熊谷孝文学教育論集  
国語教育の問題点 文学教育をめぐって
1956.1 大月書店刊 熊谷孝編『講座・日本語 Z 国語教育』所収)
   

 経験学習と文学教育

 
戦後の教育が戦前とちがう点は、といったら、それはおそらく、教室から教壇がとりはらわれたということだけでしょう。それ以外になにもありはしません。が、ある意味からすると、教壇がなくなっただけという、このだけ が大きいのでして、それが民族の教育の歴史に大きく一線を画するような出来事であったことも、またたしかです。
 一方交通のいい気な教授主義の学習から、児童・生徒の自主性を基盤とした経験学習へ――。言語主義の神がかり教育から、体験の実証をおもんじた経験学習へ――。
 ……と、そんなふうにいうと体裁がいいのですが、それがじつは経験主義 学習にほかならぬという点に問題がありましょう。体験の効用だけにしがみついてゾロゾロ歩き廻る、社会科のあの新学習方式がもたらしたものは、民族の歴史と現実にたいする痴呆的な無知であり、そしていわゆる学力の低下でした。戦後派国語教育の花形である話し方――話しことばの教育にしても、口さきだけの、ただのおしゃべりをつくりだすことに終っているきらいはなかったでしょうか。子どもや若者たちが、おとなをのりこえ現実の壁を乗り越えて、民族の自由を自分たちの手でつくりあげていけるようにするためにこそ、自由に発言し発言させるという指導(正確で豊かな話しことばを身につけさせるという指導)も必要もあるわけなのですが、しかしそれが一般には右のようなゆがみを結果している。自由な発言、自由な討議という、その“自由”の範囲がひどくかぎられている。教室では、話題が現実の切実な問題に及ぶことがはばかられ、議論してみたからといってどうということもないようなことがらについて“討論のための討論”がくりかえされる。そこに、口さきだけの軽薄な人間も生まれるということになるのだと思います。
 「それでも戦前の教育にくらべたら……」というふうなことばは、『教育勅語』と『軍人勅諭』に明け暮れた、暗い谷間への回想のなかでつぶやかれる実感のそれなのでしょうが、しかしよくよく考えてみるとどっちもどっち、ということになりはしないでしょうか。戦後の教育にましなところがあるとすれば、それはけっして新教育のおかげでなんかありはしない。むしろ、アメリカ製新教育への教師たちの抵抗がつくりだした、それは民族的良心の成果でした。
 が、誤解しないでいただきたいのです。経験学習そのもの、経験学習という学習方式そのものを否定しているつもりはないのです。うその多い教科書のページを繰るかわりに、生徒たち自身の生活のうえを生きた教材としておこなわれた話し方・綴り方の経験学習が、暗い谷間における抵抗教育の最後の拠点であったことを、わたくしたちは、いま、ここに思い起こさないわけにいきません。ですから、むしろ、もっと徹底した経験学習を、とさえいいたいくらいなのです。いけないのは、経験がすべて、経験だけという、理論軽視のその経験主義です。無内容な骨ぬきなところが存外目的なのかもしれませんが、ともかく経験のための経験という、その経験主義が批判されなくてはならぬのです。つまり、自由を守りぬこうとする強い気魄(はく)と実践的意欲にささえられた、谷間の経験学習の伝統がそこに受けつがれていない点に問題がある、ということになりましょう。
 もっと徹底した経験学習を、と、わたくしがいうのも、それはだから、自分たちの経験(体験)の軸を自覚することができるような体験の仕方に学習者をみちびく、そのことでまた、自己の体験のひずみや体験の仕方のゆがみが自覚させられる、というふうな指導の実現を期待しての発言なのです。たんに既成の社会のしくみや既成の観念をうのみ に“経験”させるのではなくて、反対に、それをのりこえていけるような新しい体験の仕方を身につけさせることが、いま、必要なのです。経験学習は、ほんらい、そのためのものであったはずです。そうした意味での、ほんらい的な経験学習への動きが、ここ数年来、おいおいに、生活綴り方(――というより、生活綴り方的教育の原理ないし方法)への関心と結びついて盛りあがってきていることもまたたしかですが、しかし全般的にはまだまだです。まだだ、というより、経験主義への迷信があの手この手と意識的に執拗(しつよう)に再生産されつづけているのが現状ですし、それが教師の良心のゆくてをはばんでいるというのが一般だといっていい。
 ですから、また、かつての文学教育が「教師の教授を中心にした作業であった」のにたいして、戦後のそれは「文学活動の経験をさせることが中心になっている。これは明らかな進歩である」と西尾氏は語っておられますが(『文学教育の回顧と展望』一九五四・七―『文学』)、その経験のさせ方が経験主義的であるかぎり、ウカツにそれを進歩だなどとはいいきれないわけです。何が目的で生徒に文学活動を経験させようというのか、また、なんのための文学活動の経験であるのかが、そこに問われなくてはならぬでしょう。そうでないと、教壇さえとり払えば教育そのものまでが進歩するというみたいな、奇妙な形式論になってしまうからです。


