初期機関誌から

文学と教育 第36号
1965年12月15日発行
   『女生徒』か『走れメロス』か 福田隆義 

 教科書に収録される太宰の作品といえば、『走れメロス』に決まっているようだ。が、わたしたちは、目下執筆中の『文学の教授過程・中学校編』には、『女生徒』をえらび『走れメロス』をとりあげなかった。どうして『女生徒』をえらび『走れメロス』をとりあげなかったかを述べることは、わたしたちの、文学教育に対する“構え”はっきりさせることにもなる。以下、そういう視点で、この小稿をまとめることにする。


一、 太宰文学の本領
 「われは山賊。うぬが誇をかすめとらむ。」(葉)太宰の文学は、山賊の文学である。「戦時日本の新聞の全紙面に於て、一つとして信じられるような記事は無かった。たしかに全部、苦しい言いつくろいの記事ばっかりであった。」(十五年間)そして、そうと知りつつ、その俗物の偽善に支持を与える知識人たち、それらに対して、太宰は終始戦い続けたのである。太宰は、それら俗物の偽善と虚偽の仮面をはぎとると同時に、自分自身の仮面をもかなぐりすてて、真実を追求した作家である。
 しかし、あのファッショの嵐の中で、自分の旗を守りとおすことは、容易ではなかった。もうすこし太宰のことばを引用しよう。「実に悪い時代であった。その期間に、愛情の問題だの、信仰だの、芸術だのの言って、自分の旗を守りとおすのは、至難の事業であった。」(十五年間)のである。
 こうした時代にあっては、まともな表現は不可能である。「天然なる厳粛の現実の認識は、二・二六事件の前夜にて終局、いまは、表現の時期である。叫びの朝である。」(HUMAN LOST)といっている。太宰の文学が難解であり、いっけん精神病者の文学とみえるのも、実は、この「至難の事業」の表現への反映でしかない。ましてや、敗北の文学などでは断じてない。


二、太宰文学の正統をくむ『女生徒』
 この作品が、太宰文学の最高峰であるかどうかは別として、前述のような、太宰的な作品であることはたしかだ。以下、表現に即しこの作品が、山賊の文学であるゆえんを探ってみよう。
 『女生徒』の主人公である彼女は、蒲団の中で「私は、王子さまのいないシンデレラ姫」である。「明日もまた同じ日が来るだろう。幸福は一生、来ないのだ。」と思う。明日もまた同じ日、それは灰色の朝に始まる、不安と虚偽と卑屈、そして、不潔で空疎な一日である。それらは、むろん彼女だけのものではない。彼女の目に映るすべてが、純粋ではないのである。サラリーマンは「眼が、どろんと濁っている。覇気がない。」厚化粧のおばさんは「不潔」である。小杉先生は「つくる」し、伊藤先生は「ゼスチュアが多すぎる。」今井田夫婦の「しつこい無知なお世辞」はいちばん汚い。みんな時代に毒されている。毒されていながら、それを自覚していない。
 「自分の周囲の生活様式には順応し、これを処理することは巧みであるが、自分、ならびに自分の周囲の生活に、正しい強い愛情をもっていない。」のである。
 そうしたなかで、彼女は「美しく生きようと思う。」のである。「自然になりたい、素直になりたい。」と祈りながらも「いつも大きな力で私たちを押し流す『世の中』というものがある。それに抗しきれずに、彼女も、だんだん俗化していくのである。が、「口に出したくも無いことを、気持と全然はなれたことを、嘘ついてペチャペチャやっている。そのほうが得だ、得だと思うからなのだ。いやなことだと思う。」と、それを自覚しているだけに、いたたまれないのである。
 そうした彼女自身への反省をこめて、まわりの人たちの虚偽や不純をあばきだしていく。太宰のことばでいうなら「うぬが誇をかすめろらむ」である。うぬが誇をはぎとっていくことで、その病根である、社会の矛盾、時代の偏向をあらいだしてみせる。「学校の修身を絶対に守っていると、その人はばかを見る。変人と言われる。出世しないで、いつも貧乏だ。嘘をつかない人なんて、あるかしら。」と、彼女はつぶやく。それはまた「早く道徳が一変するときが来ればよいと思う。」ことにつながる。
 道徳が一変しないかぎり、世の中がかわらないかぎり、自分にさえ素直になれないのである。「自分の個性みたいなものを、本当はこっそり愛しているのだけれど、愛して行きたいと思うのだけれど、それをはっきり自分のものとして体現するのは、おっかないのだ。」だから、彼女は、せめて、こっそり下着にバラの刺しゅうをする。下着にしかできないのである。「先生は、私の下着に、バラの花の刺繍のあることさえ、知らない。」それでいて得意なのである。
 〈ぜいたくは敵、おしゃれは敵〉という時代のせいいっぱいの抵抗である。少女の、おしゃれをしたいと思う気持に「自然になりたい、素直になりたい。」と思うことが、すでにこの時代にあっては抵抗の姿勢であったわけだ。
 けれども、その病根が、どこかで醸成されているか、彼女にもはきりいえない。「きっと誰かがまちがっている。」わかっていながら「わるいのは、あなただ。」としかいえないのである。しかし、表現のはしばしに顔をだす「近衛さんて、いい男なのかしら。私はこんな顔を好かない。額がいけない。」額がいけないのである。あるいは「小杉先生のお話は、どうして、いつもあんなに固いのだろう。頭がわるいのぢゃないかしら、悲しくなっちゃう。さっきから、愛国心について永々と説いて聞かせているのだけれど……」彼女は机に頬杖をついて、ぼんやり窓の外を眺める。「つまらない」のである。けれども、この女生徒と同じように苦しみもだえていた諸君、「私たち」には、そうした表現のなかにある“皮肉や“諷刺”が、いたいほど身にしみたのではないだろうか。


