初期機関誌から

文学と教育 第35号
1965年10月1日発行
  文教研武蔵野集会に参加して  
千葉・館山第二中学校 本間義人
宮城・池月小学校    千葉一雄
神奈川・大綱中学校   芝崎文仁
 

 あの日の楽しい討論の模様は今も強く心に残っています。人数こそ多くはありませんでしたけれど、あれ程、言いたいことを思いきって言う事の出来る集会は、他に例をみないでしょう。不勉強な私たちの、あの臆面もない放言を、一つ一つ、まともに受けとめて下さって深い理解の上に立った反論を、ていねいに返して戴ける――大学での演習にも似て、しかも、より高度な、熱のこもった学習を、私たちは、久しぶりに味わう事ができました。熊谷先生の機に応じたさまざまなお話は、私たちが『芸術とことば』の中で疑問符を付していた要所、要所への、おのずからなる解説をなしていて、これは先生の予期せざるところではありましょうけれど、私どもには、とても参考になりました。例えば「内なる読者――云々」などという言葉が、具体的に何を意味するのか、ということも、先生の手紙を例にひいてのお話によって、はじめて、はっきり理解し得たように思うのです。
 作品解釈と評価の方法――私はあの会で「独立した一つの小宇宙としての芸術」、というようなことを主張して、表面的には、荒川さんと反対のようなことを申しましたけれど、実は今日のような、日本の教育の現状の中では、一つ一つの作品評価を、個人の恣意にのみまかせることが、どれ程危険であるかという事は、私自身も痛切に感じているところです。研究の態度としては、多くの資料や、作家論、時代背景への省察などを下敷として、出来得るかぎり、客観的(?)な解釈、評価を求めようとすることこそが、本来あるべき姿なのでしょう。
 その点については、私にもよく理解できているつもりです。「しかし反面……」などということは、ここでは書きません。書く必要を認めぬ程当然なことだからです。『文学の教授過程』の中の『さやからとび出た五つのえんどう豆』での作品解釈に見るように、東京グループの皆さんは、作品を本当に作品そのものとして、大切に、内部から把握することをも忘れては居られない。〈作家の意図をこえた主題〉などというまことにユニークな解釈を生むことが出来たのも、皆さんが、形式的な客観主義に溺れていない、本物であればこその事であると思っています。私たちも、その態度に学びたいと思っています。
 『走れメロス』のこと――、太宰の作品から、一つだけ選ぶとしたら、まさか、メロスは選びません。御安心下さい。しかし、必ずしも、これを太宰の駄作とも思いません。
 以上があの集会の感想ですが、あと一つ、もう少し多くの人々にも、広く参加を呼びかけたら、私たちのように、あらたな感激に浸ることのできる人々も更に多くなるでしょう。今後の集会の持ち方としては、そうした幅広い呼びかけがやはり必要なのではないか、などと生意気な事を考えています。
本間義人


 集会は、人数は少なかったのですが、実に収穫の多い会だったと思います。
 教育することだけでなく、生活する中で、何をどう考えていくべきなのか、今まで考えていたことに、根本的に反省が必要なのだと思っています。
 国語科の中で、文学教育の位置づけと、他の分野との関係――教科構造のようなものに、もっと力をそそいでいきたいものと思っています。
 十五次教研、組合の仕事、母親と女教師東北大会など、できるかぎり動いていきます。

千葉一雄


 報告し終わって、ほっとしました。ほんとうに、ほっとしました。
 今まで何回となく、こういう会に出席はしていました。けれど報告者としては、初めてです。ですから、この報告は、ずいぶん重荷でした。永い間、いつも『人間の歴史』が頭にこびりついていました。時々、あちらこちらとひっくりかえして読みました。
 しかし、準備のための研究会では、結局、まとめられませんでした。それからの一週間、苦しい日々でした。そして、報告しました。ほっとしたわけです。
 この一週間で報告できたのは、文教研のみなさんのおかげです。今のぼくにとっては、自分の報告したものを、ほんとうに自分のものにすることが当面の仕事です。そうすることが、報告を聞いてくださった方々や仲間のみなさんへのおかえしだと思います。そんなふうに、ぼくがふとっていくことがみなさんに喜んでいただけることだと思っています。
 そして今、また自分のものにするため重荷を背負ったわけです。ホッとできる日を楽しみにしながら。
 ご鞭撻のほどを。
芝崎文仁

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