 経験主義との対決

 正面からではありませんが、しかし右の点に関して文教当局の意向をかなりはっきりうちだしているのは、『中学校・高等学校 学習指導法・国語科編』(一九五四・七、文部省発行)のなかの次の一節です。
 まず、「文学と人生」という問題を、この学習によって解決しようなどというのではない。また、「文学とはこういうものだ」と安易に結論を得ようとすることも、この学習の目的ではない。文学上の問題は、どれを採って見ても、定義することは不可能に近いし、またはっきりつかまえようとすればするほど、指の間から、するする抜けていってしまうものだからである。文学について、また文学の受け取り方や、文学と人生とのつながりなどについて書かれた、すぐれた先輩たちの評論を読んで、生徒がめいめいばくぜんといだいていた文学観を、できるだけ深めまた高めていけばよいのである。……
 とすると、これはやはり経験主義です。日常的な体験にそくして体験の日常性をこえる、こえさせつ(――自己の体験の仕方を規定している、その座標軸を自覚することで、実感において旧い自己をこえる、こえさせる)という文学的準体験の深化のための経験学習ではなくて、バクゼンとしたものをただバクゼンと深めたり高めたりする操作(教養あそび・教養ごっこ)が、つまり右の「文学活動を経験させる」ことの目的であった、ということになるのですから。経験主義は、こうして教養主義(=文化主義)に結びつく。というよりは、むしろ、学習者の文学への関心を文化主義的なそれへとそらすための、また学習者の文学観を(したがって、その鑑賞や批評の態度などをも)文化主義的な非実践的なものに釘づけにしておくための、文学活動の経験学習であった、ということになるでしょう。また、同時にそれは一方で、世渡りと社交に事欠かぬ程度の文学的教養を、という、卑俗な実用主義となってあらわれているわけです。(『学習指導要領』にしばられた、現行国語教科書の編集が、そうした実用主義・経験主義の要求にそった名作ダイジェスト的教養趣味満点のものになっているというてんについては、まえに指摘したとおりです。(『朝日新聞』学芸欄、一九五五・四・五その他拙稿)。すくなくとも国語教科書に関するかぎり、現行のものは“憂うべき教科書”であるという判断に到達する。それは、某政党が語っているような意味で“偏向”しているからではありません。もしも偏向ということをいうならば、指導要領が示しているような偏向と妥協する以外に、いま教科書の編集も発行も不可能に近いという点で偏向を見せているということです。つまり、民主主義に名をかりた思想統制が、教科書のこの“憂うべき”状態をもたらしているのです。)
 が、右の引用だけでは、まだはっきりしないという方は、『学習指導法』のすそのさきを読んでみてください。「だから断るまでもなく、教師としては、ある固定した文学観を無理じいするがごときは、厳に慎まねばならない」と、そこに書かれてあるはずですから。無理じいする?――これは、つまり、生徒のまえで「僕の考えはこうだ」とか「私はこう思う」というようなことをいっちゃあいかん。きみたちの文学観なんて、どうせかたよったものにきまってるんだから、と頭ごなし教師をきめつけているようなものです。
 それはまた、生徒が考えあぐんで苦しんでいても見て見ぬふりをしろ。生徒たちのモヤモヤは、モヤモヤしたなりにほったらかしておくのがいいんだ。それ以上のことをする教師はアカだ、とは書いてありませんが、ともかくそういうわけで、教壇を使わないのが新教育なのだから、教師も生徒も同じ平面に立って、いっしょにモヤモヤしてたらいい、というわけです。
 これが経験主義による文学活動経験学習の実態・正体です。こうして教壇のとりはずしが、同時に指導の放棄を意味していたわけです。植民地教育だかなんだかしりませんが、すこしひどすぎないでしょうか。


