「解釈学主義」批判 −国語教育・文学教育理論の根柢を問い直す−                      
 
 
  解釈学復活の今日的意味    夏目武子   

【「文学と教育」bP54 (1990.11) 掲載】


(第39回文教研全国集会において「講演三題」の一つとして話されたものに基づいて書かれた。)

    和辻倫理学と梅原・中村対談に即して

 一つの膨大な体系をもつ解釈学全般にわたって私見を述べることはできない。今回は和辻哲郎『人間の学としての倫理学』と、梅原猛・中村元対談記録「日本人を語る」(一月八日、十六日/朝日新聞掲載、以下対談と略す)に焦点を絞って、標記のことを考えてみたい。対談のなかで梅原氏は「和辻哲郎の『倫理は人と人との間の学だ』という考え方が、未来の思想として重要な意味を持ってくる。」云々と言っている。なぜ重要かというと、「この基礎には儒教があります。個人の絶対を主張する西洋と違って、人間関係でものを考えていく。儒教は一面ヒエラルキーをつくる考え方があり、そこにおいては批判はしなくちゃならないけど、人間と人間との関係を主体に置いているところに意味を持っていると、私は思ってます。」というように、説明されている。和辻のいう人間と人間との関係とは具体的にどのようなことを意味するか、また、どのような意味で解釈であるかについては、後に述べることにして、和辻倫理学が朝日新聞という巨大なマスコミ紙掲載の対談で公然ととりあげられていることに、まず注目したい。梅原猛・中村元 新春対談(朝日新聞1990.1.8)
 朝日新聞の発行部数は八百数十万部。和辻に代表されるような解釈学をとりあげることで、読者がアレルギー反応を起こすだろうと判断した場合、もっと慎重な編集になるであろう。思想の混迷の時期と言われている今日、むしろ大々的なキャンペーンをすることで、ある方向に読者大衆の目をむけさせることができる。このチャンスを積極的に利用すべきだ。そのような意図を私は感じるのだが。
 このチャンスと記したが、今日の政治状況を一九三〇年代と重ね併せて考えてみたい。三〇年代もやはり思想の混迷の時代であった。「混迷の時代とは、その時代を生きる人々の思想の混迷をいいあらわす以外のものではないだろう。思考し思索するということが本来、自己あるいは自分たちの行動選択のために行なわれる内的行為であるにもかかわらず、その内なるものが、いかなる意味においても外部への通路を見つけ得ないと感じられるとき、思想のこの混迷がはじまる。人間の行為・行動における内部と外部との分離・分裂である。内部と外部、観念と実際の行動との矛盾・対立である。やがて、そこに訪れるものは、外部優先の現実の自己の生活状況での自我の敗北の意識――自虐・自嘲である」(『現代文学にみる日本人の自画像』)。確かに現象的にみるかぎり、三〇年代と今日とは政治状況は異なる。が、思想の混迷ということを、このように考える以上、三〇年代と共軛するものが、今日にあるのではないだろうか。
 一九二〇年代はプロレタリア文学が主流と言えるような時代であった。が、一九三一年の満洲事変以後、左翼運動に対する弾圧がきびしくなり、一九三三年、小林多喜二の獄死、虐殺に象徴されるように、マルクス主義の運動、文学運動は破滅状態に追いやられる。そして、転向の問題。そうした中にあって、左翼運動の破壊に追い打ちをかけるように、アンチ・マルキシズムを標榜する解釈学に関する著作が発刊される。和辻哲郎著『人間の学としての倫理学』(岩波全書 19)
  一九三四年 A 和辻哲郎『人間の学としての倫理学』
  一九三五年 B 岡崎義意『日本文芸学』
