「解釈学主義」批判 −国語教育・文学教育理論の根柢を問い直す−                      

   言語と認識−言葉と構想力− 熊谷 孝  【小学館『教育学全集 5」(1968.3刊)所収】       

T 想像力理論の系譜

     1 ロマン派的な発想

【課題の重要性】
与えられた課題は、“ことば”と構想力ないし想像力ということである。あるいは、“ことば”と認識ということである。この“ことば”と認識の問題を、“ことば”の心理学の問題としてであるよりは、“ことば”の論理学の問題として、いわば国語教育(ないし国語教育学)の哲学とでもいうべきものを思考するかたちで考えてみるように、という編集委員会の意向のようである。
 そういうわけで、人々がこれまでに国語教育なり文学教育の理論を組むうえで、とかくさけて通りがちだった構想力(=想像力)の問題を、この際はっきり正面にすえて、“ことば”とこの“想像”(Phantasie, Imagination) “想像力”(Einbildungskraft)の関係・関連に証明を当てながら、“ことば”と認識の問題を考えてみるように、ということであろう。
 所与の課題が、実はそうした意図によって志向された内容のものであることを後で知らされ、わたしは、とまどい、かつたじろいだ。むしろ、狼狽である。が、わたしのそういうたじろぎや、うろたえはそれとして、〈言語と思考〉というこの巻の課題と課題意識からしてそれは当然な、という以上にしごくもっともな、また必然的なテーマの選定である、といえるだろう。
 しかし、それにしても、このテーマの設定と企画は冒険にみちている。問題を解明する足場となり手がかりとなる基礎科学(たとえば文芸学や芸術学、またたとえば言語心理学や芸術心理学など)の基礎理論が、この面に関して、たぶん、全然といっていいぐらいに熟していないのである。むしろ。不毛といっていいのである。そういう不安定な、ぐらぐらした足場の上で、いったいどれだけのことができるか。見とおしは多分に悲観的である。
【想像力理論の停滞】 たとえばの話だが、──。いうところの想像力理論に関していえば、それは全般的に現在でも、ドイツ・ロマン派ふうの問題の把握と理解のシッポを断ち切っていない。断ち切れないでいるのである。その理解のしかた、処理のしかたがロマンティックにすぎるというより、それはこのロマン派に特有の「神秘主義的であるという意味でロマンティックな」想像のはたらき(──想像的意識作用)の把握のしかたにとどまっている、ということにほかならない。*1
 現在にまで尾を引く、約二世紀にわたる想像力理論のこうした停滞──というのは、Einbildungskraft(構想力・想像力)という概念を美学史に定着させたカント(Immanuel Knt 1724〜1804)の場合などを思ってみての話だが──の要因は存外、ロマン派的な発想とは根本的に対立するはずの唯物論芸術学や文芸学の側の、この問題に対する意外な無関心にあるように思われる。それは関心のズレや不足によるものか、故意に意識して問題を回避していることに起因するものか、あるいは唯物論者たちも依然、暗々裡に、この想像的意識作用をEinbildungskraft(想像)として実体化して考えていることに問題があるのか、にわかには断定しかねるにしても、である。
*1 こうした考え方が当時にあっても(そして現在においても)ドイツ的な風土に限定されるものでないことは、たとえばコールリッジ(Samuel T. Coleridge 1772〜1834)の場合などを思ってみれば明かだろう。このイギリスのロマンティストが、ファンシー(fancy)を前提としつつ、それと区別して考えるイマジネーション(imagination)は、もともと有限な個々の人間の主観に対して、より高い想像力によって生気を与える、そのような無限の力である。そこに考えられている“想像”は、そのかぎりスタティックで永遠な、まさに実体的(substantial)な“想像力”──想像力一般 にほかならない。

