資料:文学教育研究者集団/熊谷孝への言及 |
『文学教育基本用語辞典』 (『教育科学 国語教育』臨時増刊 明治図書 1986.4) 第一部 文学教育の理論と展開 〔16-17頁〕 言語教育と文学教育の接点 文学教育は、文字や文法を教えることや、作文や話し方を指導する学習とは区別される。また、いわゆる読解学習(言語教育)とは共通する部分を含みつつ、それとくらべると、さらに作品の内容そのものと深く関わる教育なのである。 このようにみてくると、言語教育と文学教育とは、それぞれ独立した内容をもっているのだが、同時に、両者の間には分かちがたい密接なつながりがあることを認めなくてはならない。このあたりの事情を、大河原忠蔵が、「文学作品の言葉を丹念に取りあげ、その言葉が文脈の中で果たしている役割をあきらかにすることによって、その文学作品に対する感動がいっそう深まることがある」(『国語教育の課題と創造』昭五九・二)と述べ、その要因として、「文学の文章は言葉の選択と配列そのものにこまかく目を向けていくことには意味がある。ここに言語教育と文学教育の接点がある」(前掲)と提唱している。大河原の発言には説得性がある。いくたびか繰り返された言葉を持ち出すようだが、結局、作品の形象をきめこまかく分析し味わっていくことの大切さを確認せざるを得ない。そしてまた、その営みが、言語教育と文学教育の接点にもなるからである。(鈴木敬司) 〔17-18頁〕 国語教育における文学教育 戦後の教育課程において国語教育は、音声・文字・語彙・文法などの言語、およびそれを運用しての聞く・話す・読む・書くの言語活動に関する知識・技能・態度を教育内容とする国語科として位置づけられてきた。それは要するに言語の効果的な使用に着目したものだった。 一方、文学教育の内容はどうか。それは論者によってさまざまだが、代表的なものとしては、人間いかに生きるべきかを学ぶとか、現実の矛盾を認識する、あるいは、文学的認識力や批評意識を育てる、感情や感受性、想像力を育てるといったものがあげられよう。これらは、人間形成の上に果たす文学の効用に注目したものであって、文学教育は、文学の力によって人間をその内側から変革するものとして発想されてきたのである。 さて、このような人間の内面とかかわろうとする文学教育は、先に述べたような、言語とその運用の次元で教育内容を規定する戦後の教育課程における国語教育とは、その発想を異にしていたし、教育内容のとらえ方の次元も違っていた。そのため、文学教育は、国語科の中に位置づけられることはなかった。しかも、戦後の実用的・技術主義的な風潮の中で、文学教育は教育課程の上に文学科という教科として位置づけられる可能性もなかった。そのことを指して浜本純逸は、「この一年(一九四七年)以降は、指導要領や検定教科書などの公的な場では文学教育は存在せず、文学教育は正当な市民権を得ていない。『ことばのつかいかたに熟達させる』言語技術の国語教育の陰へ文学教育はおしやられたのである。」(『戦後文学教育方法論史』明治図書、一九七八・九)と言っている。 しかし、それにもかかわらず文学教育は、国語科の中で、文学教材の指導を通してなされてきた。高校における益田勝実、荒木繁、太田正夫、大河原忠蔵らの文学教育の実践も、また小学校における小松崎進、林尚夫らの実践も、国語科における読みの指導(あるいは作文の指導)として実践されたものであった。それらの実践は、文学教材の読みの指導が、作品の文学としての本質とかかわりつつ、児童・生徒自身の読みをはぐくむ方向でなされたのであった。それは、国語科における読みの指導が本質的になされるならば、それは児童・生徒の内面をたがやす文学教育になると考えられるからである。すなわち、例えば情景を想い描くとか、人物の心情をとらえるといった読みの指導は、想像力や認識力をはたらかせてイメージの世界をつくり出し、文学への感動を触発するといった文学の読みの本質に即して行われるのである。