初期機関誌から

文学と教育 第38号
1966年5月20日発行
  独断と批判のあいだ――奥田靖雄「文学教育における主観主義」の問題点  荒川有史 

   1 論証ぬきのレッテルはり

 教科研国語部会機関誌「国語教育」bSに、「文学教育における主観主義 1」と題した奥田靖雄氏の文章が掲載されている。
 まだ完結していないので、全体としての批判は後日にゆずるとしても、今回はbSにしぼって検討してみようと思う。というのは、文教研メンバーを文部省の手先だなど中傷して以来、奥田氏の言動には常軌を逸したものがあり、そのデマゴギーをたえずあばいていくことは、文学教育運動をおしすすめていく上から、きわめて必要だと考えるからである。
 もっとも、故戸坂潤氏が指摘しているように、論証に裏づけられない独断は処理しにくい一面をもっているが、独断が真実らしさを保証するためにとりあげている部分的な真実を手がかりに、こんにちの文学教育の問題をいくつか整理してみたい。
  奥田氏は、荒木繁氏の「文学をどう教えるか」(「生活教育」別冊)の発表で、アンチ教科研の統一戦線が結成されたと考える。これに文部省が一役加われば、これで役者は全部出揃った、と言明する。
 氏によれば、教科研国語部会は一貫して文部省の方針を批判しつづけてきた。だから、教科研国語部会を批判することは、文部省と手を結んだ証拠である、ということだ。
 この考え方を適用するとどうなるか? 文教研は、機関誌「文学と教育」創刊号に学習指導要領批判を特集している。それ以来一貫して文部省の方針を批判しつづけてきた。だから、文教研を中傷する奥田氏は、文部省と手をむすんだことになる。こうした証明では、しかし話にならない。ある一つの理論の真偽を問題にする限り、その理論が生みだされた歴史的条件、真偽の相関関係、誤びゅうの発生理由、先行の理論との系譜(俗にいうクサレ縁)等々を、具体的に説明する必要があるだろう。
 そうした手続きをカットして、だれとだれとはツーツーで、そのだれかさんのあと押しをしている X は反動だ、とうのでは、どうもおかしいなと思う。
 奥田氏のことばを、とにかく聞いてみよう。

 時枝誠記君の理論が四三年の学習指導要領の改訂に主導的な役わりをはたすだろうことは、ほぼ確実になってきている。
 アメリカ的技術主義から日本型の精神主義(「期待される人間像」の国語科での具体化)への移行の橋わたしができるのは、時枝誠記君の理論体系のみである。

 ここまでは、まったく賛成だ。だが、あとがおかしい。

   この時枝君の国語教育論の実践的なうらづけを林進治君の奈良小がかってでて、そして児言研が「一読総合法」の名のもとに、それの普及につとめている。

 さらに、熊谷孝氏が、荒木繁氏が、その系列化の一翼をになうという。こうした警察官的思考方法からは、学ぶべき何物も生まれてきはしない。
 また、氏は時枝批判を一手に展開しているような口ぶりだが、事実に反する。たとえば、文教研の熊谷孝などは精力的に時枝理論の批判を展開してきている。

  そこでは、「表現し、理解する活動・行為そのものが言語である」という考え方(言語過程説)にしたがって、(1)「生徒の外にある国語を生徒に与えることではなく、生徒の表現・理解の実践活動を調整・育成することが、国語教育の内容となる」とされる。したがって、(2)国語教育は、そういう調整のための「態度・技能・方法の教育」すなわち「能力主義・技能主義の国語教育」にならねばならない、とされる。国語教育理論に移調された言語過程説は、だからして、現行指導要領と軌を一にした能力主義であり技能主義である。
 このようにして、また、(3)内容主義を排して能力主義・技能主義に徹した「昭和三十五年の指導要領の改訂」に対する絶賛がそこに語られ、(4)「秀れた教材」をもちい、その「教材の思想内容によって、生徒の人間性にある感化を与えようとする」「従来の考え(?)」がそこに批判される。そこに具体例としてあげられているのは、文学教育である。人間的感動において文学を体験させようとする、従来の(?)文学教育の考え方が真っ向から否定されているのである。
 何か、どこか、おかしくはないか。
(「国語教育時評5・技能主義では“国語”は教育できない」国語教育65年6月)