 生哲学と文化主義

 このいわくつきの経験学習を進歩だといわれる西尾氏の真意のほどはともかく、氏がそこに、徹底した指導とそのための事前の準備の必要を力説しておられるところからも、『学習指導法』とは立場と方法をまったく異にしていることが知られます。が、その指導の方向は、“生”に方向を与えるということらしい。「鑑賞活動に示される文学機能とは何であるか。最も一般的な機能は、読者その人の生活において蓄積されている『問題意識』を喚起することである。この『問題意識の喚起』は、読者の生きかたに何らかの方向を与える。あるいはその を鼓舞し、あるいはその生き方かたに反省を促すというように。……文学が、鑑賞活動を通して読者にはたらきかける機能は、このようにして、だいたい、(一) の方向づけと、(二)創作意欲の喚起と、(三)研究意欲の推進とに類別することができると思う。鑑賞活動を経験させる文学教育は、この三方向のいずれかへの発展を見通した指導でなくてはならない。」(前掲・西尾氏論稿)
 つまり、それはだから、 に慰めを与えたり、 を鼓舞したり、またそのことによって を方向づける、ということなのです。“生きかた”といっても、それは の生きかたにほかなりません。このようにして、そこでは、人間の具体的な生活 が問題なのではなくて、 が関心事なのです。ですから、西尾氏の所論は、作品とそれによって喚起された問題意識との必然的な関係を明らかにしていない、何かはぐらかされた感じだ、というような批評(荒木繁氏その他)が出てくるのも当然ですが、しかしおそらく西尾氏としては、はぐらかすつもりなどはじめからないのであって、氏としてはあくまで“生”(生哲学ふうな“生”)の立場から右の関係をつきつめて考えてみている、ということなのではないかと思います。
 また、鑑賞による問題意識の喚起ということと、それによる創作意欲や研究意欲の喚起ということとを同じ軸で並置して考えている点が氏の解(げ)せないところだ、とも荒木繁氏は語っておられますが、並置して考える考えないというよりも、それらを一つの根源に発する同質のはたらきと考えている点に、しかし三十年来一貫して変らぬ西尾氏自身の生哲学ふうの文化主義の人間観・歴史観そして文学観が読みとられる、ということなのではないでしょうか。
 荒木氏たちと西尾しとでは、むろんお互いにふれあう点はありますし、ちょっと見には同じ平面に立ってのやりとりのようにも見えますが、しかし、どうなんでしょう? 例の“問題意識喚起の文学教育”という課題にしても、荒木氏の提唱しているそれは、究極において、学習者を民族的自覚にめざめさせるっことを目的としたものなのですが(一九五三年・日文協大会報告)、西尾氏の語るそれは、右に見てきたように、生に慰めをまたらすとか、それに何らかの 方向を与えるといった、幅はあるかわりに、かなり教養趣味のかった文化主義的なもの、というほかありません。だから、お互いがお互い、違った平面に立って、「どうもしっくりこない」といっているような感じです。それで、わたくし自身に納得(なっとく)がいかないのは、荒木氏のばあいにかぎらず、一般に、かなり手きびしい批判をそこに寄せながら、なぜその理論の基礎にふれないのか、という点です。


 文化主義を媒介にして

 『学習指導法』の立場と西尾氏のそれとはまるで違います。この二つの立場を混同して考えることは許されないでしょう。が、それにもかかわらず、おそらくはその基本的な立場――生哲学ふうなものの考えかたからくると思われる文化主義のゆえに、こうした問題のすすめ方では『学習指導法』の経験主義・実用主義をはねのけることはできません。ばかりか、むしろそれへの傾斜をしめす結果をさえまねいているのです。早い話が、生徒の漠然とした文学観や鑑賞(鑑賞の仕方)を、それなりに深めたり高めたりするのが文学の学習指導だ、というに近い『学習指導法』の考え方と、生による生の追体験のための作品享受という追験主義(=生哲学)の文学観や鑑賞論とをくらべてみると、そこにウムあい通じるもののあることを、だれしも感じるでしょう。問題はその点なのです。それは、まるで、文化主義を媒介にして、生哲学とプラグマティズムが手をつないだみたいなかっこうです。
 手をつなごうとしているのは、むろん、実用主義・経験主義の側であって、その逆ではありません。相手のハラを読んで、趣味の話を手がかりに、相手が相槌をうってきそうな話のもちかけ方をしている、といった感じです。が、それに乗ったの乗せられたの、というのではなくて、経験主義への批判をともなわない、経験学習の礼讃(らいさん)は、こんにちのような状況のもとでは、それ自身、十分、経験主義的でさえもある、ということを、わたくしとしては言っておきたかったまでです。
 つまり、たんに形式だけを見つめて、教授主義の学習より経験学習のほうが進歩した方式だ、というのでは困るのです。教壇がなくなればそれでいい、というようなものではないはずです。教壇からおりたとたんに、こんどは唖(おし)になれといわれてとまどっているのが、教師の一面の心情です。教壇のとりはずしが同時に指導の放棄を意味しているような、そんな経験学習に肩を入れる理由などすこしも見あたりません。