     2 印象の追跡としての批評

【想像的意識体験の問題】 詩と哲学との本質的自己同一について語りながら、ズルズルに、いつかなしくずしに、哲学を──というのはこの場合、理論的認識操作一般を──詩に解消してしまう、というのが上記のロマン派に共通した姿勢である*1が、そうした詩的想像への陶酔と没入において詩の想像(──想像力)について語るというふうなことが、依然として現代の想像力理論のアルファでありオメガであるとしたら、これはなんとお寒い話ではないか。このお寒い状態・状況が、ところで、今日この只今の(少なくとも芸術的想像の問題は詩的想像の問題に尽きると考えるような人々にとっての)一般的状況だ、ということなのである。
 ドイッチェ・ロマンティーク、とりわけノヴァーリス(Novaris 1772〜1801)にあっては、詩こそ現実そのもの、現実のトータルである。それは、純粋にして絶対的な現実である。そのような現実にその内奥から迫るところの哲学は、しかし詩への同化においてのみ哲学としての完成を示すことができる、とそこでは考えられている。このようにして、外なる現実の認識としての哲学は、内なる想像への没入としての詩への同化において、そこに合理的に裏うちされた夢幻的、魔術的な宇宙を創造する、と考えられている。
 どこか、何か、こんにちの詩的想像力論者の発言に通じるものはないか。
 誤解をさけていえば、サルトル(Jean-Paul Sartre 1905〜 )が語っているような意味での想像的意識*2──イマジナリーな意識の状態に自分を置くという体験が、想像力の研究ないし想像力理論にとって無用のものだ、などということをいっているつもりはない。そういう想像的意識の体験が先在し先行することなしには、想像力理論も、一般に認識理論そのものが成り立つはずはないからである。
 むしろ、研究者その人の想像的意識や想像的意識体験のまずしさが、その当人自身の想像力研究の欠陥をあらわなものにしているような例が少なくない、という現実にこそ眼が向けられねばならないのだ。しかし、それにもかかわらず、個々人のそのような体験は、想像力の総体的な研究にとっては問題解明の一つの資料にすぎない、という点の自覚がいまは必要なのである。自己の実感ベッタリのアン・ジッヒな態度は、課題の解明に寄与するものであるよりは、多くの場合マイナスを結果するものであることが、むしろそこに指摘されなければならないだろう。(現在の想像力研究の感傷的、詠嘆的な停滞状態は、人々のこのアン・ジッヒな実感主義の姿勢とけっして無関係ではないだろう。)
 必要なことは、自己の想像的意識に与えられた実感、印象を一度つき放して対象化し、それを点検し追跡するという姿勢である。姿勢? ……むしろ、かまえである。今日の多くの想像力の研究と想像力理論に欠けているのは、このような自己の印象の追跡というかまえである。いいかえれば、批評の眼で自己の実感をみつめ、想像力の問題をみつめなおす、というかまえを欠いている点である。
*1 本文に書きつけたように、そのような発想をいちばん端的に述べているのはノヴァーリスであるように思えるが、しかしそれは他のロマンティケル、シュレーゲル兄弟(August & Friedrich Schulegel)やティーク(Ludwig Tieck)などであっても、いっこうにさしつかえない。「詩は詩によってのみ批評されうる」というF.シュレーゲルのフラグメンテ(断片)の語るところを、上記の所説を裏づける例証の一つとしてここに掲げておくことにする。
*2 サルトルは次のように語っている。「知覚し、概念し、想像すること、これこそ実に同一の対象物がそれを通じて私たちに与えるべき意識の三つの型(タイプ)である
云々。(L'imaginarie. 1940.平井啓之訳『想像力の問題』一七ページ) いわば、知覚的意識や概念的意識に対する“想像的意識”である。
【批評の「科学性」】どういう意味にもせよ、批評は印象の追跡以外のものではないということを、わたしは戸坂潤(とさかじゅん 1900〜1945)に学んだ。つまり、印象の追跡としての批評だけが、自己の実感を支えとしながら、その実感の検証を通して実感を越える(つくり変える)ことを可能にする、ということをである。いま、想像力理論の停滞をつきやぶるうえに必要なのは、印象の追跡としての批評の確立である。また、いま現に、こうした停滞状態に向けて突破口をつくり出しつつある少数の人々の発言は、いずれもこの印象の追跡による、きびしい自己の実感監視の上に展開されたものばかりである。*1
 さて、論文「所謂批評の『科学性』について」(『文芸』一九三八年一月号、勁草書房版『戸坂潤全集』第四巻に再録)の中で、戸坂は次のように語っている。(少し長々しい引用になるが、この稿の叙述の論脈とその基本的な視点を初めに明らかにしておきたい、という意味もあって、部分部分をつなげて論文全体の流れを摘記することにする。)

 「たんに文芸批評だけではない。すべての評論ふうの批評は直接感受した印象の追跡をたてまえとする。ただその印象が芸術的な印象ではなくて、理論的印象や科学的印象である時、普通これを印象とは呼ばないまでで、この場合、印象の持っている印象らしい特色には別に変わりがない。印象はそれを感受する人間の感覚的性能いかんによって大変違って来る。印象とは刺激に対する人格的反作用のことであろうが、そうした特色には、科学的労作を批評する場合にも極めて大きな役割を演じている。」
 「芸術に対する批評が、印象の追跡であることは、改めていう必要はない。(中略)だが、印象自身と印象の追跡ということは、ハッキリ別のことではない。作品を読むという活動の意味にもいろいろあろうが、優秀な読者は二度も三度も同じ作品を読むだろう。若い時読んだものを年取ってから読み直すということはごく普通の現象だ。一遍読んですぐまた読み返すという人もいる。そうしないまでも、前に戻りながら念を押して読むということは、誰でも必ずやっていることだ。(中略)してみると、印象といってもけっして一遍カッキリの印象ばかりを問題にするべきではない。(中略)即ちこの印象は実はすでに追跡された印象だ。(中略)心ある読者は、たんに読むという活動自身において印象追跡者である。批評家である。(中略)今このことは、印象が自分自身の主観的制約を脱皮しようとする努力を意味するものだということがわかる。」

*1 想像力の問題に関して、すぐれた意味においてリアリスティックな把握と見解を示している論文に、たとえば次のようなものがある。波多野完治「第二信号系の理論と文体論──文章心理学の立場から」(『文学』一九五八年六月号。)柾木恭介「想像力と言語」(同上。)杉山康彦「想像力と現実」(『文学』一九六二年一〇月号。)
【“言葉”の加工による想像的認識】 だが、いわばそのような高度の印象も、さらに別個の操作による“印象の追跡”によって自己を越えねばならない。そうでなければ、それは科学的な批評ではありえないから。「私のさしあたりの結論は、こうである。芸術的印象は系統的な認識論を想定した上で追跡されるべきだ。」なぜなら、「文芸を実在 認識 と考えないところからは、何らの科学的批評もみちびかれない」から(前掲、戸坂論文)である。文学も認識であるというリアリズム文学理論の仮説に立っていうなら、その認識の特徴は想像的意識による実在の認識、しかも“ことば”の加工による想像的認識である、という第二の仮説に立ってわたしたちは想像の問題を考えてはと思うのだが、どうか。
 それがどういう“ことば”の加工であり操作であるのか? ……その点が、つまり、言語芸術に関する想像力理論の核になる問題なわけだ。