           C 石山脩平『教育的解釈学』
 Aは広い意味での哲学の分野で、Bは国文学の分野で、Cは教育の分野で、解釈学を強固なものに築きあげる役割を果たした。第二次大戦中の「国防教育としての国語教育」は、解釈学理論に基づく国語教育であった。「己を空しくして、上ご一人に帰一し奉る」。福田(文教研)委員長は(第39回文教研全国集会の)挨拶の中で、このことを「滅私奉公」という言葉で話されていた。己を空しくして、作家の生を追体験する、という形で作品の読みが進行していった。作家を上ご一人と置き換え、教え子を戦場に送ってしまった教師たち。
 「ドイツの哲学者ハイデガーがいかにナチズムとかかわったか――ドイツ再統一をむかえ思想的にいまも注目されているテーマだ」(九月十二日、朝日新聞)。記者が文化欄にこのような書き出しでハイデガー問題を紹介している。さらに「現代思想がハイデガーや西田の哲学が提出した問題を本質的には超えていないから」今日なお問題になるのだ、ということを添えている。現代思想という場合、何を指しているのかよくわからないが、これらの哲学が過去のものになって『日本イデオロギー論』所収の戸坂潤全集第二巻(勁草書房刊)函はいない、という指摘に注目したい。戸坂潤は「文献学を最も模範的に人間学に適用したものは和辻氏の『人間の学としての倫理学』である。(略)人間の学 の方はハイデッガーの人間学 から、現象学的残滓をすっかりとりのけて、その解釈学(=文献学)を純化したものなのである。――つまり之はもっと純粋 なハイデッガーに他ならない。」(『日本イデオロギー論』)と一九三五年、和辻の著書の刊行直後に批判している。西田哲学からの援用も指摘している。ドイツでハイデガーが問題にされているように、否、ドイツと関わりがなくてもよい。和辻倫理学が果たした役割を、その日本主義との関わりをもっと検討、批判すべきだと思う。そうした批判なしで、「和辻の思想は未来の思想だ」と全面肯定する梅原・中村対談なのである。
 この対談が新聞に掲載されたのは一九九〇年。前年の八九年は、いわゆる東欧問題を中心にした「歴史的かつ国際的な規模における政治情勢の急激な変動」のあった年である。今日の思想の混迷はこの「急激な変動を直截的に反映したものであることはいうまでもない。」官憲による弾圧という形はとらないが、「国際的・国内的な政治状況――というより、実は、そうした状況の特定の分析の仕方と、量に物を言わせた情報・報道のありようが、先ごろ来、知識人大衆の多くの思考・思索の足場に揺さぶりをかけている。ジャーナリズムに指定席を持つ、一連の体制内知識人がまた、そのお先棒をかついでいる。彼らはいう、『歴史の発展法則は、今は、大きく変わった。階級的価値を問題にすることは、今日はもはや、すでに無意味である。社会主義に明日はなく、民主主義と共に資本主義は永遠である』云々」(この部分の引用は第三十九回全国集会プログラム前文より)。前掲梅原・中村対談はその典型例と言えよう。紙面の約半分の長さの対談が二回、延べ一ページ分の対談記録を大きく取り上げる理由はここにある。対談の内容については、シンポジウム「体制内知識人の発想と文体」のパートで詳しく論じられる筈である。
 三〇年代、思想の混迷の時代にあって、「自虐・自嘲」に陥ることなく、時代の混迷の根源を探り続けた作家がいた。強靱な虚構精神の持ち主であったからであろう。一九三一年に『丹下氏邸』を発表した井伏鱒二、三四年に『葉』を発表した太宰治、三六年に『コシヤマイン記』を発表し
た鶴田知也などがすぐ浮かんでくる。明日への確かな展望は虚構精神ぬきに考えられないことを実感する。