したがって、むしろ、想像力や認識力のはたらきによるイメージ世界の創出と感動体験の成立を志向してこそ、国語科における読みの指導も本格的なものになると言えよう。教育課程に位置づけられていなくとも、文学教育は国語教育の中で実践されつつ、その制度としての国語科を越えて人間の真実への認識を深め、想像力や認識力を育てていく。そして、そのことで、文学教育は、国語科における読みの学習を本格的なものにしていくのである。(田近洵一) 〔48-50頁〕 「国語教育と文学教育」論争 この論争の意味をより深く本質的に理解するために(…略…)ひとまず昭和二五・二六年ごろまでの政治・社会情勢を簡単にみておこう。第二次世界大戦後、中近東からアジアにおける各国の独立がかちとられ、民族の開放が達成されることによって、極東における日本に対するアメリカの占領政策は大きな転換を余儀なくされた。そして、このような情勢の中で民族の危機意識が高まり、国民のための文学をという国民文学論が提唱されるようになる。その端緒となったのが竹内好の「近代主義と民族の問題」(『文学』昭26・9)という論文である。竹内は、戦時中に不当に利用されてきた民族意識(=ウルトラ・ナショナリズム)の中の「素朴な民族の心情」「素朴なナショナリズム」を救いあげようと意図して、「階級とともに民族をふくんだ全人間性の完全な実現」をめざす国民文学の創出に向かおうと提唱したのである。 折しもソ連では、スターリンがプラウダ紙上に「言語学におけるマルクス主義」(一九五〇・六)という論文を発表している。この論文に見られる言語観は、「言語は、人間がそれによって互いに交通し、思想を交換し、相互の理解に達するところの手段、用具である」というものである。この言語観は、当時の進歩的知識人、国語教育人にも少なからぬ影響を与えている。その影響を受けた一人に国分一太郎がいた。 国分は、かねてより基礎学力低下を招いた戦後経験主義教育を批判していたが、この考え方をもって、国語科の中に文学教育を位置づけることを否定し、文学教育は、<芸術教科>として独立させるべきことを主張していたのである。 国分一太郎は、以上のような考え方に基づきつつ、一九五二(昭27)年十一月「国語科—日本の国語教育」(岩波講座『教育』)という論文を書いた。国分は、この中で「コトバや文字や数といったものは、もともと、その社会の経済体制やその上に立つイデオロギーの変化によって変化するものではないし、その役割を持ったり失ったりするものではないのだから、資本主義の国だろうが、新民主主義の国だろうが、その区別にかかわらず、その社会の中に生きる人びとは、よみ・かき・計算のような基本能力をもつことが必要だからである。」と述べて、基礎学力重視論を展開している。この考え方の背景には、言うまでもなく、スターリン言語学の影響がうかがえる。(…略…) そして、国分は、こうした考え方を根底に据えて、文学作品の取り扱いについては、『わたくしたちは、基礎教科としての国語科の任務を誠実に果たしながら、他教科・他の校内活動での文学作品の活用とあいまって、すぐれた文学作品を、ただしくよむ態度を、静かにやしなっていかなければならない』と主張している。文学教育を否定しているのではないが、国語科という一教科の中で扱うことには、その方法において一線を画し、あくまでも「ただしくよむ態度」の指導を行っていくべきであるとしたのである。 これに対して批判を加えたのが、石田宇三郎であった。石田は「国語教育の基本的方向」(『教師の友』昭28.7)という論文で国分の論文に対して、「指導要領に民族的観点が欠けている」という指摘は正しいとしつつも、一方で、「国語教育の基本を全く誤った方向へ、すなわち、根本的には指導要領と同じ方向へ打出してしまった」と批判したのである。 石田は、この中で言語道具観を否定し、言語・思想一体観をもって、国分の文学科独立論に対して、国語科の中に文学教育を含めていくべきことを主張したのである。(…略…)(大内善一) 〔51-52頁〕 準体験理論(熊谷孝) 文学作品を読むことによって起こるある種の感動体験を文学体験という。