初期機関誌から

文学と教育 第35号
1965年10月1日発行
   発達と文学教育――乾先生の講演から  荒川有史 

 「発達と文学教育」――乾孝先生(法政大学教授)の文教研第十二回集会記念講演テーマである。
 そこでは、発達とは、という問いが具体的に解明された。つまり、発達とは、自然に体の中に生まれてきたものが順序よくほぐれていくことではない。自然法則ではなくて、社会法則につらぬかれているものとして、発達をおさえよう、というのである。だから、いわゆる“第二反抗期”も、かつては中学二年生ごろに見られたのに、いまでは小学五年ごろにすでにあらわれている、ということにもなるのだろう。
 ところで、乾先生は、“第二反抗期”という概念に対して、どうも否定的であるらしい。小学校から中学校にかけて、一つの顕著な変化のあることをおさえておく必要はあるのだが、それを、“第二反抗期”といえるかどうか。この間の事情を、先生は、ある高校生のことばを紹介する形で解明された。
 「おれたちの成長に対して、おとなたちが反抗する時期」
それが、第二反抗期であり、こういう言い方が、第二反抗期らしい発言だという。子どもの成長についていけなくなった大人たち。そこにズレができ、矛盾もあらわれる。子どもたちは、すなおに、おかしいな、と思う。しかし、それを摘出するのが反抗期の特色ではない。じつは“おかしいな”という疑問も、“こうあるべきだ”という批判も、全体をまとめて考察できる、という精神発達に根ざしている。そうした動向を見ないで、大人にとってショックになるところだけを反抗期の特色と見てしまう。
 これは、現代っ子のつかみ方のばあいも同様だ、と乾先生は指摘される。
 戦後、アプレ犯罪として騒がれた連中を、刑務所におくるとき、いわゆる愛人たちはなんといったか。例外なく「待ってます」ということばである。マス・コミは、これをアプレ娘の特色というけれど、なんと古風な感覚であることか。近松の世界からいっても珍しくない意識であり、古代からの常識ではないか、というのである。
 アプレらしいアプレというのは、たとえばフランス映画『洪水のまえ』に出てくる少年少女たちだ。朝鮮戦争にショックをうけた彼らが、原爆のおっこちないうちに、安全地帯へ逃げようと金持のヨットをぬすみだす。ノアの箱舟になぞらえての脱出をこころみたわけである。日本の映画評論家によると、“洪水”とは、青春の欲望のシンボルである。が、洪水のまえに、彼らは一網打尽となる。
 獄に下るまえに、カッコいい青年(?)たちが、彼女たちにむかって、「待っててくれる?」とたずねる。すると、彼女たちは「努力するわ」と答える。そういう特徴が日本にあらわれたら、建設的なアプレだといっていい。「待ってるわ」という空手形を乱発する古風な乙女心より、どれほどたしかかわからない。
 犯罪をおかす自由をも手に入れた若者たちが、大人なみのことをしはじめると、世間はアプレ犯罪というレッテルをはった。そういうレッテルは、はじめ少年犯罪という限定された意味に使われたのであるが、つぎの太陽族になると、特殊なグループをさすようになり、年齢はぐっとさがる。一九五三年ころになると、朝鮮戦争による占領政策の変換にともない、十代の性典が普及し、さらにさがって十代となる。つづいてハイ・ティーン、ロウ・ティーン、現代っ子とくる。
 そうすると、戦後の新しい教育がよくなかった……ということがいわれはじめる。現代っ子問題には、“アプレ”以来のジャーナリズムのとりあつかい方の一貫した流れがある。戦後の新しいものへの攻撃範囲が拡大し、子どもの成長も既成のワクの中で処理しようというあらわれにほかならない。
 PTAにあつまるおかあ様方の関心も、秩序を守るために、青少年をいかにかいならすか、という一点に、結果においてしぼられる。たとえば、学校から帰ってきたら、ちゃんと靴をぬいで、うんぬんと母はいう。ところが、三日目に、「ただいま!!」というと、ちょうどいいところへ帰ってきたから、すぐにお使いにいってちょうだいとくる。「なぜ?」と子どもは聞く。すなおであるから、すなおに母親の矛盾した行動を追求する。そこのところを理解しようともせず、おふくろの座にしがみついたまま、今の子どもは……とくる。どうしたら「ハイ」といわせることができるかわからない、という。彼女たちの“わかる、わからない”というのは、身分関係を認知することである。子どもがおふくろを人間としてあつかうために手をさしのばすと、それを母は拒否する。