三、メロスは“健康”か?
 ところで、昭和十四、五年における太宰の一連の作品『女生徒』『畜犬談』『鴎』『走れメロス』あるいは『古典風』などのなかで一つだけ異質なものがある。それが多くの教科書に掲載されている『走れメロス』である。そして、『走れメロス』に対する評価は、ニュアンスの差はあれ、おおかたは肯定的である。が、文教研ではあまりこの作品を高く評価しない。なぜ高く評価しないのか、その理由をつぎに述べることにする。そのことが逆に『女生徒』の文学史的な位置づけや、表現のすばらしさを裏付けることにもなると思うのである。
 ここで再度確認しておかなければならないのが、この作品が発表された当時の、日本の社会である。このことについては、先に太宰のことばを引用したが、ここでは、歴史家の整理を援用しよう。
 「政府は三七年九月から国民精神総動員運動をはじめた。『八紘一宇』『挙国一致』『堅忍持久』などのスローガンのもとに、消費節約、貯蓄奨励、勤労奉仕、生活改善を説教した。(…略…)梅干一つの『日の丸弁当』を強制したり、あるいはパーマネントをやめさせ、国民服やモンペ姿を男女の制服としておしつけたり(…略…)『ぜいたくは敵だ』というスローガンで、国民ひとりひとりの私生活までお互いに監視しあう風潮をつくり出し……」まさに「全国民を戦争大勢の牢獄にたたきこむ措置が本格的に講ぜられた。」(昭和史・岩波新書)時期である。
 こうした、気ちがいじみたファシズムの嵐のなかにあっては、まともに考えようとする者が、あるいは、まともな生き方をしようとする者の方が、逆に気ちがいあつかいにされた。太宰は、まさにそのひとりである。そうした重圧のなかで、彼は、人間信頼を求めて追求したのである。したがって、その表現も『畜犬談』や『鴎』のようなかたちにならざるをえなかった。いくらかでも、その気ちがいどもに批判の眼をむけたり、戦時道徳に抵抗したり、あるいは、自己を主張しようとすれば、逆説的な表現しかできなかったわけである。『女生徒』は、まさに、そういう牢獄のなかでの作品であると思うが、『走れメロス』は、どうだろうか。
 前述のような時代のなかでは、強く生きようとする人間の姿を、正面からうたいあげていくことは、不可能にちかい。破綻をきたすにきまっている。この作品でいうなら、ハピー・エンドという結末は、当時の現実にそぐわない。時代の病根と無関係に描かれた、メロス個人の“健康”さにどれほどの意味があるだろうか。太宰その人のなかには、メロスのように、強く行きたいという願いはあったにせよ、それを『走れメロス』のような、古代英雄の叙事詩的な形式でうたいあげられる時代ではなかった。メロスは王に「おまへらの望みは叶ったぞ。おまへらは、わしの心に勝ったのだ。信実とは決して空虚な妄想ではなかった。どうか、わしも仲間に入れてくれまいか。どうか、わしの願いを聞き入れて、おまへらの仲間の一人にしてほしい。」といわせた。けれども、牢獄の中の抵抗であったこの時代、それは絵にかいたもちでしかない。嘘がある。それは時の流れが証明している。本間義人(安文教・館山一中)のことばをかりれば「ふと丘の上に太宰は虹を描いた」ということになろう。たぶん、当時の読者には空疎なひびきしかあたえなかったのではなかろうか。いうなら、太宰の観念が先行した作品だと思うのである。
 いま一つあげたいのが、太宰治という作家のタイプと『走れメロス』の英雄抒事詩的な発想が、そぐわないということである。彼が、傾向文学の作家タイプなら、あるいは、英雄叙事詩もかけたのかもしれない。しかし、太宰は、そういうタイプの作家ではなかった。それとは逆に、弱い人間を描くことで、その中にひそむ強さをうきぼりにしていった作家といえよう。


四、中学三年の文学教材として
 右は、主として文学史的な視点から『女生徒』と『走れメロス』を比較してみたつもりである。そして『女生徒』は「読者には、そうした表現のなかにある“皮肉”や“諷刺”が、いたいほど身にしみたのではなかろうか。」と結び、『走れメロス』は、「読者には、空疎なひびきしかあたえなかったのではなかろうか。」と結んだ。このちがいは、いうまでもなく作家の内部のちがいにある。前者が、読者(太宰の内部に反映された、すぐれた読者、あるいは、読者のすぐれた面)とのこうりゅうという思考活動に支えられているのに対し、後者は、太宰その人の観念先行の作品といえよう。
 『女生徒』には、あの牢獄のなかで、まともに考え、まともに生きようとする人間の、苦しみやねがいが反映されている。主人公の女生徒は、時代の重圧に苦しみながら生きている。下着におしゃれをしながら耐えているのである。だからこそ、まともな生き方をしようと願う読者には、感銘を与えるということになる。
 中学三年生は、義務教育の最高学府である。たんに、鑑賞学習だけでなく、右に述べたような、文学表現のしくみを知り、場面規定をおさえて読む、ないし、読めるような子ども?(おとな)に育てなければならないわけだ。そういう観点からみても、『女生徒』のほうが『走れメロス』より適切な教材といえよう。

 以上、わたしたちが、どうして、『女生徒』ととりあげたのか、ということを『走れメロス』と比較しながら述べてきた。なお『女生徒』についてのくわしい論述は、近刊予定の『文学の教授過程』にゆずることにする。

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