    自分は解釈学と無縁であるか

 解釈学がなりをひそめたのは、戦後のほんのわずかな間であったと言えよう。「国防教育としての国語教育」にすべった反省から、戦後の国語教育はスタートしたはずである。が、「電話のかけ方」「新聞の読み方」「手紙の書き方」などのHOW・TO物で国語教科書はみたされていた戦後の一時期。この「プラグマティズムの言語理論と教育論が――むしろ、プラグマティズムそのものが――生哲学のアメリカ的形態以外のものではなかった」と熊谷孝氏は指摘する。指導要領の改定ごとに目にみえる形で全面に押し出されてきた解釈学。「戦前の解釈学とは異なる」という断りつきだが、その実、根本理念はさっぱり変わっていない。国語教育の近代化、現代化という名前をつけることで、カモフラージュしているにすぎない。
 戦後文学の主流を占めた精神分析、実存主義を標榜する文学に関しても、解釈学の系譜に属するものであったり、生の哲学の別動隊であると熊谷孝氏はその著作の中で証明している。梅原・中村対談を待つまでもなく、解釈学は戦後まもなく復活しているわけである。それにも関わらず、特に今回の対談を重視するのは、先に記したように、それが「国際的・国内的政治情況の特定の分析の仕方と、量に物を言わせた情報、報道のありよう」と、大いに関わっているからである。まさに時宜を得た「お先棒かつぎ」であるからなのである。
 一方、こうした情報に操られやすい私たちであることを考えてみたい。無意識のうちに解釈学を身につけてしまっている。厳密に言えば、つけさせられてしまった私たちであることを思ってみたい。無意識であるだけに、解釈学復活のキャンペーンに乗りやすい、乗せられ易い存在なのである。
 解釈学をどこで身につけたのか、と問われたら、私は学校教育の中でと答えたい。幼時、絵本や童話を楽しんでいたころ、母親から「作者はどんなことを言っているのか」などと聞かれなかった筈だ。「この作品の主題は」などとも聞かれなかった筈だ。動物と対話し、風や雲と楽しく話しあっていた。『大きなかぶ』を読んでいるとき、幼児は顔を真っ赤にして「うんとこしょ、どっこいしょ」とかぶを引こうとする。言葉という第二信号系が、第一信号としての運動感覚の系、行動の系につながっているのだ。汎言語主義とは無縁の時期が確かにあったはずだ。それが、十二年、あるいはさらに続く四年間の学校教育の中で解釈学に汚染されてしまう。そして、教師になった場合はその拡大再生産に従事してしまいがちである。
 教育的解釈学を研究し、それによって教室授業を展開している方の授業を実際に何度か見せてもらったことがある。私が教師になってまもなくのことであるから、三十数年以前のことである。が、いまだにその場面が忘れられないほどである。教室は静まりかえってた。教師の声も抑制がきいていて、一人一人の生徒にしみこんでいくような話し方であった。新米教師の私は授業の進行に目をみはって細大もらさず見極めようと構えた。教材としてとりあげられた作品の題名と作者名がていねいな字体で板書され、そのあと黒板の上から三分の一ほどの位置に横に一本、フリーハンドで真っすぐな線が引かれる。教師の範読があったり、生徒が読んだりした後、問答が始まった。ある生徒の答えは線の左上に、ある生徒の答えは右下に書かれる。時には、
生徒の答えをにっこり笑って受け止めたまま、黒板には何も書かないことがあったり。授業も終わりに近づくころは、実に整然とした坂書ができあがっている。ところどころチョークの色が変わっている。黒板の左すみに「主題」が赤チョークで書き込まれて、その日の授業は完了する。葉書一枚に転写できるような板書がいいのだということを聞いた。途中に読みが入ったり、最後に読みを位置づけるなど授業者によって多少変化はあったが、板書に関してはほとんど同じという印象を受けた。そして、何だか変だなと思うようになった。教師が黒板に書かなかったあの生徒の考え方はすばらしかったのに、なぜそれが位置付けられなかったのか。板書すること、つまり、その作品の読みの過程から結論まで収まっていて、それに合わせて生徒の答えを黒板に散りばめていくのではないか。教師の解釈が絶対であって、それ以前の感情体験のありようの違いによる一人一人の生徒の受け内容に関しては、何らの顧慮もされていない。
 私が授業をみせてもらった先生たちは決して怠け者ではなかった。授業に対して熱心であった。板書の細部に至るまで徹底的に検討されていた。が、その原理が解釈学であったのだ。私の求める国語教育は解釈学ではなさそうだ、と思うようになった。では解釈学によらない国語教育とはどういうものなのか。文教研に入会し、論理的に解釈学批判がなされていることを知った。準体験という概念は追体験を否定する概念であることを知った。たいへんうれしかった。と同時に、批判している筈の解釈学に私自身汚染されていることに気がつき、愕然としたことも事実である。解釈学に侵されている以上、「対談」のような発想を受入れがちである。無意識のうちに身につけてしまったことは、自分自身、なかなか気づかないものである。


