささえられながら――、受け手は、②その文章に示されている他者の別個の反応との対比・対決の体験を、そこのところで準体験する」ことになるのである (p.110)。そうして「③その文章の先の部分に書かれてあることへの予測を立てながら期待をいだいて読む、読み続ける」(p.110)という過程を取ると説明される。ただし、①~③は順次に生じるものではなく、熊谷(1965)は次のように述べる。
三層の読みの過程を何回となく――何回となくである――重層的かつ上昇循環的にくり返しながら、その文章が媒介する刺激とそれに対する自分のパースナルな反応・反射・反映のしかたが、印象の追跡という形で変化を遂げていく、ということにほかならない。(p.109)
 こうした読みの過程から「印象の追跡としての総合読み」が引き出さてくる。ただし、ここで重要な点は、熊谷の「準体験」論にとって「印象の追跡」が重要な位置を占めるようになったことであり、熊 谷(1954)がかつて「わたくしは、かれと連れ立って新らしい別個の体験を、そこで体験(――準体験)してみることができるのです。」(p.143)と説明していたこととの変化である。

2.4 「感情異化」と「準体験」
 また、熊谷(1963)はドイツで演劇論を展開したベルトルト・ブレヒトを挙げながら「感情同化」「感情異化」を「登場人物のだれかれに自己投入して、その人物の身になって泣いたり笑ったりしながら劇を見るというのと、それと反対に、相手をつき放したかたちで見る、というのとの違い」(p.26)を整理する。そうして熊谷(1963)は次のように述べる。
 ブレヒトじゃないが、僕自身つい数年前まで、この感情同化のほうだけで、だけでということもないですが、ともかくそっちのほうにウェイトをおいて鑑賞ということを考えてきた傾向が強いのです。(中略=大野)《追体験》というのを真っ向から否定しているわけなのですが、そのくせ追体験とどっちこっちの感情同化の理論に自分自身、足をすくわれていた、ということを最近反省しているわけです。
  僕たちは、創作することも鑑賞することも、それは追体験することじゃなくて《準体験》することだ、というふうにいってきているわけですが、準体験というのは必ずしも感情同化の体験だけじゃないわけですね。そこには感情異化の体験を含むというか、むしろ、これが非常にだいじなのですね。(p.264)
 このように、熊谷は「準体験」論において「感情同化」の体験だけでなく、「感情異化」の体験にも 重きを置いていることを明言するようになる。すなわち、「ことば」に対する「印象」だけでは文学の読みは不十分なのである。「印象」が「追跡」されること、突き放した「感情異化」を伴うことが求められるようになったのである。

3.考察
 ここまで熊谷孝による「準体験」論に関して、「第二信号系理論」「印象の追跡」「感情異化」という視角から捉えてきた。
 「準体験」論では、文学作品の「ことば」を通した、作品の人物や出来事と共軛する面、自身のそれまでの体験と通じる面が必要とされた。しかし、それは「ことば」に対する「印象」であり、「追跡」されなければならないとされた。
  読むという行為において、文学作品に刻まれた「ことば」に読者は反応するものである。しかし、それは刻まれた「ことば」の中身(作者の意図)を覗き 込もうとする行為ではなく、文学作品を読んでいる自身の内に、その「ことば」に反応している自己の姿を探り出す行為である。「先行体験につながる何か」に気づかせることを教師の仕事であるとした熊谷の「準体験」論には、自身の先行体験に規制されながら、文学作品の「ことば」に対して反応しているのだ、ということを読者一人ひとりに自覚させることの重要性が示されていたのである。自覚するとは、文学作品の「ことば」に対する自身の理解、わかり方に気づくということであり、常に自身の文学作品の「ことば」の理解の原因を検証していくということである。すなわち、同化したり、「印象」を大切にしたりする体験と、それらをも突き放して点検する体験の両者を一つに、「準体験」として構築していったことが、熊谷が「追体験」論を批判し乗り越えた「準体験」論の強みである。
  国語科授業において「文学体験」とは、虚構世界のイメージを描いたり感動を覚えたりすることだけ でなく、そのようにイメージを描いてしまった「ことば」に自分はどのように反応したのか、どのよう な印象をもったのか、自分がその「ことば」をどのように理解しているのかを点検する場として必要と されてくるのではないだろうか。これは、なぜ自分は感動したのだろう、と感動の体験を引き起こした 「ことば」と、それらへの自らの意味づけに目を向けようとすることである。「ことば」の字義を覚え、それを当てはめていくことが文学の読みではない。字義を理解していることは重要であるが、同時に文学作品の「ことば」に「パースナルな反応・反射・反映」をし、その反応自体に自ら反省の目を向けていく、そうした過程にこそ、他ならない自分にとっての、かけがえのない「ことば」の学びが得られてくるだろう。熊谷の「準体験」論は、「ことば」の学びにこだわった国語科授業において文学体験が求められる一端をこうして示していたのである。
  発表当日は、本稿に基づきながら補論を加え、熊谷の「準体験」論から示される、国語科授業におけ る「文学体験」の必要性に関する考察の詳述を行っていく。

参考引用文献
熊谷孝[編](1954)『十代の読書』河出書房
熊谷孝(1963)『芸術とことば』牧書房
熊谷孝(1965)『文体づくりの国語教育―創造と変革への道―』三省堂
熊谷孝(1974)『言語観・文学観と国語教育』明治図書
鈴木愛理(2011)「芸術の媒材としての言葉の教育の成立可能性―熊谷孝氏の論を手がかりに―」『広島大学大学院教育学研究科紀要. 第二部, 文化教育開発関連領域』第 60 号、広島大学大学院教育学研究科、pp.87-95
田近洵一(1985)『文学教育の構想―文学のことばと感動体験―』明治図書
丹藤博文(1991)「文学教育における〈感動体験〉とは何か」『読書科学』第 35 巻、第 1 号、日本読書学会、pp.25-33
戸坂潤(1948)『文学論』戸坂潤選集、第八巻、伊藤書店
浜本純逸(1978)『戦後文学教育方法論史』明治図書
浜本純逸(2001)『文学教育の歩みと理論』東洋館出版社
山元隆春(2005)『文学教育基礎論の構築―読者反応 を核としたリテラシー実践に向けて―』渓水社
山元隆春(2009)「文芸学」『国語教育辞典(新装版)』日本国語教育学会[編]、朝倉書店、pp.351-352
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