初期機関誌から
文学と教育 第35号 1965年10月1日発行 |
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中学校・文学の教授過程に関する構想――熊谷提案のまとめ 夏目武子 | |
「いよいよ学校ですね。」と公立学校。 「いや、まだ、三日のこっていますよ。」と私立学校。 一九六五年八月三十日の二日間、エルム荘にて例の強行学習会がなされた。 『文学の教授過程』小学校編を書きあげた直後から、私たちは反省をしだした。中学校編はそれらを克服したものにしようという意気ごみで、取り組もうとしているのだが、『中学校編』の仕事は十二月脱稿というひじょうな短時間のうちになされなければならない。全員が納得するまで討議し、何度も書き直した『小学校編』に比べ、マイナスの条件の方がはるかに多いわけだ。 物理的時間が少ないほど、最初に基本的なものに対するそれぞれのカマエをまっとうなものにしておく必要がある。そうした意味での熊谷提案だった。 提案に先だち、これまでサークル会議の中で提出された問題点として、次の三点の指摘があった。 1.国語教育の三領域の相互の関連の中での文学教育のおさえ方 小学校編では少し弱かったので、今度はそれに意識的にとり組もう。 2.文学教育の三領域のそれぞれの概念規定と、それらと教授過程にどう組むか、明確にしよう。 3.小学校編では、典型的事例の提示という点で弱かった。波多野批判を十分にかみしめ、十二回研究集会基調報告で、提案された、各発達段階における方法的特質をふまえた指導過程を「典型的事例」というかたちでうちだそう。 (国語教育の三領域、文学教育の三領域については、『文学の教授過程』P37、P39参照) 提案は次の分野にわたるものであった。 1.中学校文学教育の特質 2.文学教育の教材化の対象領域の拡大(文学概念の変革・拡大) 3.読解(よみ方)の基本構造 4.文学教育三領域の相互の関連 文学史学習、文学理論学習の位置づけ 5.あるべき文法教育と、あるべき文学教育の支え合い 6.古典学習の意義 7.教師のカマエ 文学というものの意識化 中学校文学教育の特質 現実の学制では、一、二、三年と分けられているが、「前期」「後期」と分ける方が、中学生の発達の特質をつかめるだろう。(『文学の教授過程』P39参照。前期は一、二年。後期は二、三年というつかみ方) 文学教育はあくまで国語教育で、基本的なちがいはないのだが、生徒達の発達段階からいって、前期は国語科文学教育、後期は文学科文学教育と名付けてよいだろう。じっさいの手続きとしては、さまでの変化はみられないが、指導する側のカマエとしてはあきらかにちがってくる。このカマエのちがいが、しらずしらずの指導の仕方にある変化をもたらすことになろう。 国語科文学教育のねらいは、ことばの芸術的操作の指導にあり、さまざまなタイプの文学作品の鑑賞が軸になる。小学校の延長という側面もあり、後期の準備期という側面もある。 文学科文学教育のねらいは、芸術の一ジャンルとしての文学というもの、文学ということを、意識的なものにする操作が、一本大きく加わる。文学というものを自覚させることで、生徒たちめいめいの鑑賞のしかたが、、指導する側からいえば変ってくるし、生徒の側からいえば自己規制ができるようになる。また、できるようにさせなければいけない。そういう意味から、後期では、文学史学習と文学理論学習の必要が出てくると思う。 文学概念の変革・拡大 描写文体・説明文体というつかみ方 第十二回研究集会で『人間の歴史』を文学としてみようという大胆な提案がなされた。研究会の準備をする中で、私たちは、文学概念を変革し拡大する必要があることを話し合った。いわゆる意味の純文学だけにとどまらず、評論などをも含みこむ理論があってもよいのではないかと考え、真鍋呉夫氏の提案を検討した。
この視点からどういう表現で実現しているのかが問題にされる必要がある。 伝え合いを、科学的な認識活動をその極とする、事物の概念的な伝え(伝え合い)と、芸術的な認識活動をその極とする形象的な伝え(伝え合い)と二つの側面でとらえると、その媒体となることば、この場合文章は、説明文体と描写文体の二つにおちつくのではないか。 ふつう、文学の文章は描写文といわれている。それはまちがいではないのだが、文学の文章も、その部分部分をとりあげてみれば、みんな説明文である。が、部分と部分の相克のモンタージュにおいて、つまり対立の統一として描写が発生する。結局、説明文といえば、全ての文が説明文なのだが、説明をこえる描写が実現しているかどうかで、説明文体と描写文体との区別がでてくる。 文学教育の教材化の対象領域として扱うのは、描写文体であるのはいうまでもない。“描写文体”という視点でとらえた場合、文学教育の教材化の対象となる作品の世界はぐーんと拡大される。