     3 詩的想像力

【表象能力】 上記のようなロマン派的な発想につながりを持ちながら、(その著作の題名が示しているように*1)新詩学建設への関心のもとに「詩人の想像力」の研究にテーマを求め、詩的想像の問題を「生による生の理解」の視点から発想するディルタイ(Wilherm Dilthey 1833〜1911)が、やがてこの想像力理論の歴史の上に姿を見せるようになる。
 詩人はそこでは、自己の体験のエネルギーを基礎(グルント)としてその偉大な想像力によってもろもろの生(レーベン)の表象を変形し、あるいはそれを結合するところの才能であるとされる。いいかえれば、詩的想像力はそこでは、生のもろもろの表象を自由に変形し結合する能力(クラフト)であるとされる。それは、直接所与の体験を越える能力であると同時に、いわば「現実以上の現実」としてその表象を“典型”として創造する能力である。
 このようにして詩に結晶された想像的典型は、そのみなもと を詩人の体験に発しているという意味において、その詩人の体験がそこにつながるある種の体験の類型である。それと同時に、本来、自己同一的なものである人間の生──生の自己同一──の表現であるという意味において、それは普遍性と必然性をもつのである。詩的想像力は、このようにして偶然的所与を必然的なものに、個人的、類型的なものを普遍的なものに変形し結合するところのエネルギーである生の外化・客観化をそこに誘発するエネルギーである。
 生の外化・客観化? ……芸術(詩)の創造である。詩的想像力、それは詩的創造精神の「建築石材」である。それを欠いては詩はありえないという意味での「建築石材」である。このようにして、また、その想像力は、ジンメル(Georg Simmel 1858〜1918)ふうにいえば、生を「生以上のもの」(Mehr als Leben)たらしめる、生それ自身のエネルギーでありクラフトである、ということにもなるだろう。
*1 ディルタイによる想像力理論の体系化は、『詩人の想像力──詩学のための建築材』(Die Einbildungskraft des Dichters-Bausteine für eine Poetik. 1887.)という詩学的著作においてまず実現された。
【ディルタイの理論】このように多分にロマンティックで審美的な、生の解釈としてのディルタイの想像力理論こそ、(厳密な意味では理論としての体系を欠いていた)浪漫派の発想に体系を与え、それをひとまとまりの理論として今日に媒介している当のものである、といっていいであろう。現在、とりわけ日本にあっては、かなり多くの人々に支持され、同時にまた、かなり多くの人々によって否定的に受けとられているその体系と体系化は、上記「生の自己同一」を前提としつつ、「持続的に固定した生の諸表現(それのいちばん代表的なものに詩がある)」を「追体験」により、「外部から感性的に与えられている諸記号によって内部のものを認識」しようとするものである。
  そういう認識を彼は「理解」(Verstehen)といっているわけだが、「著者(作者)を著者その人が理解していた以上によく理解する」ことが彼の体系──解釈学(Hermeneutik)──の究極の目的である。それは、一度外化されたものの内化の操作・措置である。その内化のプロセスにおいて生の理解は、「著者その人が理解していた以上に」深められるのである。「生による生の理解」というのは、そのことなのである。「生は生によってのみ理解されうる。」つまり、生はそれの本性上、生によってしか理解されえない、とするのである。
 こう見てくると、ディルタイふうの解釈学による著者(=詩人)の想像的意識の追求と把握は、詩人その人の自意識における理解をその方向に深めるものではありえても、それを批評(上記、印象の追跡としての批評)の契機において越える──越えうるものでないことは明かであろう。(第一、そこでは、そのようなことは初めから意図されてはいない。)上記、戸坂潤のことばをもう一度引用していえば、ディルタイやそのエピゴーネンである今日の追体験論者・解釈主義者たちが、どういう意味にもせよ「文芸を実在認識」としては考えず、詩を、永遠にして普遍な、つまり非歴史的な「生の表現と理解」の対象として考えていることによるのである。
 だからして、「感情から生まれたものが次には感情を、しかも同じ感情をよび起こす、ただ少し弱い程度において。こうした詩人の体験する過程は読者や聴衆の体験する過程と同類である。形象(Bild)の要素の同一の構成が、ここ でもそこ でも同一の感情の構成をよび起こすのである。」「そういう意味において芸術作品(筆者注──詩作品や音楽作品)を読み聴きするその過程は、構造的に創造の過程と類似のものである。」したがって、詩人についての深い判断は、その判断の中に詩人の想像力と親近的な何かをもっている、といえるのだ。」(『詩人の想像力』Die Einbildungskraft des Dichters. 1887. なお、前項の*1参照)というディルタイのことばは、ことばの上の相似にもかかわらず、芸術が感情(共感)による社会のあらゆる存在への拡張・充実であるという視点に立つギュヨー(Jean Marie Guyau 1854〜88)の、「読者によって感情を体験するためには、(読者は)あらかじめその感情を所有していなければならない。この感情の所有は、けっして孤立した、また偶然的な事柄ではない。解剖学の法則のように、きわめて精密で確実な道徳的特性の相互依存の法則がそこにあるわけなのだ。」(『社会学的見地からみた芸術』)という発言とは区別して考えられなければならない。
