初期機関誌から

文学と教育 第34号
1965年8月14日発行
   「屋根の上のサワン」の“私”の内面 (中学)  川越怜子 

    「私」の心のひだを

 この作品は「私」という一人物の心象風景を綴ったものだが、ことばのすみずみにまで心のゆき届いた作品だと思う。季節感にあふれたあざやかな情景描写にささえられながら、展開される主人公「私」の心のひだを静かに味わわせたい。
 中学三年の教材として採用している教科書もいくつかあるので、そのつもりでとりあげてみると、この“心のひだ”つまり“陰ある心情”が、なかなかたやすくは伝わらない。
 たとえば、「動物愛護の物語」として理解している子供が何と多いことだろう。「本当にそうか」とききかえすと、別の子供は「傷がなおるまで大きな鳥小屋で飼って、丈夫になったら放してやればいいのに」といちずに「私」の愛護精神の不足を非難する。または、「相手が鳥なのだから人間の心がわかるはずがない。“私”が甘かったのだ。」と反省や諦めへもちこもうとする。
 これは、文章のきめの細かさを読みとれないために、「私」が自嘲的に語っている部分を反対に読みとっていたりする誤解から起ってくるもののようだ。
 「よいことでなければ悪いこと」式の幼児的発想段階をいくらも出ていない彼らには、少しむずかしい作品なのかもしれない。
 けれども、それだけに、文学教材として国語教室で学習する意味が出てくるともいえそうだ。作品の世界を正しく獲得するためばかりでなく、自己の思考方法を一歩飛躍的に成長させるべき時期にさしかかっているのだから。

    鑑賞上の問題点

  1  「くったく」の内側
 「私」の心象風景にふれるには、その生活感情の底辺となっている「思いぞ屈した心」「ことばに言い現わせないほどくったくした気持」の内容をさぐってみる必要がある。
 はじめは「思い屈する」「くったく」などの一般的語義をいくらかこえて「“私”には何か解決のつかない気がかりがあるらしい」と、漠然と想像をめぐらす程度でいいと思うが、作品の中程まで読み進む間には、「私自身の考えにふける」「自分自身だけの考えにふける」などの表現をおさえて、芸術上の悩みとか、思想上の悩みに近いものを読みとらせておきたい。「こうしなければならないのだけれどもなかなか実行にふみきれない。だから、いつまでも頭の中にもやもやひっかかって憂鬱の種となる」というような経験は彼らのくらしの中にも一度や二度はあるだろう。
 それが半年も一年も続くということは、“人生”の問題と何かつながりがあること、あるふみきりをしないかぎり、そのくったくのゆきつく果ては「明日の朝は早く起きてやろう」などという意味のない決意であったりする“おかしみ”を指摘したい。
 親友は病死し、同人雑誌をやっていた十数人の友人はみな左翼運動に走り、自分だけがぽつんととり残される。「私が左傾しなかったのは主として気無精によるものである」(鶏肋集)と述懐している彼。文芸雑誌よりは「戦旗」などがとぶように売れた荒い時代の波。この作品の書かれた昭和四年という時点を、教師はよくふまえておく必要があるだろう。この中で、井伏という作家はどこへむかって歩こうとしていたか――。