 文学教育の必要はどこからくるか

 文化主義を媒介とした、実用主義ないし経験主義と生哲学との結びつき。文化主義的教養主義に生徒たちをつなぎとめることで、民族の現実から目をそらさせている、経験主義の文学学習。こんにちの文学教育が文化主義批判に出発しなければならぬ理由も、まず右のような点に見いだされるでありましょう。
 が、そうした文化主義的な文学観念が、やはり裏返しのかたちで、進歩的な問題意識をもった文学教育の側にもかなり根強くまつわりついているのではないか、と思われます。それは、たとえば、文学の学習を、たんに科学的な思考への手段・橋わたしとしてしか考えていないような指導です。文学のすぐれた教育的機能を十分に発揮させた教育が文学教育である、という一般の考え方に対しては、別にとり立ててどうということはないのですけれど、その指導がたんに科学的思考への到達をめざしての文学作品の使用であるというのでは、「文学では資本論は書けない」「文学はしょせん科学以下のものでしかない」という式の、無意味なあの文学蔑視(谷間の時代における公式主義者たちの文学蔑視)の裏返しにすぎません。
 いくつか文学教育に関する現場の実践報告を読んでみたのですが、現実にたいする学習者の理論的認識を高めたとか、歴史への目をひらいた、というようなところが報告の結論になっているものが多いのです。そうした指導とそうした指導の成果に対しては深い敬意を表しますが、しかし理論的な関心(ないし理論への関心)というところが最終の指導目標になっているらしいことには疑問を感じるのです。経験主義の誤まった理論軽視とはま反対の理論重視が、けれどこんどは誤まった文学軽視をそこに結果しているといったら、いいすぎでしょうか。しかし、究極のぎりぎりのところでは、やはり、理論的認識への手段として有用であるという一点に目をとめて文学のはたらきを評価している、という感じです。そういう一点にかぎって、文学を重視するということが、つまりほんらい的には文学を軽視しているということなのです。
 むろん、科学的思考への導入にさえならないような指導は、お躾(しつ)けごとの情操教育以上のものではありません。また、理論的認識にささえられた作品鑑賞や作品の鑑賞指導は、感覚そのものとしてすでに前近代にぞくしている。が、そのことは、文学教育が理論的認識への到達ないし導入を目的としているということを意味しません。理論的認識への到達が究極の指導目標だというのでは、それはすくなくともプロパアな意味での文学教育ではない、というふうに考えられます。文学教育は、民族教育としての人間教育の一環であり部分です。そのかぎりで、それは科学的思考によってささえられると同時に、科学的思考への教育のささえともなります。むしろ、それ自身、科学的思考への教育としての任務を分担してもいるのです。また、あらゆる教育のいとなみがそうであるように、科学的思考による教育としての役割を当然分けもっているわけです。が、そこを通って(そこをささえとして)文学的思考にもどってくるのでなければ、それがとくに、“文学教育”と呼ばれて他から区別される理由はなくなるわけです。それが区別される必要があるというのは、文学的思考による教育活動としての固有の対象領域を分担しているからです。
 文学教育とは、――というより、文学教育の必要について、わたくしは次のように考えています。それは、わたくしたちの後につづく若い世代が、こんにちのこの民族の不幸をのりこえて、自由の空気を胸いっぱい吸えるような世の中を作り出すために、文学を生活に結びつけ、民族的な文学的思考力を自分たちのものにしておかなくてはならぬから、というふうにです。
つまり、わたくしは、文学的思考力を身につける(身につけさせる)必要があるから文学教育が必要なのだ、というふうな考え方をしています。なお、この点については、藤井君や千葉君による現場報告(7のa,b)を参照していただきたいと思いますが、文学を生活に結びつけ、生活のうちそとを、またその基盤である歴史社会をいきいきと形象化し典型化してとらえる、という準体験的な文学的思考力を自分のものとすることは、(それが抽象的・一般的認識であるというかぎりでは観念の域にとどまっているところの)科学的思考を実践的に主体に媒介することにもなる。それと同時に、また真に現実への理論的探究の意欲をかり立てることにもなるのだ、と、わたくしは実感します。くりかえしになりますが、文学教育の必要は、文学的思考力を身につけることの必要からきているのです。


 文学教育とは?

