「解釈学主義」批判 −国語教育・文学教育理論の根柢を問い直す−                      

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  解釈学の評価と批判    戸坂 潤   【「教育・国語教育」(1936.5刊)掲載】       

 日本に於ける国語教育(主に小学校を中心とした)の現状に就いては私はあまり知識を持っていない。従って今日の国語教育に於ける解釈学の意義、つまりその実用性や適用範囲、乃至(ないし)解釈学の認められている権限や含蓄に就いては、あまり知っていない。併(しか)し国語教育、或いは寧(むし)ろ一般に語学教育(外国語や国際語を含めて語学の教育)が書かれた文章の理解 と自分の云い表わそうと思う観念の表現 とに関する教育である限り、解釈学は当然ここで問題にされずにはいられないものに属する筈(はず)だ。理解とか表現とかいうものは、他でもないので、解釈乃至解釈学の基本になる要素のことだからである。
 外国語の学習を単に単語や文法を覚えることだと考えることは、低級な中学生の通念にしか過ぎない。外国語の学習こそ、何よりも理解と表現との有力な一般的な(形式的と云ってもいい程に一般的な)陶冶のチャンスなのである。吾々の思想はその情緒的な繊細なニュアンスに到るまで、一種のロジックによって分節(アーティキュレーション、発音)されているのであり、それが言葉=文章(ロゴス)となって表われのであるが、このロゴス的論理的頭脳を発達させることが、外国語学習の一つの効果であろうと思う。(それが唯一の目的だとは云わぬが。)従ってロジカルな分節が割合乏しい日本の国語よりも、外国語の方が、却(かえ)ってこの学習には向いているとさえ云っていいかも知れない。この意味での語学のできる者は理論的にすぐれた頭の所有者だと云っても差閊(さしつか)えないだろう。尤(もっと)も古典語などの「語学力」は之(これ)とは何なり別な才能にぞくするらしいが。
 で外国語教育の場合から考えて見ても、所謂(いわゆる)語学の教育と理論能力(之は人間の最も普遍的に要求される頭脳能力だ)の訓練との間には直接の連絡があることが判るので、つまり一般に言語教育と、理解・解釈・表現という人間に普遍な一種の論理的能力との間に、必然的な直接関連があることを、予(あらかじ)め印象深くしておかねばならぬ。まして之が特に、国語の場合であれば、この直接関係が一増曾細[ママ]であるのは云うまでもないことで、国語教育と解釈学との関係は、どこの国語についても、本質的なものにぞくする。
 尤も特異な観念、特異な文体、特異な風俗に割合乏しい国定教科書読本の文章は、正確でソツのないものであるに拘(かかわ)らず一種の雑文に近いものと云うことも出来そうだから、単にこれを読み解く「ヨミカタ」に限定すれば、解釈とか理解とかいうことは大げさに過ぎているかも知れない。元来之は国民が伝承した古典的文章でもないのだから本来の意味での解釈学の必要などはないかも知れぬ、この際解釈学の力一杯の適用などを試みることは、事実解釈学の力負けに終るかも知れない。一体官製人工物としての読本の紙背に、生きた時代や生きたジェネレーションを読み取ることは恐らく不可能でもあるだろう。或いはこの意味では、この際解釈学の適用は実は極度に困難なのだと云うべきだろう。
 併し「ヨミカタ」から「ツヅリカタ」に行くと、そこには文章を綴ろうとする銘々の当人の生きた個性のある観念が充満している。そこには時代がジェネレーションが地区が、又更に社会層が、生きている。こうして生じた表現に対する処置は、解釈の精神と技法となしには全く徒労である。恐らくここにこそ解釈学の最も実用的な価値がありはしないかと思う。――そして国定教科書以外のものについての読書力(理科や数学の本でも歴史の本でもだ)、と云うのは理解すること自身が快適を与えることによって読書を選択し進めて行く処の死ぬまで影響する技能だが、この読書力を養うには云うまでもなく解釈学の精神と技法とが絶対に必要だ。この読書術即(すなわ)ちその意味での語学力は、作文力(又は文学的表現能力)と並んで、国語教育の両車輪をなしている。(のみならず之は文学やクリティシズムにとっての重大問題でもあるのだ。――E.ファーゲの「読書術」を見よ。)この車輪の軸が、他ならぬ解釈学なのである。(解釈学は表現の理論と実際とを除外するものではない、表現の経験を蓄積しないでは何等の解釈の施しようもないではないか。)
 