    『人間の学としての倫理学』について

 和辻哲郎『人間の学としての倫理学』に話をもどそう。最初、私たちが身につけている筈の文教研の考えとどう違うのか、対照表を作ろうと思った。が、それは失敗に終わった。前提は違う筈なのだが、途中は同感、同感と思う部分があったり、つまり、部分的にではあるが、たいへん柔軟な思索過程に出会ったからである。私自身が気づいた、というより、例えば『芸術の論理』ですでに指摘されていることを思い起した、といった方がよいだろう。その一つは「日常性」に関して。全国集会の席では、シンポジウム「表現と表現理解と」の講演の強調点との対比の意味もあり、和辻倫理学では日常性を否定しているという面のみ強調してしまった。が、そんなに単純に割り切れる問題ではなかった筈だ。熊谷孝氏自身、和辻哲郎の指摘から学び取るべき事柄の一つとして「日常性における事実」をあげている。『人間の学としての倫理学』からの引用個所とそれに対するコメントの一部を引用させてもらうことにする。 
 我々は『事実に即する』といふことを、日常的なる表現とその了解から出発するといふ意味に規定する。それは必ずしも人間存在の 十分な 表現でもなければ了解でもない。のみならずそれはディルタイの云ふ如く実践的利害 に支配されたものであつて、人を欺くこと もできれば、また人によつて種々別々に了解せられる。云々。(和辻哲郎『人間の学としての倫理学』)

