初期機関誌から

文学と教育 第39号
1966年7月30日発行
  文教研 一年間の報告  夏目武子 
 昨年六月私たちの共同研究を『文学の教授過程』という形でおおやけにすることができたときは、何か一つ仕事ができたんだという喜こびを感ずるとともに、書くという実践を通して自分たちの弱さを知ることもできた。口には方法主義、指導手順主義をきらいながらも、ここに書かれているのは、典型的事例になっていないのではないかということを、理論がほんとうに自分のものになっていないのか、あるいは、日常の実践を抽象するさい、だいじなものをきりすててしまっているのではないか。文学教育固有の方法をもっとうちだしてしかるべきではないか。また国語教育の他の領域との相互の関連はどうおさえられるのかなど。
 これかの弱点を克服するために、私たちは次に何をしたらよいのか。文学科文学教育として文学教育の固有の方法をうちだせる中学校後期に焦点をすえ、文学教育の三側面という点からも、指導過程を組んでみようではないかということになった。
 しかも、十二月脱稿。従来の文教研にとって異例のことである。みんなが納得するまで議論し、原理としておかしいことは認めない……運動意識が少し足りないといわれるほどの文教研にとっては、小学校編では共同討議という形で、きめこまかに検討した。「この箇所は――氏の文だと思うが……」とまちがえられるほどであった。
 たった八ヶ月でまとめる。小学校編のようなきめこまやかさは、時間の上からいって無理であるのを承知の上で、強行軍にとりかかった。のろのろの文教研にとって、のろのろの脱皮の機会でもあったのだが。
 小学校編で私たちが誇りに思ったことの一つ。執筆者の名をあげないことが、中学校編では、固有名詞をあげることに変った。
 よみ手と作品とのかかわりあいをぬきにして、文学はありえないという、私たちの考えをぐっと表面に出したわけなのだが、中学校編の作品を検討している中で、そうせざるを得なくなってしまったといった方がよいのかもしれない。
 『中学校の文学教材研究と授業過程』 P168で福田さんがのべているけれど、福田さんには福田さんなりの太宰作品との出あいがあり、わかり方があるわけなのだ。そこを素通りしては、(自分の鑑賞体験を文字に表すかどうかは別として)<作品について>はぐっと弱くなってしまう。『ジャン・ヴァルジャン物語』は、荒川さんが、ずっと手がけてきた作品であるが、そして、共同討議の場を媒介してではあるが、今度佐伯さんの手になると、また佐伯さんの『ジャン・ヴァルジャン物語』が出てくる。二人のあの作品のくぐり方は(方向は変らないのだが)ちがうのだ。文学とはそういうものなのではないだろうか。
 「本来の場面規定をおさえるという操作が、同時に、その作品と自分との関係のパースペクティヴを規定する操作にならなければいけないということなのです。ことばとしての作品と自分という受け手との場面規定ということなんだと思うんです」(同書P176熊谷さんの発言)
 ねらいはこうだったのだが、結果としてあらわれたのはどうなのか。評論風に走ったのではないか。場面規定主義に陥ったのではないか。三側面の統一というが、よみ手の地づら とかかわり合う形で、問題にされているか、指導過程の弱さは、結局作品論の弱さにつながるのではないか云々。私たちは率直にお互いに批判し合った。今の気持ちは、もう一度書き直したいということだ。
 活字になってからいっそうこの思いが強くなったのだが、十二月末、原稿を書きあげたときから、反省がうまれていた。一つ仕事をすることは、自分の弱さをいやというほどみせつけられると同時に、次の仕事にとりかかる意欲をかきたてられることでもある。
 私たちは中学校編の原稿をかいてから、もう少し、自分たちの論理をたしかにしたいから、原理について勉強したいという気持ちが出てきた。
 二月二十六日、熊谷提案の「言語主義からの解放」は、ことばの実践性についてあらためて考えさせられ、信号としてのことば、記号としてのことばのとらえ方が、わかっているようでなかなか自分のものになっていない私たちは、少々おきゅうをすえられた形だった。
 またこの頃『教育国語』に掲載された奥田論文の検討をしている。「文学と教育」№34・36・38で荒川さん、福田さんが、明治図書「国語教育」№83・85で熊谷さんが論理の問題としてとりあげている。
 論理の問題 ――自分の哲学史学習などの貧弱さから、ためらいがちだった戸坂論文の学習にもとりくむことにした。四月、五月を学習月間にあてた。勁草書房の戸坂潤論文集刊行をきっかけに、第一回配本の『日本イデオロギー』がテキスト。正直いって難解であった。熊谷さんに「以後でっけえ口きくな」といわれそうなのであるが、第一回目、熊谷さんに戸坂論文のとき口 を教わる。少しわかりかけると、論文にぐいぐいひきつけられる。論文の美しさみたいなものを感じてしまう。助詞ひとつ、よみまちがえると、ひどいしっぺがえしを受けるのだ。
 「戸坂潤がここで提出している公式・定式は、こんにちでも公式でありうるか」という問い。文献学主義・文学的自由主義・解釈学・日常性・批判と実証との関連……昭和十年代の問題が今日どれだけ克服されているのか? そして私達自身、知らず知らず陥っている弱さを思い知らされた。個人差はあるが、「よみました」というほど、文教研全体としてわかったとはいえないが、一度戸坂論文を読んだ目で、自分たちの今度の仕事をふりかえると、熊谷提案を実践的克服できなかったこと、つまり理論的に十分克服していないことを痛いほど知らされる。
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