初期機関誌から
文学と教育 第37号 1966年2月26日発行 |
横浜・武蔵野 そして浅草へ(?) |
三月はスミダ川を東に渡ります。 一月は横浜で、全国教研の報告を聞きました。夏目、蓬田、津村の各氏の報告からその雰囲気をお察しください。例によって例のごとく三次会にまでおよび、熊谷、福田、佐伯、荒川の面々は、渋谷で永福町どまりの終電にスレスレにすべりこみ、。 二月の実践研究会は、十二日明星学園で。 荒川氏が芥川の〔奉教人の死〕を報告しました。ロレンゾオの献身がどういう意味をもつかという点をめぐって、報告内容はちがった新しい視点が確認されました。報告者曰ク「こんどはもっと勉強しますから……」。カゲの声――いつも聞くセリフだけど。 二月の理論研究会は、二六日国立音大文学研究室で。文教研六周年記念日にもあたり中々盛会でした。 熊谷孝教授が「国語教育をどう改造すべきか」(国語教育臨時増刊88)によせた「言語主義からの解放」を、さらに発展させたかたちで報告。また、佐伯昭定氏は、小学校現場をふまえ、輿水、倉沢、大久保論文の問題点を報告。 ところで、三月は十二日(土)午后四時 墨田区業平小学校 福田氏 帰りは、浅草に ちょっと寄ります。 |
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