 社会諸科学は、日常的な存在の表現と了解とをその素材として、それを一定の秩序にもたらしてはいる。しかしそれらは、学的経験の立場に於て、存在を表現するもの からその表現の意味を抜き去り、そのもの をただもの として取扱う。かゝるもの の間の諸関係を理論的に規定するといふ努力は、実は、これらのもの が存在の表現であり、さうして我々が日常的にそれらを了解してゐるが故に起つて来るのではあるが、学的取扱ひにおいてはこの地盤は隠されてしまふ。云々。(和辻哲郎・同右)
 一読して明らかなように、そこでは結局、(1)日常性における事物認知・認識も、(2)科学性におけるそれも、信憑性に乏しいものとして否定的な評価を受け取っている。究極において芸術諸料学の樹立・確立をめざしているわたしたちとは、いわばア・プリオリを異にする見解なことは言うまでもない。が、根源的なその科学不信・科学否定は、この著者の存在論的、実存哲学的な立場からして当然の論理的帰結であるということになるが、この面の所説の当否は別個に考えてみることにして、むしろ、ここでわたしたちがその指摘から学び取るべき事柄は次の二点にかんしてであろう。 
 その一つは、〈事実〉あるいは〈事実に即する〉ということに関してである。あるいはまた、〈事実〉と〈真実〉に関してである。一括して言うと、事実とは、体験の日常性に与えられたその事物(=事柄)に対する、日常的な意味での第一次的な認知・把握である、ということだ。事実もまた、その限り、真実なのである。(略)
 で、日常性を超えた次元で――端的に言って科学性なり芸術性の次元で――真偽を問い続けていて、何が真実か混迷・混乱に陥ったような場合、そこまでたどってきた論脈を逆にたどり直し、論理の糸をたぐり直すということをやるわけだが、その行き着く先、つまり起点は日常性における真実――事実にほかならない。〈事実に即する〉というのは、だからして、事実(=自他にとっての第一次的真実)にたち戻って、科学性なり芸術性の次元と秩序における整理をめざして再出発する、ということ以外ではない。この著者の密度の高い思考・整理に触発された。(以下略)(熊谷孝『芸術の論理』)
 長い引用になってしまった。熊谷孝氏の思索過程に学ぶ必要を感じたからである。ここでは、文芸認識論とは異なる分野ではあるが、日常性に目を向けた先達の一人として和辻哲郎の所説が位置づけられている。文芸認識論の分野がいかに不毛であったのか、このことからも実感できる。
 この他、表現と表現理解の一元的把握、部分と全体の弁証法、言葉を物としてとらえることなど、部分的には柔軟に思索が展開しているのだが、根底にある原理(今日批判すべきもの)に目を向けてみたい。
 先に梅原・中村対談の中で和辻倫理学が肯定的に引用されていることを述べた。何がどのように肯定されているのか、対談並びに和辻の著作に即して考えてみたい。和辻倫理学の「人間と人間との関係を主体に置いている」ところが「未来の思想として重要な意味を持ってくる」と梅原氏は言っている。では、和辻の言う人間と人間との関係とはどのようなことか。『人間の学としての倫理学』から抜粋してみる。「人間共同態の存在根底たる秩序或は道が『倫』或は『人倫』といふ言葉によつて意味せられてゐる」「孟子によれば、『人倫』を教へるとは、父子有親、君臣有義、夫婦有別、長幼有序、朋友有信、を教へることである。父子の共同態には『親』がある。『親』がこの共同態に於ける秩序である。然し『親』なくば父子の共同態そのものは可能でない。従つて『親』は父子の共同態を可能ならしめる根底である。」云々。五倫に限らず祭の十倫或いは仁義礼智信でもよいが、「異るのはただ共同態の把捉の仕方だけであつて、人倫を人間共同態の存在根底から把捉する といふ根本の態度は変らない」「これらはそれぞれの間柄を本質的に規定するものであつて、それなくしては間柄そのものが不可能になる」。
 なぜこのような論理展開になるのか。同著の全貌を概観する意味で、目次を羅列してみよう。〈第一章 人間の学としての倫理学の意義〉 一 『倫理』といふ言葉の意味、二 『人間』といふ言葉の意味、三 『世間』或は『世の中』の意義、四 『存在』といふ言葉の意味、五 人間の学としての倫理学の構想、六 アリストテレスのPolitike( e には長音符号- が付く)、七 カントのAnthropologie、八 コーヘンに於ける人間の概念の学、九 へ−ゲルの人倫の学、一〇 フォイエルパハの人間学、一一 マルクスの人間存在、〈第二章 人間の学としての倫理学の方法〉(略)。第一章の四項目目までは「倫理」「人間」「世間」「世の中」「存在」という言葉の意味が問われている。言葉は客観的に存在しているのであり、その言葉の字義的解釈をすることが、人倫を究めることになる、という論脈である。汎言語主義と名付ける当のものである。典型例として「人間」という言葉がどのように解釈されているか、抜粋あるいは要約をしてみる。
 ヨーロッパ語においては「人間」と「人」を区別して用いるが、日本語では「『世の中』を意味する『人間』といふ言葉が、単に 『人』の意にも解せられ得る」。それは「数世紀に亘る日本人の歴史的生活に於て、無自覚にではあるがしかも人間に対する直接の理解にもとづいて、社会的に起つた」ことであるというのだ。「人間は単に『人の間』であるのみならず、自・他・世人であるところの人の間なのである。(中略)人間関係が限定せられることによつて自が生じ他が生じる。従つて『人』が他でありまた自であるといふことは、それが『人間』の眼定であるといふことに他ならない」というような論脈である。「しかもかゝる転用はシナに於ては決して起こらなかつた」というのである。戸坂潤が指摘するように「言葉の説明が言い表わす事物自体の説明にならない」。また、「言葉による文義的解釈である以上、解釈される事物はいつも国語の制約下に立たされる」。人間という言葉の解釈に示されるように「凡て日本語の言い表わす処は、不思議にも大抵最高の真理」となってしまう。目次からもわかるように「アリストテレス、カント、コーエン、へーゲル、フォイエルパハ、マルクスの『人間存在』がそれぞれ日本倫理学の、不十分な先駆者として挙げられる。マルクスを換骨奪胎することによって、マルクス主義的なものから日本的なものへ直線的に走るのは、今日では、何も日本倫理学に限らず、又和辻哲郎教授の思想態度には限らない社会現象だ」。引用は『日本イデオロギー論』(戸坂潤)からであるが、一九三五年に刊行されたこの著作の中で述べられていることが、遠い過去のことではなさそうな気がする。梅原・中村対談をもう一度、こうした視点から読み直してみたい。



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