 詩人と読者との想像的意識体験の過程的一致や構造的類似について語るディルタイの、胸のそこここにあるものは「生の自己同一」の想念である。それは印象(実感)の追跡としての批評によって帰納された判断ではなくて、一事が万事ふうに自己の実感において演繹された「想念」である。そこには、詩人の想像的意識、詩人の想像力への実感ベッタリの追随と同化、それへの深い讃嘆があるだけである。追体験(Nacherlebnis)である。その立場が究極において「神秘主義的であるという意味においてロマンティックである」という、まさにその点においてロマン派的であり、それゆえにまた主観主義的であるとされる理由である。(今日の問題に関連させていえば、その主観主義のちょうど裏を返した格好の、客観主義的追体験主義とでもいうべきものが唯物論の側の想像力理論の裏側にベッタリ貼りついて、唯物論プロパアな研究の進展を阻んでいるということは、観念論の側の研究にとっても不幸なことであるといわなくてはならない。そこには、理論の発展を触発する上に必要な対立の契機、否定的媒介の契機を欠いているからだ。現在の文学教育ないし国語教育の理論が露呈しているその貧困と不毛と停滞の内在的要因も、一面やはり、このことに関連している。)
 そこにあるのは、想像的意識のただの「解釈」(Auslegung)である。いいかえれば、事態を変革するための解釈ではない、解釈のための解釈という態度である。何のためといえば、せいぜい「生」(Leben)の顕在化と内化のために、ということである。詩人のその 想像的意識、その 想像力を今日の芸術的創造活動の新しいエネルギー生産の契機として受けつぎ、受けとめ、それを創造の契機としてつかみとろうとする姿勢は見られない。きょうおよび明日の新しい創造のエネルギーと契機をさぐろうとするがゆえに、その想像的意識のありようはたらき を否定的媒介の契機においてつかむ、というクリティカルなものはそこに見あたらない。ディルタイの立場が「観想的」であるとされる理由だろう。それと同時に、文学教育や“読み”の教育、国語教育を観想的な立場にとどめようとする人々にとって、この追体験主義、解釈学の理論がいまなお人気のある理由だろう。
【ディルタイ理論の爪跡】 さらにディルタイに関していえば、彼の想像力理論が現代に爪跡を残している事情として、また次のようなことがある。
 その時期における(Literaturwissenschaft)の多彩な成長と発展にもかかわらず、このディルタイやレーマン(Rudolf Lehman 1855〜1927)たちの詩学(Poetik)への接近がみられる*1。(ディルタイたちにとって、想像力理論は詩学の問題として考えられているという以上に、彼らの考える文芸学は精神科学の中核として、詩学そのものであった。)
 その接近は、必ずしも直接的に、アリストテレス(Aristoteles)やホラティウス(Quintus Horatius Fraccus)のギリシア・ローマの古典的な詩学への回帰を意味するものではなく、むしろ詩学を新しく意味づけようとするこころみであったにしても、そこには、散文文学に対する詩文学の言語芸術としての優位を思う想念・観念が横たわっていた。あるいは、そのような観念がかなりあらわに、そこに先在し先行していた。ロマン派の場合と同じように、ディルタイたちにあっても、芸術的 創造、想像力とは、実は詩的 想像のことであり、詩人 の想像力のことでしかなかった。ディルタイその人の場合、それは、詩に加えて音楽や造形芸術に関しての芸術家と鑑賞者の想像的意識のことである、というわけなのだが。(しかも、そこには“想像的意識”という概念はない。“ことば”としてそれが用いられていない、というだけではなくて、まさにそういう概念、そういう発想がないのである。)
 散文文学に対する詩文学の芸術としての優位性──この芸術観念、詩に対する意識は、実はたんに昨日のことではなくて、今日の想像力理論のかなり全般的な傾向なのである。
 音楽や絵画や彫刻が芸術であるように詩は芸術でありうるが──それはすでに古典詩学が明晰な判断をくだしたところである──小説やエッセイなどの一連の散文形式は果たして芸術でありうるか、という問いにこの観念・想念はつながっている。芸術の観念(あるいは芸術という概念の概念内包)は、それを芸術の近代的ジャンルが生まれる以前のものに一義的に固定させたまま、こと新しく、もっともらしく「芸術とは何か」という問いをあらためて問いなおし、芸術の規格にはずれるという意味で散文芸術の“芸術としての失格”を宣告する、という手つづき(論理の遊び・言語遊戯)によるものなのである。
 今世紀の詩、とりわけ現代の詩(実は詩論)の著しい傾向は、造形芸術への接近である。“ことば”(いうところの詩語)を、たとえば彫刻における石材や木材のように物材として、もの として主体から切りはなして位置づけることで、“ことば”の記号性(サルトルふうにいえば signe)──“伝え”としてのその実用性を拒否して考える、というかたちでの造形芸術への接近は、上記のような詩の優位性の想念を結果的に裏側から支えるものとして作用している。
*1 前注、*1参照
     4 詩語と日常語、あるいは散文の言葉

