初期機関誌から
「文学と教育」 第40号 1966年9月10日発行 |
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国語研究会でうんざりさせられること 伊藤清一 | |
文学の授業研究会で、まったく、ぷりぷりしたくなるのが「作品の主題をとる」というところでの涯しない論議です。 むろん、これは、現実の作品をどう受けとめたらよいかという基本にかかわるところですから、徹底的に論議されることに異存があるわけではありません。 実際、このかんじんのところがダメだったため、授業がまるでとんちんかんになった例だってたくさんあります。 むかしの女子師範出身の気性のしっかりした先生でしたが、「スガンさんの山羊」の紙芝居をみせて、さて、結びに、こんなふうにつけくわえたことでした。 「だからみなさんも、ひとりで遠くへ行ってはいけませんよ」 ご存じのとおり「スガンさんの山羊」は、ある日、やみがたい衝動にうながされて、鎖をたち切って裏の山に逃れるのですが、そこで彼は、露にぬれた山ぶどうの葉っぱをむさぼりたべたりして、さて自分の小屋を見おろして涙が出るほど笑うのです。 「なんてちっぽけなうちなんだろう! よくまあ今まであんなところにがまんしていられたものだ」 そして最後は、狼とたたかって、彼の全生命を燃焼しつくして、夜明けの光のなかに死んでいくのですが、この先生は、 「だから、無断で遠くへ出てはいけません。スガンさんの山羊みたいに狼にたべられてしまいますよ」 と教えるのが正しいと考えていたわけです。 これでは、ドオデーが墓場の下で泣き出すか噴き出すかどっちかです。 「初めわるければすべて悪し」で、この先生は「スガンさんの山羊」を、このあと、どんなに上手に教えようと、もういけません。 指導主事先生のおっしゃる段落や要点を、いくら手ぎわよくまとめたって、どうにもなりません。「三読よみ」でやったって、「一読総合読み」で扱ったって、もういけません。 ぼくが憤懣にたえないのは「主題が何か」という論議が不要だというのでは、けっしてありません。そうではなくて、その際に、「主題」ということを、なんか、唯ひとつのコトバ(命題)にきめてしまわなくてはいけないと頑固に思いこんでいる人が多くて、ああでもない、これでもないと、もみあったあげく、結局、各人の共約量みたいなものが、出来あがって、ひどいときは「友情」だの「勇気」などという徳目になってしまったり、そうでなくても「母性愛のつよさ」だの「人間性のかなしみ」だのというところに落付いてしまう。 それが授業にそのまま持込まれるものですから、きまってつぎのような風景を現出することになります。 「主題把握」というところにくると、とにかく、子どもたちのなかから、こうして決まった唯一つのコトバ(命題)を、そっくりそのまま引き出そうと、授業者の悪戦苦闘が続きます。そのうち、その先生の授業に慣れている、できのよい何人かの子が、なんとか「母性愛」くらいは出してくれます。そうなるともう鬼のくびでもとった気持で、それで主題把握というのが完了となるのです。 どうしてこんなふうになったのでしょう。 「文学作品の主題」は客観的に作品そのもののなかに存在するのだ、作者の意図なんてものではないと言われています。 それはそのとおりで、どんな意図で書かれたにせよヘタクソな作家の作品では、ちっともそれが出てこない場合があるでしょうし、逆に、すぐれた作家の作品であれば、作家の意図以上ものが、そこに出てくることだってあるはずです。エンゲルスがバルザックの「人間喜劇」に指摘したようにです。 それはよいのですが「主題は作品そのもののなかに客観的に在る」ということを思いちがいして、何か「母性愛のはげしさ」なんてコトバが、石ころ みたいに作品の底にかくれているんだというふうに思いこんでいるところから、こんなふうになってしまったのだとおもいます。作品の主題なんてものは、そんな石ころみたいなものではないはずです。 他の芸術分野で使われている主題というものを考えあわせてみると、そのことがはっきりすると思われます。 たとえば第九交響楽の主題は「生命の歓喜」であるとか、ピカソのゲルニカの主題が「ファシズムの恐怖」であるかといっても、それはコトバとして音楽や絵のなかに埋っているとは誰も考えないでしょう。