 ですから、たんに 文学の教育性や教育的機能というようなことをうんぬんするだけでなくて、(そのそれぞれが相互規定の関係にあるところの)“文学的思考への教育”と“文学的思考による教育”とを動的な二つの側面とする教育活動の体系が、プロパアな意味での文学教育であるという点をはっきりさせることが、いま必要なのだと思います。文学教育とは、民族のこんにちの課題を文学の場で受けとめる教育活動のことです。それが、そしてその点がはっきりしていないから、たとえば、文学教育の極致は創作指導にあるというような考え方におちこんだり、といったふうなことにもなるのではないでしょうか。
 だいじなことは、しかし文学を生活に結びつけ、文学的思考を生活のなかへもたらす、ということなはずです。エレンブルグのひそみにならって申しますと、文学に基盤は読者です。偉大な読者だけが偉大な文学をうむ。そして、すぐれた文学教育が偉大な読者と偉大な明日の民族文学を、そして民族の輝かしい明日を約束する、ということになるのだと思います。こんにちの文学教育が、創作指導の実施をその完成目標と考えなければならぬ理由は、どこにも見あたりません。(が、誤解しないでいただきたいのです。創作指導一般を文学教育のワク外へおしだそうというのではありません。ただ、それを文学教育の完成目標と考えるのでは筋が通らないだろう、といったまでです。)
 以上で、わたくしは、文化主義批判が必要だと考えられる第二の理由にふれたつもりです。それは、進歩的な意図をもった文学教育の側に尾をひく、変形された文化主義に関してでありました。こうして文学にたいする文化主義的な観念が、いま、うちそとに大きく根を張っているというのは、追験主義ふうの鑑賞論や、それにつながるアルス・ロンガー[Vita brevis, ars longa. 芸術家の生命は短いが、その作品は永遠に残る(セネカ)。 ……芸術は永遠なり]の思想・観念が克服しきれずに残存していることと密接な関係がありようです。そこをねらっての経験主義(経験主義の文学教育)のあののさばり方ですし、また、それを克服しきれずにいるための経験主義への傾斜です。文化主義への傾向は、一面、いまや、経験主義の文学教育を主軸として拡大再生産されつつある、というふうに考えられる。ことばとして経験主義・文化主義を否定はしても、それをきわめて不十分にしか批判しえないでいる現状には何か考えさせられるものがあります。