 文部省的問題意識に対して、「何か、どこか、おかしくはないか」と問い続ける姿勢は、文教研の基本の姿勢でもある。
 奥田氏のように、自分たちだけが、という発想は、一種のうぬぼれであり、白虎隊的悲愴感の流路であり、運動としてはセクト主義におちいっていることを物語る。
 以下、奥田氏の文脈にしたがって、一つ一つ問題点を検討してみようと思う。

    文学の授業をどうくみたてるか

 話題を具体的に進めよう。
 荒木氏は、遠藤周作『海と毒薬』に感動した自分について語っている。教材と生徒・子どもの主体とが、どういう相関関係にあるかをさぐるために、一読者が文学作品とどう対面しているかを明らかにしたものである。

 あの作品の中で遠藤氏は、平和で善良な日常生活を送っている人々が、過去に戦争で殺人をおこなった人々でもあることを読者にのぞかせつつ、しずかな恐怖の雰囲気の中でしだいにあの忌まわしい生体解剖事件の渦中に読者をひきずりこみ、日本人における倫理の不在――遠藤氏のモチーフによれば神の不在ということになるが――の問題を問いつめようとしている。遠藤氏のこの作品における、善良で平和な市民がいつ虐殺者に転化するかもしれないという日常から異常への連続のさせ方は巧妙であるので、生体解剖という異常な事件は、外的にショッキングな事件としてではなく、日本人の精神のありかたの問題として根源的にとらえられている。私はかつてこの作品を読んで魂から震撼させられた。ここでは、日本人の戦争体験がとくに戦争犯罪という面から根源的に追求されているのである。これを読む者は、日本人とはなにかという問いを自分に投げかけずにはいられないであろう。若い世代は、このような精神構造からは自由になり、無縁なところまで進み出ていると、はたしていい得るであろうか。かれらもまた、戦争犯罪者を自らの手で罰することのできなかった風土に生きているのである。 

