初期機関誌から

文学と教育 第39号
1966年7月30日発行
  〈基本提案レジュメ〉 文学の授業構造  熊谷 孝 
1. 課題は、文教研の授業プランの根底にある考え方について語ることである。文学教育という教育活動は、どういう発想によっておこなわれる教育活動なのか、という点についての文教研の考え方を示すことなのである。そのことを、実際の授業のありかたとの関係において語ることが所与の課題になるわけだ。
 ところで、個々の具体的な授業のありかた――というところまで話がいくと、議論百出、ハチの巣をつついたみたいになるのが文教研の今の実情である。授業に関して文教研方式というようなことを世間ではいうが、文教研方式は、じつはまだ熟していないのである。
 文学の授業に対する私たちなりの発想はある。文学の授業について経験的に、ああだ、こおうだと言うことはできる。けれど、自他の経験を媒介的に組織して、授業の系統性を云々するところまで、まだ私たちの考えは熟していない。だからして、次のような文教研批判(荒木繁氏「敬意を表したい共同研究の成果」――三省堂刊「国語教育」七、八月合併号)は、私個人としては全面的に承認せざるをえない。

 ――「文教研は、中学の文学教育を、一、二年(前期)と二、三年(後期)に分け、前期は小学校文学教育の延長として鑑賞指導に中心を置くが、後期は「文学というもの(こと)を自意識においてつかめるように指導する」必要があるとして、(1)文学鑑賞学習、(2)文学史学習、(3)文学理論学習の三側面を持たせることを主張している。(中略)しかし、文学史学習、文学理論学習といっても、中学後期でどの程度のことが、どのような段階を踏んでなされるかという系統性は必ずしも明らかになっていない」云々。

 たしかに、「明らかになっていない」のである、むしろ、明らかにしえていないのである。自分たち自身に対して、である。いま、そのことを明らかにしようとして、文学史学習・文学理論学習の視点・角度から、もろもろの現場のもろもろの文学の授業経験の事例を蒐集し、それを整理し、検討を加えつつあるところなのである。そういう整理・検討の過程で、上記のような「議論百出、ハチの巣をつついたみたい」な状態になっているのが文教研の現状だ、ということなのである。
 文教研の実情、現状、右のとおりである。当日の提案が、「じつは私たちは、こういうところで厚いカベにぶつかって困っているのだが、知恵をかしてほしい」というかたちの、身の上相談的な要素を多分にもつことになるだろうが、よろしく。

2. もうじき活字になるはずの私の書いた短い雑文(「教育科学・国語教育」九月号・国語教育時評)の題名は、「文学教育の新段階」というものである。ジャーナリズムに乗せるために、奇をてらってつけた題名ではない。真実、日本の国語教育はいま、すぐれて文学教育の側面において新段階を経験しつつある、というのが私の実感なのである。
 この“新段階”を語ることから私の提案――報告をはじめたい。というより、この点について少していねいに話を進めることにしたい、と考えている。多分そのことが文教研の当面しているカベを、その内がわと外がわとから明らかにすることにもなろうし、また、日本の文学教育のこんごの進路についてある見とおしを用意することにもなる、と考えるからである。
 この項で予定している、いくつかの話題。アトランダムに――
 ① 「状況認識」と「状況をさきどりする虚構」の問題(大河原忠蔵氏の主張と、草部典一氏による内部批判的発言をめぐって)。
 ② 作品の理解とは「事物に対する自己の反応様式の想起」にほかならない、という考え方(波多野完治氏)や、「文学作品の送り内容は、つねに送り手の生活の中にあったものの再組織である」という考え方(乾孝氏)について。
 ③ 右の②の考え方に対する誤解について。(誤解を必至なものにしている、形式論理に飼いならされた思考方法と心性。にかかわらず、その誤解が内包する健康な要素 etc.)
 ④ 文学教育理論(=実践)への文学史(=文学史理論)の媒介ということと、上記②③の問題との関連(伊豆利彦氏の考え方にふれて)。

3. 上記のことと関連しながら、文学教育の評価・テストの問題にふれておきたい。
 ① 評価をともなわない教育作業はありえない、ということ。
 ② 文学教育において評価は可能か、という問題。
 ③ そこで、文学教育というのは、どういう発想に立つ教育活動なのか、ということ。文学教育の可能性と限界性。
 ④ 文学の授業でやれること、やらねばならぬこと。

4. 教材観念の変革・更新の必要について。
 ① 手段軽んずべからず。――手段としての教材の重要性と、重視の必要について。
 ② にかかわらず、教材――材料は所詮材料にすぎないことの確認。国定教科書的教材観、教材絶対視の観念の復活とその否定。手段の目的への転化は阻止されねばならぬこと。
 ③ 教師は教材で勝負する、と私が語ったことへの誤解について。一本勝負方式は改められねばならない。教材群と教材体系。
 ④ 短編教材と長編教材と。