 第二芸術論と古典教育と

 問題は、だからやがて、これれの人びとの鑑賞論や古典論にまで遡らなくてはならなくなるでしょう。というのは、生哲学的な文化主義・鑑賞主義を徹底的に批判しえないでいるという裏には、生哲学ふうの鑑賞論からすっかり足を洗うというところまでいかぬうちに、あるいは生哲学(=追験主義)批判を中途で投げだしたかたちで、民主的民族主義の古典論をそこに急速に展開させなくてはならなかった、ひところの事情にからむ何かがありそうだからです。民族文化はなんでもほめ上げる傾向、という批評(桑原武夫氏、一九五二・二『教育』)はあたらぬにしても、しかし第三者の目にはやはりそんなふうにも映りかねないような、一種の民俗芸術永遠論がとなえられていたことはたしかです。
 意図し志向するところはまったく別にありながら、しかし現実には、追験主義のあの“生の自己同一”を変形させた“民族的生の自己同一”とでもいうべきものにその理論的根拠を求めたようなかっこうになっているのが、この新型の芸術永遠論です。すこしことばが過ぎるかもしれませんが、やはり一種の追験主義です。そういう立場からの第二芸術論批判が、相手をたんに近代主義呼ばわりすることだけに終始して、その論拠をきっぱりと批判しえないのは当然だと思います。どうしてかといえば、第二芸術論というこのプラグマティズムの文学論が、やはりまた裏返しの追験主義にほかならないからです。
 第二芸術論という名のこの追験主義は、こんにちの鑑賞に堪えない作品は、たとえそれが民族的・民衆的な遺産であろうと抹殺してかかるほかはない、という方式の追験主義です。それを批判する側の追験主義はというと、それが民族的な遺産である以上、そこにかならずや深い感動をもたらすはずだ、それがわからぬのは民族の魂を失った近代主義者だけである、といいはっているようなかっこうです。これではどうにもなりません。鑑賞とは? 古典とは?……の問題からあらためて出なおす以外に、この水掛け論を解決する手は見あたりません。
 おそらくは文学的古典というのは、文集の民主的・民族的要求によって、こんにちの鑑賞に堪えるようなかたちに翻訳・再生産されることを必要としているような、過去のすぐれた文学遺産のことにちがいありません。たんにことばの壁をとり去るというだけでなく、現代の範疇(はんちゅう)への(歴史的ならびに現代的意義の評価による)範疇そのものの翻訳・再生産が、過去のそうした作品に古典としての息吹(いぶ)きを与えることになるのだ、と思います。そこで、古典の学習指導というのは、文学遺産を古典として現代に創造する、その再創造過程を学習者に体験させる、意識的・計画的な指導操作なのです。失われた体験、異(こと)なる生活体験、そしてそれらの体験の要約としての思想・感情を、こんにちの準体験として再生産する(学習者の準体験として再生産する)というしごとなのです。
 ですから、一般にはむしろ古典にたいする時空的な距離感が逆にささえとなって、恣意的・主観的な好悪の感情から学習者をときはなち、古典の世界への凝視をとおして、じつはかえって、こんにちのこの現実を、ふかい感動とともにゆがみなく凝視させることにもなるのです。たとえば、このあとの川越さんの現場報告に語られているように、高校生たちが、古典(『平家物語』――「殿上の闇討」の条)の描写のなかに見いだしたものは、自分たちの生活の周辺にいまげんにおこなわれている基地反対闘争のそれであり、また、そのことに対する自分たちの実感のひずみでありました。古典にたいする学習者のこの距離感をささえとしておこなわれた、指導者による的確な遠近法の調節が、こうして右のようなすぐれた形象的現実凝視・自己凝視をもたらしている。古典を凝視するというのは、だから同時に現実を凝視することです。古典はつねに新しい、というのは、本来こうした意味においてでありましょう。古典によるのでなければ、といってはいいすぎになりますが、すくなくとも古典教材によることで、右のようなゆがみない現実凝視も一般的 に可能となる、ということが、学習指導の実際面からはいわれてよさそうです。それはけっしてアルス・ロンガーのゆえではなくて、むしろ、古典的現実がこんにちのわたくしたちと直接の 利害関係をとり結んでいないこと、またそれゆえの距離感をささえとしてもたらされたところのものであります。
 ところで、第二芸術論は、たんにことばだけの翻訳によって、その作品をいきなり自分の鑑賞と対決させて作品そのもののプラス・マイナスをうんぬんしている、というかっこうなのですし、また、この第二芸術論に対立する一方の側の人たちは、社会範疇的にプラスの作品ならそれは当然こんにち一般に深い感動をよびおこすはずだ、ときめてかかっているようなかたちです。いつかの歌舞伎論争が、お互いの歯車がかみ合わないまま、たち消えに終ってしまった理由の一半です。

 文学研究と結びつかない文学教育というようなものは、こんにちではもはや考えられなくなりました。それがお躾(しつ)け行事のたんなる情操教育でない以上、当然新しい研究活動と結びつき、その成果にまなぶことによって、文学教育は、一歩また一歩まえへあゆみを進めることもできる、というわけのものでしょう。そして、現場の実践の深まりが、文学研究の方向と内容にたいする批判と要求をうむようになることは、文学を研究する側にとっても、また文学教育に当面している側にとっても望ましいことに違いありません。そこにしぼっていえば、現場の実際から浮いた研究の独走は、研究そのものにとっても不幸であるからです。第二芸術論をめぐっての論争が単なることばあらそいに終っている点がすくなくない、というのも、右の“独走”と関係するところがなくはなさそうです。
(所論の現象的具体面については、なお、拙編『文学教育の理論と実践』〈三一書房刊「日本児童文学大系」第六巻〉巻末の解説拙稿をごらんいただきたいと思います。)


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