  2 「サワン」と「私」
 このような「私」の「孤独なくったく」の中での「サワン」との出あい、という形で作品の世界は展開する。 

 「この一羽の渡り鳥の羽毛や体の温かみは私の両手に伝わり、この鳥の意外に重たい目方は、そのときの私の思いぞ屈した心をなぐさめてくれました。」
 と語りはじめるきめのこまかい文章運びは、「私」が「雁」を救ったとは一言も書かない。もちろん、「私」の動物好きらしいことやなみなみでない雁へのいとおしみは、用語の末にもあらわれていて、否定する必要のないことだが、「雁」がかわいそうなので、身近において飼ったというのではなく、「雁」の存在が、「私」の心をなぐさめた、そこで「サワン」と名づけ、孤独な「私」の手もとにおく、というのが文章の骨組みである。
 また、「サワンがいるので、その後の“私”は幸福であった。しかし、ある秋の夜――」と読んでいく読みとりの粗さも、修正する必要がある。いかにも、初夏の沼地の「サワン」のすがたは楽しげに描かれていて、それによって「私」の心があたためられていることはたしかだが、「私」のくったくした思想はけっして解消してはいないのだ。そのもの思いが深ければ深いほど「サワン」の存在がなくてはならぬものになっていることが、「ある秋の夜更け」のできごとでとつぜん思い知らされる、というのが、正しい筋書きの展開なのだ。
 「私」はあわて、とまどい、「サワン」をひきとめるためこっけいな演技をくりかえし、愛の矮小をごまかそうとする。
 「サワン、屋根から降りて来い」と棒きれでおどかしたり、「そんな高いところへ登って、危険だよ。」とすかしてみたりする「私」のこっけいなあわてぶり。「彼に対する私の愛着を裏切って、彼が遠いところに逃げ去ろうとはまるで信じられなかった」から、彼の脚を紐でくくっておくような「手荒なこと」はしなかったとか、「それ以上短くすれば傷つくほど彼の翼の羽を短く切って」おきながら、「あまり彼を苛酷にとりあつかうことを私は好みませんでした。」と説明してみせる。また、「サワン! お前逃げたりなんかしないだろうな。そんな薄情なことは止してくれ。」と嘆願し、ごきげんをとろうとする。
 作者は「私」のごまかしをごまかしとして描いている。つまり「私」もそのごまかしをどこかで知っている。しかし「私」の愛情は利己的なものなのだ、と断定してみせては誤りである。
 なぜなら、「私」がかくもあわてふためいたのは、翼をきられ飼犬のように飼われる「サワン」の孤独や、僚友とともに大空を飛翔したい本然の欲求を、自分自身も深く胸の中にいだいているからなのだ。
 だから、「サワン」がひときわはげしく号泣した晩、「私」はいてもたってもいられない思い出で、彼の出発をさまたげている自分を責めたてる。だが「私」の孤独が深いだけ「私」の愛着は断ちがたいのだ。だから、決然たる「私」の決意は、実行とは程遠いロマンチックなものに流れてしまう。「明日の朝になったらサワンの翼に羽毛の早く生じる薬を塗ってやろう」「そのブリキぎれには『サワンよ、月明の空を高く飛べよ』という忠言を小刀で刻りつけてもいい」と空想する。
 これも、「私」が「私」の愛の貧弱さをごまかそうとして、自分に対して描いてみせた夢想の類にほかならない。
 だから、翌日、「サワン」の不在を知った「私」は、まったく狼狽し、「どうか頼む、出て来い!」と空漠にむかって叫ばずにはいられない。晩秋の鮮明な情景描写に伴なって、やり場のない悔恨、いっそう深い孤独がひたひたと迫ってくる。しかも、その中で、傷ついた友をおのれの翼でかかえてとび立とうとする世界があることを信じたいと願っている「私」なのだ。

    文学として読む

 以上みてきたように、この作品は美しいロマンチックなものだけで飾られているのではない。むしろ「私」の内面にある貧弱なもの、卑小なるものを鋭くとらえているところに、この作品の音色の涼やかさがあるのだ。醜いもの、ゆがんだものをひきずりひきずり、それでもけんめいに、素朴な善良さの上に生を築こうとする民衆の姿、愛しさをうたいあげていこうとするのが井伏文学の詩情といわれるものだと思うのだが、その視点がすでにこの作品にも与えられている。
 その味わいにふれ、清冽な泉が心に流れこんでくるのでなければ、作品を読んだかいがない。それには、「この作品のテーマは愛情である」「孤独である」「エゴイズムである」式の裁断をしてもはじまらない。ましてや好つごうな要素だけをひき出して、徳目をうちたててみる仕方は、文学からも人間からも遠ざかるものである。
 文学として読むということは、デッサンをするときのように、表現に即して自己のうけ内容を修正し修正ししながら、できるだけ確かに、まるごとの作品の世界を自己の内面にうちたてることだ。線が確定したとき、その作品がすぐれた作品であればあるほど、ずしんと思い人間を手渡してくれる。「私」の身もだえを読者の身もだえとして伝えてくれる。「善人でなければ悪人」式の単純発想をのりこえて、「ああ人間は」と心がひらけるとき、文学のおもしろさもそこに存在するのではなかろうか。
(東京都 森村学園)
〈三省堂「国語教育」65年6月号より転載〉
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