初期機関誌から
文学と教育 第33号 1965年5月20日発行 |
三分の一の話 小枝木昇天 |
新美南吉の『ごんぎつね』をやっているときだった。ごんについて、子どもたちがはじめに、いだいた印象は、予想していたとおり、「いたずらきつねで、悪いきつねだ」ということであった。ぼくが、まったく予想していたとおりであった。その場合の、その後の授業の進め方については、じつは、すでに福田さんから伝授されていたのである。ぼくは少しもアワテズ、数回の授業ののち、このごんに対するとらえ方を変えさせることに成功した。 「ごんは たしかに おっちょこちょいなところはある。しかし、ごんはひとりぽっちで、さびしいのだ。いたずらをするというのは、だれかと友だちになりたいからなんだ。悪いきつねなんて、とんでもない。」 こんなふうにである。 ぼくは、ここでホット一息し、さてこれから本格的に、次の段階の進めようとしたときである。子どもたちは、キョトンとした顔をしている。そして、いわく 「先生、まだ『ごんぎつね』やるの?」 ぼくは、あっけにとられながらも、それでも気をとりなおし、 「ふざけたことをいっちゃいけない。まだはじまったばかりじゃないか。」 ノートにメモしてあるプランは、まだ三分の一しか終わっていないことになっている。 「まだ、やるの、とはなんだ。」 「先生、わかっちゃったよ、もう」 ぼくは、頭にさっと血がのぼるのを感じた。 「なに、わかっちゃったと? それじゃ、こういう問題について君たちはいったいどう考えているのだ。」 意気ごんで、次に予定していたいくつかの問題を出してみた。 要するに ・ ごんが兵十のことをわかっていく過程 ・ 自分のつぐないの気持を、兵十にわかってもらいたいというごんの気持 ・ ごんを殺した後の兵十のおどろきと悲しみ こういうことを明らかにしていく質問を、いくつかしてみたというわけである。多少のぎこちなさはあったけれど、とにかく、方向的にはまともなとらえ方をしていたのである。 これは、はじめからわかっていたのではなく、はじめの数回の授業で、ごんの形象をとらえなおしていく過程の中で、『ごんぎつね』の世界が、じつはとらえられたのである。ぼくにはそうとしか思えない。 ぼくはこの話を、文教研の会の席上で、みんなに話したことがある。みんなは、ゲラゲラと笑いころげた。 子どもたちは終わったと思っているのに、教師の方はまだ三分の二も残っていると思いこんでいる。笑わずにはおられない話である。この時、もし教師が、 「いや、ちがう、まだ三分の一しか進んでいない。」 と子どもたちに宣言して、その後の授業を進めたとしたら、いったい、どういうことになったのだろう。そのことを考えると、今でもひやあせが出る。 文学教育にネッシンなあまりに、かえって、文学教育とは、とてつもなくたいくつなものだということを、わざわざ教えたことになったのではないかと思ってである。 昨年の夏から、今年の春までかかって、文教研で、本作りの仕事を進めながら、ぼくはいろいろなことを勉強してきた。文学教育のことが、少しでもわかってくると、よし、いっちょうやってやろう、とりきむ。そして、いさみ足となる。なまじっか、わかったと思うことが、けがの元となる。なんでもそうだろうが、「わかった」と思ったとき、じつはそのとき次の問題に頭をぶつけてしまう。本を書くことは、ウンコをたれるみたいなもんだ、と言った人がある。ぼくも文教研の中で、デッカイウンコをたれながら、少しずつ育っていけたら、とそんな気持で勉強している。最後にきたない話になってしまって失礼しました。 |
‖「文学と教育」第33号‖初期機関誌から‖機関誌「文学と教育」‖ |