初期機関誌から

文学と教育 第35号
1965年10月1日発行
   第十二回武蔵野集会を終わるにあたって  蓬田静子 

 一九六五年八月十五日。文教研第十二回武蔵野集会は終戦二十周年記念日と合致した。二十年前のことを思い出すと、この日の正午頃には、私は炎天下の田舎道を歩いていた。そして、帰宅後、終戦の放送があったことを耳にしたのであった。なんの感動も覚えなかった。が、この日から自分自身で考えて生きようとする気持がおこった。一度は生きる希望を見失い、とにかく今日まで生きて来た私が、二十年後の今日、仲間を信じて、自分の力量以上の仕事に取り組んでいる。そして、外には原爆犠牲者を悼むように雨が降りしきり、冷房の効いた文化的な建物の中で、研究会が持てたことを幸せに思う。
 文教研第十二回武蔵野集会は、保育園の先生、小、中、高、大学の先生、及び中学生が一堂に会した。また、「日本文学協会」の荒木さん、「作文と教育の会」の寒川さん、「千葉文学教育の会」の岩沢さん、「児童言語研究会」林さんが参加していらっしゃる。また、その他の会員も、それぞれの地域で各種のサークルに属しておられるので、文教研の研究集会が、期せずして民間教育団体の共同研究会の性格を持ち得ている。ベトナムにおけるアメリカの侵略がますます泥沼におちいっているとき、日本の歴史教科書には東条首相が再登場してきている。それだけに、民族の将来にはたす教育の役割はかぎりなく大きく、その理論と実践とをおしすすめる民間教育の運動もきわめて重要なものになっている。
 民間教育団体は、それぞれの団体ごとに主義・主張を持っている。これは当然のことであろう。だからこそ、建設的な論争は必要だが、誹謗的な相互攻撃はつつしんで、団結して研究を進めて行きたいものである。文教研でいう民族精神は、戦時中の大和魂だと曲解してはばからない人がいる。民間教育団体の責任的位置にある人だが。このことを私から聞いたアジア・アフリカ連帯会議理事の伊藤吉春氏は、「それは困った人もあるものだ。今日、民族問題を抜いて、平和の問題を考えることはできない。そんなことをいう人がいるんですかね。」とおどろいておられた。
 一九六五年は、文教研の新しい転機の年である。『文学の教授過程』を出版し、今日の国語教育界に大きな波紋を投じた。文学教育を本分としてとり組んで来た文教研としては、今後も静かに研究を続けていきたい。と同時に、私たちの理論を文学の授業のなかでさらに深めていきたいと思う。小学校編にひき続いて、目下、中学校編にとり組んでいる。文教研の研究は厳しい。これからも、ますます厳しくなるであろう。民族の課題にこたえようとする団体として当然の道であるのだが。

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