【詩語と散文語】 サルトルもいっている、「徴(シーニュ)の帝国は散文であり、詩は絵や彫刻や音楽の側にある」と。また、「事実、詩人は道具である言葉(Langage-instrument)と一挙に手を切って、詩的態度を選んだのであり、詩的態度とは言葉を徴(シーニュ)としてではなく、もの として考えることである」云々と。(Qu'est-ce que la littétrature? : Situations,U,1947.加藤周一訳「文学とは何か」五〇〜五二ページ。)
 また、彼は、こうも語っている。
 「詩人にとっての言語は、外的世界の一つの構造である。散文で語る人は言語のなかの状況において(en situation)あり、言葉に包囲されている。言葉は彼の感覚、鋏や触覚や水晶体の延長である。彼は言葉を内側から動かす、彼自身の身体として感じる。みずからほとんど意識しないが言葉の身体によって囲まれ、言葉は、彼の行為を世界の上に拡げる。詩人は言語の外にある。詩人は、人間の条件を無視するかのように、裏側から言葉をみる。詩人が人々の方へ近づくときには、まず障害物としての言葉に出会うのである。ものをまずその名によって認識する代りに、詩人はまずものとの沈黙の接触をはじめるように思われる。それから、彼にとっての言葉というもう一つの種類のものの方へふりむき、言葉に触れ、言葉を模索し、言葉を撫でながら、言葉に固有の小さなきらめきや、言葉が地や空や水やすべての創造されたものとの間にもつ特殊な親和性を発見する。詩人は、世界の外観の徴(シーニュ)として、言葉を利用することを知らないので、言葉のなかにその視像(イマージュ)を見る。(中略)要するに全体としての言語は、詩人にとって世界の鏡である。」(同上、五二〜五三ページ、傍点筆者。)
 「詩人は句をつくり上げると人は信じるだろうが、それは見かけであって、彼は一つの対象を創造するのである。ものなる言葉(mot-chose)は、色や音のように調和と不調和との魔術的な連合によって集合する。それは、ひきつけあい、おしのけあい、燃え上り、そしてその連合が対象なる句(phrase-objet)という真の詩的単位を構成する。」(同上、五四ページ。)
 サルトルの思想(むしろ思想形式)の系譜からしても当然なように、その所説は多分に現象学的であり実存哲学的である。また、「ものそのものへ」という実存主義に共通の基本的姿勢にもかかわらず、その問題把握のしかたは依然としてエモーショナルにすぎる、といえるのかもしれない。が、そのへんのところに抵抗を感じるということを抜きにしていえば、それは少なくとも詩語の論として本質的に妥当なものを含んでいる、といわなくてはならないだろう。
 さらにまた、つぎのような彼の所論についていえば、それはもはや、たんに、詩語の論にとどまらないで、詩論である。詩語の論を含みこんでの詩論である。例によって実存主義への傾斜は彼の場合当然のこととして、論議は詩の本質にまっとうにふれている。サルトルまできて、想像力の問題は“ことば”の問題と構造的、機能的なつながりを見つけた、ということができるだろう。
 「ゴルゴダの上空の黄色い裂目(さけめ)をティントレットは苦悩を意味させる(signifier)ために選んだのでもないし、苦悩を喚起する(provoquer)ために選んだのでもない。それは苦悩にして同時に黄色い空である。苦悩の空でもなく、苦しげな空でもない。それはものとなった苦悩である。苦悩は、空の黄色い裂目と化し、突然、ものに固有の性質によって浸透され、煉り固められる。その不透過性によって、その延長や盲目的な不変性によって、またその外在性や、他のものとの無限の関係によって。もはや苦悩を読みとることは全くできない。その黄色い裂目は本来表現することのできないものを表現するために、常に天と地との中途に止まっている、巨大で空しい努力のようだ。」(同上、四九ページ。)
 「苦悩の叫びは、苦悩を喚起すべき徴(シーニュ)である。しかし、苦悩の詩は、同時に苦悩そのものであり、また苦悩以外の他のものである。実存主義の語彙を適用すれば、詩になった苦悩は、もはや存在しないがあるのだ。しかし、画家が家をつくる(描く)とすれば? と諸君はいうかもしれない。まさにしかり、彼はそれをつくる、彼は想像の家を画布の上に創造するので、家の徴(シーニュ)を創造するのではない。そして、このようにあらわされた家は、現実の家のあらゆるあいまいさを具えている。作家は諸君を導くことができるのであり、たとえば、あばら家を描写して、それを社会的不正の象徴とし、諸君の怒りを喚起することができる。しかし画家はだまっている。彼は諸君に一軒のあばら家を示す。それがすべてである。欲するものをそこに見るのは、諸君の自由である。」(同上、四九〜五〇ページ。)
 おそらく、詩語とはそのようなものであり、詩とはそのようなものであるべきなのだろう。「実存主義の語彙」の濫発と「適用」をもう少しセーヴし、もう少し乾いた“ことば”で話してもらえるなら、さらに多くの人々の共感をかち得るに違いないような見解なのである。ということは、それが必ずしも実存主義の語彙によって語られなくては不十分にしかいいあらわせないような内容のものではない、ということなのである。その見解は実は、実存主義を越えている。
【三つの疑問】 問題は、詩語──詩的想像における“ことば”操作についての上記のような理解が、狭く詩の場合にだけ限定して考えられてよいことなのかどうか、という点である。いいかえれば、それは基本的には散文芸術の場合にも適用して考えられてよいことなのではないか、という含みをもった問いなのだが。
 問題の第二点は、右の事柄を裏側からいって、散文ないし日常語と詩語・詩文とをまったく異質のものとして、そのように区別して考えることがはたして妥当かどうか、ということなのである。問題の第三点は、“ことば”の作用因*1における組織体を“散文”と“韻文”との分類して、“散文”を一義的に、(1)“日常語”の側に、あるいは、(2)“非芸術”の側におしやる発想そのものに疑問が残らないか、という点である。
 この第三点に関するサルトルの見解は、きわめてあいまいもこ としている。その、あいまいもこ が実は救いなのであって、上記『文学とは何か』の後半の散文芸術論が、まことにいきいきと生彩を放っている。この論文に関して読みごたえがするのは、わたしなりの追跡された印象からすれば、むしろ、この後半の部分である。一つ一つ、肯いて読めるのである。読みかえして、また深く肯くのである。「詩は絵や彫刻や音楽の側にある」とし、「散文家」を「詩人」との対比において貶(おと)しめて考えている(としか考えられない)サルトルにあっても、「道具である言葉」をそれとして操作する散文芸術家が、やはり、という以上にすぐれて芸術家であることが事実上、そこに承認されているのである。
 ということは、どういうことなのか? ということなのである。散文と韻文との間に一線を引いて、非芸術と芸術とのメルクマールをその線の軌跡の上に求めることのナンセンスをそのことはいいあらわしてはいないか、ということである。むしろ、ここに想起されなければならないのは、知覚・概念・想像という「意識の三つのタイプ」に関する上記のサルトルの所説である。が、その点に関しては第二節において述べるとしよう。
*1 “ことば”の作用因・作用果の問題については、小著『言語観・文学観と国語教育』(一九六七年二月、明治図書)および拙稿「国語教育としての文学教育」(文学教育研究者集団『文学の教授過程』一九六五年六月、明治図書、所収)など参照。