文学体験の性質を考察して、次のように言うことがある。「代理体験」=作品を通して、現実の代わりの体験をすること。「間接体験」=作品を通して、現実を間接的に体験すること。「追体験」=作者が作品を創造しながら体験したと同じ体験を読み手が体験すること。中でも「追体験」方式の読み方は文学教育の首座を占め、さまざまの読み方の典型を生み出していった。特に、石山脩平の「通読・精読・味読」、西尾実の「素読・解釈・批評」は巷間に膾炙された。これらはいずれも、作品に盛り込まれた作者の意図を読み取ることや、作品の意味構造をとらえることを目標とし、作者は何を言おうとしているのか、この作品の主題は何か、ということであった。つまり、作家論、作品論という観点からの読解技法だったのである。 「追体験」方式の読み方教育を「〝概念〟中心主義」「汎言語主義」として批判し、近年の「読者論」へと到る道筋を明らかにした熊谷孝の「追体験論」批判、あるいは「準体験理論」の展開は、『文学序章』(昭26)に始まる。そして、『文学教育の理論と実践』(昭30)、『芸術とことば』(昭38)、『言語観・文学観と国語教育』(昭42)等を経て、「第二信号系理論」「総合読み」の提唱に至っている。 熊谷孝の言う準体験とは、「民族的体験としての〝ことば〟、民族の共通信号としての〝ことば〟体験によって、自分一個の体験をこえて民族の体験、民族的体験を自分に媒介しくみこむ」(『言語観・文学観と国語教育』前出)ことである。いわば言葉を媒介とする体験であり、直接体験に準ずる「体験」である。 このことを作品鑑賞にことよせていえば、「作ちゅうの人物、そこに描かれている人間像は、むろん〝わたし〟とは別の人間なのですね。シチュエーションも違えば性格も違う、そういう別の人間、人間像に対して自分というものを感じることができる、ということこそが準体験のはたらきなのですね。〝わたし〟の持たない何かを相手は持っている。触れ合うものがあると同時に、異質なものがある。触れ合うもの、共軛性があるから〝わたし〟は、その人間像にある関心を持つのですね。「自分を越えたものを見つけてハッとする、感動する」心を育てたり、「そこに表現された感情がじつは自分のこれまでの体験、先行体験につながる何かであることに気づかせる」ことが、「ほんとうの文学教育」であると、熊谷孝は『言語観・文学観と国語教育』(前出)のなかで述べている。 このように、作品と読者との関わりを重視する「準体験理論」は、「文学教育は、子どもひとりひとりの読みをひらいていくものでなければならない。子どもには子どもの読みをやらせる—それが文学教育の原則である。」(田近洵一『文学教育の構想』昭59 明治図書)という近年の読者論の立場に通じるものを有している。(横尾邦光) 〔54-55頁〕 「文学的認識」論 作家は人間や世界の真実をとらえるために、ことばによる形象化(イメージ化)を通して、豊かな文学的世界(虚構世界)を描出し、(典型化して)読者に提示する。それはいいかえれば、形象化と典型化による人間や世界の認識といってよい。そのような認識を文学的認識と呼ぶ。文学的認識論構築のステップは、熊谷孝の文学教育論に顕著に見出される。熊谷は、荒木繁の「実践報告、民族教育としての古典教育」(『日本文学』昭28.11)に深い感銘を受け、荒木の実践を高く評価しつつもそれをのりこえるべく文学教育論を展開していくことになる。熊谷は、読者の文学作品享受(文学体験)を「準体験」(実際の体験に準ずる体験)と規定した。それによって、戦中・戦後を通じて指導性を発揮し影響も大であった西尾実の「読み」の理論が「生哲学」に依拠した「追体験理論」であるとして批判していく。 「準体験」によって文学体験のメカニズムを解明した上で、熊谷は、文学教育のの課題と方法について考察すすめる。目標については、「文学教育のめざすところは、文学的思考において生活できるような人間をつくり上げることであるはずだ」と明快に述べ、つづいて、「たんなる特殊を典型に変え、具体的な形象においてものを見、かつ考えるという、この生き方こそ、文学教育のもたらすところのものである。それは、他面、すぐれた文学の読者をつくり上げることである」と文学的思考について説明している。また、「準体験的な文学的思考」という言い方で、次のようにも目標を説明している。
