初期機関誌から
文学と教育 第32号 1964年3月15日発行 |
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〈学習指導体系案〉 井原西鶴『大晦日あはぬ算用』〈近年諸国咄 一六八五年刊 一の三〉(高等学校) 荒川有史 | ||
一、 西鶴文学の歴史的・現代的意義 〈西鶴 一六四二〜一六九三〉 1 主題展開の軌跡 町がお正月の準備でにぎわっている師走のくれ、「二十八日まで髭をそらず、朱鞘の反りを返して、春まで待てと云ふに、是非に待たぬかと、米屋の若い者を睨み附けて、直ぐなる世を横に渡る」原田内助が登場する。広い江戸にさえ住みかね、今は品川あたりの場末に住む「隠れもなき浪人者」だが、「きのうムショ(刑務所)から出てきたばかりだが……」式のおどしをやっている人間とは質がちがう。貧しさをくぐりぬけてきた現実の読者、新興町人にとっては微苦笑をさそう場面だ。 しかし、やはり「悲しき年のくれ」。せんかたなく女房の兄で医者をやっている半井清庵に無心する。たびたびのことなのでまたかと迷惑なおもいはしたけれど見捨てる気持ちにはなれず、金子十両つつんで、上書に「貧病の妙薬金用丸万づによし」とかいて送ってきた。こんな処方せんをかける義兄をもった内助はしあわせというべきか。 内助はさっそくとくに懇意に交際する浪人仲間七人をよんで雪の夜の年忘れをひらく。内助は小判十両の由来を披露する。例の上書の件では、みな「軽々なる御事」と感心する。そのうちに盃も数かさなって千秋楽をうたう。諸道具を片づけるのと一緒に小判も集めたら一両紛失している。 内助はさる方へ支払ったととりなしたものの、一座のものは承服しない。 とにかくめいめいの疑いをはらそうと、上座から帯をとく。一人、二人…… 三番目の男は渋面をつくり、一言も発しなかったが、膝を立てなおし、「浮世にはかかる難儀もあるものかな、某は身振ふまでもなく、金子一両持ち合はするこそ因果なれ、思ひも寄らぬ事に一命を棄つる」と思いきって言った。一座のものがいさめる中でさらに続けて語るのを聞くと、一両の出所としてはたしかなことだ。しかし、「折ふし悪し」という。それで切腹後に事情を究明して名誉回復をはかってほしいというのである。そのことばを言いおわるやいなや、彼は革柄に手をかけた。 その瞬間、「小判は是れにあり」と丸行燈のかげより投げだしたものがある。 調べればすぐに潔白のあかしがたつことなのに、たまたま疑われる状況におかれたということだけで切腹しようとする武士気質、三つ子の魂百までもというのであろうか。そのナンセンスさをこのさい説得したところで相手の命をすくうわけにはいくまい。 革柄にてをかけたその瞬間、なげだされた小判が切腹ざたの男の命を救ったのだ。 「さては」と安堵の雰囲気がながれた場面で、「物には念を入れるべきですな」としたり顔にしゃべっている男もいる。 危機の瞬間に小判一両投げだすような機敏さをもちあわせぬ私たちとても、「物には念を……」式のうしろ向きの預言者にはついていけないものを感じる。いや、自己の内部にそうした傾向をもちあわせているからこそ、よりいっそう自己嫌悪にも似た反発を感じるのかもしれない。 しかし、現実は、うしろ向きの預言者に甘くはない。「物には念を……」といったその直後に、台所より内儀の声があり、小判はこちらへ参っていた、という。 これでは、小判が十一両になってしまう。 ふえた一両の処置をめぐって、浪人たちはほとほと困ってしまう。 夜ふけ鶏の鳴く時分になって、やっと内助はこの処置を亭主にまかせてくれと申し出る。一同、いなやのあろうはずがない。 そこで、例の小判を一升ますに入れて、庭の手水鉢の上におき一人一人客を帰したところ、誰ともしれずもちかえった。 「主 即座の分別、座馴れたる客のしこなし、彼是武士の交際各別ぞかし。」 2 西鶴文学に反映された民族的体験 この作品は「……各別ぞかし」で結ばれている。 たしかに、内助のさいごの処置は適切であった。 たしかに、一両投げだした武士の行為も美事であった。 だが、それだけに切腹ざたのナンセンスさはどうであろうか。清庵の軽口の精神とは無縁の所に立っているのではあるまいか。 また、切腹ざたのときにはオロオロ、ウロウロしているくせに、一見事が落着したかに見えるとがぜん雄弁になる人間の思考様式はどういう性質のものであろうか。 こうした疑問は、こんにちの読者であるわたしたちの疑問にとどまるものではないだろう。 たえざる黒い手の圧迫のなかで自分たちの生活をきりひらいてきた読者群、新興町人たちにとって、「かれこれ武士のつきあい各別ぞかし」という表現は、諷刺の思いをこめた感情でしかうけとめることができなかったのではないか。 