 荒木氏は、文学作品の教材化にあたって、生徒の自我にゆさぶりをかけ、感動において自己凝視の成り立つような作品をまず、念頭におかれているようである。
 と同時に、戦争をにくみ、他人の苦悩も自分につながる苦悩として感じうるような生徒がすくなくなってきていること、流行に敏感で個性的なムードを追求するあまり逆に非個性化している子どもたちがふえていること、つまり独占の疎外状況のなかで自我が解体し画一化された人間がふえてきていること等々を重視し、すぐれた作品がかならずしも生徒の心をつかみえない状況にあることも指摘している。
 こうした視点は、ところで、奥田氏の視点からみると、きわめて主観主義的な把握だということになるのである。
 第一、日本人の精神構造を生みだしている基盤からきりはなして変革をうんぬんしてもナンセンスだという。生体解剖事件などは、日本帝国主義の侵略戦争がつくりだした異常な状況での所産であり、日本人の精神構造に根源があるのではない。げんに、『俘虜記』『人間の条件』にみられるように、侵略戦争のさなかにも失われなかった魂の人間が存在しているではないか、という。
 第二に、生体解剖の真の原因を明らかにせず、国民一人一人の内部にその原因を追求していくその論理は、真の原因に眼を向けさせない“帝国主義奉仕の論理”である。罪悪の根源を内部にのみ向けさせる論理は、必然的に坊主的反省を強要する修身教育に転落する。
 第三に、すぐれた作品を教材化することの困難は生徒主体の側にあるのではない。法則的な状況に眼を向けさせようとしない指導のしかたに問題があるのだ等々。
 ところで、奥田氏は一貫して自己凝視を否定し、子どもたちの眼を外に向けるべきだ、と主張する。そのばあいの“自己”とは、仲間から切り離された一個の存在を想定しているみたいだ。だが、わたしが見るという場合の見る自己は、その構造においてけっして単数ではないだろう。すぐれた唯物論の創始者が語っているように、わたしたち が見るのである。存在としては単数だが、認知の主体の内部は複数なのだ。民族的体験をくぐり、受けつぐ過程で、わたしたちは対象を把握する。だから、真の自己凝視は、自我を取り巻き自我を再生産している歴史的状況と切りはなされたところでは成りたたない。
 また、自己の内部を見るということは、内部に反映された“外”を見るということでもある。外を見るということは、あるかまえにおいて客観世界を反映することである。白紙の立場で、自己の内外が見られるわけではないのである。
 この点は奥田氏もかなり明確に規定しているところである。人間の認識活動的歴史的な主体を媒介に行われ、その主体がどういう立場にたつかによって、法則を反映する屈折率が異なることを、「よみ方教育論における主観主義」(一九六二年「教育」一四一号)以来たえず強調しているようである。
 ただ、そうした反映論の視点が、文学理論や文学教育論を語るとき、あっちこっちへゆれはじめる。そして、子どもの眼を内にむけるよりも外へ向けるべきだ、という機械的な主張に転落する。
 奥田氏の反映論をつらぬけば、内か外かという二者択一はナンセンスなはずである。真実の自己凝視を保証することが、自己の内部にゆがみをもたらし、病的な部分を拡大している外的な根源に眼を向けさせることにもなるのだから。
 だから、奥田氏の文学の授業のくみたてかたは、文学作品を素材とした歴史の授業という形をとる。文学の過程的構造に即したくみたてかたとはまったくちがってくるのである。
 たとえば『海と毒薬』をとりあげたとしよう。この作品を読んで受けた戦慄や恐怖の感情はそっとして、眼はまず外部にむけられる。
 生体解剖を直接担当した人々はだれか。
 直接手をおろした人間が自分の意志でおこなったのか。
 もしちがうとすれば、某帝国大学医学部外科教室を非人間的な行動にかりたてたものはだれか。
 軍部はどんな必要からヒューマニズムに反する行為をあえてしたのか。
 この時期の戦争はどういう段階にあったのか。
 侵略戦争の敗北の予感は、支配階級にどんな動揺をあたえたか。
 その動揺や不安の余波が国民意識にどう反映されたか etc.
 そこには、作品を素材とした絵ときがあるだけである。
 もっとも、究極の責任が侵略戦争を準備した支配者にあることはたしかである。
 しかし、歴史を人民被害者史観でわりきるところからは、現実を変革していく展望は生まれてこない。存在としては、天皇制ファシズムの利害に相反する立場にたちながら、意識においては、国粋主義、農本主義、日本主義等々の天皇制イデオロギーの心酔者であった人間が、どんなに国中にみちみちていたことか。天皇制の物質的基盤は、その巨大な土地所有、莫大な資本にあったことは周知の事実であるが、その社会的基盤は、農村の中農層であると言われている。げんに忠誠な帝国軍隊の中堅下士官は、中農出身が大多数であった。
 存在と意識との矛盾、乖離。
 そこに文学や科学の積極的な課題があり、一にぎりの人間のために、大多数の人間ががんじがらめにしばられている秘密がある。文学は、その秘密をあばき、一見巨大に見える存在がどんなに卑小でみじめなものであり、一見卑小に見える存在がどんなに巨大となりうる可能性をもっているか<感情による感情の再評価>というかたちでおこなうのである。
 読者は、日常的なくりかえしの中では発見できなかった新しい感情を、作品に示された感情ぐるみの事物認識との対決のなかで体験する。「自己の習慣化した事物のつかみ方や、事物をつかむその感情――感情体験、先行体験と、作品が示す新しい感情、新しい事物のつかみ方との対決が、そこにおこなわれる。このようにして、鑑賞――表現理解のプロセスは、先行する自己の感情体験、事物のつかみ方との対決のそれであり、先行するものへの自己反省のそれである」(熊谷孝「芸術体験の基底にあるもの」文学と教育 29)。