 併し解釈学なるものは云うまでもなく歴史的に可なり古くから発達して来たものだ。それは当然なことのようだが、併しその結果之はすでに初めから一定の約束を持たされた観念なのである。従って吾々はこの解釈学が現在持っている色々の出入りを検討しないでは、之を無条件に信任してはならぬ。例えば今日解釈学が、独り国語問題に就いてばかりでなく、広く哲学に於いてさえ著しく流行していることは何を意味するか。国語教育家による解釈学的国語教育理論は、恐らくこの哲学に於ける解釈学の流行から、その動機の一部を受け取ったものに相違ないと思うが、現象学や新カント主義が哲学的立場として欠陥を持っているように、この解釈学なる哲学も亦(また)、哲学として根本的な弱点を持っているかも知れぬ。この弱点のある「解釈学の哲学」を国語教育問題に持ち込むことは、元来国語教育が解釈学に基(もとづ)かねばならぬ筈(はず)であったにも拘(かかわ)らず、この「解釈学的」国語教育に弱点をを齎(もたら)すことになるわけだ。こういう奇妙な結果(それはどうも起きそうに思えてならぬ)はどこから起きるか。解釈学は一般に国語理論の根柢としては誤ってはいない筈だ、誤っているのは「哲学としての解釈学」だったのだ。――解釈学はこんな風に、本来の解釈学と、一つの哲学的立場にまで無条件に拡張された解釈学との、二つの場合を、今日同時に持っているのである。だから解釈学の「歴史」がそうさせるのである。
 解釈学を口にするためには、まず文献学 (フィロロジー)から始めねばならぬ。歴史的順序から云っても説明の順序からいてもそうである。前に解釈学と言葉との必然的な関係を云々したが、恰(あたか)もフィロロジーは一方に於いて言語学(旧(ふる)くは博言学)と訳されている。訳されているばかりではなく事実言語学として発達している。極端な例は有名なイエスペルゼン[O.Jespersen 1860-1943]の言語学の類であるが、この系統は今の解釈学と直接関係はない。言語学で解釈学と直接関係がある方向は、言葉を文化の歴史的遺産と見るばかりでなく、文書に現われた限りの文化史的内容に於て見る処の、言語学であるのである。処でそうした言語学を極端に押しつめれば、もはや言語学ではなくて文献学となるのだ。つまり文化的遺産としての古典的文献の包括的な研究が文献学となる。之を又古典学と云ってもいい。──処で解釈学はこの文献学の方法として導き出されたものなのである。従って解釈学の歴史は文献学の歴史とほぼ一致すると見ていいだろう。
 文献学乃至解釈学乃至その意味での言語学は、アレキサンドリアに於ける古典註解者から始まると云われている。無論それ以前にも古典の研究や言語研究は決して少くないが、意識的に形が纏(まと)められ始めたのはここだ。之は全く古典の文義的な註解を出ないので、単なる語学知識と形式的な辻褄(つじつま)合わせの他ではなかったようであるから、まだ本当の文献学とは云い難い。なぜなら文献学は何より歴史科学的認識と表裏をなすものでなければならず、人間生活の歴史を解明するために必要とされることによって初めて、今日のような重大な意義を受け取るようになったものだからだ。
 近世以前、中世の末期に到るまで、或る種の文献学解釈学は極めて盛んであった。それはギリシャ哲学古典の註解(之はキリスト教=旧教神学者の宝庫である)を見ても判る。だが之とても本来の意味に於ける古典の歴史的研究ではない。まして一般に歴史研究の不可欠な要素というような意味を有(も)ってはいなかった。──文献学解釈学がその本当の歴史的役割を有(も)つに到ったのは近世である。特にプロテスタントの手を通じてであると見ることが出来る。この意味で代表的なものはシュライエルマッヘル[F.E.D.schleiermacher  1768-1834]とその弟子であるボエック[ベック P.A.Böeckh 1785-1867]とだ。
