初期機関誌から
文学と教育 第34号 1965年8月14日発行 |
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〈基調報告・2 レジュメ〉 文学の教授過程 そのねらいと手順 夏目武子 | |
一九六三年八月十日、というとちょうど今から二年前、私たちは千葉県の館山市で安文教と合同で、研究集会を開いた。伝え理論による、ことばの機能、文学の論理の面でのほり下げがなされ、また原理としての方法が問題にされた。 文、教、研のこうした集会にはじめて参加した私には、ひじょうに難解であり、目をぱちくりしながらきいていた。が、それまでもやもやしていた読解指導への批判の根拠や、人間における意識の形成と自我の変革ということを、第二信号系理論の視点でとらえること、国語教育としての文学教育の意味など、私にとって目のさめる思いがし、その日、話されたことを自分のものにするには、そうとう苦労することを覚悟の上で入会した。 現象的なことのみにとらえられていたのでは、現象すらつかめないのではないか、また原理をたいせつにしないかぎり、実践の意味をもたないのではないか、などがその日強調された。それ以後も、原理にたちもどって考える姿勢を私たちはつねに心がけようとしている。 館山集会で示された文学教育の理論に対応すべき実践の確立、熊谷さんのことばでいえば〈原理としての方法〉を、〈技術としての方法〉〈指導手順の体系〉というかたちで示すことが、その後ずっとつづけられてきた。 具体的に一つ一つの作品を検討する中で、また指導手順を考える中で、混乱が生じる。結局、原理でのおさえ方が弱かったということで、また原理にかえっての学習をし、理論そのものを実践を通して深める中で、指導手順が体系としてうちだされるようになったといえる。 私が、本日話すことは、この点にしぼってのものである。 「文学がわかるというのは、作品のすじがすじとして『わかる』というようなことではない。たんにすじがわかるというようなことではなくて、作品の表現がその表現のディメンションにおいて理解された、という場合、それは読者の内側に、なんらかある文学体験が成り立った、ということでしょう。」(「文学の教授過程」P14) これを保障する方法とは一体何か。すべての作品にあてはまる方法、どこでもいつでもやれる方法なんてありえない。しょせん文学は自分でわかる以外ないのだが、それを保障する授業も、一人一人の教師が、自分の目の前の子どもたちを前にして自分で組む以外ないのである。その作品と子どもたちに、もっともふさわしい方法を。 私たちが提示できるものとしては、典型的な事例という形しかありえないだろう。 どういうものが典型的事例といえるのか。 「文学作品の教材化――それは、子どもたちの感情の素地のありように即してその感情をはぐくみ、その発達を促すうえに必要な作品を選択する作業です。その作品の選択は、作品本来のテーマにおける選択でなければなりません。どの側面においてかその作品本来のテーマを生かすかたちの、発達に即し発達を促す目的による、あるテーマにしたがっての作品の選択――それが文学作品の教材化ということです。」(「文学の教授過程」P43) 子どもたちの発達をどうおさえるか、ごく大まかにいって、小学校低学年段階では、ひじょうに自己中心的な関係の認知がみられ、中学年段階では、類型的把握がみられる。高学年段階の特徴的傾向は、「@ごくひと通りの意味でのその現実的な傾向、Aその傾向と結びつく、観念の世界でのがらくた集めという格好の旺盛な知識欲、B具体的思考のわく組の中でだが、他我を自我に媒介しうる心的条件の成熟」(「文学の教授過程」P133)といえる。 各段階を、「童話の季節」「善玉、悪玉の季節」「ロビンソン・クルーソー エイジ」と名づけ、それぞれの発達に即し発達を促すことを保障できる教材を位置づけ、さらにその指導の方法を、各段階の「文学教育の方法的特質」でくわしく述べてある。 私たちは、今、中学校編にとりくんでいる。中学生の発達段階をどうおさえるか、隣接諸科学の力と、私たちの実践の中で、さらに明らかにして行こうとしているのだが、一応次のようにおさえている。 