   3 もとになる体験の形成

 こうして、過去の体験は、作品の訴えにゆさぶりをうける過程で変貌し、もとになる体験を形成する。
 『海と毒薬』に即していえば、生体解剖に参加した医局員戸田や勝呂の弱さに、その生き方に、自己の過去とが二重うつしに重なりはじめたときに、『海と毒薬』の世界は新しい意味をわたしたちにもたらしはじめる。
 
 ――俺は何故、この解剖にたちあうことを言いふくめられたのだろうと勝呂は眼がさめた時、考える。言いふくめられたというのは間違いだ。たしかにあの午後、柴田助教授の部屋で断ろうと思えば断れたのだ。それを黙って承諾してしまったのは戸田に引きずられたためだろうか。それともあの日の頭痛と吐気のためだ。炭火が青白く燃え、戸田の吸う煙草の臭いのために頭はぼんやりとしていた。「どうする。勝呂君。」浅井助手が縁なしの眼鏡を光らせながら顔を近づけてきた。「君の自由なんだよ。本当に。」――「奴等、無差別爆撃をした連中ですよ。西部軍では銃殺ときめていたんだから、何処で殺されようが同じことですな。エーテルはかけてもらえるんだから眠っている間に死ぬようなもんだ。」
 ――どうでもいい。俺が解剖を引きうけたのはあの青白い炭火のためかもしれない。戸田の煙草のためかもしれない、あれでもそれでも、どうでもいいこどだ、考えぬこと。眠ること。考えても仕方のないこと、おれ一人ではどうにもならぬ世の中なのだ。
 ――あの日から戸田と勝呂とは研究室で顔を合わせても視線をそらせてしまう。二人でかわす話題もその渦に巻きこまれようとすると、どちらかが急に話を変えてしまった。(『海と毒薬』 新潮文庫 P76)  

 「考えぬこと。眠ること。考えても仕方のないこと。」そうした世界、つまり「黒い海に破片のように押し流される」かれらの姿に自己の姿とがかさなりあったとき、わたしたちは深い戦慄と恐怖とをおぼえざるをえない。さらに、自己の弱さへの反省を通路に、あの人たちはなんて非人間的な行為をしたのであろうか、という傍観者ふうの感想はカゲをひそめ、そうした民衆の弱さをも貪欲に侵略戦争の利益に従属させていく黒い手に、かぎりない怒りをおぼえはじめる。
 奥田氏は、「生体解剖を自分のこととしてうけとめる素地をつくるために、生徒たちににわとりとへびのやきころしをさせること。一度だけではなく、毎日。」といっているが、あまりにも馬鹿馬鹿しいヒユである。この伝でいくと、生きうめ、目玉くりぬき、乳房えぐり、生皮はぎ、熱湯あびせ、妊婦の腹さき、ノコによる首切り、火あぶりなどの言語に絶する凶行を、いま、ベトナムでやってのけているアメリカ軍兵士は、『海と毒薬』のもっともよき読者となるのである。
 奥田氏の読みがどんなに粗雑で、でたらめなものであるかを証明する一節でもある。
 したがって、わたしたちが作品を読むということは、まず事がらを理解するといったハシゴ段式の過程を意味しない。そこでは、<感情による感情の再評価>としての読みが進行する。
 奥田氏によれば、「文学の授業がしなければならないたいせつなことは、未知の世界に生徒をつれていって、そこであたらしい認識活動をさせることである。」この点は、全く同感である。問題は、未知の世界への通路をどう発見するか、である。氏は、「生徒の生活経験や体験や知識を動員」すればいいと考える。「作品を生徒の生活経験にひきよせてよませる」のが、“主体よみ”であり、「極端な主体よみは、過去の生活経験、既成の態度や価値観がじゃまをして、子どもを作品の世界に完全にひきこまない。」と判断する。
 こうした生徒の既知を動員するという授業形態は、必然的に素材主義の文学教育に転落する。生徒の感情はカットして、まず書かれてある事がらを正確に理解しようとする。
 だが、その正確さは、<感情による感情の再評価>という文学本来の伝えを無視しているために、機械的な理解にならざるをえない。
 たとえば、「空腹は最良のソースだ。」というイギリスの格言(直訳)を、「ひもじい時にまずいものなし。」という日本の格言と同じ意味だ、ととりかねない。たしかに、事柄としては同一の事柄をあらわしている。しかし、熊谷孝によれば、これは完全な誤訳である。