そんなコトバを百万遍繰返して唱えてみたって音楽や絵の主題をとらえたことにはならないわけです。 それは、たかだか、鑑賞に不慣れな人々のために、第九交響楽がひどい馬鹿騒ぎにきこえたり、ゲルニカがとんちんかんな都会の交通混乱などと思いちがいさせないための親切な注意書きにすぎないとおもいます。 文学作品の場合でも「スガンさんの山羊」を、前述の女の先生のようには読ませないための、芥川竜之介の『蜘蛛の糸』などを勧善懲悪と読みちがえて、地獄の底からうようよと這いのぼってくる亡者たちに、大泥棒のカンダタをして 「さあ、みなさんもご一緒にどうぞ」 なんて、それこそ勧善懲悪にさえもならないようなことを言わせようなどという、誤った読み方をさせないための注意書きのようなものと、誤った読み方をさせないための注意書きのようなものと主題を考えてよいと思うのです。 ぼくたちが、新しい作家の文庫本などを読むときの「あとがき」にあたるもの、ちょうどあのようなものと考えた方がずっといいと思うのです。 むろん、主題を「あとがき――作品解題」と見ることは、けっしてそれを安易なものと考えるわけではありません。 それどころか、一つの作品に対面して、まちがいなく、まるごと、その作品の核心を読みとるという作業は、どうしてどうしてたいへんなことであります。わたしの主体のすべてがそこに賭けられねばなりません。あるときはその作品だけでなく、深い作家研究も必要とします。そしてその作家の生きた時代や風土の把握と、そこに生きた作家の内面の闘いを、おそらく彼自身にすら意識されていないところまで立ちいって、それはつきとめられねばならないことであります。 たくさんの文学的修練と専門的研究が、教師という責任において、なによりも、きびしく要求されるところです。 ともあれ、文学をよむという作業は、あくまで読者ひとりひとりの主体を、主体的感動をとおしておこなわれるほかありません。あたりまえのことです。だとすれば、基本的な方向において誤りがないかぎり、主題として、結晶されたコトバは、ひとりひとりの個人差があってよいし、むしろそれが当然なのです。 主題として書かれるコトバは、もっと生き生きした個性的文学的言表でなければいけないと思われます。 主体的ということは恣意(かってきまま)ということではありません。同時に客観的ということは、軍事教練みたいに、みんなが同じコトバを叫ぶことではありません。 これに類似したようなことが、わたしたちの身のまわりにはまだまだ沢山あるのです。 子どもに与える作品は「起承転結」のはっきりしたのがわかりやすいようだと言われています。それはよいとして、このことをどんな作品にもそれがあるというふうに思いこんでしまって、どんな作品の場合にも「起」はどこだろう「転」の部分はここかしらとノミトリマナコになっている笑えない研究会にもたびたびぶつかります。 一度、作家と言われる人々に聞いてみればよいと思うのですが、いったい、まともな作品を書こうとするほどの人で、たとえそれが子どもを対象とするものであっても、作家はいちいち起承転結なんかを考えて書くものか、どうかということです。 わたしたちは「謡曲」の構成は序破急の三段から成っているなどと教えられたものですが、こんなことを言うと、謡曲なんて文学でもなんでもない、ドラマはまた別だなんて言われるかもしれません。 もうやめますが、こんなうんざりさせられるようなことが当然のこととして横行しています。どうも教育の仕事(授業)というものは、なにかきまりきった一定の型さえおぼえこめば、あとはすらすらいくんだというような安易感が、そこにあると思うのです。 教育の仕事には、そんな「のんですぐきく」速効薬なんて、けっしてどこにもありはしないのにです。 ここらで、もういっぺん、文学とは何なのか、文学を教えるということはどういうことなのか「ふりだし」に還って考え直さねばならないときだとおもいます。たえず、ふりだし(始源)にたち還るという気魄を、わたしたちは持ち続けねばならぬと考えます。 それこそ久しぶりに熊谷孝先生とお会いし、文教研の先生がたから、わたしの受けとめたものは、このことひとつに尽きるとおもっています。 ありがたいことでありました。
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