 特にボエックは文献学的研究の方法論を造り上げた。之によって解釈学、古典を歴史的に研究する処の解釈学、が出来上ったと見ていい。併しここではあくまで古典の歴史的研究 が問題であって、必ずしも歴史の古典学的文献学的研究 が問題だったのではない。歴史的研究一般の方法が解釈学だというのではなく単に古典の歴史的研究を解釈学と見たのである。ここではだから、解釈学という文献学の方法は、まだ極めて地味な慎重味を失わずにいたのである。
 処が文献学乃至解釈学をば、やがて歴史一般の認識方法にまえ高め浮び上らしたのはドロイゼン[J.G.Droysen  1808-1884]であった。彼によると表現の理解こそ歴史の方法である、そしてこの理解の技法解釈に他ならない。──でこうして云わば解釈学的 歴史学=歴史論が成り立ったのだが、之を最も組織的に又実証的に遂行したのがディルタイ[W.Dilthey  1833-1911]であることは人の知る通りである。彼によると、歴史的認識とは生の表現の構造連関を解釈し理解し記述することにあるという。歴史の方法は自然科学のような因果関係づけではなくて事象の分解と記載につきるというのだ。
 処で之はディルタイの歴史学であると共に、その歴史哲学でもあることを見落してはならぬ。と云うのは歴史哲学というのは必ずしも歴史の哲学ではなくて、多くは哲学の一切の問題を歴史(人間の歴史)の問題から解いて行こうという一種の哲学的態度を意味するからだ。そうなると、この解釈学乃至文献学は一つの哲学的立場の名に他ならなくなる。──すでにW.フンボルト[K.W.v.Humboldt  1767-1835]は言語哲学の名に於いて言語学的、文献学的、解釈学的、哲学への途を開いている。之も亦一種の歴史哲学・文化哲学であった。歴史や文化の哲学であるばかりでなく、歴史的哲学・文化的哲学であったのだ。でこうなれば解釈学は古典や言葉の解釈の学問のことではなくて、逆に解釈主義の哲学を意味するわけだ。
 生の解釈生の生による自己解釈、という観点はディルタイが晩年に愈々(いよいよ)明らかにすることの出来た哲学である。之を借りてフッセヤール[フッサール E.Husserl  1859-1938]現象学を改革したのがハイデッゲルハイデッガー  M.Heidegger 1889-1976]解釈学的現象学だ。人間的存在という現象を人間存在そのものから解釈すること、そしてその解釈はある意味に於てロゴスを通してであること、之が彼の人間学であり一般に彼の存在論なるものである。ここでは而(しか)も歴史記述という課題はもはや消えて無くなっているので、解釈学は愈々純然たる哲学の方法にまで昇華して了(しま)っている。
 そこで今日流行している所謂解釈学なるものは、主としてこの哲学法としての解釈学であることを注目しなければならぬ。して見ればこれがそのまま国語の理論や何かになっていいということは保証の限りではない。解釈学的哲学はどういう制限を有っているかを見よう。

 まずディルタイの歴史哲学の特色を思い出さねばならぬ。それによると歴史的認識はあくまで解釈であって説明であってはならなかった。と云うのは或る原因が或る結果を惹き起こしたとう因果関係は自然科学では許されても歴史的認識にはならぬというのである。歴史は因果的に説明されるべきものではなくて、事象の連関構造に従って解釈されるべきだという。──処でそれでは自然に関する自然科学的因果的説明と、人間の歴史に関するこの解釈とはどういう続き合いにあるかというと、それは彼によって殆(ほとん)ど省(かえりみ)られていないテーマであるようだ。詰(つま)りディルタイは自然という問題は除外して、単に人間の歴史というものだけを哲学の全問題と見做(な)して了う。従って自然と人間社会との歴史を貫く云わば宇宙的な時間関係、そこにこそ因果という関係が見出されるこの時間関係は、終局に於て無視されて了う。それは自然科学や哲学に於ける実証主義やマッハ主義と同じく、時間の実在的な関係の代りに現象の並列的な関係を与える。時間の実在的な一種の連続を原則と見ないから、この歴史的認識から実践的な歴史行動を必然的に割り出すことは出来なくなる。「予見せんがために見る」と自称するコント的実証主義も、この意味に於ては単にオッポチュニストの立場と、実際には別のものではない。でこの種の解釈哲学の特色は、実は実践的な実証性を有っていないということだ。実際、解釈はつまる処何とでも自由につくことではないか。之では認識の客観性の根拠はどこか別の処から心[ママ]も持って来る他に途がない。