「その思考様式が、いわゆる意味の具体的思考から抽象的思考へと大幅な歩みでぬけ出ていくこの時期が、同時に真実の意味における具体的思考を支える感情の素地が成熟し、深まってくる時期でもあるわけです。それは、ただおもしろいから、読む、というだけではなくて、文学というもの(文学ということ)を意識して作品にしたしむ、という時期であります。……論理的に、系統的に、事物――周囲の世界を認知できるような可能性が生まれてくるのも、一般的にはこの年齢期です。」(「文学の教授過程」P39) 私たちが考える国語教育の三側面のうちの文学教育がその独自性を発揮してくるのもこの時期である。(本来あるべき姿として考える場合、この時期――中学校後期――から文学科は独立する。) この時期の文学教育は、 (1) 文学鑑賞学習 (2) 文学理論の学習 (3) 文学史の学習 という教科構造、方法体系において、その独自の機能を発揮するようになるのではないか。もちろん、この時期になって、急にこれができる、あるいはこれをさせるというのではない。小学校においても、それぞれの発達に応じてやっている。ただ子どもたちの発達に制約されて、ひじょうに未分化の形でなされているのである。 小学校の低学年においては、「感想を話し合う、つまり言語化するということが、概念を抽象し整理することであり、この時期でいう論理指導である。」(「文学の教授過程」P36) 中学年段階で、たとえば「りょうしと金のさかな」の学習の中で三十と三年の意味をつかませるには、その当時の時代にふれなければいけないであろうし、高学年の「最後の授業」においても、普仏戦争の意義、アルザス・ロレーヌの歴史などについての知識をある程度たしかなものにしてかかる必要があろう。が、あくまでねらいは、その作品をよむ構えをつくることだ。 「はだかの王様」の指導過程(P100)をおよみいただきたい。三年生の授業としては、機織りを「二人の男」としてとらえさせ、イカサマシ、ウソツキ、悪人としてつかまないための教師の側の配慮が示されている。イカサマシということばにひっかかってそう読んでしまっては困るのである。小学校三年生で「はだかの王様」を学習するねらいは、何が“ダマス”ことかを、その認知のわく組みにしたがって、しかもそのわく 組みの限界ぎりぎりの線まで追求の目を向けさせるように、そのように手順を組むということであろう。 これが中学生の授業としてやるときは、むしろ、機織りが悪人、ウソツキとして設定されていることを前面に押し出して、機織りを悪人にする必然性がないのに、そのように設定した意味を、当時のデンマークの歴史を考える中でつかむということが必要ではないだろうか。 絶対王制から立憲王制に移る過渡期のデンマーク「アンデルセンは進歩の側に立ってものを考えていたといえようが、権力のもつみせかけの権威をはぎとるという積極的なテーマをえらびつつも、政治に舌をしばられていた彼は、王様を皇帝といいなおし、ハタオリをあえてイカサマシとして登場させている」(「文学の教授過程」P97) こうしたことを知って、あの作品を読んだとき、表現のもつ意味がより深くとらえられ、おもしろくなるのではないか。また、「はだかの王様」を読むことで、あの時代の苦しみが感情ぐるみつかめ、政治に舌をしばられている苦しさが、デンマークだけにとどまらず、日本のそれとしてもつかめるようになるのではないだろうか。 太宰治の「女生徒」、井伏鱒二の「屋根の上のサワン」につながるものを感じとることができるようになるのであろう。 かれらの発達を促すための、中学校教材として私たちが選んだ作品は、文学史学習、文学理論学習の支えなしでは、作品そのものがつかめないであろうし、鑑賞学習に支えられて、これらもまたいきいきとしたものになるであろう。 時間の許すかぎり、黒島伝治の作品群(「電報」「豚群」「渦巻ける烏の群」)に即して、この三側面の支えあいによる学習ということを述べてみたい。
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‖機関誌「文学と教育‖初期機関誌から‖「文学と教育」第34号‖ |