 ――事柄が、事物が一つだからいい回しはどうだっていいじゃないか、というのでは芸術にはならない。いわゆる意味のいい回し、凝ったいい回しとか何とかを問題にしているのじゃありません。そうじゃなくて、感情が感情として伝わり、感情が感情としてわかるという形の伝えになってこないと、それは芸術の伝えではない、という意味です。芸術の仕事は、感情を捨象するかたちの抽象、事物の概念化による意味の把握ではない、ということ、そうではなくて感情ぐるみの事物の意味をつかむために、その感情を別個の感情でつかみなおす仕事なのですね。「ひもじい時にまずいものなし」の「まずいものなし」と、それは「ソースだ」というのでは、ただのいい回しの違いを越えた、生活に対する姿勢そのものの違いを感じませんか。いい回しというのは、じつは考え方であり感じ方のことなのですね。この二つの格言の意味するものは、じつは別のもの、別の事柄なのですね。(熊谷孝「創造過程における自我対象化の問題」、法政大学心研第17回公開講座『集団の中の自我形成』 P65)  

 だから、わたしたちが作品の登場人物の性格を分析するということは、登場人物の生き方と、私たちの生き方とを対比し、対決させることでもある。奥田氏は、登場人物の立場にたって自分ならどうするか、と発問するのは、文教研のすきそうな発問だ、ともいっている。が、そうした発問は、すききらいの問題からは生まれない。文学本来の伝えを生かす発問は、どうあるべきか、というかまえから生まれたものである。
 壺井栄『やなぎの糸』のヒサは、小学校五年を出たばかりで隣村の郵便局長の家に奉公にやられる。朝早く起きておしめを洗い、大分大きくなった男の子の馬になり、さらに電報の配達までやらされる。そうしたなかで、ヒサは歩きながら居眠りすることさえ体得する。
 ヒサはなんてすなおでがまん強いんだろうと、大多数の子どもは考える。が、その考え方には、二つの質的に異なる流れがある。一つは、なんてかわいそうなんだろう評価であり、もう一つはなんてえらいんだろうという評価であろう。
 かわいそうと感じる子どもたちの意識は、善意にみちているのだが、自己のかくされた優越感に気づいておらず、結果において傍観者の立場にとどまらざるをえない。
 それに反してえらいなあと感じる子どもたちの感情には、もし自分がヒサと同じような条件におかれたら、ヒサのようにたえぬいていけるだろうか、という問いかけがふくまれているのである。そこからつらいだろうなあ、という感情が生まれてくるのであり、「家に帰る自由」さえもたないたくさんのヒサがいる現実は、なんて悲しくいやなものだ、と実感する。
 表現の分析は、受け手の実感構造にゆさぶりをかけ、もとになる体験を形成していく過程と切り離して考えることはできないのである。
 まず、事がらを知覚し、その本質である主題を理解し、ついで生活現象への感情=評価的態度を分析するという指導過程は、文学の過程的構造を無視したところからくみたてられる。
 それは、「文学作品では、人間の生活現象における一般的な法則が感性的な形象のなかにおりこまれて典型として表現される」(奥田靖雄『文学作品の内容について」、『国語教育の理論』P108)といった、十九世紀的な二元論的文学理論の機械的な適用にほかならない。
 哲学史の教えるところによれば、二元論的機械論的唯物論は主観的観念論に帰着する。
 主観的観念論に立脚する文学理論、それに照応する文学の授業は、必然的に子どもたちを文学から遠ざけることになるだろう。

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