 歴史はじまって以来、日本の子どもは、意地悪い好奇心の対象にされているのだ。……
 こうした発達の種々相が縦横無尽に論じられ、さらに「ことば」の問題から、文学教育の問題へと展開していった。
 講演のあと、文教研チューターの熊谷孝(国立音楽大学教授)が司会役となって、「乾先生にきく」会をもった。聞き手は、
   武井 美子 (三省堂“国語教育”編集長、出席者代表)
   千葉 一雄 (宮城・池月小、出席者代表)
   夏目 武子 (横浜・大綱中、文教研)
   林  進治 (横浜・奈良小校長、講師)
の四氏。
 熊谷さんいわく。いぬい先生の大学での講義はとてもおもしろくて、かつ有益だが、廊下に出てから、ハテきょうはなにを教わったっけとよく学生たちは思うそうな。きょうの場合もご同様。
 子どもの自我構造から武士のそれにまで話が発展。武士の自我はとかげのしっぽみたいなもんだ、という。一身上の自分は、とかげのしっぽのように切りすてても、お家の断絶だけはさけようとする武士の保身の術うんぬん。そんなとこだけが印象に残っちゃって、さて発達と文学教育の関連は、というとはなはだアイマイモコとしている。そこを、みなさん! 追求してほしい……。
 満場爆笑のなかで、文教研“トップ・バッター”と自他ともにゆるす夏目クンが、中学一年と三年のちがい、中学段階の文学教室に見られる表現理解の男女差について質問。
 乾先生によると、表現理解の男女差は、小学校以来の傾向だという。たとえば映画などを見ても、ストーリーに即して、俳優の名を出しながら感想を書くのは、女の子の特技である。が、それは、女子という生物学的傾向によるものではない。人形遊びに象徴されるような育てられ方に、問題の本質がひそんでいる。
 ところで、中一と中三のちがいも、現在の教育制度と関連があるだろう。新しい節、新しい身分に子どもたちがおかれた場合、たとえば六、四、三制になったとき、また、ちがいが出てくるだろう。中学四年制の節では、三年が今よりおさなくなることはまちがいない。だから、固定的にそのちがいをおさえることはできないが、中三ぐらいになると、ことばのマユをつむぐ形で、自己の内部を守ろうとしはじめる。
 オレは高級文学を理解できる。それなのにオヤジはなんて俗悪か、という形において。あるいは、毎日、日記をつける形において。いずれにせよ、応用編を切りすてて、一生懸命せのびする。……
 さらに、千葉、武井、林三氏より質問が続出。
 ヴィジョンのもち方が地域によってちがうが、地域差をこえたヴィジョンの追求はどうあるべきか。自我の構造変化がスピーディになり、反面マンガに熱中する高校生がふえているが事態の本質はどうなのか。テレビにのみ熱中している子どもに、文学への関心をどうはぐくんだらいいのか etc 。
 そんな質疑応答が六十分ぐらい続く中で、芥川の『河童』の話が出てきて、乾さんと熊谷さんの悪友時代が回想される。
 乾先生いわく――わたしは、クマさんに昔いったんですよ。赤ちゃんに拒否権があるなら別だけど、われわれは親としてあんまり立派になれそうもないんで、子どもをつくるのよそうなって。クマさん、そうだそうだと賛成しておきながら、二、三年たつと、なんとかちゃんをだっこして、シャーシャーと現われるんだな。裏切られたと思いましたよ。それ以来、乾の精神発達は……。
 こうした一連の問答を聞いていた一中学生――文教研集会に中学生が参加したのははじめてだが――は、自分の自覚せざる内面を明るみに出された思いで、ショックを感じたが、たいへん有益であった由。
(明星学園)

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