U “言葉”と想像力

     1 日常性と芸術性

【両者の連続性】上記のことをもっとはっきりいうと、(1)作用因としての“ことば”の組織体を韻文と散文とに分けて、前者を芸術的な、後者を非芸術的な“ことば”操作のしかたを示すもの、というふうに考えるのではなくて、(2)(やや図式的ないい方をすれば)韻文・散文の区別を問う前に、創造的な想像的意識体験とその意識作用に関して、芸術、非芸術の別を問うことのほうが現実の事実に即しているのではないか、ということなのである。(韻文、必ずしも芸術ではない。詩であるとはかぎらない。散文、また必ずしも非芸術ではない。)さらに、(3)実用と芸術、芸術と非芸術──体験の芸術性と非日常性との断絶や非連続性を云々する前に、むしろ、その両者の連続する面がそこにさぐられる必要があるのではないのか、ということなのである。そういう問いが先行するのでなければ、芸術(この場合、文学)は、たんに非実用的な日かげのもやし みたいなものとしてしか考えられなくなってくるからである。
 むしろわたしたちはここで、立場を異にした次の二人の思想家の間での、見解のある一致に眼を向けるべきだ、と思う。
 「美しいドアは、まずドアでなければならない。もしもその椅子が人にぐあいよくかけてもらうように出来ていないなら、それはけっして美しくないだろう。(中略)美は実用の上にしか栄えない。詩の場合でも同じことなので、そのリズムや韻は、格言がそういうものであるように、初めは記憶するのに便利なようにという目的をもっていたわけだ。」(アラン──Alain)
 「パルテノンが芸術上の偉大な作品であることは、だれしも認めるところだろう。(だが、真実この作品を理解するためには)せわしげで、論争的な、感受性のするどいアテネの市民たちのことを想起しなければならない。市民的宗教と一致した市民的感情をもち、その宗教体験の表現として神殿をもち、だからしてこのパルテノンを芸術作品としてではなしに、都市の記念物として建築したアテネの市民たちのことを想起しなけらばならない。(中略)パルテノンに具体化された美的体験について語ろうとする人は、この建て物を自分の生活にとり入れた人たち──つまり、その制作者やそれに満足を感じた人たち──と、現在家庭でやすらい、そして街を歩いているわたしたちとの間の共通点を思ってみなければならない。」
 「かかる状態にあって、アテネのギリシア人たちが芸術をふりかえって、それを再現あるいは模倣の活動であるというふうに考えたとしても不思議はない。(中略)この説(芸術模倣説)が(彼らの間に)おこなわれたということは、(彼らの)芸術と(彼らの)日常生活との間に密接な関係があった証拠である。もしも芸術が生活上の利害関心から遊離しているものであったら、このような考えはだれの脳裡にも浮かんではこなかったろう。なぜなら、この説は、芸術が文字どおりの意味で事物の描写だということではなくて、社会生活の主要なもろもろの制度に関連するエモーションや観念を反映する、という意味だったからである。」(デューウィ──John Dewey)
 デューウィの右の所説についていえば、それがハーヴァード大学の哲学科の学生を相手の講義であったという点に意味があろう。(一九三一年におこなわれたこの講義は、後に『経験としての芸術』(Art as experience)と題して単行出版された。ちなみに、引用はその第一章の「生物」からである。)が、それはそれとして、ここに掲げたアランとデューウィの所説は、実用と芸術(あるいは日常性と芸術性)、芸術(文学)と“ことば”の問題に対する、わたしたちの結論の究極を示すものでは多分ありえないだろう。けれども、体験の日常性と芸術性の問題は、依然としてやはり、そこに語られているような点をふまえ、そこを一度くぐったうえで考えられる必要があろう、ということなのだ。
 そういう意味で、時枝誠記(ときえだ もとき)の次のような見解は十分注目に値する。
 「芸術的なものと、さうでないものとの間に、截然と境界線を引くことは困難であって、それは連続の相をなし、しかも鑑賞性といふことは、実用性の否定において成立するものでなく、実用性と正比例してゐるものであることを知るのである。言語の場合も全く同じで、芸術的な言語と、芸術的でない言語との間に、一線を画することが困難であること、そして、言語が、美的享受の対象となり、鑑賞に堪へる鑑賞性を持つといふことは、言語が、言語としての機能を果すことに即して実現するものであること」の主張である。(『国語学原論』続編、四八ページ、一九三九年。)
 芸術的なものの鑑賞が「実用性と正比例している」という一義的な割り切り方には、スカッとしすぎて首をかしげさせられるけれども、言語に関して「芸術的なものと、さうでないもの」との「連続の相」に眼を向けようとしている限りにおいて、引用の限りにおいて、十分肯ける見解になっているのではないかと思う。
 引用の限りにおいて、というのは、その連続性を強調する時枝の所論が、いつか、やがて“文学”と“ことば”の連続性を主張する論議に結びつき、次には、その論議(結論)と矛盾するかたちの「文学はどのやうにして言語から区別されるか」という問いに変わり、「文学と文学でない日常語との間には(筆者注──「文学の“ことば”と日常生活で用いられる“ことば”との間には」と語られるべきであろう)、より多くの文学性を持つかどうかといふ相違があるだけである」という、未整理にすぎると同時に、しごくもっともすぎて(つまり、あまり常識的すぎて)あっけらかんとしてしまうような結論にむけて、ひた走りに走り去るものだからである。*1
*1 この点については、すでに、次のような綿密精緻な批判がある。高木市之助「国語と国文学」(『国語教育のための国語講座』第八巻、一九五八年、朝倉書店)