浪人生活の苦しさを理解する面ではあたたかい感情をもちえても、あたらしい現実のなかで自分の意識をつくりかえていけない武士的モラルに対しては、笑の目をむけざるをえなかったろう。 自分の存在に忠実に生きることが、人間らしく考え、感じることを保証したこの時期の読者たち。それだけに、浪人たちのように古い存在形式に見あう思考様式を再生産することには、こっけいなものを感じたろうし、「三つ子の魂百までも」式に訓練した黒い手の魔力には、体ごとの反発を感じたにちがいない。 こうした現実の読者のすぐれた反映像としての「本来の読者」の体験を、こんにちの高校生にくぐらせるのはどういう意味があるだろうか。 「高校三年生」
二、 発達からみた学習過程 1 学習の前提 一年で『平家』(殿上の闇討ち、祇王)・『徒然草』などの古典に接していること。つまり、民族的体験の基本的な流れを、感情ぐるみくぐっていることが必然なのだ。古典文法の基本がひととおりおわっていることも必要だ。 二年の西鶴コースでは、まず『諸国咄』の序からはじめる。序では、「人はばけもの、世にない物はなし」を講義形式で明らかにしておく。「自分にとって不可思議と思われる事柄も、広い視野において見なおされたような場合、それが神秘でも不可思議でもない、ごくありふれた事柄にすぎないことが分ってくる……。そういうありふれた事象について神秘や不可思議を妄想するのは、自己のせまい経験に与えられたものだけを真実とする、経験主義的な独善によるものだ」(『芸術とことば』 P281)ということ。また、「この世に不可思議はない。しかし、ここに一つの例外がある。人間という名の化物の存在がそれだ、……疎外された今の世の中を生きることで自己疎外をおこなっているという意味での、化物としての人間がそこにあるだけだ」ということなどを明らかにする。そのことで、「民衆文学としての西鶴の浮世草子の課題は、いったい、どこのところで、どんなふうなつまづき方をしたために、彼(あるいは彼女)は《人間》を喪失する結果になったのか、ということを見きわめることにあったはずです。或いはまた、どの時点、どの地点で人間を守り人間回復を実現させることで、彼は、不可能を可能に変えるデモーニッシュな存在として歴史に参加できたか、という点をたしかめることに、西鶴文学の課題はあった」(同上 P282)ということを、有効な仮説として提起しておく。 ついで、『忍び扇の長歌』をとりあげ、姫の生き方の追求をとおして、西鶴の文体になれさせる。 2 学習の展開――先行体験の形成―― 作品をとおして、生徒たちはそれぞれのイメージを形成する。そのイメージが方向的に一致するかどうかを、表現に即してたしかめていく。 @ まず、原田内助の登場である。「朱ざやのそりを返して……」うんぬんの部分だけから、横車をおして押し売りふうの人生をおくっている男を想像しがちだ。内助はどんな人間か? という発問を清庵とのつながりで検討していく。「貧病の妙薬金用丸……」の上書を理解できる側面をもった人間として、内助を定位する必要があるだろう。“貧病”の体験に即して、あるいはユーモラスな生活態度に即して――。 A 小判をなげだしたものの行為を適切に位置づけること。新興町人の意識をもったものでも、小判一両なげだす形でしか、切腹ざたをひきおこした浪人の生命をすくいえないのではなかったか。瞬間の判断のすばらしさ、また大晦日を前にして貧乏浪人が一両なげだした意味などを確認する。クラスにおける仲間意識と対比して……。 B 切腹ざたをおこした浪人の性格。そのいさぎよさが現実にはたす役割について。マイナス面、プラス面の検討。人間のもつ純粋さが理想に結びつくばあいとセツナ主義に結びつくばあいの条件。いさぎよさや若さとの関連やちがい。 C 後ろ向きの預言者。徹底的に批判させる。「物には念を……」と得意気にいったあと、台所よりこちらに小判がという声がある、そのときの彼の表情なども問題になろう。と同時に、あのときああすればよかった式の発想が生徒集団の内部にもあるのではないか、を明らかにする。切腹ざたをひきおこしたほうが、まだ人間として純粋であることの確認。 D 以上のような場面規定をきちんと押さえた上で、「主 即座の分別、座なれたる客のしこなし」の表現を問題にする。「かれこれ……各別ぞかし」とあるが、ほんとうにほめているのかどうか。理由を明確に指摘させながら話しあう。解答としては、A 肯定、B 否定、C 半肯定半否定の三通りが出るだろう。 |
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