こうした文脈の中でとりあげた新しい作品は、『人間の歴史』『蘭学事始』『福翁自伝』などである。 本来の場面規定をおさえる 読解の基本構造は一つ これまで私たちは、少くともこと文学に関してはという、きわめて謙虚な、しかも譲らない姿勢でとりくんできた。が、従来、描写文体においてとりくんできたこと――つまり、本来の場面規定をおさえるということ――は、描写文体に限定されず、説明文体でもいえるのではないだろうか。 ことばは要するに部分で全体を代理するものだ。事物にことばを与えるということは、その場面における事物の全体をそのことばで代理することにほかならない。これは描写文体であろうと、説明文体であろうと同じわけだ。そのことばが意味する事物の全体性、全体像は、そのことばのおかれている場面規定にしたがうほかない。 そういう意味で、読解の対象としての文、文章というものは、根本的にいって一つと考えてよく、したがって方法も基本的には一つといえるのではないか。 描写文体における場面規定のおさえ 文学史学習・文学理論学習の必要性 後期に文学史学習が必要になるのは、文学というものを意識させるためなのだが、実証的に場面規定をおさえて表現をつかむという自覚を促すことを通してそれは実現するだろう。 たとえばガルシンの『信号』を読むとき、現在の自分の感情体験のワクの中だけで読み、いい作品だとか下らない作品だとか片付けてしまったのでは、文学の眼は育たない。前世紀のロシヤ革命前のああした場面規定を自覚的につかんで、表現を理解しないと、ゆがんだ理解になってしまう。 文学史とは、文学の側からの時代理解といえよう。「作品を読む前に、作品がわかってしまう」ような、従来の学校文学史を意味しない。本来の場面規定の中で、作品を鑑賞するために必要な年代の知識であり、作者の年譜であり、社会的基盤であり――文学史学習と鑑賞学習が統一的になされて、はじめて文学史学習の意味がでてくるわけだ。 場面規定をきちんとおさえないと正しい認知ができない。それにはこういう方法でやればつかめるという自覚を、生徒自身にもたせる、また、意識して自分が方法をもつのが、文学理論学習の領域といえる。小学校段階では、教師は場面規定をくぐらせる形で授業を組んでいるのだが、子どもたちはそれをまだ自覚していない。 ノーマルに育っていれば、中学校後期の段階で生徒自身が場面規定をくぐることを自覚的にやれるだろうし、この段階でそういう訓練をしなかったら、発達を促すことにはならない。 この時期に、いわゆる純文学作品しか読まない生徒は、ほんとの文学がわかる道をたどっているとはいえない。理論を通したら文学がつまらなくなってしまうのではなく、そこを通ってほんとうの文学のおもしろさを見出すことが必要だし、できる段階なのだ。 文法教育と文学教育の支え合い 私たちは国語教師として、文学教育もやれば文法教育もやれば語義指導もやっている。国語教育としての、あるべき文法教育とあるべき文学教育との関連を明らかにする必要がある。 文法教育において、日本語の文法構造をあきらかにしていく(生徒につかませていく)ことが、日本人の思考様式の特徴をつかませることにつながらなくてはいけない。 前期のことを頭においてのことだが、たとえば、副詞と副詞に修飾されることばが近いように書かれた文が、普通はよい文といわれ、文法と関連した形で作文指導がなされることがある。 話しことばの場合、副詞がえらく早く出てくる。心理的にいって、そうなってしまうようだ。が、未分化の日常性における人々の話し方をいかした表現をする、つまり、覚悟の自殺をすることで、かえって表現に迫力がでてくる。副詞と被修飾語が離れているのが、必ずしも悪文とはいえない。そこから、文学教育の視点がうまれてくる。 日本語の語順とか、陳述語が文末にくるとか、言語疎外がたいへん多い(軍隊を自衛隊ということばのインフレ、髪をみどりなすとよぶことばのインフレなど)とかを自覚させるような文法教育であってほしい。 表現の分析にしろ、指導過程にしろ、(必ずしも部分的な表現をさすのではない)文法教育と文学教育の支え合いの面を、はっきりうちだしていくべきではないか。 今日的意義を明確に 古典をとりあげるときには 中学校編に古典として『今昔物語』をとりあげたが、古典を学習させる意義をきちんとつかむ必要がある。漠然とした意味で、民族の過去を知らせるというのではさびしい。古典のために子どもがあるのではなく、子どものために文学が必要なのだから。 前期の場合、翻訳を通してやるほかないのだが、翻訳ではどうしても限界がある。西鶴など翻訳不可能ということがでてくる。上欄に翻訳、下欄に本文というようにして、やはり本文を示す必要があろう。 |
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