     2 飼いならされた言葉と、野性のままの言葉

【言葉の加工】
「文学の認識は、“ことば”の加工による想像的認識、想像的意識における実在の認識である」という前に掲げた、わたしの仮説(Tの2、文末参照)を、ここで思い起こしていただきたい。そこのところで“ことば”の加工といったのは、日常性における“ことば”の使用とは次元の違った操作のしかたで“ことば”を感覚し使用する、というほどの意味である。日常性との対比における芸術性──体験の芸術性──における“ことば”の形象的操作ということである。ドライにいえば、日常性における“ことば”操作のしかたを変えて、その想像的意識に与えられた現実のイマージュと等価値の“ことば”の組み合わせ方と体系をそこにつくり出す、ということにほかならない。
 サルトルもいっている。詩人は「実用的な言語のまん中に放り出されているので、その実用性(筆者注──つまり日常性における“ことば”の操作だ)から言葉をひき放すためには、奇妙なくみ合わせをつくらなければならない。たとえば『馬』と『バター』を、『バターの馬』(cheval de beurre)と並べることによって言葉を実用的でないものにするのである」と。(前掲『文学とは何か』邦訳、五一ページ。)
 つづけてサルトルばりのいい方でいうと、それは、ものとして“ことば”をつかみ、選ぶ、ということになるだろう。それは、“ことば”そのものについての新しい発見だといってもいいし、“ことば”の創造だといっていえないことはない。わたしは、そのことを加工といったまでである。もう一度サルトルばりのいい方を加味していえば、飼いならされた日常性の“ことば”に加工することで、逆に“ことば”を「野性のまま」にもどして、野性──“ことば”の自然にしたがって“ことば”を操作する、ということである。
 いま、そのことを、木下順二(きのした じゅんじ)(「日本語の不便さについて」──『文学』一九五一年二月号)にしたがって、「ことば自体で思索する」というふうにいってみてはどうか、と思うのである。ことば自体で思索するというのは、「ことば自体の持っている豊かさや強さや香りや味わいをそれ自体として味わう」という意味である。誤解をさけて注記すれば、それは“ことば”を実体(Substanz)としてつかむ、考えるということとは全然別のことである。第二信号系としての“ことば”が本来的にもっている無条件反射や第一信号的な条件反射の要素──そういう直接的な、あるいは運動感覚的な要素を積極的にそこに回復し、またその回復をはかりつつ、“ことば”を操作する、ということである。「飼いならされた言葉」を「野性のまま」にもどす、というのは、そういうことだろう。「野性のまま」にもどすために「言葉自体で思索する」のであり、「言葉自体で思索する」ことで「野性のまま」のかたちでの“ことば”操作が可能になるのである。
 「飼いならされた言葉」を「野性のまま」のものにもどす、というのは、ところで実はもう一度別のかたちで「言葉を飼いならす」ということ以外ではないだろう。「加工」という“ことば”をわたしが用いたのは、そういう理由からである。
 “ことば”は普通に、“ことば”にとって本来的なものであるはずの、上記の無条件反射の要素、第一信号的な条件反射の要素──それらをいわば副次的、付帯的なものという処遇で操作することで、日常的な“伝え”の機能や、事物ベッタリではなく、その事物から離れてその事物について考える(いわば“ことば”だけで考える)という、思考や認知のはたらきを実現させているのであった。“ことば”は、そこでは──というのは日常性や科学性においては──そのような飼いならし方で、そうのように飼いならされている。
【イマージュと言葉】 その「飼いならされた言葉」を、いま、想像意識においてかき立てられたイマージュにしたがって、「言葉に触れ、言葉を模索し、言葉を撫でながら、言葉に固有の小さなきらめき」や何やを発見しようとするのである。サルトルふうにいえば、である。このようにして、「言葉自体で思索」をつづける中で「言葉のなかにその(世界の)イマージュを見る」時に、まさにその時に、文学がそこに息づいているのである。「最初にイメイジがあって、ことばはあとからやってくる」と江藤淳がいうのも、そのことだろう。(『作家は行動する』一九五九年。)
 最初にイマージュがあって、というのは、そのとおりである。が、そのことは、初めにイマージュありき、ということとは別のことである。主体の内部に、あるイマージュをもたらす(そのように想像的意識作用がそこにはたらく)上に決定的な役割を演じているのが、また“ことば”(内語 internal-speech)の機能にほかならない、という点が見すごされてはならないだろう。
 かいつまんでいうと、こういうことだ。イマージュの形成にはたらく“ことば”の機能的な役割を思ってみた場合に、である。文学・芸術の創造のプロセスにあって、想像的な意識作用が意識の主要な部分を占めるようになるということは、知覚や思考のはたらきが、それらを支える“ことば”のはたらき──つまり「飼いならされた言葉」のはたらきだ──ぐるみ、主体の意識の中から姿を消し去るということではない。イマージュの形成と外化の過程にあっても、「知覚し、概念し、想像する」というこの「三つのタイプ」の意識作用は相補関係にある、ということなのである。そういう相補関係の中で、「飼いならされた言葉」に支えられながら、それをイマージュにしたがって、そのイマージュを投影し反射・反映するにふさわしい第二の「飼いならされた言葉」に“ことば”そのものをつくり上げようとする、という関係である。