 ハイデッガーに於ても困難の本質は変らない。彼に於ては本来の意味に於ける時間(彼はそれを時間ではなくて時間性というものに過ぎぬとしている)は、単なる個の抽象概念に委ねられ、その現実的な実在性は全く認められていない。現実の実在がもつ客観性は、彼の存在や実在(実存)の観念とは殆んど全く縁のないものだ。──それに大切なことは、解釈学的現象学と云っても、現象ということと解釈ということとは元来喰い違った要求を有った二つの観念なので、解釈という以上表現の裡(うち)に何かの意味を探らねばならぬ筈だが、処が現象学でいう現象なる者の要求から云えば、現象の背後へは何も想定されてはならぬ筈だったのだ。
 こうしたわけで、所謂解釈学なる解釈主義哲学は、常にその問題を、事物の解釈という形でしか提出しない処の哲学だと云うことを、注意することが必要である。なる程如何(いか)なる事物もそれが一定の事物であるということそのことによって、夫々(それぞれ)意味 を持っている。吾々はこの意味を理解せずにはその事物を認識は出来ない。だが又事物はどのような意味をでも勝手に帯びることが出来るものだ。事物には主観が勝手にどんな意味でも付与することが出来る。従って事物の客観的な認識はその事物が帯び得る一切の意味の内、客観的な認識にまで回帰し得る処の意味だけを精選して、その意味を解釈することによって初めて成り立ち得るのだ。こうした厳選された意味解釈を通じてこそ初めて、この事物は実践的に実際的に現実的に、変革処置され得るのである。
 処が単に解釈するには、単に可能な解釈相互間の辻褄さえ合えばいいので、例えば日本中の人間が同じ嘘をつけばその嘘が本当だということになるように、何等の客観性のない解釈も無理となり得るのだ[ママ]。過去の歴史的認識のどこまでも残る一抹の疑わしさがここに原因を持っているのであり、質の悪い社会の支配者はこの疑わしさにつけ入って都合のいいように歴史を改竄(かいざん)するのである。そして之を何か季節に適した解釈だと号するのである。
 つまり解釈学的哲学は所謂「書かれた知恵」や人間各自の思い込みや常識を他にして、何等の検証を有っていない。否(いな)そうした検証は不要で又不可能だというのが、この哲学の決意なのだ。自然科学は検証できる。併し哲学は検証出来ない、そこにこそ形而上学独特の特権があるというのである。そう、いう風に考えている以上、今日のブルジョア哲学が活きた社会の問題を一つも解くことが出来ず、又解こうともしないのは当然で、生活と思想とから独立した妙な世界観を築きあげることになるのも尤(もっと)もなのである。現実の世界は現実の世界だ、之に反して哲学の世界は哲学の世界だ、とでも云わぬばかりに、現実の世界とは全く秩序の別な世界に行って住まおうとする。之が生(!)の哲学と称する今日の解釈学哲学の、徹底した境地となるだろう。──社会における物質的、技術的生産生活による検証なしには、何等の客観的な世界観も範疇も哲学方法も体系もあり得ない筈なのに。