5. 上記2.と関連しながら、
 ① 篤農家方式の国語教育論・文学教育論
 ② サラリーマン型の国語教育論ないし文学教育論
とでもいうべき考え方や発言について考えてみたい。①は、いわば「月、月、火、水、木、金、金」式に児童・生徒の指導と取り組まなければ真実の国語教育は実現しない、というに近い考え方のようだ。そういう信念に生き、全生活をそこにうちこんでいる実践家の姿には頭が下がるが、そういう教師の姿が教師というもの、国語教育の理想像であると考えることには、ためらいを感じる。
 ためらいを感じつ理由はいろいろあるが、――その理由を当日話し合ってみたい。参会者の方々とである。
 ②のほうは、むしろ①とは反対に、「教育の近代化」の線で、ある指導のパターンを技術として(また技能として)身につけさえすれば、常時だれでもできるのが国語の授業、文学の授業だというに近い考え方のようである。
 ①と②とは、また反対な考え方に立っているように見えるが、じつは同じパターンの考え方の裏、表ではないのか。その辺の問題を、わずかの時間でもさいて当日、考え合ってみたい。ことは教師の主体にかかわる問題だからである。

6. やはり、教師の主体に関係する問題として、できれば次のような点についても考え合ってみたい、と思っている。
 [私の扱っている児童(ないし生徒)の状況はかくかくであるから、かくかくの指導が必要だ」という場合の、教師による生徒の状況把握(――把握のしかた)の問題である。教歴一〇年、二〇年の自分の見た眼に狂いはないはず、などといわずに、自分の“眼”そのもの、生徒を見る自分の視点や角度、視野の広さや狭さなどを、つき放したかたちで、もう一ぺん反省し検討しなおしてみる必要はないか、ということなのである。
 見る角度で、生徒の状況とうのもまた違った様相を呈してくるはずだと思う。文学の授業にとって、生徒の状況認知(教師の認知、認知のしかた)が決定的な意味をもってくると思うので、提案。

7. 小学校文学教育と読書指導。読解指導が小学校段階でハバを利かすわけ。(その裏側、中学・高校段階の指導面で影が薄くなるわけ。)

8. メディア相互間の相補関係について。国語教育・文学教育の新らしい課題と任務。屋根を支える、いくつかの柱。その中の一つの柱は“一つ”にすぎない。このことの確認。文学主義と文学教育主義の否定。けれども、一つの柱がくうれると、屋根はこわれる。

9. 資 料
 ① (反対討論) 「とくに文学史学習というばあい、いきなり文学史といってしまう前に、作品の歴史社会的なつかみ方を指導するといった方がよくはないか。」(荒木繁氏)
 ② 「文学教育の理論は文学史の理論(知識ではない)に媒介されることによって、体系化され、構造的なものとして発展させられる必要がある。現代に没頭していては現代を批評することはできない。ひたすら『現代』てきであることによっては、真に現代的=未来的であることはできない。」
 「荒木氏がとりわけて現在支配的になりつつある客観主義的傾向とたたかおうとしていることについては、私自身門外漢なのだからなんともいえないが、荒木氏の主張をもっともだと思うほかはない。しかし、私は生徒の主体的真実をあくまでも大事にしながら、むしろただひたすら、それに依拠しながら、しかも生徒がどのようにして自己の主体の狭隘さを克服してゆくのかを問題にしたいのである。」 (伊豆利彦氏)
 ③ 「大河原さんの状況認識の文学教育の場合、ぼくはやはり虚構、つまりフィクションの問題を、そこに入れていかなければ、状況に対応するだけではだめなんであって、状況を先取りして、その状況を再構成するという虚構の問題を考えねばだめだと思うんです。 (草間典一氏)
 ④ 「宮崎さんが、映像文化が、どんなに高級なものが出たとしても、文学教育の独自性は失われない、というご発言がありました。しかしこれは、たいへん、せまい結論であったとわたしは考えます。映像文化との統一点を見いだしていく。映像との統一点を見いだしていくということに目を向けなければ、映像がどんなにすぐれても、文学教育の独自性は、ここにある、ここなる、とがんばっても、そういうやりかたでは、現代のそういう問題は克服できないのではないか、ということです。 (大河原忠蔵氏)
 ⑤ 「ほんとうに作品をたいせつにするにはどうするか。それには、やはり現在の時点における、子どもたちの状況認識を媒介にしなければ、ほんとうに作品をたいせつにすることはできない、というふうに、わたしは考えております。 (大河原忠蔵氏)
 ⑥ 梅ぼし文化 (乾 孝氏)
 
  ⑦ 愚者の死   (佐藤春夫)

千九百十一年一月二十三日
大石誠之助は殺されたり。

げに厳粛なる多数者の規約を
裏切る者は殺されるべきかな。

死を賭して遊戯を思ひ、
民俗の歴史を知らず、
日本人ならざる者
愚なる者は殺されたり。

「偽より出でて真実
(まこと)なり」と
絞首台上の一語その愚を極む。

われの郷里は紀州新宮。
(かれ)の郷里もわれの町。

聞く渠が郷里にして、わが郷里なる
紀州新宮の町は恐懼せりと。
うべ、さかしかる商人
(あきうど)の町は歎かん。

――町民は慎めよ。
教師らは国の歴史を更にまた説けよ。


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