     3 日常語を想像ゆたかなものに

【日常語の重要性】 さて、「言葉自体で思索する」ということを軸として書かれた上記木下論文だが、ここでの問題の所在を実に具体的にときあかしているように思われる。人間の意識作用における型としての、知覚・思考(サルトルのいう概念)・想像の関係・関連。日常性と科学性・芸術性の問題。「飼いならされた言葉」と「野性のままの言葉」の問題。そうしたことが、特に“ことば”の問題にしぼって具体的に明晰に語られている。
 「話し言葉としての日本語には、言葉自体で思索するということが甚だ稀薄であるようだ。言葉は事柄を伝えるための単なる符牒として発音され、それから先の、その事柄の内容を考えることはもっぱら音もなき脳髄の機能にゆだねられる。言葉の音(おん)やアクセントと、音やアクセントの組み合わせと、そこから出て来る調子と、それと内容(意味)とのからみ合いと──そういうようなもろもろの、言葉自体の持っている豊かさや強さや香りや味わいをそれ自体として味わうことを、言葉自体で思索するといういい方で僕はいっているわけなのだが、この点が話し言葉としての日本語には非常に弱い。新劇というものは“考えさせる芝居”だと、非難の意味を籠めていわれることがあったとすれば、その理由の一つはここに在るのであろう。極端な場合をいって、仮りに芝居のせりふがテーマの中に含まれている“問題”を単に伝えるための機能しか果さないとすれば、その場合の面白さはその問題を“音もなく”考えることになり、つまりそれは少なくとも“言葉の芸術”としての芝居の面白さとは別のものになってしまうわけだ。」
 前にも述べた事柄とクロスしているような事柄は、紙幅の関係でここではカットする。さしあたって、次の二点がここで注目されよう。その一つは、“ことば”による芸術は、“ことば”の芸術になるのでなければ、それは真実芸術ではありえない、という点の指摘である。もう一つは、その民族の(この場合、日本の)“ことば”の芸術が示す強み・弱みは、究極において、その民族の日常性における“ことば”の持つ強み・弱みと一定の函数関係にあることの指摘である。
 右の引用の箇所よりかなり後のほうでだが、木下はまた、こうもいっている。ヨーロッパの舞台俳優の「訓練された声」は、「日常会話の発生の延長線上において“訓練されて”できた声であるということ。つまり、あのような“芸術的な”言葉と日常に語られている言葉とがヨーロッパではつながっているのだ」という点についてである。舞台芸術だけの問題ではないだろう。「つまり“訓練された声”とは言葉というものを芸術にし得る声である。」ところで、そのような「声」は「日常会話の発声の延長線上」のものである。日常性の充実なしには、その人、その社会の芸術的充実は期待しえないのである。
 「つまり、日本人の日常の声の中に芸術的な可能性が稀薄であり、もしあるとしてもそれを“訓練”する方法がまだ見出されていないということなのだが、(中略)それは決して声だけの問題でなく、声と言葉は一体である。(中略)いきなり例をあげるなら、“余の哲学は……”と、“俺のかんげえは……”と、この二つの隔絶した表現の間に、外国語では二つが Philosophie というような一つの言葉であらわされ得るというつなりがあるようだが、その両方を包含する、あるいはその両方に亘る観念や言葉が日本にはどうもないように思えるということなのだ。」
【詩と散文の連続・非連続】 わたしもまた、旧制の大学予科の学生時代に、ドイツへの留学を終えて帰ってきた語学の教授から同じような話を聞かされたことがある。
 「下宿のばあさんがね、これからあんたのヘヤをアウフヘーベンしたいから、少しの間、廊下へ出ていてくれ、というんだな。いやア、面くらったね。ぼくら、この Aufheben という言葉は、止揚とか揚棄とか訳して哲学用語としてしか使っていないだろう。ところが、本家本元のドイツでは、きみ、ろくすっぽ字も読めないような庶民のばあさんが日常語として使っているんだ。止揚なんて訳すから、よそよそしく、わかりにくいものになってしまうので、このばあさんの使っているよういに、ハタキをかけて掃いて拭いてだね、そこらをきれいさっぱり模様替えすることが哲学的にも、日常語にも Aufheben ということなんだよね、つまり。」
 この話はおもしろかった。が、いまは、ただおもしろいではすまされない。日常生活の鏡である日常語のありようの問題が、実は民族の文学の問題であるわけなのだから。端的にいって、日常生活における“ことば”操作を、たんに知覚的にでなく、もっともっと思考に結びつけ、もっともっと想像ゆたかなものにしていく努力が必要だ、ということである。そういう必要が、しかしたんに個人個人の心がまえの問題として教訓的に説かれるのではなくて、そのような必要を十分にみたすようなシステムのものに文学教育や文法教育を充実し、話しことばの指導や作文指導を徹底させていくという、国語教育そのものについての抜本的なプログラムの変更が講じられなければならないのである。
 さらにいえば、「飼いならされた言葉」を「野性のままの言葉」にかえして“ことば”操作をおこなうことで、現実を新しい光において見るというようなことは、「崇高な」文学の創造においてだけ必要なことなのではなくして、むしろ、卑近な日常生活の中にこそ要求されるものであることを確認し合いたいのである。
 詩と散文との非連続、断絶の問題には、ついに触れえなかった。紙幅を考えての覚悟の自殺というところだが、しかし同時にこの稿のさしあたっての目標が、詩と散文(芸術性における、また日常性における)との従来の断絶観に対するプロテストにあったことも確認していただきたいと思う。反対に、この稿では、“ことば”の加工による想像的意識としての文学の認識性格の解明に主力をそそぎ、芸術的認識一般の中に文学の認識を位置づけて考えることを故意に、意識的にさけた。芸術的認識の性質一般に通じる、文学の認識性格については、拙著『芸術とことば』(一九六三年四月、牧書店)の各章(たとえば「芸術的認識」の章その他)ですでに触れているからである。


「解釈学主義」批判 目次