初期機関誌から
文学と教育 第30号 1963年10月10日発行 |
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館山集会の成果と残された問題 佐伯昭定 | |
一、どうしたら、子どもに文学のおもしろさをわからせることができるか これは、『ごんぎつね』の実践を発表した山田松治さんの出した問題であった。この問題を明らかにしていくためには、やはりどういう状況の中で、これが問題になったのかをはっきりさせていかなくてはならない。 山田さんは、それについて、こういうふうにいっている。「教科書の中には、いわゆる文学的教材といわれるものが非常に少ない。現在の教科書教材を扱うだけで、文学教育の目的が果されるとは、とても考えられない。」 この問題、つまり「文学教育と教科書教材」を福田隆義さんは「教科書教材のウラをさぐる」という視点からも見ようとしたわけである。 作品の主題にせまる重要な部分が、教科書にのせられるときには、カットされ、あるいは書きかえられている。いったい、そんな作品を使って、主題をつかもうなんて話にならないじゃないか、という富沢幸三さんの発言は、まったくその通りである。 しかし、現実に目を向ければ、やはり、そこに教科書があり、しかも、そういう教科書を使わざるを得ないような状況に、ますます追いつめられている。そういう状況の中では、なお、子どもに文学のおもしろさをわからせようとするには、どうすればいいのか。これは避けるわけにはいかない問題である。 真田巌さん、土橋保夫さん、本間義人さん、夏目武子さんなどから、具体的にいくつかの方策が提案された。それはそれなりに生かされるべきだと思う。だが、山田・福田両氏の発表なり、その後の討議でもっとも明らかにされたことといえば、ほんとの文学教育をしていくためには、教科書の教材ではだめだ、という実感を会員それぞれの脳中に位置づけたことではないだろうか。 そして、このことは、だから、教科書を使う、使わないの問題ではなく、ほんとの文学教育、われわれがねがっている文学教育のイメージを少しでも、より鮮明にし得たということなのだ、というふうに考えたい。 だからこそ、熊谷さんの言う「ほんとうの文学がわかるためには、一流の文学を読まなくてはならない。」というそのことばは、やはり、文学教育の原則である。 まず、このことが確認された。 二、では、どんな文学がほんとうの文学なのか 吉田宏さんの『信号』(ガルシン)なり内藤哲彦さんの『河童』(芥川)がこれにかかわっている。 『信号』では主題のとらえ方にさまざまな意見が出てきた。これらの意見は、結局ワシーリイ像をどのようにとらえるか、ということと深いつながりがある。「破かい的人間」(石川)、「近代的人間像の原型」(夏目)、「人間性にめざめたもの」(吉田)……、このような表現理解は単に個人差といってかたづけられるものではなく方向のちがいをあらわしている。 こういうことは、文学の教師なら、だれもが教室で経験することである。だから、表現理解のちがいをはっきりさせることよりも、そのちがいを生じた原点をこそもっと、一般化した形で問題にすべきではなかったかと思う。 雑誌『国語教育』(明治図書刊・56)に、杉浦明平氏は、同じくガルシンの『信号』についてのべている。「自己犠牲の美しさをたたえようとしている跡がうかがわれます。」「トルストイほどの独断的で、積極的な主張でないことは『信号』全体からはっきり感じられます。」この考え方は、討議の中で発言した、夏目さんの「セミョーンの自己犠牲へと読みとる傾向は作品自体の持つ弱さではないか。」と、ある程度つながっているように思える。 杉浦氏がいったからどうっていうことではない。そう理解するかしないかは、作品の主題のとらえ方を決定するほどのことであり、ひいては、作品の価値をも決めることになる。とすれば、作品研究なり作家研究の方法論をここでもっと明かにすべきではなかったかと思う。 ほんとの文学か、ほんとでない文学かを明らかにするためには、もうひとつ、読む主体、自我の問題がある。これは、内藤さんの『河童』ゼミで問題にされた。読んでおもしろいと思うか、おもしろくないと思うか、思うのは「自分」。その「自分」を主観主義にややもすると傾斜する姿勢でとらえるのではなく、「なかま」の体験をくぐりながら、それが、どう形成されていくか、どう形成していくかを問題にしていかなくてはならない。これは、荒川有史さんの指摘である。 三、表現理科におけるもうひとつの問題 それは、千葉一雄さんの出した「地域差」の問題である。千葉さんは、社会環境から受けるものは、ほんとの地域差ではないだろう、むしろ、指導してもなお残るもの、それが地域差というものではないだろうか、といっている。 地域がちがえば、したがって体験にもズレが生じてくる。そうすれば、ある事柄に対して、わかりやすさ、と、わかりにくさは当然出てくる。しかしながら、このことは、体験のあるなしの問題ではなく、意味においてつかかまれたひとまとまりのシステムとしての先行体験を表現理解においていかに位置づけるか、という問題であろう。そういうふうに熊谷さんは言っている。(とぼくは理解した) 千葉さんの話の中に出た「雪」「夜」「町」などの語イが農村の子どもと、都会の子どもでは、そのコトバ刺激にちがいがあるということなどはよくわかる。その「刺激のちがい」を「遠い近い」「暗い明るい」のちがいとしてだけとらえるのではなくて、そういうコトバ刺激の中にふくみこまれている、あるいは、その刺激を支えているとでもいうか、生活感情が「地域差」では問題になるのではないか。(こういうふうに討議の成果をまとめていいかどうか確信は持てないが) 四、さいごに、理論と実践の問題について 熊谷さんは、集会第一日めに「文学教育の基礎理論」という題で講義をされた。その中で、対象と方法の弁証法から、教育技術主義としての「読解指導理論」の批判がなされた。また、第二信号系と自我変革との関連も明らかにされた。大きな収穫であった。 伝え理論による、集団主義文学教育の理論に対応すべき実践の確立、館山集会のめざすものは、じつは、そこにあるべきだったとぼくは考えていた。そして、今までのべてきたように、多くの成果を得ることができた。しかし、文教研は明らかに、理論にくらべて、実践がたちおくれている。やっぱり、ぼくはそう思う。ぼくに限ってそうだ、というように言い直した方がいいかもしれないが。(少なくとも、ぼくにおいては事実である) 対象(作品)によって方法(指導過程)が規制されるならば、やはり、文学教育における教授過程のなかで一般化すべきものを明らかにしなければならないだろう。一流の文学作品によってのみ、ほんとうの文学教育ができるというのであれば、一流の作品で構成されている、教材体系を作る必要がある。つまり、そのまま教室へ持ちこんで使えるようなものを作らなければならないということである。 館山集会で残された問題の最も大きいもののひとつに、そういうものがあるのではないかと思う
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