 解釈学的哲学は単なる意味の解釈を拠(よ)り処とする処の哲学、その意味に於て一般に「解釈の哲学」だと云っていいだろう。私は之の特殊なものを文献主義と名づけることが出来ると思う。この体系のより処は文献に存する。かつての漢学者は「子曰はく」で以てけりをつけた。神学者はバイブルを離れては一言も考えることが出来ぬ。なぜ之が「腐儒」と呼ばれ「学者」の類と考えられるかを思って見るべきだ。仏教の経典を如何に解釈してもそれを以て、現代の実際問題にとって直接意味のある認識にかえることは出来ぬ。単なる解釈実践とはならず、文献現実 よりも後れているからだ。──一つ面白いのは宗教的文献の持っている予言というものだ。文献に現われる予言は聖者の出現によって検証を受け、聖者の言動は又この予言によって権威づけられるという構造になっている。宗教的実践は文韻とのこうした八百長によって初めて、客観性を装うことが出来るように出来ている。処が文韻に於ける預言そのものは、預言である限り何等の現実的検証を有っていない。文化的宗教の信仰体系を支えるものも亦、多くこの文献主義なのである。
 西田幾多郎博士[1870-1945]の最近の思想も、表現という言葉を中心としていることを、最後に思い出さねばならぬ。尤も博士が表現と称するものは単なる解釈の対策物[ママ]となるような所謂解釈学的なそれではないという。見るということが働くことであり、行為することが見ることであるというような意味に於て、表現はその本当の意義に到達するのだという。行為の本来の意味は表現的行為 でなけれなならぬという。──で博士によれば表現という解釈学的、解釈哲学的、範疇は、極めて実践的な内容を表わすものとして意義づけられる。表現は一方に於て言い表わすという能動的作用なのだから、そこまで行って行為というものと合体しても大して驚くべきものではなかろう。
 併し表現や理解というものをどんなに実践的な範疇として理解しようとも、この哲学全体が解釈の哲学であって現実の事物の変革処理の処方を含んだ哲学でないことには、一向変りはないのである。実践ということを解釈し得るからと云って、その解釈が解釈哲学的である限り、一向その哲学は実践的でも実際的でもないのだ。之は世界のアクチュアルな実際問題 とは関係を有たぬ。それが本当でも、嘘でも深酷でも浅薄でも、真理とは関係ないということになる。之が解釈哲学の一般に見逃されている共通特徴なのである。

 さてこうした解釈学的哲学(文献学主義的哲学 解釈の哲学)は総(すべ)て、今日の観念論哲学の特徴に一致する。この形態こそ哲学的観念論が今日落着しつつある処のものだ。現実の体系の代りに或る種の意味の体系、解釈の体系を持ち出すことが、現段階に於ける形而上学の姿だ。蓋(けだ)し現実はアクチュアルな時間の原則によって貫かれているアクチュアリティーが現実の生命だ、処が解釈学的哲学はこのアクチュアリティーという時間の原則をどこかへ片づけて了う、この時間の原理のない哲学が、形而上学というものなのだ。形而上学は無論観心論[ママ]に他ならぬ。
 凡(およ)そ歴史哲学・文化哲学・生の哲学・哲学的神学・或いは多くの文学的哲学文学理論、こうしたものは解釈学的哲学の典型である。で解釈学的教育学が台頭しなければ幸いである。そしてそのような解釈学解釈学的教育学に最も誘惑を感じ易いのは、何と云っても国語教育ではないかと思う。──もう一遍ハッキリさせておきたいのだが、国語教育にとって欠くべからざるものは、古典・文献・文章・言葉の理解と表現とのための技法及び理論としての、文献学乃至解釈学であった。だがそうだからと云って、国語教育にとって、今日の所謂解釈学という一つの哲学(ブルジョア観念論哲学)の立場にまで昇天し又は堕した学問が宿命的に約束されているなどということにはならぬ。国語は単に話したり書いたりばかりするものではない、それによって現実をつかみ出す処のものだ。文書は国語によってあるのであって国語は文書によってあるのではない。云わば始めに物質言葉を有っているのだ。この言葉解釈学を以てしても読み解くことは出来ない。そこに自然科学や社会科学の役割があるのである。
(拙著「日本イデオロギー論」の内「文献学的哲学の批判」の項を参照されれば幸いである。)          一九三六、四

(原文の歴史的仮名遣いは現代仮名遣いに、圏点を付した部分はイタリック体太字に、それぞれ変えました。また、難読漢字の読みを適宜(  )内に示しました。[  ]内は当サイト掲載にあたっての注記です。) 

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