〔55-56頁〕 文体づくりの国語教育(熊谷孝) 熊谷孝の提唱している文学教育論である。 熊谷は、『文体づくりの国語教育』(昭45)で、「文体づくり —』について次の如く述べている。 「文体というのは(それの根本的契機について言えば)思考の発想、想像の発想などといわれる、現実把握の発想・発想法との関連においてつかまれた〝ことば〟(=文章)のありかたのことだ。知覚・思考・想像などの意識作用による、個々人の認識過程において展開する、その人その人の個性的な現実のつかみかたが、それと見合うような個性的な文章—つまり文体だ—を要求するのである。そういう文章—文体のある文章—を見つけることはたいへんなことだけども、ひとたびそういう文章が身につけば、そういう文体が自分のものになる。したがって、そういう文体的発想—ことば=文章において保障された発想・顕在化された発想—が自分のものになるのである。(中略)……〝文体づくり〟というより、子どもや若者たちの〝文体的発想づくり〟と言ったほうがいいかもしれない。」 文体を思考の発想、想像の発想と結びつけてとらえるところに熊谷の文体論の独自性がある。上述の「文体づくり —」のなかにすでに、子どもの主体性を重視する「文体づくりの国語教育(文学教育)」の方向性がうかがえる。子どもや若者たちの主体的な文体的発想づくりを通すことでしか、母国語教育(文学教育も)は成立しないと述べ、国語教育の中核として「文体づくり」を位置づけようとする革新的な提言である。 熊谷の「文体づくり —」は、体制的な伝統的国語教育を乗り越え、現代の人間的連帯を引き裂く疎外状況を突破していける主体的な生き方を目指す、国語教育論として提言されている。しかも、「文学教育者集団」[ママ]の中で集団的な検討を経て、サークルの実践にもかけられている。すでに発達段階に合わせた独自のユニット教材を提示するところまできているようである。 しかし、なお「文体づくり —」論は、実践につながる具体的な方法が明確に提示しえているとはいい難い。教材分析論はかなり提出されているが(実践例がほとんどないことで)有力な実践的証明になり得ていない。又、教材分析例として出ている「最後の一句」(森鷗外)の読みが恣意的で、客観的うらづけが不足するなど、「総合読み」による主体的・創造的読みが、主観的読みにずれる危険性もはらんでいる。文体を読みとったり、自己の主体の確立していく具体的方法が明確にされていないことが実践化の壁になっているといってよい。<文体⇄発想>をとりだす(みわける)具体的な観点・方法が必要なのではなかろうか。今後この提言・理論が実践的にさらに練られると共に、あわせて説得力のある実践成果が出されることに期待が寄せられている(萬屋秀雄) 第二部 文学教育の基本用語 〔159-160頁〕 準体験 熊谷孝は、文学作品を読む場合、読者の主体性を重視するため、追体験という言い方を批判し、準体験という言葉を用いる。特に古典文学を読む場合を例にあげ、古典の世界を当時のまま忠実になぞること(追体験)はできないとし、古典文学は今日の享受・鑑賞に堪えるように翻訳・再生産するものであって、その翻訳・再生産の過程であるから準体験とするのである。また、文学一般においても、読者は作家の創作の体験を忠実になぞること(追体験)はできないとし、読者は自己の体験と作品との触れあう面(共軛面)において作品をつかみ、自己の生活実感の中から主体的に非日常的な体験を再生産するものだとして、その過程を準体験と称するのである。作家が創作する場合、自分の生活実感をころして、別の人生を創作することも準体験であるとしている。いずれの場合にも、準体験とは自己の体験に即しつつ、それを越えたところに主体的に、非日常的な体験をする文学体験であると主張する。(工藤哲夫) |